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2010年08月05日

『“道”と境界域―森と海の社会史』田中 きく代 阿河 雄二郎【編】(昭和堂)

“道”と境界域―森と海の社会史 →bookwebで購入

「道の諸相」

 「道」という概念と「境界」という概念をキーにして、さまざまな社会史的な考察を集めた「学際的な」論集。中には「越境」という概念を細い糸のようにして、どうにかつないでいる論考もある、それでもこうした企画はふだんはあまり触れない論文にあたることができて、読者にはありがたい。ぼくだったらどんな文章を寄稿するだろうかなどと考えながら読んだ。

 領域べつに大きく分けて三つの分野でまとめられている。「森の世界が作る〈道〉」「ものと情報をつなぐ海と陸の〈道〉」「〈境界〉経験による再生の〈道〉」である。第一部の「森と獲物の領有をめぐって」では、フランスでは中世の末期から、平民を狩猟から排除しようとする傾向が強まっていることに注目しながら、狩猟が「身分による差別化」(P.4)の手段として利用されていることを指摘する。平民は王の森に入って猟をすると罰せられるのだ。バルザックの『農民』の小説をまざまざと思い出す。問題なのは王の森の外で狩った獲物が王の森に逃げ込んだ場合であり、ここでさまざまな争議が発生する。やがては狩猟は貴族の趣味、身分を誇示する趣味となる。

 「森のイコノロジーでは、フランスやフランドル地方の森のタピスリーを手掛かりに、「森(自然)と人間との関係を読み取る」(p.26)ことを試みる。「風景画」の発生や、動物裁判などの興味深いテーマと結びつこうとするところで終わってしまうのが残念。ペトラルカのヴァントゥー登山までいれてしまうので、少し伸び過ぎた感がある。

 第一部の最期の「森の〈道〉からの来訪者」と次の論文は対象が日本になっている。この論文は、外部である森から村の民を訪れる異なるものをめぐる考察。折口のまれびと論もあって、興味深い展開が期待できる。「猿神」と「神殺し」の物語などは面白いが、なぜか次の章の冒頭で指摘される夏目漱石の『夢十夜』の言及がないのが不思議。

 第二部の最初の「近世海運ルートと文学の〈道〉」は、西鶴文学の地方的な展開と近世の新しい海運のルートの結びつきを指摘するものだが、いかにもありそうな話というところでとまってしまうような印象がある。冒頭の漱石の言及は、前の論文では必要でも、この論文では不要なのでは(笑)。

 「水路網が結ぶ〈道〉」はイギリスとフランスを結ぶさまざまな水路と、その水路の港湾で発生した新しい空間についての指摘が興味深い。パリは「たゆたえども沈まず」を紋章としていることからも明らかなように、水路沿いの町なのだ。「パリ市の市政責任者は中世以来、セーヌ河で生業をなしていた水上商人組合、川船組合出身の、商人頭が占めていた」(p.95)という。

 そしてロンドンではカフェが保険業務の事務の場であったのと同じように、セーヌ河沿いのカフェは、「船運関連業務の事務所の空間」(P.99)であり、社交の場であり、情報センターであったらしい。鉄道の「駅文化」と同じような文化が河川のカフェでも展開されていたというのは、現代のパリを見ているかぎり、なかなかおもいつかない。

 「海の聖人を尋ねる〈道〉」は、聖ニコラオス島についての考察。このトルコのゲミレル島は、古代末期に聖人崇拝と巡礼の基地として有名だったらしい。この論考では古代の文献におけるこの島の言及を手掛かりに考察が展開されるが、現地での発掘活動の結果そのものは別の論文で発表されているということで、何やら物足りない。

 「内陸の交易路」は、一六~一七世紀のポーランドの毛布と肉牛の取引から、ヨーロッパにおける交易路としてのポーランドの地位が浮き彫りにされる。フランス人が毛皮を求めて北アメリカの植民地を開拓したのは有名だが、この時期はロシアから大量の毛皮がヨーロッパに輸入されたらしいい。一七世紀の初めにはポズナニ近くで年間八〇万枚の毛皮(主としてリス)が取引されていたらしい。一五六二年から六九年までの七年間に、リガ経由で年間五八万枚の毛皮が輸出されていたというからすさまじい(p.126)。

 第三部の冒頭の「近代フランスに誕生したカトリック巡礼の〈道〉」は、ルルドが聖地として認定され、この地への巡礼が組織されてゆく様子を描く。この書物にいかにもふさわしい論考だろう。巡礼に赴くのは多くが「貧しい」人々だが、中世では貧しい人々には二つのカテゴリーがあったという。「神が選んだ貧困」と「事実としての貧困」である。「貧しい人々は、貧しさを選んだキリストに近い存在」(p.152)であり、宗教的には重要な意味をもつという。

