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2010年04月12日

『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』野口雅弘(みすず書房)

闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論 →bookwebで購入

「ニーチェの視点から読み直すウェーバー」

 ウェーバーについて伝統的に語られている八つの通説にたいして、その反論を計画したもの。一読すると個別の論文を集めたもののような印象があるが、明確な計画のもとで書かれたドイツ語の博士論文をみずから邦訳したものらしい。まとめがうまいので、そのまとめ(p.180-183)を紹介することにする。

(一)通説ではウェーバーの理論の哲学的な基礎は方法論、すなわち「科学論」にあるとされているが、著者はニーチェの遠近法がウェーバーの方法であることを指摘する。遠近法であるからには、多元性と相対性が了解されているのであり、科学的で客観的なスタンスが求められているわけではない。

(二)ウェーバーの権力政治的な理論と近代西洋合理主義は、機能分化という観点から説明できると考えるのが通説であるが、著者は西洋の合理主義を、中国の儒教やインドのカースト制度に基づく宗教と対比して考える。中国では政治と宗教は一体であり、インドではカーストに分化されて、まったく無縁である。しかし西洋ではさまざまな価値領域のあいだに緊張関係があり、機能の分化ではなく、このような対立と緊張の関係こそが、ウェーバーの政治理論を特徴づけるとみる。

(三)ウェーバーでは禁欲的なプロテスタンティズム、西洋、近代は連続的に結びついているというのが通説であるが、西洋の緊張関係のもとでは、西洋文化と禁欲的なプロテスタンティズムは対立関係にあり、西洋と近代も対立関係にあると著者は主張する。

(四)ウェーバーは、近代の政治原理の確立に寄与したプロテスタンティズムを肯定的に評価するというのが通説であるが、プロテスタンティズムは西洋の文化の特徴である緊張関係を消滅させようとするのであり、プロテスタンティズムは聖戦につながる議論を内在させている。

(五)ウェーバーの闘争論はジンメルの闘争論と類似しているというのが通説だが、存在論的な基盤が異なると著者は主張する。ジンメルの闘争論は、美的な汎神論を基盤としているが、ウェーバーは抗争的な多神論を基盤とする。ジンメルは美的な観点から闘争を論じるが、ウェーバーは価値領域の対立に注目する。

(六)ウェーバーは責任倫理を信条倫理よりも優先させるという論者が多いが、ウェーバーはこれを同格に扱っていると著者は指摘する。

(七)ウェーバーは闘争を擁護するが、それよりも権力政治という観点が優先されるというのが通説であるが、著者はウェーバーが闘争そのものを擁護すると主張する。権力政治には「悲劇の契機」が欠如しているため、闘争を権力政治よりも優先する。闘争は権力政治的なものではなく、権力政治の単一遠近法的な姿勢を開いていくものである。

(八)ウェーバーの政治理論は全体主義と親和的であるというのが通説だが、著者は反全体主義的な性格をおびていると主張する。

 どれも納得のできる形で議論が展開されている。ただ残念なのは、こうした通説の批判は、それほど魅力的な作業ではないということである。通説のウェーバーであれば、今さら読み返すこともないだろうと思う。そうでないウェーバーがいると思うから、彼の書物が魅力をそなえているのである。

 著者のこれらの批判の背景にあるのは、ニーチェ的な遠近法主義からウェーバーの議論を読みなおそうとする考え方だとおもう。そこからもっと新しいウェーバー象を展開できたのではないだろうか。批判点の第五点の正義の戦争の批判と、最後で検討されたウェーバーの政治理論と全体主義の関係はアクチュアルな問題を含むものである。また遠近法の視点と結びつけて、ウェーバーの理論の多神論的な特徴を強調するのも納得のゆくところである。それだけに、少し残念である。ただし本書が、ウェーバーをニーチェとの結びつきで読み直そうとする興味深いウェーバー論であるのはたしかであり、お勧めの一冊であることは間違いない。

【書誌情報】
■闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論
■野口雅弘著
■みすず書房
■2006/09/20
■264,3p / 21cm / A5判
■ISBN 9784622072454
■定価 6825円


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