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2010年08月27日

『深い謎―ヘーゲル,ニーチェとユダヤ人』ヨベル,イルミヤフ(法政大学出版局)

深い謎―ヘーゲル,ニーチェとユダヤ人 →bookwebで購入

「ユダヤ人問題の謎」

 この書物のタイトルは、ヘーゲルのユダヤ教とのかかわりについて、伝記作者のローゼンクランツが「ユダヤ教はヘーゲルをひきつけるとともに、彼に不快な思いをさせる不快な謎だった」(p.27)と語っていることによる。初期のヘーゲルがキリスト教の実定性を考察しながら、かなり激しい反ユダヤ主義的な表現をしているのは、あまり知られていないかもしれない。

 ヘーゲルは族長アブラハムを「地上の異邦人、大地とも人々とも異質な存在」(p.49)と呼んで、パセティックなほどにユダヤ教の精神では、神を絶対的な他者として描くのである。著者はその背景に、スピノザとメンデルスゾーンのユダヤ教の取扱いかたがあったと考える。どちらもユダヤ教を宗教というよりも、制度として把握していたからである。ヘーゲルはそこからユダヤ教は精神性の欠如した制度にすぎないと断罪したのだった。ただこうした反ユダヤ主義は、キリスト教の社会ではかなり自然に生まれるものらしく、それをいかに克服していくかが、哲学者の課題の一つとなる。

 イエナ時代の『精神現象学』では、ユダヤ教は奇妙なほどに姿を消す。わずかに言及されているところでは、ユダヤ民族について、「彼らが救済の門の直前にたっているからこそもっとも神に見放され、本来あるべき在り方を拒否してきた」(p.76)と指摘している。古代のユダヤ民族は救済の門、すなわちイエスを前にしながら、イエスを救世主として受け入れることを拒んだというのであり、だからこそもっとも神に見放された民族だというのである。これは「ユダヤ人の歴史からの脱落には救いがない」(p.77)ということを意味しているのであり、初期の反ユダヤ主義が歴史観として表現されていると言えるだろう。

 後期になると、『歴史哲学』においてユダヤが登場するが、今度はかなり抑えられたトーンになっている。ユダヤ教に重要な役割を与えているのだ。「ユダヤ教が自然からの根本的な断絶をもたらしたおかげで、精神は自然にとって代わり、自然と対立することができるたようになった」(p.85)と考えるのである。この時期に美学においてはユダヤ教は「崇高なもの」の概念とともに提起されるようになる。これは初期に絶対的な異質なものと考えられていた神を「崇高」(p.103)の概念で考えるようになったということであり、一つの進歩である。

 いずれにしても、カフカを思わせる掟の門前の前に立ち尽くすユダヤ民族のイメージはそのまま維持されているのであり、「恐怖、疎外、支配、非合理性、他律などの基本的な不正や欠陥のすべてをユダヤ教の中に詰め込んでいる」(p.114)のはたしかと言えるだろう。

 これにたいしてニーチェは、初期の素朴な反ユダヤ主義を克服した。著者はヨーロッパの哲学者では珍しい例だと考えている(ちなみに著者は名前からも分かるようにユダヤ人であり、エルサレムのヘブライ大学の哲学教授である)。そしてニーチェは狂気によって意識を喪失する時期まで、ドイツの反ユダヤ主義的な論調を激しく攻撃しつづけるのである。

 ニーチェのユダヤ教への見解は二つの側面をもつ。古代のユダヤ教とディアスポラのユダヤ教にたいしては高く評価し、第二神殿期のユダヤ教は激しく非難するのである。第二神殿期というのは、ユダヤ教が「律法主義的な特徴」(p.216)を帯びた時期であり、キリスト教の成立期である。

 そもそもキリスト教はこの第二神殿期に、ユダヤ教のファリサイ派の過激派として成立したのであり、この時期のユダヤ教をルサンチマンの論理で批判するとき、ニーチェはそのままキリスト教を一緒に批判しているのである。ユダヤ教批判は、キリスト教批判の「仮面」でもあった。ルサンチマン批判は道徳の系譜学の重要なモチーフであり、ニーチェのニヒリズム批判の根拠でもある。それだけにこの時期のユダヤ教批判は激しくなる。

