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2007年08月14日

『哲学者たちの動物園』ロベール・マッジョーリ (白水社)

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「動物から考える哲学」

本を手にして、思わず笑ってしまった。実はまったく同じ内容の企画を立てたことがあったからだ。新約聖書の四福音書の著者に、それぞれ象徴となる動物がいるように、哲学者たちもまた動物を思考の同伴者とすることがあり、それぞれの哲学者にとって象徴的な動物がいるのだ。その動物との関係から、その哲学者の思想を考察するというのが、そのときのぼくの企画だった。

提案した編集者があまり乗り気にならなかったためにボツになったが(ボツになったぼくの企画は実に多い(笑))、この本はまさにその試みを試したものなのだ。「フランスでも好評で、いろんな新聞・雑誌で紹介されていた」という訳者の紹介を読むと(p.174)、あの企画、実現させておけばよかったかと思わないでもない。原著が二〇〇五年刊行で、ぼくの企画は数年は溯っていたからだ(笑)。

もちろん哲学者ごとにあげる動物の候補はさまざまであり、ドゥルーズ/ガタリに「マダニ」が出てくるのはごくまっとうな選択だが、リトルネッロを歌うシジュウガラだって、二人の哲学のユニークな性格を示すためには適切なものだろう。とくに領土化と脱領土化の概念は、野鳥の歌でこそ、はっきりと示せるのだし、ダニはどちらかというとユクスキュルのをそのまま採用しているからだ。ドゥルーズ/ガタリの「反・動物」として飼い犬をあげるのもおもしろかったに違いない。

それにわけのわからない(笑)動物もいる。ディオゲネスと蛸は変ではないか。プラトンが人間を「羽のない二足歩行動物」と定義したことを聞いて、鶏の羽根をむしって講義の場に投げ込んだディオゲネスのことだから、鶏のほうがよかったのではないか。それにビュリダンのロバ、ゼノンの亀は、あまりにまっとうすぎるのではないか。あるいは犬はレヴィナスの思想とはすこしすれちがってはいないか。まあ、これはいちゃちもんのたぐい(笑)。

プラトンの動物として白鳥をあげたのは秀逸だろう。プラトンは白鳥が死の間際に歌う歌がすばらしいという言い伝えを例にとって、それを死を恐れるのは根拠のないことだと説明するのだ。プラトンの、ソクラテスの論拠はこういうものだ。「どんな鳥も、お腹が空いたり、寒かったり、何かの痛みに苦しんでいるときに歌ったりするものではない」(p.129)。白鳥はアポロンの鳥であり、予知能力に優れている鳥である。だから「ハデスのもとで見出だすであろうさまざまな徳のことを予知して、まさに死なんとするその日、されまでのどの日にもまして、歌い、喜ぶのだ」(p.130)。

もう一つ、巧みな例をあげておこう。キルケゴールの二枚貝(ヨーロッパザルガイ)。「ぼくの人生とは一体なんなのだろう。疲労と苦痛でないとしたら」と嘆くキルケゴールは、みずからを二枚貝に譬えてみせる。「一人の子供が、棒切れを殻のあいだに滑りこませる」。子供は遊んでいるつもりだ。やがて子供は飽きて棒を引く抜く。貝はしっかりと殻を閉じるが、中に破片が残ってしまう。貝には破片を引き抜くことができない。この棘の存在は、誰も知ることができない。しっかりと殻は閉じているからだ。「そして貝だけが、そのとげの存在を知っているのだ」(p.90)。

三五人ほどの哲学者とその対となる動物のペアの記述はスマートで、気軽に読める。三ページほどで終わってしまう哲学者もいて、あっさりしすぎるところもあるが、予想外のペアに驚かされることもある。ぼくにはドルバックの狼が意想外だった。手に取って、楽しんで読んでいただきたい。


【書誌情報】

■哲学者たちの動物園
■ロベール・マッジョーリ (著)
■國分 俊宏 (翻訳)
■白水社
■2007/07
■189ページ
■2,310 (税込)
■9784560024607


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