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2010年03月29日

『プラトンのミュートス 』國方 栄二(京都大学学術出版会)

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「ロゴスとミュートス」

ハイデガーが『存在と時間』の冒頭でプラトンの『ソフィステス』を引用しながら、哲学の問いとは「いかなる神話(ミュートス)も語らないこと」(242c)だと語ったこともあって、哲学は神話とは対立したものだと思いがちだ。

 そもそも古代のギリシアの哲学の誕生は、「神話からロゴスへ」という道をたどったものと語られることが多い。それまでの宗教的で神話的な自然理解が、タレスを初めとして、知の言葉で語られるようになったことが、ギリシアの哲学の端緒とされるのが通例だからだ。  しかし奇妙なことにプラトンにおいても、ロゴスの弁証法とともに、そのもっとも重要なところで神話(ミュ-トス)が語られることが多い。プラトンがときに哲学の言葉を放棄したようにみえることがあるのである。この書物は、その秘密を解明しようとする。

 著者は、ホメロスとヘシオドスのテクストを調べてみると、ミュートスとロゴスは「物語」という意味でほぼ同義的に使われていること、ロゴスは「否定的な意味合い」(p.82)で使われていることが多いことに注目する。「空言」「虚言」という意味で使われることが多いのである。「ロゴスが積極的に合理性の意味をもつようになったのは、哲学者たちの功績」(同)なのである。ロゴスがミュートスよりも重視されるようになったのは哲学者からであり、しかも「彼らはミュートスを否定することによって、ロゴスの思想に到達したのではなかった」(p.83)のである。

 彼らはミュートスが「真実に似た虚偽」として、真実を合理的に語るロゴスよりも、さらに強い力を発揮することを畏れたのである。それは「語り手の熟達した技」(p.67)を示す言葉であり、たんな誤りではなく、虚偽の形で真実を語るものである。プラトンは、理想の国家から詩人たちを追放しようとした。それはロゴスの国からミュートスを排除しようとしたわけではなく、ミュートスがロゴスを上回る強い力で、神々について、理想国家に好ましくない物語を人々に信じさせる可能性があったからである、と著者は指摘する。

 それはプラトン自身がミュートスを語りつづけていることからも理解できる。ロゴスの力が及ばなくなったところからは、ミュートスに頼るしかないのであり、プラトンの国家では詩人ではなく、哲学者がミュートスを語るのである。そのための詩人追放だったのかもしれないのである。

 著者はさまざまなプラトンのミュートスの分類方法を列挙しながら、結局はそのテーマで二つの大きな分類を採用する。「魂の死後の運命についてのミュートス」(『ゴルギアス』『ファイドン』『国家』『ファイドロス』と、「宇宙の生成、人類の誕生についてのミュートス」(『政治家』『ティマイオス』『クリティアス』である。

 この二つのミュートス群は、二つの共通な目標で貫かれている。一つは、悪をなすのは、悪をなされるのよりも好ましくないことであるというプラトンの道徳論の主張が人々に信じられないために、死後の世界における裁きというミュートスに訴えること、そしてこれを決定論に委ねずに、生きている時代における道徳的な振る舞いと関連づけることであり、もう一つは、この悪を人間の責任として、神の責任を解除する弁神論を提示することである。

 最初のグループのミュートスは、『国家』のエルの神話に代表されるように、人々に悪をなして生きた人々の死後の生の惨めさを訴えかける。これは「呪文のように」(p.163)語られるべきものである。キリスト教の地獄の理論の原形は、すでにこのミュートスにある。ユダヤ人には地獄の概念は存在せず、原始キリスト教にも、そのようなものはなかった。煉獄と地獄は中世のキリスト教の発明であるが、プラトンの哲学にその原形が存在しているのである。

 ここで注目されるのは、たんにこの地獄が死後の生への刑罰して考えられているけでなく、生まれ変わる次の世界における生を規制するものとして語られていることである。生前の暮らし方に応じて、すべての魂は次の世界でどのような者として生きるかを選択することになっているが、その生は、「選んだ後に、つまりこの世に生を享けた後に、どのような生を送るかによって決まる」(p.171)とされているのである。

 前の生で送ってきた生活が僭主のようなものであった魂は、きっと次の生を僭主として過ごすことを選ぶだろう。しかし次の生でほんとうに僭主としての生を送るかどうかは、その段階ではまだ決まっていない。その選択は「その人が徳性に関してどのような生きるかということまでがきめられてしまうわけではない」(同)のである。それでなければ、その人は僭主の生を永遠に離れることはできないだろう。しかし自己を配慮して、道徳的な生を過ごそうとすることで、次の生をもっと良いものにする可能性も残されているのである。

 このように第一のグループのミユートスは、死後の地獄を恐れることを教えるだけではなく、次の生での道徳性についても教えているのである。そして第二のグループのミュートスが教えるのは、次の生における人間の道徳性である。このミュートスでは、悪の起源についてそれが肉体に由来するのか、魂に由来するのかが考察される。そしてプラトンが示すのは、「物体(身体)はたしかに魂を無秩序な混乱した状態に至らせるけれども、悪の原因(責任)は魂あるいは魂の無知にある」(P.243)ということである。

 ここでも人間が悪をなすのは、魂の欠陥であり、これ改善することで、悪を防ぐことができるようになることが考えられている。魂が身体に入ると、身体のもつさまざまな感覚、欲望、恐怖などに悩まされるが、これらを魂が克己によって克服するならば、「正しい生き方をするようになり、それらに征服されるならば不正な生き方をすることになる」(同)のである。どちらにしても人間が悪をなすのは、魂の欠陥によるものであり、世界をつくりだした神の責任ではないことになるのである。「責任はむしろ人間の魂(プシュケー)にある」(p.246)のである。

