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2010年04月21日

『サンパウロへのサウダージ』レヴィ=ストロース,クロード、今福龍太(みすず書房)

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「レヴィ=ストロースの「郷愁」」

 サウダージとはある特定の場所を回想したときなどに、「この世に永続的なものなどなにひとつなく、頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられたような心の痛み」(p.4)を指すポルトガル語だという。

 レヴィ=ストロースは二九歳の折にサンパウロに滞在し、そこから『悲しき熱帯』を著すにいたったインディオ訪問の旅に出たのだった。そのサンパウロに滞在した時に撮影した街の写真が、レヴィ=ストロースが捨てていたにもかかわらず、ふたたび発見され、書物にされることになった。この街にとっても予想外のことに、六五年前の記録が発見されたわけであり、街の記念物ともなる。ライカの発売が一九二五年のこと、レヴィ=ストロースがこの地に滞在したのが一九三五年から一九三七年にかけてだというから、当時の写真はごく稀に違いない。

 ぼくも少年時代に一夏滞在した島を訪れて、その変化に呆然としたことがあるが、レヴィ=ストロースにとっても思いが新たになることが多いだろう。現地の人々による熱心な調査によって、写真を撮影された場所が特定されていて、マップに番号で記載されている。そして同じくサンパウロに滞在した文化人類学者の今福龍太が、これらの写真を収録した書物を手にして、レヴィ=ストロースのまなざしを再体験し、同じアングルから写真を撮影し、エッセーを寄せて、この書物に掲載されている。

 興味深いことに、レヴィ=ストロースはカメラと写真という媒体を現在では嫌っている。調査の際に「カメラのレンズの後ろに目を置くと、何が起こっているのか見えなくなりそれだけ事態が把握できなくなる」(p.109)からだという。周囲の出来事を理解する身体的な感覚が、レンズをのぞく両眼だけに還元されてしまうということだろう。

 それだけではなく、カメラを手にして撮影している姿というものが、一目にたつものであることも間違いはない。レヴィ=ストロースがサンパウロで撮影していると、「写真を採ってくれ」とせがむ子供たちにまといつかれたと『悲しき熱帯』で語っている(p.143)。現代のアジアのビーチにいくと、写真を写させるからと、ドルをねだる子供たちが多いが、この時代の子供たちは、報酬のためではなく、写真にとられるという「儀式」を望んでいたのだという。今福は、それを写真が「聖画」のような呪物として「無意識によって捉えられている」(p.144)のではないかと解釈している。

 しかし奇妙なことに、『悲しき熱帯』にはぼくたちを圧倒した多数の写真が掲載されているのもたしかだ。あれらの写真がなかったら、あの書物がこれほどまでにぼくたちを惹きつけたかどうかは疑問なのである。しかもレヴィ=ストロースは写真を撮影するという行為の暴力性にきわめて敏感だった。「打ち砕かれた君たちの表情の代わりにコダクロームの写真帳を振り回すというこの妖術」(p.145)にレヴィ=ストロースはいかにも心苦しそうである。それはまるで未開の国を侵略する西洋の「原罪」を象徴するかのようである。文字ですら敏感だったレヴィ=ストロースが、カメラの威力といやらしさを意識しなかったはずはないのである。

 興味深いのは、このレヴィ=ストロースの調査に、ブラジル人民族学者のカストロ・ファリアが同行していたという事実だ。彼は政府の監視官として、国からの正式な任務のもとで、調査に参加したのだった。彼もまた政府から義務づけられて、多数の写真を撮影しており、それが『もう一つの視線』という書物として刊行されているという。彼は撮影するレヴィ=ストロースの姿も撮影しているのであり、レヴィ=ストロースが撮影した状況を再現できるほどある。

 ファリアはレヴィ=ストロースのことを、基本的な調査ができないし、データを収集することも知らないと厳しく評価する。いかなる技能もなく、ただ「いつも思考を中空に遊ばせ、彼自身にとって重要な主題だけを思索しつづけ、野外調査の手法を身につけることもなかった」(p.150)という。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』は「哲学的なエッセイではあり得ても、これを民族学の成果であると認めることは不可能である」(同)というのが、彼の結論である。

 たしかに現代の野外調査という観点からみると、レヴィ=ストロースのこの書物は枠に入らないものかもしれないが、文化人類学という学問の歴史において重要な役割をはたした書物であるのは間違いないだろう。そしてこのレヴィ=ストロースの調査によって書かれた書物は英訳され、インディオの子供たちもこの書物を眺めている写真が、レヴィ=ストロースの別の写真集『ブラジルへの郷愁』に載せられているのは、なんとも皮肉なことである(163ページの写真)。

【書誌情報】
■サンパウロへのサウダージ
■レヴィ=ストロース,クロード著、今福龍太著訳
■みすず書房
■2008/11/28
■203p / 21×16cm
■ISBN 9784622073512
■定価 4200円

【内容紹介】
Claude L´evi=Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)(サンパウロへのサウダージ;写真解説(リカルド・メンデス)
ブラジルから遠く離れて(―ヴェロニク・モルテーニュとの対話)
Ryuta Imafuku(今福龍太)(時の地峡をわたって)
ブラジルでしか出版されていない写真集『サンパウロへのサウダージ』を前半に、今福龍太がレヴィ=ストロースの写真を論ずる。


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