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2007年07月23日

『アッシジのフランチェスコ : ひとりの人間の生涯』キアーラ・フルゴーニ(白水社)

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「修道士らしからぬ修道士」

サンフランシスコにいたるまで、西洋ではフランシス、フランシスコなどの名前は好まれているが、その由来はアッシジのジョバンニ・ディ・ベルナルドーネという名前の息子を、商人だった父親がフランチェスコ(フランス人)と呼んだことに始まる。これは当時は「変わった、稀な名」だったらしい(p.22)。

この息子はやがて成長すると、騎士になろうとするが、途中で回心し、「らい施薬院を訪れ」、患者の病んだ手に「接吻し、施しを行い、自身を抱擁してもらう」(p.47)。聖書に書かれてあるイエスの命令に従って、かつての使徒と同じように行動することに決めたのである。

彼は「使徒の仲間となって、まだ何の仕組みもないまま師イエスと歩んでいた彼らといっしょに時を過ごした」(p.82)のだった。フランチェスコが仲間として迎える基準としたのは、「誰だろうと真にキリスト教徒となるために必要なのは、ただ福音の言葉である。唯一の尺度は、神の子でありそれゆえに人間の兄弟であるキリストの足跡をたどるかどうかであった」(p.89)。

しかしそれは今から考えるほど、容易なことではない。この一二世紀末の時期には、キリスト教の制度としては、聖職者になるか、修道院に入らなければ、教えを説くことは許されなかった。フランチェスコは後に助祭にはなるが、生涯の重要な時期を平信徒として過ごしていた。平信徒が教会の外部で教えを説くことは、危険な行為であり、教会から厳しく禁止されていたのだった。

この時期に登場するフランチェスコ会とドミニコ会の二つの托鉢修道会は、この平信徒が教えを語りたいという要求を表現したものだった。「能動的で熱烈な信仰生活を激しく求める平信徒」たちの願いは、それまでは教会は、つねに「異端として断罪」(p.80)されてきたのである。

フランチェスコの試みは、こうした教会のかたくなな態度を改めさせて、新しい潮流を受け入れさせることにあった。これはローマ教皇と会見し、夢のお告げによって、運動が承認されるという「奇跡的な」出来事によって成就することになる。しかし一方では、フランチェスコは、制度として確立していくフランチェスコ会に逆らい、初めの思いに忠実であろうと願うのだった。自らの運動が、修道会として確立することを願いながら、その修道会が制度として自分の最初の気持ちを裏切っていくのを空しく見守るというのが、彼の苦悩の一生だった。

同時期に登場したドミニコ会は戦闘的な知識人の集団だった。「異端と戦っていた当時の教会は、教会の戦列に加わる知識人を必要とし、そのために書物を重視するドミニコ会の方針を支持していた。カタリ派を中心とする異端の主張に執拗な反駁を加え、断固として打ち負かすことがドミニコ会の主な活動だった」(p.89)。しかしフランチェスコにとっては、「高価で贅沢な品である書物を所有することは、いっさいの物を捨て去り、完全な貧しさの中に生きる」という理想に反するものだった(Ibid.)のである。

その貧しさを象徴するのは、食事だった。兄弟たちは、「労働とひきかえに、生きるのに必要なだけの食べ物を受け取ることができた」。ただし余った分を翌日の分としてとっておいてはならなかった。「次の日に食べる豆を前の晩に水に浸すことすら禁じられた」(p.93)のだった。ドミニコ会の明快な活動方針と比較して、このような無欲さを原則とするフランチェスコ会の運動がどれほど矛盾と困難に満ちたものかは明らかだろう。

それだけにフランチェスコの生涯にはさまざまな「物語」が登場する。知識や教義では表現できないものを、ある種のアレゴリーの手段によって表現するしかないからである。たとえばローマを訪れたフランチェスコは、教皇から口頭で会の素朴な原則を承認してもらうが、町で説教しても、誰も耳をかそうとしない。そこでフランチェスコは、「ローマのまちを見捨てると、野の動物や空を飛ぶ鳥たちにキリストの言葉を告げに行くといって、人々を戸惑わせた。……フランチェスコが自分の話を聴くようにと鳥たちに求めると、すぐに鳥たちは従った」(p.124)という。

動物たちと語ることができるといういうのは、原罪以前のアダムの状態に戻るということであり、古代末期の砂漠の修道士たちの間でも一つの理想的なイメージであった。フランチェスコがこのような業を行ったということは、その聖性を示す手段にほかならない。死の直前につけられたという聖痕もそのようなアレゴリーである。両手と両足、それにわき腹に傷の痕がついたのである。これはフランチェスコがキリストの蘇りであることを象徴するものとなる。

しかし著者も指摘するように、「ボナベントゥーラは聖痕を神の刻印とすることで、これを誰にも到達できない完璧なものにしてしまった。肉体にキリストの傷を帯びたことによって、フランチェスコはよりいっそう崇敬すべき聖人となったが、まさにそのために、兄弟たちはフランチェスコに倣い、彼のやっかいな言葉やその信仰生活の計画を守る義務がなくなってしまった」(p.198)のだった。これもまたフランチェスコの生の逆説を示すものだろう。

フランチェスコは世界の多くの人々に愛され、その伝記の数も驚くほどである。日本でも下村寅太郎が『アッシジの聖フランシス』という伝記を発表しているだけでなく、多数の関連書が刊行されている。フランチェスコはたんに聖人というのではなく、どこまでも素朴で、司牧者くささの少ない愛すべき性格をそなえていたからだろう。

本書には中世史家のジャック・ル=ゴフが序文を寄せ、その内容を賞賛しているが、ル=ゴフも指摘しているように、フランチェスコの逸話でとくに好ましく感じられるのは、死の直前に昔の親しい女性の友人に、「アーモンドと小麦粉、蜂蜜で作られたモスタッチョーリという小菓子」(p.9)を持ってきてほしいとねだっているところだろう。歌を愛し、つねに笑っていることを好んだという修道士らしからぬ逸話も心温まる。

■アッシジのフランチェスコ : ひとりの人間の生涯
■キアーラ・フルゴーニ著
■三森のぞみ訳
■白水社
■2004.12
■266p ; 20cm
■ISBN  4560026025
■定価 2600円


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