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2007年07月23日

『アッシジのフランチェスコ : ひとりの人間の生涯』キアーラ・フルゴーニ(白水社)

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「修道士らしからぬ修道士」

サンフランシスコにいたるまで、西洋ではフランシス、フランシスコなどの名前は好まれているが、その由来はアッシジのジョバンニ・ディ・ベルナルドーネという名前の息子を、商人だった父親がフランチェスコ(フランス人)と呼んだことに始まる。これは当時は「変わった、稀な名」だったらしい(p.22)。

この息子はやがて成長すると、騎士になろうとするが、途中で回心し、「らい施薬院を訪れ」、患者の病んだ手に「接吻し、施しを行い、自身を抱擁してもらう」(p.47)。聖書に書かれてあるイエスの命令に従って、かつての使徒と同じように行動することに決めたのである。

彼は「使徒の仲間となって、まだ何の仕組みもないまま師イエスと歩んでいた彼らといっしょに時を過ごした」(p.82)のだった。フランチェスコが仲間として迎える基準としたのは、「誰だろうと真にキリスト教徒となるために必要なのは、ただ福音の言葉である。唯一の尺度は、神の子でありそれゆえに人間の兄弟であるキリストの足跡をたどるかどうかであった」(p.89)。

しかしそれは今から考えるほど、容易なことではない。この一二世紀末の時期には、キリスト教の制度としては、聖職者になるか、修道院に入らなければ、教えを説くことは許されなかった。フランチェスコは後に助祭にはなるが、生涯の重要な時期を平信徒として過ごしていた。平信徒が教会の外部で教えを説くことは、危険な行為であり、教会から厳しく禁止されていたのだった。

この時期に登場するフランチェスコ会とドミニコ会の二つの托鉢修道会は、この平信徒が教えを語りたいという要求を表現したものだった。「能動的で熱烈な信仰生活を激しく求める平信徒」たちの願いは、それまでは教会は、つねに「異端として断罪」(p.80)されてきたのである。

フランチェスコの試みは、こうした教会のかたくなな態度を改めさせて、新しい潮流を受け入れさせることにあった。これはローマ教皇と会見し、夢のお告げによって、運動が承認されるという「奇跡的な」出来事によって成就することになる。しかし一方では、フランチェスコは、制度として確立していくフランチェスコ会に逆らい、初めの思いに忠実であろうと願うのだった。自らの運動が、修道会として確立することを願いながら、その修道会が制度として自分の最初の気持ちを裏切っていくのを空しく見守るというのが、彼の苦悩の一生だった。

同時期に登場したドミニコ会は戦闘的な知識人の集団だった。「異端と戦っていた当時の教会は、教会の戦列に加わる知識人を必要とし、そのために書物を重視するドミニコ会の方針を支持していた。カタリ派を中心とする異端の主張に執拗な反駁を加え、断固として打ち負かすことがドミニコ会の主な活動だった」(p.89)。しかしフランチェスコにとっては、「高価で贅沢な品である書物を所有することは、いっさいの物を捨て去り、完全な貧しさの中に生きる」という理想に反するものだった(Ibid.)のである。

その貧しさを象徴するのは、食事だった。兄弟たちは、「労働とひきかえに、生きるのに必要なだけの食べ物を受け取ることができた」。ただし余った分を翌日の分としてとっておいてはならなかった。「次の日に食べる豆を前の晩に水に浸すことすら禁じられた」(p.93)のだった。ドミニコ会の明快な活動方針と比較して、このような無欲さを原則とするフランチェスコ会の運動がどれほど矛盾と困難に満ちたものかは明らかだろう。

それだけにフランチェスコの生涯にはさまざまな「物語」が登場する。知識や教義では表現できないものを、ある種のアレゴリーの手段によって表現するしかないからである。たとえばローマを訪れたフランチェスコは、教皇から口頭で会の素朴な原則を承認してもらうが、町で説教しても、誰も耳をかそうとしない。そこでフランチェスコは、「ローマのまちを見捨てると、野の動物や空を飛ぶ鳥たちにキリストの言葉を告げに行くといって、人々を戸惑わせた。……フランチェスコが自分の話を聴くようにと鳥たちに求めると、すぐに鳥たちは従った」(p.124)という。