 これにたいして、ローマ帝国に抵抗して激しいユダヤ戦争を展開したユダヤ人たち、そしてすぐれた才能で当時のヨーロッパの文明を向上させていたディアスポラのユダヤ人たちにたいしては、ニーチェは称賛の姿勢を崩していない。ニーチェが何よりも評価したのは「たえざる苦難の旅にあってもユダヤ人が捨てない生の肯定」(p.244)にあった。「生に潜む可能性を展開して生に価値を与えるユダヤ人の生き方」はニーチェを感服させたのであった。

 そしてニーチェにとってはユダヤ人は「超人」が登場するきっかけとなりうるもの(p.248)であった。ニーチェが夢想した体制変革は「キリスト教から開放されたユダヤ人という強力な人間集団」なしでは不可能と思えたのである。ユダヤ人なしではヨーロッパは自己改革を行えないだろうと考えていたのだ。

 なお「謎」という言葉は、ヘーゲルだけに当てはまるものとして考えられているのではなく、ユダヤ人問題が「ヨーロッパ人自身のアイデンティティの問題が写しだされている」(p.xi)鏡のような役割をはたしていることともかかわりがある。どの民族にも、考えたくない問いのようなものがあるものだ。ヨーロッパにとってはユダヤ人問題がその問いの一つであり、この問題への姿勢がその民族のアイデンティティを裏側から作りだすのである。日本にもそうした問題がいくつかあるだろう。

【書誌情報】
■深い謎―ヘーゲル,ニーチェとユダヤ人
■ヨベル,イルミヤフ【著】
■青木隆嘉【訳】
■法政大学出版局
■2002/03/15
■315,21p / 19cm / B6
■ISBN 9784588007323
■定価 3990円


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2010年08月20日

『ヘーゲルにおける理性・国家・歴史』権左 武志(岩波書店)

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「久々の本格的なヘーゲル論」

 ここ数年は本格的なヘーゲル論をあまり見掛けなかったので、本書のようにまとまったヘーゲル論の刊行は、ヘーゲリアンにとっては嬉しいかぎりである。ぼくもしばらくヘーゲルから遠ざかっていたので、ブラッシュアップになって楽しかった。

 第一章では、ヘーゲルの歴史哲学の神学的な背景を考察する刺激的な論文である。著者は、これまで刊行されてきたヘーゲルの歴史哲学の版では、その基礎となっている三位一体のキリスト教神学の土台が隠されていたために、ヘーゲルの真意が見にくくなっていることを指摘する。

 そして東洋、ギリシア・ローマ、西洋の近代という自由の発展を基礎とした「歴史における理性」の概念は、「一見すると普遍主義的な立場を代弁するかに見えて、実はキリスト教的正統という特定の限られた立場から構想されているにすぎない」(p.10)という疑念は、根拠のあるものであることを認めるのである。

 それと同時にヘーゲルの歴史哲学には、「初期には古代ギリシア、晩年には古代オリエントという異なる他者の文化との接触と対決を通じて得られた、ヘーゲル自身による地平の融合の所産」(p.35)が含まれるのであり、一見するとエスノセントリズムの外見のうにちに、「マルチカルチュラルな洞察」(p.35-36)が含まれることも忘れるべきではないという。

 第二章ではこの問題をさらに深めて、ヘーゲルは「神の人間化というキリスト教起源の思想こそ、一方で神の無際限な感性化、他方で特定個人の排他的神格化という両極の偏向を排し、真に精神の自由を根拠づける普遍的原理たりうる、そしてキリスト教的三位一体をモデルという〈歴史における理性〉の普遍妥当性要求こそ、精神の自由を自覚し実現していく人類史の原動力たりうる」(p.54)と考えたことを指摘し、その帰結として生まれる「改宗かさもなくば征服というアウグスティヌス以来の正戦概念の発動をいかにして回避できるか」(同)という問題、そして異文化の対立はどのようにして「文明の衝突」とすることになく、対話の可能性を維持するかという問題は、現代のわれわれにとってもアクチュアルであると指摘する。

