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2007年10月05日

『二十世紀の法思想』中山竜一(岩波書店)

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「法と哲学の結びつき」

二〇世紀の基本的な法学の流れを追った書物だが、法哲学というよりも、法的な思考の枠組みが、哲学に大きな影響をうけていることが実感できる。著者とともに「どんな法解釈も何らかの哲学と結びつくものであらねばならないこと、あるいは逆に、法哲学的省察という次元をまったく欠いた法解釈など空虚以外の何ものでもない」(p.217)と感じざるをえない。

第一章で紹介されるケルゼンの純粋法学は、新カント派のヘルマン・コーエンの認識哲学に着想をえて、「である」という事実と「べきである」という当為の厳格な区別に依拠したもの(p.6)だし、ファンヒンガーの「かのように」哲学の影響も明確なものである。この規範と事実の峻別こそが純粋法学の根幹であり、そこにこの法学の限界もあることになる。この区別にこだわりすぎると、「法的実践に対する無力」(p.22)がもたらされるからだ。

第二章で紹介されるハートの「一次的ルール」と「二次的ルール」の概念は、ウィトゲンシュタインのゲームの理論から着想をえたものだし、オースティンなどの分析哲学からの影響も大きい。ハートの「社会的ルールとしての法」と「内的視点・外的視点」は、ウィトゲンシュタインの『青色本』で提示した「基準」の観念を「ハートが独自のやり方で法理論へと移しかえた」(p.43)ものだという。ハートはこの方法で法学の分野においても、「言語論的転回」をもたらしたことになるが、二次的ルールを専門家だけに開かれたものと定義することになった。「その司法裁量論は裁判官の政策的な考量や準=立法的な機能を認めることによって、法的実践の自立性や自己完結性に綻びを招いてしまう」(pp.51-52)ことになったのである。

第三章で紹介されるドゥオーキンは、ハートのこうした限界を指摘しながら、法には確定された法的な基準だけでなく、法的な原理というものが存在しており、字義的な解釈だけではなく、裁判官が原理にさかのぼることで、正しき裁きを模索することができることを指摘する。そのために援用されるのが、ガダマーやハイデガーなどの解釈学の理論であり、「参加者の視点からの解釈的アプローチ」(p.89)を活用しようとするのである。

第四章では、ポストモダン法学としていくつかの哲学者の理論との結びつきが示される。アメリカで特に流行した批判法学では、「ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論、トマス・クーンのパラダイム論、リチャード・ローティのネオ・プラグマティズム、ホルクハイマー-アドルノからハーバーマスにいたるフランクフルト学派の批判理論」(p.152)だけでなく、デリダの脱構築の理論が援用されたのは有名だろう。「デリダの脱構築は法学研究や正義論に無視しえない影響を及ぼし、やがて脱構築学派は批判法学内部での一台勢力を形成するようになった」(p.156)のだった。

さらにルーマンのシステム理論は、「法システムはその外部に対して、認識論的には開放されているが操作的には閉じられている」(p.165)根拠を示すものとして利用され、「法の相対的な自立性」を擁護するためにも援用されるようになる。

本書では多数のコラムを活用することで、マルクス主義法学からフェミニズム法学にいたるまでの多様な流れを紹介しているし、巻末の読書案内も親切だ。「岩波テキストブック」の一冊としては、とくにうまくできている本ではないか。

【書誌情報】
■二十世紀の法思想
■中山竜一著
■岩波書店
■2000.3
■226p ; 21cm
■岩波テキストブックス
■ISBN 400026026X
■定価 2100円
■目次
第1章 20世紀法理論の出発点―ケルゼンの純粋法学
第2章 法理論における言語論的転回―ハートの『法の概念』
補論 ハート理論における「法と道徳」
第3章 解釈的実践としての法―ドゥオーキンの解釈的アプローチ
第4章 ポストモダン法学―批判法学とシステム理論
補論 脱構築と正義―デリダ「法の力」
第5章 むすび


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