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2007年08月29日

『開かれ--人間と動物』ジョルジョ・アガンベン(平凡社)

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「人類学的機械の産物」

うーん、うまいなぁ。出だしの三つの章で、一三世紀のヘブライ聖書の挿絵に描かれた天国で食事する聖人たち(動物の顔が描かれている)、動物の頭部をもつアルコンたちを描いたグノーシス派に衝撃をうけたバタイユとアセファル、人間がやがて動物になると「予言」したコジェーブと、コジェーブへのバタイユの反論という三つの補助線をサッと素描して、人間と動物の錯綜した関係を描き出す手際はみごととしか言いようがない。

そしてそこからアリストテレスの『デ・アニマ』に溯り、アリストテレスの生命の定義に注目する。アリストテレスは生命とは何かを定義せずに、「栄養の機能だけを分離」(p.28)するだけで、栄養の摂取(植物)、感覚作用(動物)、思考能力(人間)を再分節するだけなのだ。そして人間が植物人間となることがあることからも明らかなように、人間のうちにもこの三つの能力はそのまま存在していて、その一つあるいは二つに還元されてしまうこともあるのだ。

この栄養的な視点からみると、人間は「内部に存在する動物」と「外部に存在する動物」に分類できることになる(ビシャの分類)。外部に存在する動物は、真の意味の動物的な生であり、外部世界との関係を介して規定される(p.29)。これに対して「内部に存在する動物とは、意識を欠いた植物的な生であり、これは動物的な生に先だって存在し(胎児)、その後も存在するものである(老化や臨終)。この乖離が、近代医学の歴史において「戦略的な重要性」(Ibid.)をもつものであることは、臓器移植一つをみてもすぐに理解できるものである。そしてこのとき、政治権力は生の権力に転換するのである。

ということは、人間と動物を分かつ分割線が、人間の内部に移行するということであり、これはアガンベンが『残りの時 パウロ講義』で指摘した「アペレスの切断」に他ならない。この移行のもたらしたものは、人間と動物の区別、人間と非人間的なものの区別が動物学的なものでも、レヴィ=ストロースのような文化と自然の対比でもなく、人間の内部において切りわけられるということである。リンネにとっても人間を他の動物と区別できる基準は何一つなかった。ただ人間は「おのれを認識できる」(p.44)動物だということにあり、これは分類の基準としてはいかにもおそまつだ。わたしは人間だと主張する動物は、人間であるということになるからだ。

このように人間を定義し、分類する基準がなく、その内的な生命と外的な生命が分離できるものだとすると、人間は動物と対比して人間であるのではなく、人間はあるときは動物になり、あるときは植物になり、あるときは人間になることになる。ユダヤ人があるときは人間であり、あるとき人間でなくなるようにである。アウシュヴィッツの絶滅収容所は恣意的な分割線によって「人間か非人間かを決定しようとする途轍もない企て」(p.39)だったのである。

こうして人間には「固有の本性」というものが欠けていることが明らかになる。人間はロゴスをもつ動物だというアリストテレスの定義も役にはたたない。言語は人間に内的なものではなく、習得する必要があるものだ。だから障害で、あるいはまだ習得していないために言葉を話せない人々は人間ではないということになってしまうからだ。

それでも人間とは……という定義はあとを絶たない。そこで作動しているのは「人類学機械」だとアガンベンは考える。これは「人間であるものを(いまだ)人間ならざるものとして自己から排除することによって作動」するマシンである(p.59)。このマシンが作動するとき、そしてあるものを人間として、あるものを非人間として区別する分割線を引くとき、「ただ自己自身から分断され排除された--剥き出しの生」(p.60)が露出してくるのである。

この剥き出しの生を前にして、生の権力がみずからの任務とするのは、「生物学的な生、すなわち人間の動物性そのものを管理し、〈統括〉することなのである。ゲノム、グローバル経済、人道主義というイデオロギー」(p.118)が、コジェーブの語った歴史の終焉後の現代の人類が、「自分たち自身の生理学を最後の非政治的な委託として受け入れていくプロセスの、三つのたがいに連動する局面なのである」(ibid.)。

そう、ここまではいかにも巧みである。巧みすぎるというべきだろうか。ここからアガンベンはリルケとハイデガーへと補助線を伸ばしていく。「開かれ」のタイトルの由来はここからくる。リルケは『ドゥイノの悲歌』で、人間と動物を対比するが、「すべての眼で」開かれをみるのは生き物であり、人間の眼は「罠として」この開かれを取り囲んでいると歌うのである(p.87)。

これにたいしてイデガーの開かれ(Lichtung)は、「哲学が真理(アレーテイア)として、すなわち存在の非隠匿-隠匿性として思考してきたもの」(p.88)であり、人間だけが開かれのうちで真理をみるのであり、「動物はこの開かれをけっして見ることがない」のである。ハイデガーにおける動物の位置、世界に貧しい生き物の位置はデリダの批判以来というもの有名だけが、アガンベンはリルケとハイデガーを対比させながら、「動物は開かれているのでもなく、開かれていないのでもない」(p.91)ことの意味を考えようとする。