 この論考では、一九世紀のフランス各地でこうした聖地への巡礼が盛んになった理由を二つ検討している。一つはフランス革命前に機能していた地域の教会の権威が崩壊したために、新しい信仰の対象が求められ、奇跡が待ち望まれていたというものである。こうした心性を抱く人々は、「奇跡が起こる場所に向かい、また聖女を通じて、カトリック信仰を再確認する。巡礼地の創出は、かつて存在した教会中心の秩序の崩壊を補填し、新たな移動とそれを可能にするさまざまな〈道〉を生む」(p.156)。

 もう一つの理由として考えられているのは、革命後に緩んできた家族の絆を再構築するためだというものである。「巡礼に参加する者にとっても、家族の結束は重要である」(p.157)。巡礼は一人で実行することはできず、その背後に支える家族が必要であり、これが「家族が再び結束する機会を与える」(同)という。

 「越境する演劇」は鈴木忠志の演劇を取り上げた後に「西洋演劇における演劇観の変化」をアリストテレスから始めてブレヒト、アルトーにいたる。「戦争の記憶をたどる〈道〉」の論考は、ナチス時代のドイツ人と強制収容所の関わりを考察する。どちらも少し焦点がぼけているような感じがある。

 「王権が行く〈道〉」は、プトレマイオス朝の祭典文化の紹介から始まる。一昼夜を通じて、巨大な彫像などでディオニュソスの神話を再現し、多数の武具や器具をともなってアレクサンドレイアの町を練り歩くという。この行列の先頭には、ディオニュソウの「テクニタイ」という集団が行進したと記録されているという(p.207)。これは「演劇や音楽を生業とする集団」(同)であり、この論考はこの集団の成立と機能について考察する。この集団は「独自に外交活動を展開し、組合に所属する俳優が組合の拠点の置かれた都市の外交使節として活動することもあった」(p.212)という。独自の法も司法組織もあったというから、ちょっとした都市国家なみの集団だったらしい。とても興味がかき立てられる論考であった。

 「旅する裁判所」は、イギリスの巡回陪審裁判制度の成立の状況を描くものであり、イギリスの裁判制度の基本となる要素についての示唆深い論考である。一八世紀のイングランドでは「中央と地方を結ぶ重要な役割を果たしたこのアサイズ巡回陪審裁判制度も、一八四〇年代以降の鉄道時代の到来」(p.231)によって次第に衰えるが、「中世的な儀礼も合わせ一九七一年まで存続」(同)したらしい。

 最後の「公道の民主主義」はアメリカのパレードと政治文化の結びつきを考察する。祝祭としてのパレードについては、独立戦争以来の長い伝統があり、興味深いテーマだけに、枚数が少し足りないようだ。多くの論文は楽しく読めるし、注にあげられている参考文献でさらに知識を深めることができるだろう。

【書誌情報】
■“道”と境界域―森と海の社会史
■田中 きく代 阿河 雄二郎【編】
■昭和堂
■2007/03/31
■288,10p / 21cm / A5
■ISBN 9784812207321
■定価 3990円

●目次
第1部 森の世界がつくる“道”
第一章 森と獲物の領有をめぐって―近世フランスにおける狩猟権と狩猟慣行
第二章 森のイコノロジー―ブルゴーニュのタピスリーに描かれた森
第三章 森の“道”からの来訪者―外来者をめぐるフォークロア

第2部 ものと情報をつなぐ海と陸の“道”
第四章 近世海運ルートと文学の“道”―西鶴文学の情報ルーツ
第五章 水路網が結ぶ“道”―近代フランス新・交通革命の担い手としての舟運
第六章 海の聖人を訪ねる“道”―ポルトラーノ史料にみる聖ニコラオスの島
第七章 内陸の交易路―一六~一七世紀ポーランドにおける毛皮・肉牛取引から

第3部 「境界」経験による再生の“道”
第八章 近代フランスに誕生したカトリック巡礼の“道”―聖地ルルド、リジュー、そしてパリ
第九章 越境する演劇―形式の模倣と新しい創造
第一〇章 戦争の記憶をたどる“道”―ナチ強制収容所をめぐるドイツ人社会の体験から

第4部 権力と威信の通り“道”
第一一章 王権が行く“道”―プトレマイオス朝の祭典文化とディオニュソスのテクニタイ
第二章 旅する裁判所―巡回陪審裁判制度成立史素描
第三章 公道の民主主義―一九世紀アメリカの政治文化とパレード


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