 第三章では宗教改革とその帰結としての国家と宗教の分離、そして世俗化のプロセスについての考察を中心とする。ヘーゲルはカトリックと比較して、プロテスタント教会と世俗の関係をひとまず肯定的に評価する。ルター以後は「独身に代わり、結婚が神聖化され、無為に代わり、労働による自立が重んじられるとともに、教会への盲目的服従に代わり、国法への良心による自由な服従が推奨された」(p.73)。

 しかし同時にヘーゲルは、ウェーバーが指摘したようなプロテスタントに固有の精神的な緊張についても意識的である。「ヘーゲルは、マックス・ウェーバーに先立ち、プロテスタントの内省精神が世俗化により引き受けた新たな負荷の本質を的確に言い当てる一方で、こうした内面的な極限状況の恒常化こそ、フランス革命後に現れたロマン主義者たちをカトリシズムに転向させた要因であることを鋭く見抜いている」(p.73)のである。

 第四章は、「ドイツは国家ではない」と嘆いていたヘーゲルが、ナポレオンに侵攻されたオーストリアの帝国の危機にあって、明確に主権概念を確立するために貢献したことを考察する。ヘーゲルは初期の法哲学において身分的な制度を容認していたが、「帝国解体とライン同盟改革という歴史的断絶の体験から」(p.117)、これでは国家の主権を確立できないと考えるようになった。封建的な中間権力を剥奪して、「所有権を私法化することにより初めて、〈人格と所有の自由〉に基づく私的自治の領域」(同)すなわち、国家とは異なる市民社会の領域が確立できることを認識し、他方では統一的な権力を「政治的国家」として確立できることを認識するにいたったという。

 第五章は、若きヘーゲルの共和主義的な理念から、一八〇七年の『精神現象学』にいたるまでの思想的な発展を、「共和主義-プロテスタンティズムという思想史的座標軸を用いて整理」(p.122)したものであり、分かりやすい展望を与えてくれる。

 第六章は、ヘーゲルの法哲学は「プロイセンの御用哲学」という戦後ドイツの評価をいかにして克服していったかという論争の歴史であり、詳細な説明が理解を助けてくれる。ヘーゲルの法哲学講義はさまざまなバージョンが発表されてきたために、議論も錯綜したものとなっているが、その背景には「学派間の争い」(p.204)もあったという、いかにもアカデミズムにありそうな事情も明かされる。

 第七章と第八章は、ヘルダーリンの刺激のもとでヘーゲルが独自の哲学を構想するようになった経緯を『精神現象学』まで辿るものであり、初期ヘーゲルの思想的な経歴を一瞥できる。とくに第八章の第一節までは、足取りもしっかりとしたものであり、お勧めである。ただ、今回書き下ろしで加えられた第二節は、イエナ時代の中期から後期にかけて、かなり早足で総括する。『自然法論文』『人倫の体系』『イエナ哲学構想』など、この時期の著作について、著者のもっと深い考察が読みたかった。

【書誌情報】
■ヘーゲルにおける理性・国家・歴史
■権左 武志【著】
■岩波書店
■2010/02/23
■393p / 21cm / A5判
■ISBN 9784000247122
■定価 8400円

●目次
第1部 ヘーゲル歴史哲学の成立とその背景
第一章 「歴史における理性」は人類に対する普遍妥当性を要求できるか?―ヘーゲル歴史哲学の成立とその神学的・国制史的背景
第二章 「歴史における理性」はいかにしてヨーロッパで実現されたか?―ヘーゲル歴史哲学の神学的・国制史的背景
第三章 世俗化運動としてのヨーロッパ近代― 一八三〇年度歴史哲学講義における自由の実現過程とその基礎づけ)

