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2010年03月15日

『旧約聖書の誕生』加藤隆(筑摩書房)

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「行き届いた旧約入門書」

 著者は新約学者だが、この旧約聖書への入門書も懇切丁寧な作りで、聖書への理解を深めるために役立つだろう。旧約聖書の基本的な構成、聖典としての確立の状況、ヤハヴェという神の名の呼び方の由来など、基本となる事柄はきちんと説明されているし、それぞれの書物ごとにその特徴が要約されていて、わかりやすい。「汽笛一声新橋を」の節で歌われる聖書の順序の記憶方法まで紹介されていて、つい笑ってしまった。

 本書の特徴は、旧約聖書で語られる物語の順に考察するのではなく、ほぼ成立した時代ごとに紹介しているために、その成立の背景なども一緒に理解できることだろう。「出エジプト記」の後は、イスラエル統一王国時代に成立したとみられる「創世記」について、ヤーヴェ資料を中心に説明される。次の北王国時代の文書として預言者エリヤ、エリシャ、アモス、ホセアについて説明され、ふたたび「創世記」にもどって、今度はエロヒム資料について紹介される。

 この北王国が滅ぼされると、アッシリアによる「人間の坩堝作戦」が行われた。北王国には、統一イスラエルを構成していた一二の部族のうちの一〇の部族がいたが、これらの部族はアッシリア帝国内に散らされ、他方で帝国の各地から移住させられてきた民がかつての王国の土地に暮らすようになり、ユダヤ民族としてのアイデンティティは失われてしまう。その後もこの土地は、バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマという大帝国に支配されるようになる。

 これについて著者は民族としてのアイデンティティを喪失した人々は、帝国から自国を守るという動機が乏しくなるので、「外からの勢力で大きな力が現れてくると、支配権が簡単に移ってしまう」(p.128)のだろうと推測する。支配する帝国側にとってはこの坩堝作戦は、住民同士がたがいに言葉も理解できず、宗教的な伝統も異なっているために、「大規模な反乱を起こせない」(p.246)という利点があるが、そこで暮らす人々は根無し草となってしまう。そして「アッシリアに対して深い不満を抱いて暮らしている」人々が帝国の大多数を占めるようになるために、「外部から手強い敵が出現」(同)しても、頼りにならないという欠陥が生まれるのである。

 こうしてアッシリアはすぐにバビロニアに滅ぼされる。そしてバビロンの捕囚を実行したバビロニアは、アッシリアのように徹底的にはこの作戦を実行しなかったが、やはり同様な政策を採用したために、ペルシアに滅ぼされてしまう。この経緯から学んだペルシアは、ユダヤの民族に帰国を許し、神殿を建設させるのである。

 ただし著者はこの問題についての「かなり抜本的な解決策はキリスト教とイスラムの登場をまたねばならなかった」(P.129)ことを指摘する。またこの作戦の影響を受けたユダヤ人の側では、このことを認識して宗教的な儀礼と身体の毀損による識別を重視することになるだろう。

 次に南王国時代において、預言者のイザヤとミカの物語が紹介され、「申命記」の中心思想が解説される。その後のバビロン捕囚期には、エゼキエルと第二イザヤが活躍することになる。モーセ五書のうちの掟の記録である「レビ記」もこの時代に成立したものとみられる。

 そしてペルシア帝国期のイスラエルにおいて神殿が再建され、現在にみられるような形の聖書が確立され、正典が決定され、聖なるものととして閉じられる。著者は聖書の正典と外典が決定され、もはや修正しえないものとされたことには、このペルシア帝国の政策が重要な役割をはたしたと考えている。

 ペルシアはきわめて巧みな政策を採用し、ユダヤ人たち全体で合意した掟集をペルシアに提出するように要請したのである。これは「被支配民族を野放しに自由にしておくのではなく、ある一定の原則に縛りつけたい」(p.254)という目的のためだったと著者は考える。そしてユダヤ人たちは自分たちの自由な合意として提出したこの旧約聖書を、もはや変更することはできなくなる。こうしてまったく修正することのできない「絶対的な権威をもったテキストが誕生することになる」(p.255)と、著者は考える。新約聖書の成立においても、今度はローマ帝国がペルシアに相当する外的な権威として機能したとみるのである。

 このように新約聖書やキリスト教の問題にまでつながる要素も紹介され、ユダヤ教の成立と正典の確立までの時代がたどられていて、理解が深まるだろう・ただし後書きでの聖書研究の手引きで、(一)まず聖書の言語であるヘブライ語と古代ギリシア語を勉強する、(三)近代語のうち、少なくとも英語、フランス語、ドイツ語を習得する、と書かれているのには、つい苦笑いをしてしまった。これでは聖書研究はついに始まらないのではないか。聖書が読めるまでにギリシア語とヘブライ語が理解でき、研究文献を読めるために英語、フランス語、ドイツ語を習得するのは、著者には当たり前のことかもしれないが、一般読者には過酷な要求に思えるのだが、どうだろうか。


【書誌情報】
■旧約聖書の誕生
■加藤隆 著
■筑摩書房
■2008/01/25
■430,11p / 21cm / A5
■ISBN 9784480847171
■定価 3360円

目次
第1章 聖書の基礎
第2章 出エジプト
第3章 イスラエル統一王国
第4章 北王国
第5章 南王国
第6章 バビロン捕囚
第7章 ペルシア帝国期のイスラエル
第8章 ギリシア・ローマ期のイスラエル
第9章 詩篇


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