ただ読者は、この二つの対立する方向を向いた補助線が錯綜し、最後に結ばれないままにほうり出されてしまうような印象をうける。ハイデガーの倦怠の考察と、バタイユとブランショの無為の理論の分析も、どうも食い合わせ(笑)が悪いような後味をうける。補助線が多すぎで絡まったかのような印象なのだ。巧みすぎて、上手の手から水が……というところだろうか。

【書誌情報】
■ 開かれ--人間と動物
■ジョルジョ・アガンベン著
■岡田温司,多賀健太郎訳
■平凡社
■2004.7
■208p ; 20cm
■ISBN 978-4582702491
■定価 2400円


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2007年08月24日

『古典期アテナイ民衆の宗教』ジョン・D.マイケルソン(法政大学出版局)

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「民衆の宗教心の解読方法」

古典期のアテナイの民間宗教をとりだすというのは、想像以上に困難な仕事である。今から二千五百年も昔、紀元前五世紀から四世紀にかけての大衆の宗教心を解明しようとするのに、当時の文学的な仕事や哲学の著作を利用することはできないからだ。

それでもどうにかなる(笑)というところが、アテナイの文化とその記録の充実度を示すものだろう。著者がそのために頼りにする典拠は三種類である。法廷弁論、碑文、歴史家のクセノフォンの著作である(p.6)。

法廷弁論が役立つのは、裁判をするのが陪審員であり、五〇〇人のアテナイの大衆たちだからだ、陪審員がごく当然と考えているところを論拠とする必要があったからだ。「弁論者は自然に、あるいは計算ずくで、陪審員団の最大多数が容認しそうな道徳観とか宗教観を表明しようとした」(p.7)のである。

碑文は歴史的な記録であり、とくに役立つのが墓碑だ。アテナイの人々は埋葬する際に、さまざまな呪詛を書き残したり、死者が冥府の支配者に伝えるべき言葉を記しているからである。墓碑はアテナイの人々の彼岸について、死後の魂の行方についての考え方を知る手掛かりとなる。

歴史家のクセノフォンは意外な選択にも思える。喜劇作家のアリストファネスが利用されことが多いからだ。たとえばガスリーは『アカルナイ人』のディカイオポリスを、この時代の民衆宗教の記述のために活用している。しかし著者は喜劇ではあまりにデフォルメがすぎ、「滑稽で、道化であり、そうして粗野なまま」(p.11)だと考える。そしてクセノフォン「ただ一人」(p.12)が「この時代の民衆の宗教観のための最善の資料の一つ」(p.13)と指摘する。

それにたいしてソフィストや哲学者たちは、アテナイの人々に強い影響をあたえたものの、「一般民衆の宗教的態度や信仰に加えられた合理的批判の直接的なインパクトを過大評価してはならない」(p.143)というのはたしかだろう。ソクラテスは民衆とともに暮らし、議論としていたが、その批判的な精神はアテナイの民衆にとっては「新しい宗教」を導入するもののようにみえたのだから。

アテナイの民衆にとっては、もっと素朴な神信仰が重要だった。たとえばくしゃみ(笑)。「犠牲によって、生け贄の卦によって、また嚔[くしゃみ]のような前兆によって、指揮者たちも兵士たちもこれから臨む戦闘が成功するか失敗するかの明瞭なしるしを受け取ったのである」(p.24)。スパルタ軍は戦闘を開始する前に、かならず犠牲の羊で前兆を占った。だから軍隊の後を多数の羊がぞろぞろとついてきたのであり、想像してみると異様な軍隊であることがわかる。

あるいは夢。「神々は万事を知り、犠牲、前兆、予言、夢において神々が望む人にしるしを与える」(p.48)のであり、アテナイでは夢占いは儲かる商売だった。プラトンは夢占いや占卜者には批判的だが、民衆は夢や神託を信じ続けたのだった。アスクレピオスに嘆願した盲目の女性は、夢で治癒されることなどあるかと嘲笑していたが、ある夜に夢枕には神が立って、癒してやるから、「神域に銀の豚を汝の愚行の記念碑として建立すべきなり」と告げたのだった。そして碑文によると、本当にこの女性は目が開いたのだという。

かつてギリシアのポリスを結ぶ街道をドライブしていたときのこと、多数の碑文や小さな家のような碑が目にとまった。地元の人によると、その場所で事故にあって、生き延びると、神への感謝のしるしに、こうした碑を建立するのだという。古典期から変わっていないね、と笑ったことだった。

それに民衆は迷信深かった。とくに凝る人だと、正常な日常生活を送るのが困難になるほどだった。「三叉路でニンニクの花輪をつけたヘカテー像の一つでも目に止まれば、立ち去って、頭から沐浴し、女司祭を呼び寄せ、海葱と子犬とによって、自分をすっかり清めてもらう」(p.57)必要があった。そしてこうした迷信は無数にあったのである。

プラトンはプシュケーという概念によって、魂は不死であることを人々に語ろうとした。しかし墓碑からみるかぎり、人々は魂が不死であるとは考えていなかったようである。そして『国家』の最後を飾るエルの思想とはうらはらに、「死後における罰を予想する陳述は見出だされない」(p.103)。「罰は犯人の子供らにふりかかる」のであり、本人は罰をうけないのである。