第2部 ヘーゲル国家論と法哲学講義
第四章 帝国の崩壊、ライン同盟改革と国家主権の問題―ヘーゲル主権理論の形成とその歴史的背景
第五章 西欧政治思想史におけるヘーゲルの国家論―その起源と位置づけ
第六章 ヘーゲル法哲学講義をめぐる近年ドイツの論争

第3部 初期ヘーゲルの思想形成
第七章 若きヘーゲルにおける政治と宗教
第八章 イェーナ期ヘーゲルにおける体系原理の成立


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2010年08月13日

『西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-』リチャ-ド・ウィリアム・サザン著(八坂書房)

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「教会の歴史からみる中世史」

 ウェーバーは、組織をアンシュタルトとセクトに分類した。アンシュタルトは人々が生まれ落ちるように加入させられる組織であり、セクトは人々が自主的な意志をもって参加する組織である。アンシュタルトの代表的な組織が教会と国家であるが、本書は教会と国家が一体的なアンシュタルトであった中世を通じて、教会の歴史を(ということは国家の歴史ということだが)追跡する。「近代国家が逃れようのない社会であるのと同様に、教会も[中世においては]逃れようのない社会であった」(p.7)ためである。

 中世の教会は、国家であった。それは国家のすべての装置、すなわち法律、法廷、税金、徴税人、巨大な行政機構、キリスト教世界の市民と内外の敵に対する生殺与奪の力を備えていた(p.8)。

 しかし問題は教会には警察権力がそなわっていなかったことである。人々を罰することができるとしても、それには世俗の君主に依存するか、破門するしかなかったのである。そのため教会と世俗の君主のあいだで長い微妙な力関係がつづくことになる。

 この書物はこの長い力関係の歴史を、教会と教会に属する人物を主人公として描くものである。時代的には、(一)初期-700~1050年頃。西ヨーロッパがギリシア語圏やイスラーム世界に比較すると、さまざまな側面で劣っていた時代。(二)成長の時代-1050~1300年頃。ヨーロッパが拡大し、スコラ哲学によって教義的にも確立された時代。(三)不穏な時代-1300~1550年頃。新しい思想や異端が登場して、教会の権威が揺らぎ始めた時代に区分される。

 このすべての時代を通じて、政治的な中心人物はローマ教皇(第四章)であり、世俗の君主にたいして教皇の権利を確立するために「コンスタンティヌスの寄進状」という偽文書が利用されたことに始まり、シャルルマーニュの戴冠、頻繁に開催された公会議、教皇による特権の付与と裁判、首位権をめぐるハインリヒ四世との抗争、贖宥の頻発、叙任権闘争と、教皇をめぐる歴史は、中世の政治史そのものである。

 第二の主人公は司教と大司教(第五章)であり、世俗世界における教皇の代理人として権力をほしいままにした。この章では、北フランスの大司教、イングランドの大司教、ドイツの司教、北イタリアの司教一族などについて司教個人の実際の在り方が活写される。

 たとえばドイツのリエージュの司教アンリ・ド・ゲルドルは、自堕落で、読み書きもできない人物だったが、家系がよかったので任命された。彼は「聖職者の服をまとった政治的官吏にすぎなかった」(p.226)。生活はひどいものであり、二二ケ月のあいだに、修道女たちに一四人の私生児を生ませたことを「食後の自慢の種」(p.227)にするような人物だった。そしてこれらの私生児には教会の聖職祿を与えられたのである。

 第三の主人公は修道士たち(第六章)である。修道院が設立されたのは、修道士たちに戦わせるためだった。「修道士たちは、自然界の戦いとまったく同じように現実的で、自然界の戦い以上に大切な戦いに従事していた。彼らは超自然的な敵を土地から追い払うために戦っていたのである」(p.256)。この戦いが必要となったのは、世俗の君主や貴族たちに贖罪が課せられたためだった。

