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2010年05月03日

『さらば、“近代民主主義”―政治概念のポスト近代革命』ネグリ,アントニオ(作品社)

さらば、“近代民主主義”―政治概念のポスト近代革命 →bookwebで購入

「新しい概念の構築に向けて」

 最近多数の著書が邦訳されているネグリであるが、この書物はネグリが珍しく政治哲学のさまざまな概念と思想について、正面から考察したものであり、何度でも読み、考えを練るに値する書物である。これまでの伝統的な概念には、もはやうまく機能しなくなっているものも多いのであり、ぼくたちはそれに代わる概念を構築していく作業を迫られているからだ。

 ネグリはそのことを「概念の構築の作業は、常に人類学的なプロセスをたどり、協働的な流れ、未来に開かれた装置となっていく。これが移行期における思考の特徴であり、また逆に、この思考の生成は移行期によって強化されていく」(p.3)と表現している。

 ネグリは近代の伝統的な思想が力を失ってきた原因を三つあげている。一つは「非物質的な労働の登場」(p.31)であり、これが伝統的なマルクス主義の労働概念と人間概念をなし崩しに崩壊させてゆく。第二が「主権の生政治的定着」(p.33)であり、「社会の生政治統治は次第に全体化していく。生政治は死の政治学に接する形態として姿を現すまでにいたる」(p.34)のであり、こうした社会において主権という概念はその重要な意味を失うのである。第三が「グローバリゼーション」(p.35)であり、主権をもはや「一者」に還元することができなくなったことである。ネグリは、君主制、貴族制、民主制という伝統的な分類は、すべてこの「一者」に主権を集約する考え方にすぎず、現代のグローバリゼーションの時代にはこの考え方が無効になっていることを指摘する。

 またネグリは、「ポスト近代の思想」として同時代の思想家を三つのグループに分類して批判する。第一は「近代の存在論に対する哲学的な反動」であり、これは「〈弱い思考〉と無力な契約主義にしか行き着かない」(p.41)とされる。「弱い思想」として暗示されているのはリオタール、ボードリヤール、ヴァッティモ、ローティ、ヴィリリオなどであり、「無力な契約主義」で暗示されているのは、ルーマン、ハーバーマス、ロールズ(p.113)である。

 第二は「マージナルな抵抗」であり、これは「一種の〈商品の物神崇拝〉と神秘的な終末論の誘惑のあいだでゆれ動く思想」(同)である。ここに含まれるのはデリダ、ナンシー、アガンベンである。第三は「批判的な思想」であり、ここに含まれるのはフーコーとドゥルーズである。

 このグループのうち、第一のグループについて語られていることはよく理解できる。また第三のグループについては、ネグリはそこから新たな刺激をうけ、理論を展開するための出発点としようとしたのであり、これは『〈帝国〉』の路線から十分にうかがえたことである。新しいのは第二のグループについてだろう。

 ネグリはデリダやアガンベンの創造的な営みは認めながらも、この二人は「この余白、端っこ、断層」(p.123)にしか興味をもたないと指摘する。「デリダに欠けているのは、余白を実際に創造に変えるための積極的・持続的な抵抗の現象学である」(同)。アガンベンに欠けているのは「空虚へのアナーキーな誘惑と、愛をともなって社会的なものの建設の区別を可能にする価値観」(p.124)であるという。少し意地悪だが、どこかに共感も感じられる。

 これとは別に興味深いのは、グローバリゼーションにおける新たな展開として、シャドウワークだった女性労働にたいして、新たな資本の攻勢が始まっていることである。これまでは家事、育児、介護という労働は、主に女性が、ときに男性が賃金の支払いをうけずに、しかも社会での労働を成立させるための影の仕事として、ひきうけることを強いられてきたのだった。きつい仕事でありながらも、家計の主たる人物が会社から給与を支給されるためには、誰かが無報酬でこうした仕事を引き受けざるをえないのだった。

 しかし「資本のもとへの労働の実質的包摂は大きく変化」(p.91)するようになり、「女性労働の伝統的な形態とみなされていたもの(家事、介護労働、子育てなどの情動労働)は、ますます一般的な労働組織システムの中に組み込まれ」(同)るようになってくるのである。これは一大市場として、資本が投下される場所となってくる。

 これまでは無報酬で引き受けさせられてきた仕事が、外部からの援助のもとで行われることは、それ自体としては好ましいことである。しかしこのような「労働が女性になる」(同)こと(これはドゥルーズの「動物になる」という概念で理解すべきである)は、「価値化の空間の再定義」であり、資本がもはやこの分野をシャドウのままに放置しておかず、そこに市場をみいだそうとすることを意味するのである。これまで価値の領域の外に置かれていた影の仕事が、価値の領域の内部にとりこまれることで、生政治の統治がさらに緊密なものとなっていくことは、見逃してならないだろう。


【書誌情報】
■さらば、“近代民主主義”―政治概念のポスト近代革命
■ネグリ,アントニオ著
■杉村昌昭訳
■作品社
■2008/01/20
■251p / 20×14cm
■ISBN 9784861821707
■定価 2520円

○目次
序文―新たな政治の文法づくりの“工房”として
近代/ポスト近代の区切り
マルチチュードの労働と生政治的組成
グローバリゼーションと集団的移動―平和と戦争
公と私を超えて―「共」へ
マージナルな抵抗としての「ポスト近代思想」批判
差異と抵抗―ポスト近代の区切りの認識から、来たるべき時代の存在論的構成へ
抵抗の権利から構成的権力へ
ガバメントとガバナンス―「政府形態」の批判のために
決定と組織
共通の自由の時間
結び―マルチチュードを形成することは、新たな民主主義をつくることである


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