古典期のアテナイはぼくたちから遠い世界のようにみえるが、その民衆の宗教心はキリスト教の世界とは異なる古代の人々の心性を教えてくれるのである。本書はさらに、古典期の哲学や文学などではなく、どのような資料から民衆の宗教心を探りだすかという手続きという観点からも参考になるだろう。

最近、宮本常一の生誕百周年ということで、民俗学にふたたび注目が集まりつつあるようだ(「未来」2007年8月号の宮本特集は面白かった)。宮本の取り残した写真なども、ぼくたちの郷愁をそそる。しかし民俗学の貴重な財産である聞き書きの利用には注意が必要だ。『遠野物語』や『聴耳草紙』に始まり、宮本常一の著作にいたるまでの聞き書きは、書き残す価値があるものと書き残す価値がないものとの峻別の上に成立している。聞き書きのいわば潜在的な政治性というものにも、ぼくたちは注意すべきなのだ。聞き書きによらずに民衆的な宗教心を描き出そうとすればどうすべきか。この本はそんなことも考えさせる。


【書誌情報】

■古典期アテナイ民衆の宗教
■ジョン・D.マイケルソン[著]
■箕浦恵了訳
■法政大学出版局
■2004.4
■154,56p ; 20cm
■ISBN 4588007920
■定価 2600円


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2007年08月21日

『民衆防衛とエコロジー闘争』ポール・ヴィリリオ(月曜社)

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「われら哀れな人質たち」

現代のいくつかの出来事は、ぼくたちがある種の戦争状態に置かれていることを示している。想定を数倍も上回る揺れに見回れ、いまだに格納容器を開けることもできず、IAEAの検査官から「寿司を食べた」という安全の「保証」(笑)をもらうことくらしかできない新潟の原子力発電所の地震被害は、ぼくたちが日本という国土に暮らしながら、ある種の人質にされていることを二重の意味で示す象徴的な出来事だった。

まず第一に、日本の住民は放射能という目に見えないエネルギーの潜在的な脅威にされされているのであり、発電手段である原子力発電所は、ぼくたちの生命をすぐにでも奪ってしまうことのできる装置であることを示したのだった。原子炉の温度計がすべて作動しなくなるような状況において、原子炉が停止しなかったならどうなっただろうか。暴走したらどうなっていただろうか。クレーンが落下していたら、どうなっただろうか。

地震の巣の上にいるぼくたちは原子炉の人質となって暮らしているようなものなのである。こうした事態をヴィリリオは「市民は既に武器システムの脆弱な人質でしかなかった」(p.57)と指摘する。それは核兵器などの武器システムだけに限らないのであり、原子力発電所一か所の攻撃や事故でも同じ効果を発揮することができるのだ。

一方でヴィリリオは、ドイツでは数年前に大気汚染に関する警戒のシミュレーションが行われ、ルール河域の住民は恐怖に陥れられたことを指摘している。テレビで虚構の破局的な画像が流され、「数時間にわたって地域全体の住民を自宅に釘づけにすることに成功した」(p.69)。今回の事故ではパニックは起きなかったが、報道次第では住民の脱走とパニックが発生しかねなかった。「市民がラジオのスイッチを入れ、TVをコンセントに繋ぐように訓練されていさえすれば、市民を襲撃するのには、もはや軍事体」は必要ではないのである(p.69)。

さらに中国発の汚染食物の報道は、日本では現実的な被害は明らかにされていないが、ペットを含めて、すでに多数の生物が影響をうけている可能性がある。さらに中国の過半数の州で発生している致死性の豚ウィルスも不気味だ。ぼくたちは食物の供給という側面でも、世界有数の食料供給国である隣国の検査体制、実際には政治体制の「人質」となって暮らしていることになるのである。

全体戦争は、第一次世界大戦から始まったとされている。しかし現実的には国民国家の成立の時期、ナポレオン戦争において「軍隊・文明をヨーロッパの隅々まで連れ回す」(バルザック)(p.24)営みの中で、革命の成果が流産され「市民的思考は溺死」した瞬間から、国民の動員体制が確立されていたのであり、すでに全体戦争に近いものが始まっていた。

やがて戦争において重要なのは、兵士ではなくなる。兵士は損耗するのであり、維持する必要があるからだ。そして技術的な装置が兵士そのものよりも重要なものとなり、「軍隊・国家による、純粋な力の、純粋エネルギーの追求」が優先されるようになる。「プロレタリアートの決定的な歴史的役割は、ヒロシマの閃光とともに終わった」(p.27)のかもしれないのである。そしてそのことは、すべての国民が一種の消耗品として、国家の純粋な力の人質となっていることを示すものなのである。

その一方で、人質とされた住民の管理の方法はますます洗練され、高度化している。一例をあげよう。前回ヨーロッパを訪問した際には、パリのメトロでは改札口が実質的に姿を消し、ベルリンでも駅は開かれ、誰もが入れる場所となったことに感心した。しかし開かれたのはプラットフォームまでである。電車に乗る人は、プラットフォームにあるマシンで切符を購入してパンチをいれておかないと、検札でひどい目にあう。駅員ではなく、警察官のような体格の二人組の検札官が回ってきて調べるからだ。違反者はまるで犯罪者のように、電車から運びだされて、取り調べられるのだ。