 真実アレーテイアの語義の解釈や、アレーテイアのハイデガー的な客観主義的な解釈と主観的な解釈の対比、真理を語るディスクールの構造など、プラトンのミュートスについてだけでなく、真理についての考察も含められていて、楽しく読める一冊である。

【書誌情報】
■プラトンのミュートス
■國方 栄二【著】
■京都大学学術出版会
■2007/02/15
■340p / 21cm / A5判
■ISBN 9784876987078
■定価 4410円


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2010年03月25日

『ウィトゲンシュタインと精神分析』ヒートン,ジョン・M(岩波書店)

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「トーキング・キュア」

 ウィトゲンシュタインがフロイトを高く評価しているのは意外だが、よく考えてみれば、不思議ではないのかもしれない。どちらも語ることによる治療(トーキング・キュア)を目指していたからだ。ウィトゲンシュタインは、言語の形而上学的な使い方のために、哲学のうちに「瘤」(『哲学探求』一一九節)のようなものができているのであり、日常的な言語の分析によって、哲学の瘤を治療することができると考えていた。それだけではなく、「ウィトゲンシュタインにとっては、セラピー(治療)とは二人で思考を共有すること」(p.15)だったであり、フロイトの治療の実践と共通する要素があったのである。
 本書は、レインとも共同で活動したことのある精神療法士というかなり特別な立場から、ウィトゲンシュタインと精神分析の関係を考察した興味深い書物である。ウィトゲンシュタインとも離れ、フロイトとも離れたところから、その共通性をみいだす手法が参考になる。

 ウィトゲンシュタインは一九一九年にフロイトの著作を読んでから、「残る生涯の間、フロイトはかれが読むに値すると考えた数少ない著者の一人となった」(『ウィトゲンシュタイン全集』第一〇巻、二〇七ページ)と語っており、みずからを「フロイトの弟子」(同、二〇八ページ)と自称していたという。これはもちろん諧謔の言葉だが、ウィトゲンシュタインがフロイトの『夢判断』や『機知』のうちに、自分と同じ問題をみいだしていったことは興味深い。

 特にウィトゲンシュタインが大きな関心をもったのが、アスペクトの問題だった。精神分析が患者たちに示すのは、患者たちが日頃熟知している事柄について、それまでとは違った視点を提示して、その事柄をまったく別の視点からみるようにさせるということだった。それはアスペクトを変えさせるということである。「精神分析家たちはしばしば、分析をうけている人々に、アスペクトを認知させる。もっとも彼らはそれを解釈と読んでいるのだが。かくしてほとんどの転移の解釈は、アスペクト認知の問題ということになる」(p.27)。

 そして著者が指摘するように「アスペクト認知というおなじみの経験は、ウィトゲンシュタインの治療の重要な特徴だった」(p.26)。ウィトゲンシュタインは「私は、ある顔を熟視し、突然、他の顔との類似にきづく。その顔が変化しなかったことは、分かっている。にもかかわらず、私はそれを違ったふうに見ている。この経験をわたしは〈あるアスペクトの認知〉と呼ぶ」(同)と語っているのである。

 もちろんフロイトとウィトゲンシュタインが明確に対立する場面もある。第一にフロイトは科学主義的な立場を捨てなかった。そして「還元主義と決定論」(p.57)に依拠して、すべてのことを説明しようとするところがある。しかしウィトゲンシュタインにとっては、それは盲信に近くみえる。彼は「なぜすべてのことの説明がなければならないのか」(同)と問う。それは著者の指摘するとおりだと思う。しかしフロイトはすべてを説明しようとして、行き詰まったところに問題をみいだすことを試みていたのであり、それを咎めるべきではないだろう。そのことは、『夢解釈』のうちで、分析が進まなくなる「臍」の存在を認識し、そこに問題をみいだしていたことからも明らかだろう。

 第二に、フロイトは心の内部が意識にとっても「隠れされたもの」であることを主張する。これにたいしてウィトゲンシュタインは、「内的世界の神秘性を取り除き、生き生きとした精神を取り戻そうと努めた」(P.52)。これも著者の指摘するとおりだろう。ただフロイトは内的な心の中に隠されたものが、つねに身体の疾患として、あるいは言い間違いとして、夢として現れることを指摘し、そこから隠されたものをみいだそうとする。精神分析の理論では、知ることが重視されているものの、精神分析の実践では、「知ること」よりも「了解すること」が重視されているのであり、患者はこの実践に反応し、病を克服することを学ぶのである。

 だからフロイトとウィトゲンシュタインの違いも、逆の意味で二人の哲学の隠れた共通性を示しているのかもしれない。「痛み」についてのウィトゲンシュタインの考察も、兆候についてのフロイトの考察と照らして考えてみると、おもしろいのではないか。


【書誌情報】
■ウィトゲンシュタインと精神分析
■ヒートン,ジョン・M.著
■土平紀子訳
■岩波書店
■2004/12/22
■121p / 18cm
■ISBN 9784000270809
■定価 1575円



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2010年03月22日

『マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統』ポーコック,ジョン・G.A(名古屋大学出版会)

