« 『聖なる共同体の人々』坂井信生(九州大学出版会) | メイン | 『共和主義ルネサンス ― 現代西欧思想の変貌』佐伯啓思/松原隆一郎編集(NTT出版) »

2010年05月10日

『アドルノ-政治的伝記-』ローレンツ・イェーガー(岩波書店)

アドルノ-政治的伝記- →bookwebで購入

「逸話が楽しいアドルノ伝」

 アドルノの孫弟子にある人のアドルノ伝。「政治的」という形容詞がついているが、それほど政治的なものではなく、むしろ音楽家としてのアドルノの顔が透けてみえるようなエピソードが多くて、おもしろい。

 たとえばアドルノと互いに敬意をもってつきあっていたトマス・マンは「過去の音楽についての彼の知識、音楽のすべての領域を心得ている彼の知識は膨大だった。アドルノと一緒に仕事をしたことがあるアメリカの女性歌手が私に、『信じられないわ。彼は世界中のすべての楽譜を知っているのよ』と言ったことがある」(p.10)という。音楽は、アドルノの「一家の文化的な営みの中心を占めていた」(同)こともあって、耳から流れ込んできて、「記憶と音を頼りに楽譜をめくったものだった」(同)という。

 それだけでなく、アドルノにとって哲学と音楽は内的に密接につながっているもののようだ。たとえばフッサールについての博士論文では、超越の概念が「意識の枠組み」との関係で考察されているが、「意識の枠組み」という説は、「認識論的にだけでなく、音楽的にも解釈できる」(p.50)という。「作曲というものは、アーノルト・シェーンベルクが定義したように、枠組みに関する教説なのである。アドルノの場合には、哲学的なテクストがそのまま音楽理論としても読める」(同)ところがあるという。

 そしてある音楽理論家は、そこにアドルノの特異性と優越性をみいだすことになる。作曲家としてのアドルノは、「子供時代に起きたモダニズム音楽の黎明期を懐かしむ思いにあふれていた」(p.63)というくらいで、あまり才能に恵まれてはいなかったらしい。師事したシェーンベルクには後に「彼はもちろん一二音音楽についてすべてを知っていた。しかし作曲の仕方については、まったく知らなかった」(p.217)と酷評することになる。しかし「彼が音楽と言語の相似性をテーマとした点は、ほかの誰もなしえなかった」(p.63)とは、言えるかもしれない。

 また演奏はあまり上手ではなかったらしい。晩年の演奏を聞いたある美学者は、「音楽の老化はアドルノの場合、もうグロテスクでした。彼がシュトックハウゼンやヘンツェの話をすると、モダン音楽とは何であるか、もうまったく分かっていたのではないか、という印象を私はいつも受けていました。……われわれにとってはケージが決定的でしたが、アドルノには分かっていませんでした」(p.312)という評価は、鋭いだろう。

 この伝記は、アドルノがホルクハイマーとアメリカに亡命した頃の記述から、だんだん意地悪になる。精神分析を使った大衆の意識分析がいかにまがいものであるか、フランクフルト研究所を守るために、ベンヤミンの原稿に手をいれるなど、恥知らずなことをしていたか、学生に「抵抗」を教えて、魔法使いの弟子のように、抵抗の波におぼれて、いかに手も足もでなかったか、身をつまされる思いで読まされる。そうだったのだろうなぁと(ぼくも「抵抗」した側だったし)。

 それでも何よりも忘れないのは、アドルノとベンヤミンのあるエピソードである。二人の友人だったゾーマ・モルゲンシュテルンが伝えた逸話だ。ベンヤミンは彼にアウラについて話していて、クラウスの夢をみたことを話し始める。「実は昨晩クラウスの夢を見たんだ。彼は部屋の中で大きな机の前に座っていたんだよ。全体はのっぺらぼうで、遠近法がない光景だった」(p.109)。そこにアドルノが口をはさむ。「そう、中世の絵みたいにね」。「ベンヤミンは沈黙して私の方を長いあいだ、見つめていました」。

 それからベンヤミンはまた話し出す。「クラウスが座っている机の上には、大きさの違うピストルがたくさん置いてあったんだ。カール・クラウスは、通り掛かる人達一人一人とほんの短い時間議論した後、そいつに向かってピストルを撃つのさ」。するとまたアドルノが口をはさむ。「そのたびに違ったピストルでだよね」(p.110)。またしてもベンヤミンはゾーマを見つめる。

 ゾーマは不思議に思ってあとでベンヤミンにこの夢について聞いてみる。するとベンヤミンはアドルノには夢の話はまったくしていないと語る。「彼には何も話していないさ。あいつは僕を夢のなかまで追いかけてくるのさ」(p.111)。アドルノはベンヤミンの『パサージュ』論にぞっこんほれ込んでいた。そしてベンヤミンが直観だけで作りだしたイメージには、媒介する概念がないと厳しく批判していたのだった。

アドルノはベンヤミンの作品を分析することに熱中していた。そのためにベンヤミンが適切な概念を提示しないと、分析できなので不満だったのだ。だからアドルノはベンヤミンの夢のなかまでも追いかけて、自分が分析するための概念を手探りで求めていたに違いないのである。

 この著者は、アドルノの後半の人生には厳しい眼を向けるが、前半ではシャズをあれほど嫌っていたアドルノが、若い頃に「四分音符でラグタイムを口ずさんでいた」(p.24)ところなどを、さわやかに描きだす。アドルノの『否定の弁証法』などの著作についての理論的な考察はほんの駆け足程度で、少し物足りない。

 それでも学生運動を起こして、アドルノを批判した学生たちに、実は好かれていたこと、『啓蒙の弁証法』が当時密かなブームだったこと、学生たちのいたずらっぽい「反抗」に、きわめてまずい反応を示すしかなかったことなど、エピソードだけを読んでも楽しい。

【書誌情報】
■アドルノ-政治的伝記-
■ローレンツ・イェーガー著
■大貫敦子、三島憲一訳
■岩波書店
■2007/12
■13, 352, 36p
■ISBN 9784000220385
■定価 3800円


→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/3748