駅は解放されたようにみえる。しかし実際には「旅客は無賃乗車は、遥かに深刻な違反行為、襲撃・破壊行為と同列に置かれる」(p.94)のであり、駅の入り口ではなく、電車の中でコントロールするという方法で、人々のアイデンティティの調査と、規律の強化がさらに効率的に、しかも厳密に進められるようになるのである。これは一例にすぎない。年金記録の喪失を逆手にとって、国民背番号制の導入が新たに検討されるなど、さまざまな場所でこうした管理と規律の強化は進みつつある。出版時期はかなり前のことになるが、ヴィリリオのこの書物はまだまだアクチュアルである。

【書誌情報】
■民衆防衛とエコロジー闘争
■ポール・ヴィリリオ著
■河村一郎,澤里岳史訳
■月曜社
■2007.1
■117p ; 18cm
■ISBN  9784901477307
■定価  1800円


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2007年08月17日

『中世とは何か』J.ル=ゴフ(藤原書店)

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「中世に魅せられて」

中世史家ジャック・ル=ゴフの「専門家以外の一般読者をも対象とする……ほぼ初めての邦訳書」(p.306, 訳者解説)であるが、インタビュー形式で、ル=ゴフが自分のそれまでの生涯を振り返りながら、仕事について語るものとなっている。この分野になじみのない読者には近付きやすいかもしれないが、タイトルで言うような「中世とは何か」が、そのまま語られているわけではないので注意されたい。

プルーストにならった「中世を求めて」の原題のほうが、著者が中世に魅惑されて、中世史家になり、研究を続けてきた歴史を物語る本書のタイトルとしてはふさわしかったかもしれない。ル=ゴフが中世の研究を始めた頃は、中世は暗黒の世界であるか、理想的な世界であるかのどちからであった。最初は著者はそうした現状に直面して、中世の研究を諦めかけたという。しかしアナール派の歴史家と出会って、「新しい歴史というものがある」と「大きな喜び」(p.60)を感じたのだという。

本書ではこれまでル=ゴフの著書で語られてきたことが(当然ながら)たくさん語られるが、いくつか細かなところで興味を引かれたことを書き留めておきたい。まず一二、一三世紀におけるカロリング小文字の消滅について。それまでは大学における知の伝達と教育は、写本にみられるようなカロリング小文字によって行われていた。しかしこの時期にこの書き方が消滅し、「書きかたは不規則になり、個人差が生まれ、省略の体系をともなうようになります。これは人が速く書くようになったこと、発話をその場で書きとめていることを示しています」(p.46)という。

権威のある書物による教育から、現場での即興による教育、思考の動きを現場で書きとめる方法が誕生したわけである。トマス・アクィナスはたしかたくさんの速記者をかかえていた。これからは「草書体と省略の時代」が訪れるのである。著者は「思考が自ら生まれつつあるときの恐るべき速度を感じさせます」(Ibid.)と語っている。そしてその後に印刷技術が登場することで、また新たな段階を画するのである。

また宗教(religion)という概念が登場するのが一六世紀になってからだというのも、言われてみればもっともながら、おもしろい。「中世においてはすべて宗教だった」のであり、「宗教に入る」というような意味でしか使われていなかったらしい。これは「修道請願を立てる」という意味にすぎない。この概念が登場したことで、人ははじめて「宗教の世界」の外部に出ることができるようになったのである。「いまや人は〈選ぶ〉ことができるのです」(p.108)という。それまでは異なる宗教について考える場がなかったのだ。

さらに一六世紀にグレゴリウス暦が採用されるまでは、暦が絶えず変わっていたことも興味深い。キリスト教の地域ではローマのユリウス暦から一二ケ月を採用した。しかしユダヤの暦から復活祭と週の概念を導入したために、大きな変動が生じたという。復活祭は移動祝祭であるために、日にちを特定するのが困難になった。フランスでは最近になってやって、学校の復活祭の休みを、復活祭と切り離したという(p.182)。

そして安息日の概念が週七日の制度をもたらし、「労働と休息にたいする特別の注意をうながした」(Ibid.)のだった。日曜日という休日の規定は、カロリング朝に厳密に定められ、これによって「経済活動のリズム」が生まれ、これが「西洋中世の生産性にとって非常に有効に作用した」(Ibid.)のだった。近代以前の日本の職人の休日を考えてみると、この六日の労働のあとに一日休んだ創造主は、ヨーロッパの労働者たちには大きな恩恵をもたらしたのかもしれない。

逆に言えば、すべての人々の時間が、キリスト教的な時間によって決定されたということであり、やがてはキリスト教は煉獄を作りだすことで、人々の死後の時間まで管理することになる。煉獄ができるまでは、人は死ぬと神の裁きに服するものの、現世の教会には属さなかった。だから生前は、教会の死後の世界における脅しも、それほど大きな力をもたなかったのである。

しかし煉獄ができると、もはや人は教会の支配から離れられなくなった。それは煉獄にいる魂のために祈りをささげたり、ミサをあげたり、贖宥状を購入すれば、死んだ魂が天国にゆけるまで煉獄に滞在しなければならない日数が短縮されるからである。死者が煉獄に滞在する時間は、生者が死者の代わりに祈ることで決まることになったとき、「煉獄が生者と死者の関係を根本的にかえた」(p.200)とき、教会は死後の時間への支配を通じて、生前の時間にまで支配を及ぼすことができるようになったのである。