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「政治思想史の必読書の待望の翻訳」

 本書は、政治思想史の分野で長らく注目されてきた書物であるが、大冊なために翻訳がなかなか刊行されていなかった。ぼくもこれまで英語で読んできたが、多くの読者とともに、日本語で読めるようになったことを祝いたい。もはや四〇年前の書物であるが、西洋の近代と現代における共和主義的なヒューマニズムの系譜をたどる書物として、政治思想史の必読の書物だからだ。

この書物は序論の方法論的な考察を別にすると、二つの部分に分かれる。最初の部分では、アリストテレスの人間の定義、すなわち「その本性からしてポリス的な動物である」いう定義をうけついで、人間の最高の活動が、公的な空間における活動にあるとみなす共和主義的な伝統が、マキアヴェッリとグイッチャルディーニのフィレンツェでどのように継承されたかを考察する(もちろんこの伝統にはギリシア的な源泉だけではなく、キケロのローマ的な源泉もあり、こちらの方が重要であるという見方もできるだろう)。

 マキアヴェッリは『ローマ史論』でローマの共和制のメカニズムに考察しながら、それがフィレンツェにどのように活用できるかを分析したのだった。彼は、ローマの市民がよき共和国の市民であったのは、市民的な宗教と武装によってであったと考える。著者は「内紛のさなかにあっても、彼らを公共の善に配慮させ、必要とあらば卜占にさからってまで未来を制御することを可能にさせたのは、彼らの軍事的な規律と市民的な宗教であった」(p.179)と指摘する。傭兵も、市民でない常備軍も嫌っていたマキアヴェッリは、市民の武装にこそ、共和国の可能性があると考える。

 マキアヴェッリは、「ローマの徳のうちに、多数者に特有の活動的な徳、民衆を武装し、彼らに市民的な権利を与える力動的な戦士の国家でのみ存在可能な、活動的な〈徳〉の新しい形態を発見した」(同)のであり、フィレンツェに大評議会の制度を導入して市民が公的な活動に参加できるようにするとともに、武装させることで、祖国を防衛させるべきだと考える。後にルソーがこのマキアヴェッリを「発見」して、ジュネーヴの市民に同じような方策を説くようになるだろう。そしてマキアヴェッリは市民の武装だけが、ローマ帝国の膨脹を可能にしたと考える。

 一方で貴族のグイッチャルディーニは、ローマ・モデルによって市民を武装させるのではなく、ヴェネツィア・モデルをフィレンツェに導入することを考える。彼は歴史的な理由から、「フィレンツェは武装できないという理由で、フィレンツェでの民主政に反対している」(p.212)のである。ヴェネツィアでは市民が武装することになく、外部の勢力に軍事を委託する。そして一種の混合政体を採用し、大評議会においてすべての市民の参加の自由を確保し、統治にあたるのは、〈徳〉の高さによって選ばれた選良たちだけである。「大評議会の役割を自由の維持にとって本質的なものに限定すること、および統治する選良集団への加入は、〈徳〉の公的な発揮によってのみ決定され、その加入者は統治以外の他のあらゆる役割を解除されるようにする」(P.217)ことが望ましいと考えたのである。この〈徳〉の発揮において、グイッチャルディーニは市民的な共和主義者としての性格を維持するのである。

 このローマとヴェネツィアのモデルと、その問題構成は、一七世紀から一八世紀のイングランドにそのまま引き継がれる。ハリントンが構想したユートピアの「オセアナ」は、輪番制によって統治の平等性を確保し、商業に携わり、海外に進出することによって、「無制限の拡張という点でローマのようなものなり、永続的安定性、自由、および徳の点でヴェネツィアのようなものになる」(p.335)はずだったのである。

 一八世紀のヨーロッパは、商業という要素が登場したことで、新しい問題に直面する。商業がもたらすのは富であり、贅沢である。伝統的にプラトン以来の西洋社会は、商業という活動に疑念を抱いたきた。プラトンの『法律』では商人は断罪されるのである。しかし資本主義の興隆ととともに、商業とそれがもたらす富が、徳とどのようにして両立できるかが重要なテーマとなる。

 ロックも『市民政府論』で、それまでの労働を軸においていた経済の理論に、貨幣の重要性をもちこむことによって、伝統的な所有の理論を爆破する可能性を示していた。やがては私的な悪徳が公的な善をもたらすという逆説が語られるようになるのであり、ここで共和主義の理論は大きく飛躍することになるのである。「価値と歴史、徳と情念、所有と信用、自愛心と利己性の諸哲学を調和させることは困難であった」(p.404)が、さまざまなイデオロギー的な配置において、それが試みられたのである。

 著者は、アメリカの独立とその後の連邦国家の形成においても、このテーマが重視されたことを強調する。これまでの政治哲学的な分析では、ロックの統治論のパラダイムが重視されてきたが、「人間の本性は市民的であるというアリストテレスの命題」と、それを受けついだマキアヴェッリの命題がアメリカ革命においても重要な役割をはたしていると考える。「徳は時間のなかでのみ発展することができるが、しかし常に時間による腐敗で脅かされる。時間と変化が商業と同一視されたときに取られた特殊な形態において」、この伝統がアメリカ革命に「力強い衝動を与えた」(p.458)のである。ロックの伝統を重視する支配的な学説の力はまだ強いために、著者の素描はそれほど線の強いものではないが、それでも共和主義的な伝統の継続をうかがわせるものではある。

 ルネサンスから現代にいたるまで、アリストテレス的でキケロ的な共和主義の伝統は続いているのであり、本書はその考察の一端にすぎないが、それでもその視野の広さと考察の持続力には学ぶべきものがある。アレントの公共性の哲学も、こうした考察の背景でふたたび新たな注目をあびてきたのである。