 たとえば九二三年のソワソン戦いに参戦したすべての人々は三年間の贖罪を命じられた。この贖罪には毎年四〇日を一期として三期ずつ、すなわち一年の三分の一は、「パンと塩と水だけで過ごすように命じるものだった」(p.258)。これでは貴族たちの生活は停止してしまう。そのため「自分の代わりに金を支払って誰か別の者に贖いをさせることができる者」たちは多額の金を支払って、修道士たちに代理で贖罪をさせたのであり、こうして修道院が設立され、繁栄したのだった。

 しかし修道院のこうした在り方に満足できない修道士たちは、新しい修道院を開くことなる。都会に近い場所に開設されたアウグスティノ修道参事会と、僻地に建造されて土地の開拓に力をいれたシトー派の修道院である。しかし皮肉なことに、シトー派の修道院は、その開拓と労働によって富を積み、世俗的な修道院と同じ状況に堕落するのだった。

 これに飽きたらない修道士たちは、托鉢修道会を組織した。ドミニコ会とフランシスコ会である。この托鉢修道会の大きな特徴は、大学と結びついて、神学を専門の研究する人々を養ったことである。「托鉢修道会に加わった大学教師たちは聖職祿をあさる闘争を放棄し、学問的仕事に専念することができた」(p.338)。中世末期の神学者の多くは、こうした身分で研究に献身することができたのである。

 しかしこうした修道会のありかたにも満足できない人々が登場する。たとえばベギン派の女性たちは、両親からうけついだ遺産を持ちあって、都市の片隅にいささかの住宅を購入し、そこで「結婚の災い」から避難し、尊敬する指導者のもとで、霊的な生活を送ることを好んだのだった。またオランダのヘールト・フローテは、同じく世俗的な生活を送りながら、霊的な目的を追求する「共同生活信心会」を設立した。しかし教会はこうした在り方を容認することができず、女性たちを結婚させるか、既存の修道会に参加させることを求めたのだった。

 中世を通じて、聖性を追求する運動が次第に堕落し、ついに世俗的な人々のうちにしか、霊性をみいだすことができなくなるまでの歴史は、読んでいていろいろなことを考えさせてくれる。初期の砂漠の修道士たちの記述がないことと(これは修道院のありかたの手本となった生活だった)、文献リストがないことが少しもの足りないが、目配りのよい教会史としてお勧めできる。

【書誌情報】
■西欧中世の社会と教会-教会史から中世を読む-
■リチャ-ド・ウィリアム・サザン著
■上條敏子訳
■八坂書房
■2007/04
■423,49p / 21cm / A5
■ISBN 9784896948882
■定価 5040円

●目次
第1章 教会と社会
第2章 時代区分
第3章 キリスト教世界の分裂
第4章 教皇権
第5章 司教と大司教
第6章 修道会
第7章 周縁の修道会と、修道会に対するアンチ・テーゼとしての宗教運動



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2010年08月05日

『“道”と境界域―森と海の社会史』田中 きく代 阿河 雄二郎【編】(昭和堂)

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「道の諸相」

 「道」という概念と「境界」という概念をキーにして、さまざまな社会史的な考察を集めた「学際的な」論集。中には「越境」という概念を細い糸のようにして、どうにかつないでいる論考もある、それでもこうした企画はふだんはあまり触れない論文にあたることができて、読者にはありがたい。ぼくだったらどんな文章を寄稿するだろうかなどと考えながら読んだ。

 領域べつに大きく分けて三つの分野でまとめられている。「森の世界が作る〈道〉」「ものと情報をつなぐ海と陸の〈道〉」「〈境界〉経験による再生の〈道〉」である。第一部の「森と獲物の領有をめぐって」では、フランスでは中世の末期から、平民を狩猟から排除しようとする傾向が強まっていることに注目しながら、狩猟が「身分による差別化」(P.4)の手段として利用されていることを指摘する。平民は王の森に入って猟をすると罰せられるのだ。バルザックの『農民』の小説をまざまざと思い出す。問題なのは王の森の外で狩った獲物が王の森に逃げ込んだ場合であり、ここでさまざまな争議が発生する。やがては狩猟は貴族の趣味、身分を誇示する趣味となる。

