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2010年04月15日

『グノーシス「妬み」の政治学』大貫隆(岩波書店)

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「神話の内的な構成原理としての妬み」

 旧約の神が「妬む神」であることはよく知られている。最近の新共同訳では、この訳語をふさわしくないと判断したのか、「わたしは熱情の神である」(「出エジプト記」二〇章五節)と訳しているが、著者が指摘するように、神はこの言葉を男女の愛情関係に比較しながら語っているところがあるので、たんなる「熱情の神」であるよりは、「妬む神」という旧来の訳語の方が正しいのだ(ポリティカリー・コレクトではないとしても)。

 この妬む神という言葉は、唯一神の思想がまだ成熟していないことを示すものだ。神が妬むのは、民が他の神を崇拝するからであり、まだ一神教ではなく、拝一神教の段階にあることを示すものだ。「唯一神教としてのユダヤ教はバビロン捕囚以後の現象であって、それ以前のイスラエルの神観は、それと区別して拝一神教と呼ばれる」(p.10)のである。そのことを明確に示すためにも、「妬む神」という訳語は保存すべきだろう。

 ところで「妬み」の政治学はギリシア以来の古代の重要なテーマであり、これには二種類の「妬み」がある。他人が自分よりも優れていると感じて、それに嫉妬の心を抱くものと(著者はこれをプルタルコス型と呼ぶ。彼のテクストに登場する妬みがこの種類のものが多いためだ)、「自分が享受している善を他者に分け与えない妬み」(p.26)である(著者はこれをフィロン型と呼ぶ。プラトン型と呼んでもよい)。

 最初のものは、ぼくたちの誰もが逃れることのできない心の病であるが、第二のものは卓越した存在しか示すことができないものだ。旧約の神は、アダムにたいしてフィロン型の妬みを抱いていたと言えるだろう。「人は我々の一人のように善悪を知る者となった」(「創世記」三章二二節)という理由で、アダムをエデンの園から追放したということは、人間には善悪を知るという善を享受したくなかったということだからだ。

 ただし古典古代における「妬み」論は、「妬む」ことではなく、「妬まない」という度量の大きさを示すために利用されることが多かった。神学においては神は善であり、「妬む」ことなく、被造物を愛し、恵みを与えるという寛大さを特徴とすることが主張されるのである。

 これにたいして「妬む神」が神話の造型の中心を攻勢していた宗教がある。それがグノーシスである。ただし著者はグノーシスを西方のグノーシスと東方のグノーシスに分ける。西方のグノーシスはキリスト教と対抗して知られた『ナグ・ハマディ文書』のグノーシスであり、東方のグノーシスはマニ教である。この二つのグノーシスでは、「妬み」の構造が異なるために、その政治的な理論そのものが違ってくるのである。

 キリスト教の教父の文献と『ナグ・ハマディ文書』で記録されている西方のグノーシスでは、至高の神々のうちの一人の神の罪によって作られ、投げ捨てられた神であるが、自分が全世界を支配している神であると信じている。そして神はわたし一人であると主張し、自分は「妬む神」であると名乗る。そのために「サマエール(盲目の神)、サクラス/サクラ(馬鹿者)」(p.72)などと呼ばれているのである。これが旧約の神を嘲笑したものであることは明らかだろう。そしてこの西方のグノーシスの神話は、この「妬み」という原理のもとで構築されることになる。これは「神話の内的な構成原理」(p.234)となるのである。

 著者は、この構造のもとでは政治支配者はグノーシスを信じるならば、自己の統治の意味を否定されることになるために、グノーシスは西方では政治的な権力と結びつくことができなかったことを指摘する。むしろグノーシスは「わたしは神である」「わたしだけが支配者である」と自称するローマ皇帝のカリギュラを揶揄するという反政治的な姿勢を示すことになる。この西方のグノーシスでは「現実の政治権力に食い込もうとする行動を確認することができない」(p.210)のである。グノーシスは公共世界から「隠れて生きる」ことを選んだのである。

 これにたいして東方のグノーシスのマニ教は、みずからを「妬まれる」存在とみなし、みずからのうちに「妬み」という悪が存在することは認めるものの「それは肉的的な人間がヒュレーという外部原理に拘束されている限り」(p.234)のことであり、布教することで、世界にばらまかれていた「光」を集めることができるという「楽観的」(同)な信念を抱いている。

 この場合には、政治権力は布教すること、すなわち支配範囲を広げることで、グノーシスに荷担することができる。その「精緻な神話論的な体系それ自身が、積極的な政治関与を可能として、かつ動機づけけるように働いた」(p.246)とみられるのである。

 「妬み」はこのように西方のグノーシスにおいては、重要な神話構築原理として働いていたのであり、この政治性もこの原理によって規定されていたことがわかる。古典古代における「妬み」の理論全般についての目配りもあり、まるで推理小説を読んでいるかのように、はらはらしながら読める楽しい一冊で、お勧めである。

【書誌情報】
■グノーシス「妬み」の政治学
■大貫隆/著
■岩波書店
■2008/11/28
■2008.7
■ISBN 9784000226196
■定価 3200円


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