【書誌情報】
■ マキァヴェリアン・モーメント―フィレンツェの政治思想と大西洋圏の共和主義の伝統
■ポーコック,ジョン・G.A著
■田中秀夫、奥田敬、森岡邦泰訳
■名古屋大学出版会
■2008/01/10
■541,163p
■ISBN 9784815805753
■定価 8400円

目次

第1部 個別性と時間―概念的背景(問題とその様式―(A)経験、慣用、慎慮

問題とその様式―(B)摂理、運命、徳 ほか)

第2部 共和国とその運命―一四九四年から一五三〇年までのフィレンツェの政治思想(ブルーニからサヴォナローラまで―運命、ヴェネツィア、黙示録;メディチ家の復辟 ―(A)グイッチャルディーニと下級の“都市貴族層”、一五一二‐一五一六年 ほか)

第3部 革命以前の大西洋圏における価値と歴史(イングランド・マキァヴェリズムの問題―内乱以前の市民的意識の様式;共和国のイングランド化―(A)混合政体、聖徒、市民 ほか)

第4部 『マキァヴェリアン・モーメント』をめぐる論争を回顧して(『マキァヴェリアン・モーメント』再訪―歴史とイデオロギーの研究;『マキァヴェリアン・モーメント』をめぐる三十年間の論争―二〇〇三年版(新版)への後書き ほか)


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2010年03月18日

『イザベラ・バード「日本奥地紀行」を歩く』金沢 正脩(JTBパブリッシング)

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「130年後のバード『日本奥地紀行』」

 イザベラ・バードは一八三一年生まれの富裕なイギリス人女性である。イギリスのレディー・トラベラーの第一人者として知られており、日本には明治一一年にやってきて、日光から新潟、そして北海道のアイヌ村まで、馬車と徒歩で歩いた。それが『日本奥地紀行』であり、妹に宛てた書簡を集めたものである。この手紙には、スケッチも掲載されており、当時を忍ばせる。

しばらく前にNHKラジオの朗読の時間で、バードの手紙の朗読をしていて、ウォーキングをしながら楽しく聞いた。日光あたりのすぐに思い浮かべることのできる景色や建物(金谷ホテル)もあれば、まるで異国ではないかと思わせるような記述もある。とくに当時の日本の村人たちの描写を読むと、あっけにとられることもある。

 この書物は、街道歩きの第一人者である著者が、同じく徒歩と自転車で、バードの歩いた道筋を訪問し、多数の写真を撮影して、明治の昔をしのぼうというものである。朗読を聞いていたため、新聞に広告が掲載されたときから、読みたいと思っていた。

 また、越後と米沢を結ぶ米沢街道の一三峠の縦走コースは、「バードが歩いた時代の原風景が今も色濃く残っており、緑の中を行くので〈イザベラ・グリーンロード〉と呼ぶのがふさわしい自然豊かな峠歩きコースである」(p.72)という。詳細なウォーキングマップも掲載されていて、旅心をそそる。

 ただしバスなども通じていないところが多く、タクシーを利用しないとアクセスが大変らしい。今に思えば、明治一一年に西洋の女性が通訳つきとはいえ、たった一人で日本のこうした田舎を歩くというのは、よほどの勇気が必要だったことだろう。宿に宿泊するとすぐに障子に穴が開けられて、この「珍物」を皆で覗きにくるし、数百人を前にして食事をとらねばならないこともあったようだ。バードは「プライバシー・ゼロ」と何度も嘆いている。おまけに蚤と蠅と蚊の大群に襲われ、持ち込んだ小さなベッドの上でどうにか夜を過ごすことも多かったらしい。

 それでも日本の豊かな景色、とくには荒涼とした景色がバードには気にいったらしい。「いたるところに村が散在し、灰色の草屋根に覆われた木造の家屋や、ふしぎな曲線を描いた屋根のある灰色の寺が姿をみせている。そのすべてが家庭的で、生活に適しており、美しい。勤勉な国民の国土である。雑草は一本も見えない」(p.20)と書き残している。掲載されている多数の写真を見ると、日本の自然はまだバードの見たままを残しているところもあるようだが、国民の気風と風景はずいぶん変わったに違いない。

 バードはその生涯のうちに、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、マレー半島、インド、チベッド、朝鮮、中国、モロッコなど多数の国を訪問している。それでも明治二七年には日本を再訪し、二八年と二九年の夏は日本で過ごしていることからも、日本がお気にいりだったことがうかがえる。「ゾッとするような魚と野菜の料理」(p.171)は、がまんできなかったらしいが。

 最近はすっかり旅行案内が完備され、インターネットには画像が集められ、読んだり見たりしただけでも、行った気分になれるのが、はたして良いことかどうか、いささか疑問になる。大きな地図一枚だけで、ひたすら旅行を敢行したバードにならって、いつか旅行案内なしの旅に出てみたいと思ったりした。登山でも、地元の五百メートルしかないような小さな山でも、北アルプスの著名な山より、登るのには苦労することがあるものである。そしてそれなりの満足感も。


【書誌情報】
■イザベラ・バード『日本奥地紀行』を歩く
■金沢 正脩著
■JTBパブリッシング
■2009/12
■175p / 21cm / A5判
■ISBN 9784533076718
■定価 1890円