ル=ゴフは中世の時間と空間の関係を、煉獄、暦、時計(鐘の音)など、さまざまなものを手掛かりに考察してきたのであり、本書はその考察の「髄」が、ごくわかりやすい言葉で語られる。これからル=ゴフの世界に足を踏みいれようとする読者にとっては、便利な地図となるだろう。

【書誌情報】
■中世とは何か
■J.ル=ゴフ[著]
■池田健二,菅沼潤訳
■藤原書店
■2005.3
■318p ; 20cm
■ISBN 4-89434-442-4
■定価 3300円


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2007年08月14日

『哲学者たちの動物園』ロベール・マッジョーリ (白水社)

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「動物から考える哲学」

本を手にして、思わず笑ってしまった。実はまったく同じ内容の企画を立てたことがあったからだ。新約聖書の四福音書の著者に、それぞれ象徴となる動物がいるように、哲学者たちもまた動物を思考の同伴者とすることがあり、それぞれの哲学者にとって象徴的な動物がいるのだ。その動物との関係から、その哲学者の思想を考察するというのが、そのときのぼくの企画だった。

提案した編集者があまり乗り気にならなかったためにボツになったが(ボツになったぼくの企画は実に多い(笑))、この本はまさにその試みを試したものなのだ。「フランスでも好評で、いろんな新聞・雑誌で紹介されていた」という訳者の紹介を読むと(p.174)、あの企画、実現させておけばよかったかと思わないでもない。原著が二〇〇五年刊行で、ぼくの企画は数年は溯っていたからだ(笑)。

もちろん哲学者ごとにあげる動物の候補はさまざまであり、ドゥルーズ/ガタリに「マダニ」が出てくるのはごくまっとうな選択だが、リトルネッロを歌うシジュウガラだって、二人の哲学のユニークな性格を示すためには適切なものだろう。とくに領土化と脱領土化の概念は、野鳥の歌でこそ、はっきりと示せるのだし、ダニはどちらかというとユクスキュルのをそのまま採用しているからだ。ドゥルーズ/ガタリの「反・動物」として飼い犬をあげるのもおもしろかったに違いない。

それにわけのわからない(笑)動物もいる。ディオゲネスと蛸は変ではないか。プラトンが人間を「羽のない二足歩行動物」と定義したことを聞いて、鶏の羽根をむしって講義の場に投げ込んだディオゲネスのことだから、鶏のほうがよかったのではないか。それにビュリダンのロバ、ゼノンの亀は、あまりにまっとうすぎるのではないか。あるいは犬はレヴィナスの思想とはすこしすれちがってはいないか。まあ、これはいちゃちもんのたぐい(笑)。

プラトンの動物として白鳥をあげたのは秀逸だろう。プラトンは白鳥が死の間際に歌う歌がすばらしいという言い伝えを例にとって、それを死を恐れるのは根拠のないことだと説明するのだ。プラトンの、ソクラテスの論拠はこういうものだ。「どんな鳥も、お腹が空いたり、寒かったり、何かの痛みに苦しんでいるときに歌ったりするものではない」(p.129)。白鳥はアポロンの鳥であり、予知能力に優れている鳥である。だから「ハデスのもとで見出だすであろうさまざまな徳のことを予知して、まさに死なんとするその日、されまでのどの日にもまして、歌い、喜ぶのだ」(p.130)。

もう一つ、巧みな例をあげておこう。キルケゴールの二枚貝(ヨーロッパザルガイ)。「ぼくの人生とは一体なんなのだろう。疲労と苦痛でないとしたら」と嘆くキルケゴールは、みずからを二枚貝に譬えてみせる。「一人の子供が、棒切れを殻のあいだに滑りこませる」。子供は遊んでいるつもりだ。やがて子供は飽きて棒を引く抜く。貝はしっかりと殻を閉じるが、中に破片が残ってしまう。貝には破片を引き抜くことができない。この棘の存在は、誰も知ることができない。しっかりと殻は閉じているからだ。「そして貝だけが、そのとげの存在を知っているのだ」(p.90)。

三五人ほどの哲学者とその対となる動物のペアの記述はスマートで、気軽に読める。三ページほどで終わってしまう哲学者もいて、あっさりしすぎるところもあるが、予想外のペアに驚かされることもある。ぼくにはドルバックの狼が意想外だった。手に取って、楽しんで読んでいただきたい。


【書誌情報】

■哲学者たちの動物園
■ロベール・マッジョーリ (著)
■國分 俊宏 (翻訳)
■白水社
■2007/07
■189ページ
■2,310 (税込)
■9784560024607


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2007年08月10日

『『嵐が丘』を読む : ポストコロニアル批評から「鬼丸物語」まで』川口喬一(みすず書房)

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「作品の歴史と批評の歴史」

エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』を、その批評の歴史から振り返って読むという、ありそうでなかった一冊で、楽しく読めた。印象批評からニュー・クリティシズム、そしてポストコロニアル批評にいたるまで、ぼくたちがたどってきた批評の歴史を懐かしく想起しながら。

具体的には、次のように分類されている(p.14-15)。
一、ロマン主義の表現主義的な批評。これは作品は作者の感情の表現または氾濫であるとみる「根強い」方法。たとえば作品のさまざまなシーンを「二つのエゴティズムの激突の場面として捉え、ロマン主義のみごとに顕現として説明する」(p.27)手法などがその代表である。