動物たちと語ることができるといういうのは、原罪以前のアダムの状態に戻るということであり、古代末期の砂漠の修道士たちの間でも一つの理想的なイメージであった。フランチェスコがこのような業を行ったということは、その聖性を示す手段にほかならない。死の直前につけられたという聖痕もそのようなアレゴリーである。両手と両足、それにわき腹に傷の痕がついたのである。これはフランチェスコがキリストの蘇りであることを象徴するものとなる。

しかし著者も指摘するように、「ボナベントゥーラは聖痕を神の刻印とすることで、これを誰にも到達できない完璧なものにしてしまった。肉体にキリストの傷を帯びたことによって、フランチェスコはよりいっそう崇敬すべき聖人となったが、まさにそのために、兄弟たちはフランチェスコに倣い、彼のやっかいな言葉やその信仰生活の計画を守る義務がなくなってしまった」(p.198)のだった。これもまたフランチェスコの生の逆説を示すものだろう。

フランチェスコは世界の多くの人々に愛され、その伝記の数も驚くほどである。日本でも下村寅太郎が『アッシジの聖フランシス』という伝記を発表しているだけでなく、多数の関連書が刊行されている。フランチェスコはたんに聖人というのではなく、どこまでも素朴で、司牧者くささの少ない愛すべき性格をそなえていたからだろう。

本書には中世史家のジャック・ル=ゴフが序文を寄せ、その内容を賞賛しているが、ル=ゴフも指摘しているように、フランチェスコの逸話でとくに好ましく感じられるのは、死の直前に昔の親しい女性の友人に、「アーモンドと小麦粉、蜂蜜で作られたモスタッチョーリという小菓子」(p.9)を持ってきてほしいとねだっているところだろう。歌を愛し、つねに笑っていることを好んだという修道士らしからぬ逸話も心温まる。

■アッシジのフランチェスコ : ひとりの人間の生涯
■キアーラ・フルゴーニ著
■三森のぞみ訳
■白水社
■2004.12
■266p ; 20cm
■ISBN  4560026025
■定価 2600円


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2007年07月19日

『古代マヤ 石器の都市文明』青山和夫(京都大学学術出版会)

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「劇場社会マヤ」

国立科学博物館で「インカ・マヤ・アステカ展」が始まった。日本初公開の210点の「秘宝」が公開されるのだという。七月一四日から九月二四日まで。暇があればぜひ見てみたい。NHKでも三回の特集の放映が終わったようだ。

マヤはつくづくと不思議な文明だと思う。国家を形成して神聖王をかついだかと思うと、小さな都市国家ごとに併存し、興亡を繰り返す。他の都市国家を征服して支配するようなことはほとんどなく、征服された都市は破壊され、住民は別の場所に移ってしまう。不思議な文字をもち、サッカーを思わせる球技を正式な儀礼とする。戦争での人身供犠も有名である。

本書は京都大学学術出版会の『諸文明の起源』シリーズの一冊で、四大文明とは異なるマヤ文化の特徴を次の七点にまとめている。
一)旧大陸世界と交流することなく、独自に発展したモンゴロイド先住民の土着文化であること
二)石器を主要利器とした「石器の都市文明」であること
三)大型家畜や荷車を必要としなかった人力エネルギーの文明であること
四)農耕定住村落の確立後、数百年という比較的短期間で形成された文明であること
五)主に非大河灌漑農業を基盤にした文明であること
六)その一部が熱帯雨林の中で興隆した文明であること
七)大部分の都市が非囲壁集落であったこと(p.294)。