目次
第1章 横浜から新潟へ(船は東京湾を進む;横浜上陸 ほか)
第2章 新潟から山形・秋田・青森へ(木崎から砂丘地帯をゆく;十三峠を縦走する ほか)
第3章 函館から森・室蘭・苫小牧・平取へ(函館は風の都;静かな蓴菜沼のほとり ほか)
第4章 平取から伊達・礼文華・函館・横浜へ(噴火湾の伊達紋別へ;湖のような有珠湾 ほか)
資料 イザベラ・バード(バードの挿絵ウォッチング;イザベラ・バード 紀行家への軌跡と旅の個性 ほか)



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2010年03月15日

『旧約聖書の誕生』加藤隆(筑摩書房)

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「行き届いた旧約入門書」

 著者は新約学者だが、この旧約聖書への入門書も懇切丁寧な作りで、聖書への理解を深めるために役立つだろう。旧約聖書の基本的な構成、聖典としての確立の状況、ヤハヴェという神の名の呼び方の由来など、基本となる事柄はきちんと説明されているし、それぞれの書物ごとにその特徴が要約されていて、わかりやすい。「汽笛一声新橋を」の節で歌われる聖書の順序の記憶方法まで紹介されていて、つい笑ってしまった。

 本書の特徴は、旧約聖書で語られる物語の順に考察するのではなく、ほぼ成立した時代ごとに紹介しているために、その成立の背景なども一緒に理解できることだろう。「出エジプト記」の後は、イスラエル統一王国時代に成立したとみられる「創世記」について、ヤーヴェ資料を中心に説明される。次の北王国時代の文書として預言者エリヤ、エリシャ、アモス、ホセアについて説明され、ふたたび「創世記」にもどって、今度はエロヒム資料について紹介される。

 この北王国が滅ぼされると、アッシリアによる「人間の坩堝作戦」が行われた。北王国には、統一イスラエルを構成していた一二の部族のうちの一〇の部族がいたが、これらの部族はアッシリア帝国内に散らされ、他方で帝国の各地から移住させられてきた民がかつての王国の土地に暮らすようになり、ユダヤ民族としてのアイデンティティは失われてしまう。その後もこの土地は、バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマという大帝国に支配されるようになる。

 これについて著者は民族としてのアイデンティティを喪失した人々は、帝国から自国を守るという動機が乏しくなるので、「外からの勢力で大きな力が現れてくると、支配権が簡単に移ってしまう」(p.128)のだろうと推測する。支配する帝国側にとってはこの坩堝作戦は、住民同士がたがいに言葉も理解できず、宗教的な伝統も異なっているために、「大規模な反乱を起こせない」(p.246)という利点があるが、そこで暮らす人々は根無し草となってしまう。そして「アッシリアに対して深い不満を抱いて暮らしている」人々が帝国の大多数を占めるようになるために、「外部から手強い敵が出現」(同)しても、頼りにならないという欠陥が生まれるのである。

 こうしてアッシリアはすぐにバビロニアに滅ぼされる。そしてバビロンの捕囚を実行したバビロニアは、アッシリアのように徹底的にはこの作戦を実行しなかったが、やはり同様な政策を採用したために、ペルシアに滅ぼされてしまう。この経緯から学んだペルシアは、ユダヤの民族に帰国を許し、神殿を建設させるのである。

 ただし著者はこの問題についての「かなり抜本的な解決策はキリスト教とイスラムの登場をまたねばならなかった」(P.129)ことを指摘する。またこの作戦の影響を受けたユダヤ人の側では、このことを認識して宗教的な儀礼と身体の毀損による識別を重視することになるだろう。

 次に南王国時代において、預言者のイザヤとミカの物語が紹介され、「申命記」の中心思想が解説される。その後のバビロン捕囚期には、エゼキエルと第二イザヤが活躍することになる。モーセ五書のうちの掟の記録である「レビ記」もこの時代に成立したものとみられる。

 そしてペルシア帝国期のイスラエルにおいて神殿が再建され、現在にみられるような形の聖書が確立され、正典が決定され、聖なるものととして閉じられる。著者は聖書の正典と外典が決定され、もはや修正しえないものとされたことには、このペルシア帝国の政策が重要な役割をはたしたと考えている。

 ペルシアはきわめて巧みな政策を採用し、ユダヤ人たち全体で合意した掟集をペルシアに提出するように要請したのである。これは「被支配民族を野放しに自由にしておくのではなく、ある一定の原則に縛りつけたい」(p.254)という目的のためだったと著者は考える。そしてユダヤ人たちは自分たちの自由な合意として提出したこの旧約聖書を、もはや変更することはできなくなる。こうしてまったく修正することのできない「絶対的な権威をもったテキストが誕生することになる」(p.255)と、著者は考える。新約聖書の成立においても、今度はローマ帝国がペルシアに相当する外的な権威として機能したとみるのである。

 このように新約聖書やキリスト教の問題にまでつながる要素も紹介され、ユダヤ教の成立と正典の確立までの時代がたどられていて、理解が深まるだろう・ただし後書きでの聖書研究の手引きで、(一)まず聖書の言語であるヘブライ語と古代ギリシア語を勉強する、(三)近代語のうち、少なくとも英語、フランス語、ドイツ語を習得する、と書かれているのには、つい苦笑いをしてしまった。これでは聖書研究はついに始まらないのではないか。聖書が読めるまでにギリシア語とヘブライ語が理解でき、研究文献を読めるために英語、フランス語、ドイツ語を習得するのは、著者には当たり前のことかもしれないが、一般読者には過酷な要求に思えるのだが、どうだろうか。


【書誌情報】
■旧約聖書の誕生
■加藤隆 著
■筑摩書房
■2008/01/25
■430,11p / 21cm / A5
■ISBN 9784480847171
■定価 3360円

