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2007年08月17日

『中世とは何か』J.ル=ゴフ(藤原書店)

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「中世に魅せられて」

中世史家ジャック・ル=ゴフの「専門家以外の一般読者をも対象とする……ほぼ初めての邦訳書」(p.306, 訳者解説)であるが、インタビュー形式で、ル=ゴフが自分のそれまでの生涯を振り返りながら、仕事について語るものとなっている。この分野になじみのない読者には近付きやすいかもしれないが、タイトルで言うような「中世とは何か」が、そのまま語られているわけではないので注意されたい。

プルーストにならった「中世を求めて」の原題のほうが、著者が中世に魅惑されて、中世史家になり、研究を続けてきた歴史を物語る本書のタイトルとしてはふさわしかったかもしれない。ル=ゴフが中世の研究を始めた頃は、中世は暗黒の世界であるか、理想的な世界であるかのどちからであった。最初は著者はそうした現状に直面して、中世の研究を諦めかけたという。しかしアナール派の歴史家と出会って、「新しい歴史というものがある」と「大きな喜び」(p.60)を感じたのだという。

本書ではこれまでル=ゴフの著書で語られてきたことが(当然ながら)たくさん語られるが、いくつか細かなところで興味を引かれたことを書き留めておきたい。まず一二、一三世紀におけるカロリング小文字の消滅について。それまでは大学における知の伝達と教育は、写本にみられるようなカロリング小文字によって行われていた。しかしこの時期にこの書き方が消滅し、「書きかたは不規則になり、個人差が生まれ、省略の体系をともなうようになります。これは人が速く書くようになったこと、発話をその場で書きとめていることを示しています」(p.46)という。

権威のある書物による教育から、現場での即興による教育、思考の動きを現場で書きとめる方法が誕生したわけである。トマス・アクィナスはたしかたくさんの速記者をかかえていた。これからは「草書体と省略の時代」が訪れるのである。著者は「思考が自ら生まれつつあるときの恐るべき速度を感じさせます」(Ibid.)と語っている。そしてその後に印刷技術が登場することで、また新たな段階を画するのである。

また宗教(religion)という概念が登場するのが一六世紀になってからだというのも、言われてみればもっともながら、おもしろい。「中世においてはすべて宗教だった」のであり、「宗教に入る」というような意味でしか使われていなかったらしい。これは「修道請願を立てる」という意味にすぎない。この概念が登場したことで、人ははじめて「宗教の世界」の外部に出ることができるようになったのである。「いまや人は〈選ぶ〉ことができるのです」(p.108)という。それまでは異なる宗教について考える場がなかったのだ。

さらに一六世紀にグレゴリウス暦が採用されるまでは、暦が絶えず変わっていたことも興味深い。キリスト教の地域ではローマのユリウス暦から一二ケ月を採用した。しかしユダヤの暦から復活祭と週の概念を導入したために、大きな変動が生じたという。復活祭は移動祝祭であるために、日にちを特定するのが困難になった。フランスでは最近になってやって、学校の復活祭の休みを、復活祭と切り離したという(p.182)。

そして安息日の概念が週七日の制度をもたらし、「労働と休息にたいする特別の注意をうながした」(Ibid.)のだった。日曜日という休日の規定は、カロリング朝に厳密に定められ、これによって「経済活動のリズム」が生まれ、これが「西洋中世の生産性にとって非常に有効に作用した」(Ibid.)のだった。近代以前の日本の職人の休日を考えてみると、この六日の労働のあとに一日休んだ創造主は、ヨーロッパの労働者たちには大きな恩恵をもたらしたのかもしれない。

逆に言えば、すべての人々の時間が、キリスト教的な時間によって決定されたということであり、やがてはキリスト教は煉獄を作りだすことで、人々の死後の時間まで管理することになる。煉獄ができるまでは、人は死ぬと神の裁きに服するものの、現世の教会には属さなかった。だから生前は、教会の死後の世界における脅しも、それほど大きな力をもたなかったのである。

しかし煉獄ができると、もはや人は教会の支配から離れられなくなった。それは煉獄にいる魂のために祈りをささげたり、ミサをあげたり、贖宥状を購入すれば、死んだ魂が天国にゆけるまで煉獄に滞在しなければならない日数が短縮されるからである。死者が煉獄に滞在する時間は、生者が死者の代わりに祈ることで決まることになったとき、「煉獄が生者と死者の関係を根本的にかえた」(p.200)とき、教会は死後の時間への支配を通じて、生前の時間にまで支配を及ぼすことができるようになったのである。

ル=ゴフは中世の時間と空間の関係を、煉獄、暦、時計(鐘の音)など、さまざまなものを手掛かりに考察してきたのであり、本書はその考察の「髄」が、ごくわかりやすい言葉で語られる。これからル=ゴフの世界に足を踏みいれようとする読者にとっては、便利な地図となるだろう。

【書誌情報】
■中世とは何か
■J.ル=ゴフ[著]
■池田健二,菅沼潤訳
■藤原書店
■2005.3
■318p ; 20cm
■ISBN 4-89434-442-4
■定価 3300円


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