 「森のイコノロジーでは、フランスやフランドル地方の森のタピスリーを手掛かりに、「森(自然)と人間との関係を読み取る」(p.26)ことを試みる。「風景画」の発生や、動物裁判などの興味深いテーマと結びつこうとするところで終わってしまうのが残念。ペトラルカのヴァントゥー登山までいれてしまうので、少し伸び過ぎた感がある。

 第一部の最期の「森の〈道〉からの来訪者」と次の論文は対象が日本になっている。この論文は、外部である森から村の民を訪れる異なるものをめぐる考察。折口のまれびと論もあって、興味深い展開が期待できる。「猿神」と「神殺し」の物語などは面白いが、なぜか次の章の冒頭で指摘される夏目漱石の『夢十夜』の言及がないのが不思議。

 第二部の最初の「近世海運ルートと文学の〈道〉」は、西鶴文学の地方的な展開と近世の新しい海運のルートの結びつきを指摘するものだが、いかにもありそうな話というところでとまってしまうような印象がある。冒頭の漱石の言及は、前の論文では必要でも、この論文では不要なのでは(笑)。

 「水路網が結ぶ〈道〉」はイギリスとフランスを結ぶさまざまな水路と、その水路の港湾で発生した新しい空間についての指摘が興味深い。パリは「たゆたえども沈まず」を紋章としていることからも明らかなように、水路沿いの町なのだ。「パリ市の市政責任者は中世以来、セーヌ河で生業をなしていた水上商人組合、川船組合出身の、商人頭が占めていた」(p.95)という。

 そしてロンドンではカフェが保険業務の事務の場であったのと同じように、セーヌ河沿いのカフェは、「船運関連業務の事務所の空間」(P.99)であり、社交の場であり、情報センターであったらしい。鉄道の「駅文化」と同じような文化が河川のカフェでも展開されていたというのは、現代のパリを見ているかぎり、なかなかおもいつかない。

 「海の聖人を尋ねる〈道〉」は、聖ニコラオス島についての考察。このトルコのゲミレル島は、古代末期に聖人崇拝と巡礼の基地として有名だったらしい。この論考では古代の文献におけるこの島の言及を手掛かりに考察が展開されるが、現地での発掘活動の結果そのものは別の論文で発表されているということで、何やら物足りない。

 「内陸の交易路」は、一六~一七世紀のポーランドの毛布と肉牛の取引から、ヨーロッパにおける交易路としてのポーランドの地位が浮き彫りにされる。フランス人が毛皮を求めて北アメリカの植民地を開拓したのは有名だが、この時期はロシアから大量の毛皮がヨーロッパに輸入されたらしいい。一七世紀の初めにはポズナニ近くで年間八〇万枚の毛皮(主としてリス)が取引されていたらしい。一五六二年から六九年までの七年間に、リガ経由で年間五八万枚の毛皮が輸出されていたというからすさまじい(p.126)。

 第三部の冒頭の「近代フランスに誕生したカトリック巡礼の〈道〉」は、ルルドが聖地として認定され、この地への巡礼が組織されてゆく様子を描く。この書物にいかにもふさわしい論考だろう。巡礼に赴くのは多くが「貧しい」人々だが、中世では貧しい人々には二つのカテゴリーがあったという。「神が選んだ貧困」と「事実としての貧困」である。「貧しい人々は、貧しさを選んだキリストに近い存在」(p.152)であり、宗教的には重要な意味をもつという。

 この論考では、一九世紀のフランス各地でこうした聖地への巡礼が盛んになった理由を二つ検討している。一つはフランス革命前に機能していた地域の教会の権威が崩壊したために、新しい信仰の対象が求められ、奇跡が待ち望まれていたというものである。こうした心性を抱く人々は、「奇跡が起こる場所に向かい、また聖女を通じて、カトリック信仰を再確認する。巡礼地の創出は、かつて存在した教会中心の秩序の崩壊を補填し、新たな移動とそれを可能にするさまざまな〈道〉を生む」(p.156)。