目次
第1章 聖書の基礎
第2章 出エジプト
第3章 イスラエル統一王国
第4章 北王国
第5章 南王国
第6章 バビロン捕囚
第7章 ペルシア帝国期のイスラエル
第8章 ギリシア・ローマ期のイスラエル
第9章 詩篇


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2010年03月11日

『精神分析の抵抗―フロイト、ラカン、フーコー』デリダ,ジャック(青土社)

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「フロイトへの思い」

 デリダのフロイトへの思いは強いものがあり、『エクリチュールと差異』に収録されたフロイト論「フロイトとエクリチュールの舞台」以来、長い取り組みがある。この書物に収録された三つの講演の記録は、これまでのすべてのフロイト論を前提として語られるものであるために、デリダはときに早口になり、ときに説明を諦めたりする。しかしどれもそれなりに読者を納得させるところは、さすがデリダだ。

 最初の講演は「抵抗」というテーマを取り上げている。精神分析の世界では抵抗とは「精神分析治療の期間において、無意識への到達を妨げるような、被分析者自身のすべての言動」(ラプランス/ポンタリス『精神分析用語辞典』)である。フロイトの精神分析はある意味ではこの患者の抵抗と対処することで発展してきたのだった。

 そもそも暗示や催眠術をやめて精神分析に進んだのも、患者の抵抗のためであり、フロイトが患者が催眠術にかかるのに抵抗するのが正当なものと考えたからだった。精神分析のさまざまな技術は、患者の抵抗を克服して、患者に自分の無意識を意識させるために作りあげられたのだった。

 しかし抵抗が分析の別の場面で現れることもある。たとえば夢の分析であり、そこからどうしても分析を進めることができない箇所が登場する。フロイトはそれを「夢の臍」と呼んだ。「どんな夢にも、少なくとも一箇所、どうしてもわからない部分がある。それは、それによってその夢が未知なるものにつながっている臍のごときものである」(フロイト『夢判断』人文書院版全集二巻九六ページ)。

 そう、臍とは、「ある切断の記憶を、誕生時に断ち切られたある糸の記憶までも保持する結び目=傷痕である」(p.28)。未知なるものにつながる痕跡、このいかにもデリダ的な比喩を手掛かりに、デリダは精神分析において直面する抵抗の三つの意味をとりだす。一つは患者の抵抗であり、これは症状であり、克服すべきものである。第二は夢の臍であり、それは未知への扉が閉じていることを示すものである。第三は分析の臍であり、それは分析の道が途絶しているところ、絶対的な限界というべきものである。フロイトは「夢の臍」という語をもう一度語り、「われわれの観念世界の網の目のごとき迷宮」(同、四三二ページ)で、分析を断念すべきことを指摘する。そこは「どうしても解けない夢思想の結び目」だからである。

 この「夢の臍」という痕跡は、デリダに脱構築の方法そのものを想起させる。一つには、分析を要求しながら、分析を禁じるものとしての「ダブル・バインド」(p.53)の性格をもつからである。もう一つは、それが起源へとさかのぼることを誘惑しながら、それを禁じることによって、「起源的なものの再把握の可能性ばかりかその欲望をも、それがいかなるものであれいつかは単純なものに再開したいという欲望ないし幻想をも問いに付す」(p.55)からである。この「夢の臍」は、「パルマコン、代補、ハイメン、差延、その他多くの、おのれのうちに相互の間で矛盾した、あるいは両立不可能な述語」(p.61)の仲間であり、抵抗しながら誘うもの、誘いながら拒むものであるからだ。

 二番目の論文「ラカンの愛に叶わんとして」では、デリダがラカンの精神分析を批判せざるをえない八つの理由を、めずらしく明確に列挙している。

 第一は、ラカンは分析が円環状の正しい道筋をたどるべきであり、たどることができると考えていることである。これはデリダにとっては目的論を分析のうちに持ち込んでいるようにみえるのだ。

 第二は、ラカンのうちには、「円環状の回帰および固有の行程において、起源が目的へと、シニフィアンの離脱の場がその再結合の場へと適合し、再適合すること」(p.110)としての真理のモチーフがあることである。ラカンが真理という語をきわめて無造作に使うことにデリダは苛立つ。

 第三は、現前するパロールあるいは充実したパロールというモチーフがあることである。語る言葉の現前性とその優越性の批判は、デリダの最初期からの重要なモチーフである。

 第四は、記録技術を拒否し、音声・ロゴス中心主義を採用していることにある。これもデリダにとっては許しがたいところだろう。

 第五は、真実を去勢に結びつけるために、ファロスが「超越論的な位置」(p.111)を占めることである。ファロス中心主義と超越論的な立場にたいするデリダの批判もよく知られているだろう。

 第六は、これらのモチーフによって生まれるラカンの「戦闘的な音声中心主義」(同)である。

 第七は、「語りの文学的構造の否認ないし非・考慮」(p.112)、そして署名の「パレルゴン的な効果の枠組みや働きの言い落とし」である。ただしこれはラカンに要求するには少し無理があり、デリダも「性急さ」をとがめるだけである。

 第八は、「ポーの物語における分身の諸効果の隠蔽」(同)である。ポーの「盗まれた手紙」の分析のうちで分身を考慮にいれていれば、想像界と象徴界の境界線がカクンされただろうとデリダは指摘する。