二、リアリズム批評。これは作品が表象するものが「真」であるかどうかによって作品の成否が判断されるものであり、「俗流マルクス主義」批評がその代表である。たとえばマルクス主義的な観点からは、この作品は、貧民窟出身の疎外された者(ヒースクリフ)が、人間的な理解力をもった同志的な人間(キャサリン)と連帯して、アーンショー家と社会
の圧制に反逆する(p.88)物語として読まれることになる。ただしマルクス主義の批評も洗練されてくると、この作品を重層的に、多元的に解読するようになる。アルチュセールやイーグルトンの批評である。

三、修辞的批評。作品は読者に与える効果(修辞性)によって、その生命を獲得すると考える。印象批評も、読者反応批評も、バルトの構造主義的な批評もここに分類される。構造主義的な批評の一つして、レヴィ=ストロースの「交叉いとこ婚」の視点から、この作品の構造を分析する手法もある。するとこの作品の前半部と後半部の位置が「インセスト・タブーに動機づけられた、あの激しい同様の世界が、後半部の合法的な族内婚(女性の交換!)によって調和を獲得」(p.130)ものとして解読されるのである。

四、客観批評。作品は作者、読者、時代環境から切り離された自律的な存在であるとみなすものであり、ニュー・クリティシズムやフォルマリスムがここに入る。これはテクストに書かれていることだけに基づいて、作品の骨格を考察しようとするものだ。たとえば、サンガーという「素人探偵」は、作品で語られている日付を再構築し、「二つの家族の三大の家系図を描いてみると、そこには実に整然たるシンメリトリーが見出だされることがわかる。この厳密な構成原理が物語の時間的な流れの中にもあるのではないか」(p.35)と考えて、詳細な年譜を作成した。そして実際にエミリーがあらかじめ年譜を目の前においていて、時間的な順序をバラバラに切り離したとしか思えないようなクロノロジーが発見されたのである。

またニュー・クリティシズムは、作品は言語的な構築物であるとみなし、精読することで作品の「構成要素が織り成す複雑な相互作用と重層的意味を分析する」(p.48)ことを目指す。これは「発見としての技法」の力、この作品について言えば、「非道徳的な情熱の道徳的壮大さ」の力を明かにしていくという道筋をたどるのである。この物語は家政婦と旅人という「二人の対照的な語り手によって語られる」が、その「二重の遠近法」によって、この作品の世界が客体化され、「発見された」とみある(p.54)。

五、社会学的な文化批評。作品の研究はテクストの内部だけでなく、それが生産された文化的、政治的、経済的な外在的な要素との関連で研究すべきだとされる。最近のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル批評がここに分類される。この批評の特徴は、客観的な批評では作品の外部にでることが禁じられるのにたいして、自由に作品の外部を考察しようとすることがある。

この作品ではヒースクリフが後半部で数年のギャップをおいて紳士として登場するが、その空白部については何も語られていない。しかし文化批評ではその考察を禁欲することなく、「批評上の禁制区域」(p.180)に入り込み、自由に空想を働かせる。イーグルトンはヒースクリフがアイルランド人だったと推定して、『ヒースクリフと大飢饉』という書物まで刊行してしまうのだ。

ついにはブロンテ姉妹の二つの作品『嵐が丘』と『ジェーン・エア』をつなぐメタフィクション『ヒースクリフ-嵐が丘への帰還』(リン・ヘア=サージェント)という作品まで書かれるにいたるのである。この作品では、姉のシャーロッテが汽車の中で、キャシー宛てのヒースクリフの長い手紙を読ませてもらうというものであり、ここで二つの作品の登場人物が実際に共存できることが示されるのである。

これらのさまざまな批評の技法は、いまでもかなりの程度で利用されているものであり、『嵐が丘』に限らず、どんな作品でも同じような批評技法の歴史を語ることができるだろう。この作品ほど隠された謎の多いものも珍しいので、ほかの作品ではそれほど興味深いものとはならないかもしれないが。同じ技法を哲学の作品についても適用することができるだろうし、それはそれで思想の時代的な刻印をあらわにするのに役立つだろうと思ってみたりする。

【書誌情報】
■『嵐が丘』を読む : ポストコロニアル批評から「鬼丸物語」まで
■川口喬一[著]
■みすず書房
■2007.5
■275,5p ; 20cm
■9784622072959
■定価 3200円


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2007年08月07日

『エロイーズとアベラール : ものではなく言葉を』マリアテレーザ・フマガッリ=ベオニオ=ブロッキエーリ(法政大学出版局)

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「伝説のカップル」

アベラールとエロイーズ。ルソーの『新エロイーズ』にいたるまで、西洋の人々の心をかき立てた伝説のカップルの物語は、二人の書簡を収録した一冊の書物『アベラールとエロイーズ』として残されている。ただしこの物語は、「あまりにも美しすぎる」(p.240)ために、「真実であるはずがない」(ibid.)として、さまざまな「かんぐり」の対象となってきた。