 もう一つの理由として考えられているのは、革命後に緩んできた家族の絆を再構築するためだというものである。「巡礼に参加する者にとっても、家族の結束は重要である」(p.157)。巡礼は一人で実行することはできず、その背後に支える家族が必要であり、これが「家族が再び結束する機会を与える」(同)という。

 「越境する演劇」は鈴木忠志の演劇を取り上げた後に「西洋演劇における演劇観の変化」をアリストテレスから始めてブレヒト、アルトーにいたる。「戦争の記憶をたどる〈道〉」の論考は、ナチス時代のドイツ人と強制収容所の関わりを考察する。どちらも少し焦点がぼけているような感じがある。

 「王権が行く〈道〉」は、プトレマイオス朝の祭典文化の紹介から始まる。一昼夜を通じて、巨大な彫像などでディオニュソスの神話を再現し、多数の武具や器具をともなってアレクサンドレイアの町を練り歩くという。この行列の先頭には、ディオニュソウの「テクニタイ」という集団が行進したと記録されているという(p.207)。これは「演劇や音楽を生業とする集団」(同)であり、この論考はこの集団の成立と機能について考察する。この集団は「独自に外交活動を展開し、組合に所属する俳優が組合の拠点の置かれた都市の外交使節として活動することもあった」(p.212)という。独自の法も司法組織もあったというから、ちょっとした都市国家なみの集団だったらしい。とても興味がかき立てられる論考であった。

 「旅する裁判所」は、イギリスの巡回陪審裁判制度の成立の状況を描くものであり、イギリスの裁判制度の基本となる要素についての示唆深い論考である。一八世紀のイングランドでは「中央と地方を結ぶ重要な役割を果たしたこのアサイズ巡回陪審裁判制度も、一八四〇年代以降の鉄道時代の到来」(p.231)によって次第に衰えるが、「中世的な儀礼も合わせ一九七一年まで存続」(同)したらしい。

 最後の「公道の民主主義」はアメリカのパレードと政治文化の結びつきを考察する。祝祭としてのパレードについては、独立戦争以来の長い伝統があり、興味深いテーマだけに、枚数が少し足りないようだ。多くの論文は楽しく読めるし、注にあげられている参考文献でさらに知識を深めることができるだろう。

【書誌情報】
■“道”と境界域―森と海の社会史
■田中 きく代 阿河 雄二郎【編】
■昭和堂
■2007/03/31
■288,10p / 21cm / A5
■ISBN 9784812207321
■定価 3990円

●目次
第1部 森の世界がつくる“道”
第一章 森と獲物の領有をめぐって―近世フランスにおける狩猟権と狩猟慣行
第二章 森のイコノロジー―ブルゴーニュのタピスリーに描かれた森
第三章 森の“道”からの来訪者―外来者をめぐるフォークロア

第2部 ものと情報をつなぐ海と陸の“道”
第四章 近世海運ルートと文学の“道”―西鶴文学の情報ルーツ
第五章 水路網が結ぶ“道”―近代フランス新・交通革命の担い手としての舟運
第六章 海の聖人を訪ねる“道”―ポルトラーノ史料にみる聖ニコラオスの島
第七章 内陸の交易路―一六~一七世紀ポーランドにおける毛皮・肉牛取引から

第3部 「境界」経験による再生の“道”
第八章 近代フランスに誕生したカトリック巡礼の“道”―聖地ルルド、リジュー、そしてパリ
第九章 越境する演劇―形式の模倣と新しい創造
第一〇章 戦争の記憶をたどる“道”―ナチ強制収容所をめぐるドイツ人社会の体験から

第4部 権力と威信の通り“道”
第一一章 王権が行く“道”―プトレマイオス朝の祭典文化とディオニュソスのテクニタイ
第二章 旅する裁判所―巡回陪審裁判制度成立史素描
第三章 公道の民主主義―一九世紀アメリカの政治文化とパレード


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