 最後の論文は、フーコーのデリダ批判にたいしての遅れてからの反論である。フーコーは『狂気の歴史』のおいて、フロイトをあるときはニーチェと同じ側に立たせ、あるときは対立する立場に立たせる。フロイトを扉の蝶番のように使うフーコーのまなざしの揺れを描き出していて、あとだし批判ではあるが、なかなか読ませる。


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2010年03月08日

『存在と無〈1〉現象学的存在論の試み』サルトル,ジャン=ポール(筑摩書房 )

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「手軽に文庫で読めるようになったサルトルの主著」

 サルトルの大著『存在と無』が文庫化されたのをきっかけとして読み直してみた。小説のように楽しめる本であり、三巻の最後の用語集なども、理解を深めるために役立つ。思えばベルクソンの哲学や新カント派の哲学が、高校の教科書までを牛耳っていたフランスの哲学界に、この本のもたらしたセンセーションは強烈なものだっただろう。
 サルトルがフッサールの現象学について、テーブルの上にあるカクテルのグラスからでも哲学を展開できる哲学だと聞いて、真っ青になるほどに興奮したというのは有名な逸話だが、日常のごくありふれた生活のただなかから、思考の体系を構築してみせたことは、哲学の世界に清新な風を吹き込むことになった。ドゥルーズもフーコーも、青春の頃にサルトルの哲学に感銘をうけ、高揚したことを語っている。

 サルトルの哲学のユニークなところは、哲学を語りながら小説家の精神を発揮し、小説を書きながら哲学者の精神を発揮するところだろう。『嘔吐』のマロニエの記述など、偶然性にかんするサルトルの哲学的な精神がそのままで語られている。デリダもバタイユ、ブランショ、ポンタリスなどを読むようになったのは、サルトルのおかげであり、「汲みつくせないほどの深い感謝の気持ちを抱いています」と述べていた(デリダ『パピエ・マシン 下』七九ページ)。

 この書物はハイデガーの存在論にならって、人間とその他の存在者との存在論的な違いを確認するところから始まる。人間でない存在者は「存在」と呼ばれる。存在とは「自己を実感することのできない内在」(一巻六九ページ)であり、「自己自身とぴったり粘着している」ものである。そこに意識という裂け目が入っていないのだ。だから「存在はそれ自体においてある」即自である。

 これにたいして人間は、この内在の世界に否定性としての「無」を導入する存在である。「人間は、無を世界に到来させる存在」(一巻一二〇ページ)なのである。それは人間とは「それ自体においてあるのではないもの」(一巻一〇七ページ)という性質を本質的にそなえているからである。それは人間が自由だからである。ただし人間が人間であるのは、人間が自由だからであり、「人間はまず存在し、しかるのちに自由であるのではない。人間の存在と人間が〈自由である〉ことのあいだには、差異がない」(一巻一二二〇ページ)のである。それが、人間が対自であるということである。

 人間が世界にそのような無をもたらすというのは、人間に欲望があるからである。サルトルは欲望を何よりも欠如とみなす。欠如は埋められることを求める。人間以外の生物はそのうちに無という欠如をかかえているために、他の生物のように自足していきることができない。外部にむかってつねに超越していく存在、それが人間なのだ。「すなわち人間存在は、自分が欠いている全体へ向かって自己自身をこえ出る存在」(一巻二六九ページ)なのである。

 ここまではまったくスムーズである。この書物でサルトルはヘーゲルの弁証法を活用しているが、ヘーゲルだと即自と対自のありかたの後に、対・即自という弁証法的に止揚されたありかたが実現するが、サルトルではこの弁証法は発生しない。サルトルはハイデガーの共同存在にならって、対他という概念を提起するからである。

 この他者とは、わたしが見る存在であると同時に、わたしを見る存在である。わたしの欲望は、自分の身体的な欲望であるだけではなく、他者との関係において生じる欲望でもある。それは「他者とはわたしであらぬわたし」(二巻三九ページ)だからである。この他者とは、たんなる他人ではなく、〈わたし〉そのものを作りだす力のあるものである。わたしは他者を眺める。しかし他者もわたしを眺める。この他者のまなざしにおいて、わたしは「わたしの存在において襲われる」(二巻一一〇ページ)なのである。

 この他者のまなざしにおいて、わたしが他者の眺めるわたし自身を自覚するとき、わたしが感じるのは「羞恥」だとサルトルは断定する。わたしは他者のまなざしに写った自分の姿を他者のまなざしのもとで眺めて、そこにみすぼらしい自分の像を発見するからである。「わたしがかかる発見するのは、羞恥において」(二巻一一二ページ)だからである(反転像としては傲慢と自負がありうるのはもちろんであるが、サルトルの場合には、何よりも羞恥の感情が強いのだ)。

 わたしは他人の秘密を探ろうとして、ドアの鍵穴から部屋の中を覗いている。それは欲望につき動かされるままの〈わたし〉である。しかし他者がその覗いているわたしの姿を発見する。この他者のまなざしのもとで、主体として行動していたはずのわたしは、突然に他者のまなざしの客体となる。そしてわたしの他者のまなざしに写った覗き見をする者としての〈わたし〉を恥じるのである。

 このまなざしは弁証法的にみえるが、実は相互反復的なだけであって、弁証法的な展開は発生しない。わたしがまなざしの主体であるときには他者が対象であり、他者がまなざしの主体であるときには、わたしが対象である。役割が交替するだけであり、止揚されることはないのである。サルトルの存在論はこの〈わたし〉と他者、主体と客体の二元論的な対立を特徴とするのである。

