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2007年07月19日

『古代マヤ 石器の都市文明』青山和夫(京都大学学術出版会)

古代マヤ 石器の都市文明 →bookwebで購入

「劇場社会マヤ」

国立科学博物館で「インカ・マヤ・アステカ展」が始まった。日本初公開の210点の「秘宝」が公開されるのだという。七月一四日から九月二四日まで。暇があればぜひ見てみたい。NHKでも三回の特集の放映が終わったようだ。

マヤはつくづくと不思議な文明だと思う。国家を形成して神聖王をかついだかと思うと、小さな都市国家ごとに併存し、興亡を繰り返す。他の都市国家を征服して支配するようなことはほとんどなく、征服された都市は破壊され、住民は別の場所に移ってしまう。不思議な文字をもち、サッカーを思わせる球技を正式な儀礼とする。戦争での人身供犠も有名である。

本書は京都大学学術出版会の『諸文明の起源』シリーズの一冊で、四大文明とは異なるマヤ文化の特徴を次の七点にまとめている。
一)旧大陸世界と交流することなく、独自に発展したモンゴロイド先住民の土着文化であること
二)石器を主要利器とした「石器の都市文明」であること
三)大型家畜や荷車を必要としなかった人力エネルギーの文明であること
四)農耕定住村落の確立後、数百年という比較的短期間で形成された文明であること
五)主に非大河灌漑農業を基盤にした文明であること
六)その一部が熱帯雨林の中で興隆した文明であること
七)大部分の都市が非囲壁集落であったこと(p.294)。

その他にも注目すべき特徴がいくつかあげられる。まずマヤ文明の支配者は、四大文明とは違って、機能的な分化を行っていないことが注目される。多くの文明は、王、神官、戦士はそれぞれ違う階級を構成していた。しかしマヤでは王は「政治指導者であるとともに、国家儀礼では最高位の神官であり、戦時には軍事指揮官もあった」。「マヤの王は先祖・神々と人間の重要な仲介者であり、神々と特別な関係をもつことによって、あるいは神格化された偉大な先祖の末裔として」(p.62)、支配の正統化を行ったのである。

マヤ文明では支配者たちは、世界の軸としての神殿を構築し、そのうちで世界を支配し、天文学的な調査を行い、文字を記録し、石器を製造し、球技を催した。支配者たちは建築家であり、天文学者であり、書記であり、石器の制作者であり、サッカー選手でもあったのである。パレンケの神殿には「太陽の動きを観察する建築複合」が建設されており、「ピラミッドの東側の階段の上に立つと、夏至と冬至に両脇の神殿の外側、春分と秋分に中央の小神殿の中心線上に、それぞれ日の出が観察された」(p.79)という巧みな配置を採用されていた。

マヤの都市には必ず球技場が建設され、これは重要な儀礼の場所であった。「球技者は貴族であり、王が球技に参加することもあった。球技具や防具を身に着け、ひとつの堅いゴム球を、手、頭、足を使わずに尻や身体の他の部分にうち当てて、球技場の相手チームの側の端にいれるか、特定板に当てたとされる。……重要な祭礼では、負けチームまたはそのキャプテン、あるいは戦争捕虜が人身供犠にされる場合もあった」(p.103)というから命懸けでもあった。マヤの社会は「劇場社会」でもあったのである。

マヤの王は、金星の動きを測量し、これに合わせて戦争をしかける「スター・ウォーズ」システムを採用することで、攻撃する都市の王を「捕獲・殺戮」することもあった(p.158)。都市ナランホは、金星の動きに合わせた戦争でカラクルム軍の攻撃をうけ、その後は低迷している(p.165)。

考古学的な調査によると、宮廷人の住居跡から、石器の製造遺物が発見されている。「書記を兼ねる工芸家が、主に実用品であった黒曜石の石刃を半専業的に生産し、他の世帯に流通していたことがわかった」(p.219)。宮廷の住宅は工場であっただけではなく、政治活動にも利用された。「宮廷の行政機能は、空間的に複数の地位の高い貴族の住居に分散していた」(p.218)のである。

またこうした住宅では、多くの武器が発見されている。「王または支配層書記を兼ねる工芸家が、こうした潜在的な武器の少なくとも一部を使用していたとする、彼らは戦士でもあった」(p.221)。「王の偉業を記録する書記を兼ねる工芸家もまた、敵の標的になった」(ibid.)のであり、そのとき彼らは武器をもって戦ったものらしい。住宅は工場であり、行政施設であり、武器をもって身を守る戦場ともなったのである。

このように素朴ではありながら、高度の文明を発展させていったマヤの社会は、スペイン人に征服されるまでは、さまざまな場所で興隆し、衰退していった。著者は都市の衰退の原因を内部の原因と外部の原因とに分けて考えている。内部的な要因としては、環境破壊がある。人口が増大すると農耕地や住宅地が拡大され、森林が破壊される。「熱帯低地では、土壌が薄く、浸食されやすい。しかも、いったん土地が疲弊すると、再生の時間がかかる」(p.244)。

こうした生態系の問題に対して、マヤの各都市の神聖王は、「最悪のときに最悪の解決策を講じた」(Ibid.)。神々の助けを乞い、より巨大な神殿を建設し、更新し、維持しようとしたのだ。農民は建設に駆り出され、さらに困窮した。ここて支配層の内部の対立が発生し、そこに外部からの要因が加わる。いくつもの都市で外部からの攻撃がかけられ、都市が破壊され、放棄されている形跡がある。

それでも熱帯のジャングルの中で、スペイン人が渡来してからも、マヤの文化は存続し続ける。この土地はスペイン人にとっては都市の建設には不向きで、「野蛮」で危険な土地だったのだ。そのため現在でもマヤ系の住民が生き延びている。ところで1525年にコルテスが高地のタヤサルを訪問した。この地のイツァ・マヤ人は、コルテスの乗馬が傷つけられて放棄されたのをみて、「この馬を神として崇め、花をささげ、香を焚き、動物の生け贄を与えて治療しようとした。馬は餓死したが、彼らは馬の石造を作って崇めつづけた」(p.286)。この地の住民は、無知だったのではなく、スペインの都市を何度も訪問して、さまざまな情報を集めていたのだという。だから馬という生き物についてもよく知っていたに違いない。だとすると何とも心優しき民ではないか。

【書誌情報】
■古代マヤ 石器の都市文明
■青山和夫著
■京都大学学術出版会
■2005.12
■341p 図版4p ; 19cm
■学術選書 ; 4 . 諸文明の起源 ; 11
■ISBN 4876988048
■定価 1800円


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