その他にも注目すべき特徴がいくつかあげられる。まずマヤ文明の支配者は、四大文明とは違って、機能的な分化を行っていないことが注目される。多くの文明は、王、神官、戦士はそれぞれ違う階級を構成していた。しかしマヤでは王は「政治指導者であるとともに、国家儀礼では最高位の神官であり、戦時には軍事指揮官もあった」。「マヤの王は先祖・神々と人間の重要な仲介者であり、神々と特別な関係をもつことによって、あるいは神格化された偉大な先祖の末裔として」(p.62)、支配の正統化を行ったのである。

マヤ文明では支配者たちは、世界の軸としての神殿を構築し、そのうちで世界を支配し、天文学的な調査を行い、文字を記録し、石器を製造し、球技を催した。支配者たちは建築家であり、天文学者であり、書記であり、石器の制作者であり、サッカー選手でもあったのである。パレンケの神殿には「太陽の動きを観察する建築複合」が建設されており、「ピラミッドの東側の階段の上に立つと、夏至と冬至に両脇の神殿の外側、春分と秋分に中央の小神殿の中心線上に、それぞれ日の出が観察された」(p.79)という巧みな配置を採用されていた。

マヤの都市には必ず球技場が建設され、これは重要な儀礼の場所であった。「球技者は貴族であり、王が球技に参加することもあった。球技具や防具を身に着け、ひとつの堅いゴム球を、手、頭、足を使わずに尻や身体の他の部分にうち当てて、球技場の相手チームの側の端にいれるか、特定板に当てたとされる。……重要な祭礼では、負けチームまたはそのキャプテン、あるいは戦争捕虜が人身供犠にされる場合もあった」(p.103)というから命懸けでもあった。マヤの社会は「劇場社会」でもあったのである。

マヤの王は、金星の動きを測量し、これに合わせて戦争をしかける「スター・ウォーズ」システムを採用することで、攻撃する都市の王を「捕獲・殺戮」することもあった(p.158)。都市ナランホは、金星の動きに合わせた戦争でカラクルム軍の攻撃をうけ、その後は低迷している(p.165)。

考古学的な調査によると、宮廷人の住居跡から、石器の製造遺物が発見されている。「書記を兼ねる工芸家が、主に実用品であった黒曜石の石刃を半専業的に生産し、他の世帯に流通していたことがわかった」(p.219)。宮廷の住宅は工場であっただけではなく、政治活動にも利用された。「宮廷の行政機能は、空間的に複数の地位の高い貴族の住居に分散していた」(p.218)のである。

またこうした住宅では、多くの武器が発見されている。「王または支配層書記を兼ねる工芸家が、こうした潜在的な武器の少なくとも一部を使用していたとする、彼らは戦士でもあった」(p.221)。「王の偉業を記録する書記を兼ねる工芸家もまた、敵の標的になった」(ibid.)のであり、そのとき彼らは武器をもって戦ったものらしい。住宅は工場であり、行政施設であり、武器をもって身を守る戦場ともなったのである。

このように素朴ではありながら、高度の文明を発展させていったマヤの社会は、スペイン人に征服されるまでは、さまざまな場所で興隆し、衰退していった。著者は都市の衰退の原因を内部の原因と外部の原因とに分けて考えている。内部的な要因としては、環境破壊がある。人口が増大すると農耕地や住宅地が拡大され、森林が破壊される。「熱帯低地では、土壌が薄く、浸食されやすい。しかも、いったん土地が疲弊すると、再生の時間がかかる」(p.244)。

こうした生態系の問題に対して、マヤの各都市の神聖王は、「最悪のときに最悪の解決策を講じた」(Ibid.)。神々の助けを乞い、より巨大な神殿を建設し、更新し、維持しようとしたのだ。農民は建設に駆り出され、さらに困窮した。ここて支配層の内部の対立が発生し、そこに外部からの要因が加わる。いくつもの都市で外部からの攻撃がかけられ、都市が破壊され、放棄されている形跡がある。