しかし最初のアベラールの自伝的な第一書簡から、「彼女の主いなむしろ父、彼女の夫いなむしろ兄弟であるアベラールへ、彼の婢いなむしろ娘、彼の妻いなむしろ姉妹であるエロイーズより」(『アベラールとエロイーズ』畠中尚志訳、岩波文庫、七三ページ)で始まる二人の書簡を読んでみれば、偽作や仮構などという議論は、ほとんど力を失ってしまう。

著者が指摘するように、このような手紙を書ける人物をほかに探すとすれば、若いときからフランスじゅうに文学と学問の教養の高さで鳴り響いていたエロイーズよりも優れた女性と、アベラルドゥス以上に優れた才能のある「われわれがその名前すら知らない恐るべき文学の天才」(p.253)を想定しなければならなくなるのである。

ただ本書で興味深いのは、二人の物語について書こうとする多くの書物が小説仕立てになってしまうことを避けて、アベラールの学問的な立場をしっかりと追跡しながら、その対立者との違いも明確に語っていることだろう。たしかにエロイーズ、修道院長としてのつとめを忠実に果たしながらも、神を恨んでいた女性、神に愛され裁かれるよりもアベラールに愛され裁かれることを望んでいたエロイーズは、魅力的な人物だ。しかし愛の物語の背後にある知の物語も大切なのだ。

アベラールの最大の敵だったのは、偉大な修道院長だったベルナール(ベルナルドゥス)だった。二人はきわめて対照的な人物だったのだ。アベラールは論理学と修辞学を重視し、議論では弁証法を駆使する。これにたいして「論理学を神学に適用することは、ベルナールに言わせれば、口では言い表せない真実を語るための、さらにひどいことに〈広場で話す〉ための気休めと言訳にすぎなかった」とベルナルドゥスは主張する(p.206)。

アベラールが愛したのは議論を展開する大学であり、都市であった。ベルナールが愛した場所は「修道院の静かな空間」だった。アベラールは身辺に配慮した。人間の自然な欲求は罪となるものではなかった。食欲や性欲を含めて、「人間の自然本性的快楽は何であれ、罪に帰せられるべきでは」ないものだった(アベラルドゥス『倫理学』。『前期スコラ学』平凡社、五四〇ページ)。これに対してベルナールは「自らの肉体を軽視するまでに本能をおさえつける。規律を重んずるあまり病にいたるほどであった。ほかの僧侶たちと同様、肉欲はたちきり、髪は伸び放題、体は洗わず、衣服はしみだらけで悪臭を発していた」(p.207)。

アベラールは聖書の「言葉を分析して詳細に検討した」が、ベルナールにとっては聖書とは「祈りを促す書物」(ibid.)だった。アベラールにとっては学問は「神から授けられた道具」だったが、ベルナールにとっては「慈善」(p.208)にすぎないものだった。

この二人が対決し、ベルナールはアベラールの書物から糾弾すべき点を列挙して、公会議を開催する。キリスト教のカトリックの伝統からは、ベルナールのありかたや思想が正統なものであり、アベラールの欲望の理論、人間の自由意思論、聖霊を軽視する三位一体論神学よりも哲学を重視する姿勢などは、最初から旗色が悪い。そしてアベラールを弁護する人物はいない。ローマ教皇は一一四〇年七月一六日、「邪悪な信仰を作り上げたキリスト教の敵ピエール・アベラール」に有罪を宣告し、修道院への幽閉が命じられるのである(p.219)。

しかし幸いなことに、アベラールはクリュニュー修道院に理解者ペトルス・ヴェネラビリスをえて、この地で息を引き取るまで余生を過ごすことができる。アベラールが死ぬと、この修道院長は遺体をエロイーズの修道院まで運んで、悼みの言葉を述べるのである。そしてエロイーズを、「あなたはその賞賛すべき学問研究によって、すべての女性に優り、ほとんどすべての男性を完全に乗り越えたのでした」(ペトルス・ヴェネラビリス「書簡集」。前掲の『前期スコラ学』六五四ページ)と称えただった。

アウグスティヌス以来、そしてヒエロニュムス以来、夫婦の愛と性愛を否定的に捉える西洋のキリスト教道徳の流れの中で、アベラールの思想は異端的な要素を含むが、それだけにこの稀有な記録が輝いてみえる。アベラールは自分の思想を根拠づけるために「二重の学問」、論理学と神学の二つの道という弁明をしていた(p.105-6)。

そしてそのためには、「対話の有効性を明確に認識しようとする」唯名論が役立つったのもたしかだろう。言葉は厳密で信頼できる道具となるが、「それは人間が認識しえた自然界の事物、個々の事物を指示するにとどまる」(p.104)のであり、普遍的な実在という概念は形而上学のものであり、論理学のものではないと主張することができ、自分の領域を明確に確定することができたからである。

本書は、二人の純愛をたどりながらも、その背後にある中世という時代の特異さを示そうとすることにおいて、エロイーズを重視する類書とは違うところをみせている。訳者の指摘するように、中世において「神のために」と思ってしたことは何ひとつないとエロイーズが断言していたことは、「挑発的」(p.256)ではあるが、だからといって「本書の主人公は、アベラールよりも、ひたすらエロイーズなのだ」(p.255)とは思えない。もちろんタイトルは『アベラールとエロイーズ』ではなく、『エロイーズとアベラール』ではあるが(笑)