 ただしこのまなざしの二元論的な呪縛をとく道がある。それは行動するということである。行動するということは、あるものの欠如の認識から生まれる。何かが欠けているから、行動する必要があるのである。対自の人間を作りだした欠如が、対他の人間を行動させる。人間が単数であれば行動するということはないだろう。行動があるのは人間が他者との関係において存在するからである。行動することにおいて、人間はその自由を証明する。「わたしは自由であることを運命づけられている」(三巻三五ページ)のである。あるいは自由であるように「呪われている」と訳すこともできるだろう。

 しかし行動しようとすると、わたしは完全に自由な存在ではないことが露になる。わたしは世界に投げ出されているのである。「労働者的世界、フランス的世界に、ロレーヌ地方もしくは南物地方の世界に、投げ出されている」(三巻二一六ページ)ことが明らかになる。すべての人はそれまで成育の過程において、他のすべての人と異なる固有の生活史のうちで、固有の世界のうちに投げ出されているのである。わたしは自由であるともに、他者に責任を負う存在なのである。

 この書物は世界のうちに投げだされたわたしの固有性を、実存的な精神分析によって考察する可能性を提示したところで終わる。その後のサルトルの重要な営為の一部は、ボードレールについて、マラルメについて、ジャネについて、フローベールについてこの実存的な精神分析を実行する作業で占められることになる。その意味でも、この大著は、サルトルの哲学的な営為の土台となっているのである。


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2010年03月04日

『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』平野 嘉彦(みすず書房)

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「二つの近代」

 ホフマンの「砂男」は、さまざまなトリックが満ちていて、分析するのが楽しみだ。おまけと言ってはなんだが、フロイトの優れた分析があって、ホフマンの側からみても、フロイトの側からみても、分析しがいのある作品だ。

 フロイトがこの作品を分析した「不気味なもの」という文章では、ホフマンのこの小説の粗筋が掲載されている。最初読むと、過不足のない分析のようにみえるが、やがてフロイトが触れなかったものが気になってくる。ホフマンの過剰なまでのメタファーのうちで、フロイトの分析にかかわりがありそうな要素の分析が欠落しているところがみえてくるのだ。

 たとえばフロイトは物語の最後で、主人公ナタナエルが塔の上で狂気に駆られたのは、隣にいた婚約者クララが見ているのと「同じもの」を、すなわち彼が砂男と信じているものをみたからだと断言している。しかし彼が狂うのは、望遠鏡で隣にいる婚約者のクララをみたからなのだ。そしてかつて彼はこの婚約者についてある物語を語っていて、「ナタナエルはクララの眼を覗きこむ。だが、クララの眼をして親しげにこちらをみつめているのは死神だ」(種村季弘訳)という幻想を書き残しているのである。

 これを考えると、望遠鏡でクララを見るという行為にもっと注目してしかるべきだということになる。このことを、江戸川乱歩の作品と合わせて考察したのが、この『ホフマンと乱歩』である。「こんな授業が聞きたかった」という仮想授業というスタイルをとっているために、分析そのものはそれほど深くはない。しかし多くのホフマン論やフロイト論とは異なり、この作品では日本の近代という時代の考察をカプリングしたところが出色である。

 著者はフロイトの分析の欠陥について、この望遠鏡という道具への考察が少ないことを指摘し、これがペニスの形状をしていること、「彼にとってあるべき眼の代理として作用していた」(p.96)ことを指摘する。この望遠鏡で彼は自動人形オリンピアをみて激しい恋に陥るのだが、望遠鏡でみることは、彼に「疑似的に勃起し、リビドーを発動させる」(P.108)ことなのはたしかだろう。

 興味深いのは、日本の小説で登場するのが、双眼鏡だということである。その双眼鏡を逆に覗いた兄は、「押絵」の中の登場人物として現実の世界から姿を消すのだが、この双眼鏡はプリズム双眼鏡で、レンズが少し膨らんで、「異様な形」をしているである。著者はこの異様な道具は「睾丸である」(p.111)と断定する。するとこれは、ペニスがすでに奪われた男性性器、すなわち「去勢された男根」(同)だということになる。

 ナタナエルが手にしているのは、睾丸なしのぺニスであり、老人が手にしているのは、ペニスなしの睾丸である。そこから著者は奇妙な文明批評を展開する。この双眼鏡は老人の兄が西洋の「外国船の船長」の残したものを入手したのであった。だとすると、日本の近代が西洋からうけとったものは、すでに去勢されていたものということになる。「その男根がすでになかば去勢されていたからこそ、ほんとうの〈近代〉は到来すべくもなかった」(p.115)ということになる。

 ホフマンの物語でも、ナタナエルに望遠鏡を与えるのは、イタリアの眼鏡屋コッポラである。フロイトの分析によると、悪しき父親像を代表するこの系列は、ドイツの市民社会の「啓蒙的〈近代〉を破壊する」(p.124)系列という意味をもっていた。これにたいして乱歩の物語では、この父親像の系列は「〈近代〉の視点を与えてくれる」(同)のである(著者は、大きなパイプをつねにくわえていたマッカーサーのことを巧みに暗示する)。しかし主人公は、みえた近代に背を向けて、押絵の「前近代」の世界に退行していくことを選ぶのだという。

 著者はナタナエルの最後の狂気が、「クララが代表する〈近代〉を……つかのま直視してしまったために」(p.124-5)陥ったものだというが、これには異論があるかもしれない。それでもこの近代の道具を使った二つの小説の対比は巧みであり、異論を含めて、さまざまなことを考えさせてくれる好著だと思う。


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