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2010年08月13日

『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房)

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「教会の歴史からみる中世史」

 ウェーバーは、組織をアンシュタルトとセクトに分類した。アンシュタルトは人々が生まれ落ちるように加入させられる組織であり、セクトは人々が自主的な意志をもって参加する組織である。アンシュタルトの代表的な組織が教会と国家であるが、本書は教会と国家が一体的なアンシュタルトであった中世を通じて、教会の歴史を(ということは国家の歴史ということだが)追跡する。「近代国家が逃れようのない社会であるのと同様に、教会も[中世においては]逃れようのない社会であった」(p.7)ためである。

 中世の教会は、国家であった。それは国家のすべての装置、すなわち法律、法廷、税金、徴税人、巨大な行政機構、キリスト教世界の市民と内外の敵に対する生殺与奪の力を備えていた(p.8)。

 しかし問題は教会には警察権力がそなわっていなかったことである。人々を罰することができるとしても、それには世俗の君主に依存するか、破門するしかなかったのである。そのため教会と世俗の君主のあいだで長い微妙な力関係がつづくことになる。

 この書物はこの長い力関係の歴史を、教会と教会に属する人物を主人公として描くものである。時代的には、(一)初期-700~1050年頃。西ヨーロッパがギリシア語圏やイスラーム世界に比較すると、さまざまな側面で劣っていた時代。(二)成長の時代-1050~1300年頃。ヨーロッパが拡大し、スコラ哲学によって教義的にも確立された時代。(三)不穏な時代-1300~1550年頃。新しい思想や異端が登場して、教会の権威が揺らぎ始めた時代に区分される。

 このすべての時代を通じて、政治的な中心人物はローマ教皇(第四章)であり、世俗の君主にたいして教皇の権利を確立するために「コンスタンティヌスの寄進状」という偽文書が利用されたことに始まり、シャルルマーニュの戴冠、頻繁に開催された公会議、教皇による特権の付与と裁判、首位権をめぐるハインリヒ四世との抗争、贖宥の頻発、叙任権闘争と、教皇をめぐる歴史は、中世の政治史そのものである。

 第二の主人公は司教と大司教(第五章)であり、世俗世界における教皇の代理人として権力をほしいままにした。この章では、北フランスの大司教、イングランドの大司教、ドイツの司教、北イタリアの司教一族などについて司教個人の実際の在り方が活写される。

 たとえばドイツのリエージュの司教アンリ・ド・ゲルドルは、自堕落で、読み書きもできない人物だったが、家系がよかったので任命された。彼は「聖職者の服をまとった政治的官吏にすぎなかった」(p.226)。生活はひどいものであり、二二ケ月のあいだに、修道女たちに一四人の私生児を生ませたことを「食後の自慢の種」(p.227)にするような人物だった。そしてこれらの私生児には教会の聖職祿を与えられたのである。

 第三の主人公は修道士たち(第六章)である。修道院が設立されたのは、修道士たちに戦わせるためだった。「修道士たちは、自然界の戦いとまったく同じように現実的で、自然界の戦い以上に大切な戦いに従事していた。彼らは超自然的な敵を土地から追い払うために戦っていたのである」(p.256)。この戦いが必要となったのは、世俗の君主や貴族たちに贖罪が課せられたためだった。

 たとえば九二三年のソワソン戦いに参戦したすべての人々は三年間の贖罪を命じられた。この贖罪には毎年四〇日を一期として三期ずつ、すなわち一年の三分の一は、「パンと塩と水だけで過ごすように命じるものだった」(p.258)。これでは貴族たちの生活は停止してしまう。そのため「自分の代わりに金を支払って誰か別の者に贖いをさせることができる者」たちは多額の金を支払って、修道士たちに代理で贖罪をさせたのであり、こうして修道院が設立され、繁栄したのだった。

 しかし修道院のこうした在り方に満足できない修道士たちは、新しい修道院を開くことなる。都会に近い場所に開設されたアウグスティノ修道参事会と、僻地に建造されて土地の開拓に力をいれたシトー派の修道院である。しかし皮肉なことに、シトー派の修道院は、その開拓と労働によって富を積み、世俗的な修道院と同じ状況に堕落するのだった。

 これに飽きたらない修道士たちは、托鉢修道会を組織した。ドミニコ会とフランシスコ会である。この托鉢修道会の大きな特徴は、大学と結びついて、神学を専門の研究する人々を養ったことである。「托鉢修道会に加わった大学教師たちは聖職祿をあさる闘争を放棄し、学問的仕事に専念することができた」(p.338)。中世末期の神学者の多くは、こうした身分で研究に献身することができたのである。

 しかしこうした修道会のありかたにも満足できない人々が登場する。たとえばベギン派の女性たちは、両親からうけついだ遺産を持ちあって、都市の片隅にいささかの住宅を購入し、そこで「結婚の災い」から避難し、尊敬する指導者のもとで、霊的な生活を送ることを好んだのだった。またオランダのヘールト・フローテは、同じく世俗的な生活を送りながら、霊的な目的を追求する「共同生活信心会」を設立した。しかし教会はこうした在り方を容認することができず、女性たちを結婚させるか、既存の修道会に参加させることを求めたのだった。

 中世を通じて、聖性を追求する運動が次第に堕落し、ついに世俗的な人々のうちにしか、霊性をみいだすことができなくなるまでの歴史は、読んでいていろいろなことを考えさせてくれる。初期の砂漠の修道士たちの記述がないことと(これは修道院のありかたの手本となった生活だった)、文献リストがないことが少しもの足りないが、目配りのよい教会史としてお勧めできる。

【書誌情報】
■西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-
■リチャ-ド・ウィリアム・サザン著
■上條敏子訳
■八坂書房
■2007/04
■423,49p / 21cm / A5
■ISBN 9784896948882
■定価 5040円

●目次
第1章 教会と社会
第2章 時代区分
第3章 キリスト教世界の分裂
第4章 教皇権
第5章 司教と大司教
第6章 修道会
第7章 周縁の修道会と、修道会に対するアンチ・テーゼとしての宗教運動



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