【書誌情報】
■エロイーズとアベラール : ものではなく言葉を
■マリアテレーザ・フマガッリ=ベオニオ=ブロッキエーリ[著]
■白崎容子,石岡ひろみ,伊藤博明訳
■法政大学出版局
■2004.6
■258,41p ; 20cm
■叢書・ウニベルシタス ; 630
■ISBN  4588006304
■定価  3800円


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2007年08月03日

『イエナの悲劇 : カント、ゲーテ、シラーとフィヒテをめぐるドイツ哲学の旅』石崎宏平(丸善)

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「フィヒテの旅路」

一九世紀末から二〇世紀の初めてにかけてのドイツは、人々の才能が沸き上がるような異例な時期だった。ゲーテがおり、シラーがいるだけではない。カントもまだ生きているし、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルとドイツ観念論の土台を構築する人物が輩出する。

そしてその周囲を、ヘーゲルにも強い影響を与えたヘルダーリンや、ノヴァーリスやシュレーゲル兄弟などのドイツロマン派の人々が取り囲む。そしてこの時期はアレントが描いたラーヘルだけでなく、ドイツでフランスのような女性のサロンが登場した稀有な時期でもある。このサロンの伝統はその後はほとんど姿を消してしまうのだった。

本書『イエナの悲劇』は、この沸き立つように時期のイエナに集まった人々のうちで、とくにフィヒテに焦点を合わせながら、フィヒテを取り囲む人々と、フィヒテの「悲劇」を描こうとするものだ。もっとも悲劇といっても、ヘルダーリンと「ディオティマ」のような悲劇ではない。フィヒテが誤解と妬みとみずからの強情さのためにベルリン大学を追われるわれる事件にすぎない(そしてそれを最終的に決定したのはゲーテだった)。それでもこの当時の人々の異才と異能はありありと伝わってくる。

フィヒテ自身がその異才の人物だった。哲学を学んだこともないフィヒテが小遣いかせぎにカントの理論を教えるために、カントの哲学書を読み、その論理を学びとっていく。そのうちにフィヒテはカント哲学にのめり込み、みずからその論理を延長する書物『あらゆる啓示の批判の試み』を書き上げる。そしてカントにこの論文をみせる、カントは大いに称賛したのだった。そして旅費を無心するフィヒテにたいして、この論文を印刷させるという別の意味での援助を与えることにするのである。

カントの宗教論が待たれていた時期でもあって(p.47)、匿名で出版されたこの論文はカントの書いた論文だと誤解され、大評判になる。もちろんカントはこれを否定して筆者の名前を明かにするが、カントがこの論文を支持したこと自体が、フィヒテには大きな力になったのだった。

考えてみると、これはカントの論理がいかに新しいものであったかと同時に、その思考がいかにその時代において求められていたかを示すものである。まったく新しい枠組みを示された読者は、自分の力で考えるだけで、哲学以外の分野でも、カントの論理を適用して、新しい理論を構築することができるようになったのである。カントの直後から、カントの思考方法で、カントと違うことを考えるのが流行になる。そしてシェリングもヘーゲルも、カントはもう古いと言い出すことになるのだ。少なくとも最初は、カントの論理の力に依拠しながらである。

ともあれゲーテはこの評判を聞いて、ラインホルト(カント批判で有名な哲学教授だ)が去った後のイエナの哲学教授に、フィヒテを招くことになる。ゲーテは備忘録において、フィヒテがその著作の中で「高邁ではあるが、おそらく極めて不適切に、重要な道徳的対象並びに国家的対象について明らかにした」と評している(p.66)。シラーもまたラインホルトの後任のフィヒテについて「きっと非常によい掘り出し物でありましょう。しかも少なくとも精神の内容から言って、交代以上のものでありましょう」(ibid.)と評価したのだった。

イエナでフィヒテは、カントの哲学をすぐに「脱構築」し始める。そして自我を基礎とした知識学の体系を構築するようになる。すべての学の体系の根本に自我を措定するこの奇妙な弁証法の体系には、スピノザの汎神論を思わせるところがあった。ヘルダーリンがすぐに「彼の絶対的自我(それはスピノザの実体に等しい)は、あらゆる実在性を含んでいる。絶対的自我がすべてであり、それ以外は無である」(p.84)とその匂いをかぎつける。この汎神論的な要素と、フランス革命に対する強い支持のために、フィヒテはやがてイエナを去らざるをえなくなるのだ。

フィヒテはこうしてベルリンに移り、シュレーゲル兄弟と交わりを深め、ドイツロマン派の理論的な支柱のような役割をはたし始める。本書の後半は、このベルリン時代のフィヒテとロマン派の理論家たちとの交流、そしてこれらの理論家のパートナーだったり、親しい人々だったりする女性たちのサロンでの活動が描かれことになる。この時期は多数の人々が登場するだけに、少し描き込みに欠けるところがあるが、全体の見取り図としては、イエナの哲学の世界とベルリンのロマン派の世界を結ぶ役割をはたしたフィヒテを中心に描くというのは、適切な着眼点だったろうと思う。


【書誌情報】
■イエナの悲劇 : カント、ゲーテ、シラーとフィヒテをめぐるドイツ哲学の旅
■石崎宏平著
■丸善
■2001.5
■210p ; 19cm
■ISBN  4621060929
■定価  1900円


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