それでも熱帯のジャングルの中で、スペイン人が渡来してからも、マヤの文化は存続し続ける。この土地はスペイン人にとっては都市の建設には不向きで、「野蛮」で危険な土地だったのだ。そのため現在でもマヤ系の住民が生き延びている。ところで1525年にコルテスが高地のタヤサルを訪問した。この地のイツァ・マヤ人は、コルテスの乗馬が傷つけられて放棄されたのをみて、「この馬を神として崇め、花をささげ、香を焚き、動物の生け贄を与えて治療しようとした。馬は餓死したが、彼らは馬の石造を作って崇めつづけた」(p.286)。この地の住民は、無知だったのではなく、スペインの都市を何度も訪問して、さまざまな情報を集めていたのだという。だから馬という生き物についてもよく知っていたに違いない。だとすると何とも心優しき民ではないか。

【書誌情報】
■古代マヤ 石器の都市文明
■青山和夫著
■京都大学学術出版会
■2005.12
■341p 図版4p ; 19cm
■学術選書 ; 4 . 諸文明の起源 ; 11
■ISBN 4876988048
■定価 1800円


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2007年07月15日

『中世の死 : 生と死の境界から死後の世界まで』ノルベルト・オーラー(法政大学出版局)

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「中世の死の諸相」

本書は、アリエスの『死を前にした人間』に強い影響をうけて、中世のヨーロッパにおける死のさまざまな諸相と、死を前にした人々の姿勢を考察したものである。中世においては「主よ、疫病、飢餓、戦争から我らを守りたまえ」という祈りに象徴されるように、この三つのものがほとんど同じほどに致命的な打撃を与えたのだった(p.21)。どれも民衆にとっては外部から、抵抗することのできない自然的な威力であるかのように、死をもたらしたのだった。

フランスでは紀元300年には500万人の人口を数えたが、600年にはこれが300万人に低下し、1000年には600万人まで増大し、1340年には1900万人まで増加するが、1440年には1200万人にまで低下する。二回の人口激減の原因はどちらもペストであり、542年~750年のペストと、1348年~1440年までのペストは、「ヨーロッパの思考に深く刻印され、今に残っている」のである(p.27)。

最初の「働き盛りにする備え」の章では遺言状の考察がおもしろい。古代のゲルマン法では個人的な遺言は認められていなかった。死者は葬儀の費用と副葬品を除くと、財産を親族に渡すことが定められた。しかしローマ法の遺言権の規定では、死者は自分の財産を自由に処理することが認められていた。これが「部族財産の崩壊、個人財産の成立」(p.50)をもらたしたのはよく知られている。

しかしここで教会が介入する。教会は信者にたいして、遺言で財産の贈与をうける人の一人に「イエスを指名」することを要請したのである。跡継ぎが一人いる者は遺産を二分し、その半分をイエスに、すなわち教会に贈与せよと言われたのである。それは「生前も死後も信者は困窮者を助けねばならない」(p.48)とされたからである。こうした教会はどんどんと財産を増やしてゆく。相続人が死者の遺言を守らない場合には、「公会議によって破門」(p.52)されることを覚悟しなければならなかったのである。

破門されたまま死ぬ者にたいしての教会の呪詛は激しい(スピノザがユダヤ教会から破門されたときの呪詛も激しいものだった)。「のろわれし者ども」で始まる呪詛に、列席者はアーメンと声をそろえる。「彼らが魂は地獄の腐臭の中で滅ぶべし、アーメン」(p.76)。教会にまつろわぬ者はこうして生者の世界からも死者の世界からも放逐される。異端者であることの覚悟はすさまじいものだったのである。

「眠りの兄弟」の章では、王の死にたいする民衆のさまざまな姿勢が興味をひく。王は「幸運を仲介し、人間、動物、耕地に豊穣をもたらす」(p.126)という観念は中世から近世にまでうけつがれた。1106年に教会に破門されたままでリュティヒでハインリヒ四世がなくなると、市民は王の棺に触れるだけで祝福されると信じ、「種をもってきて棺台に載せ、それを他の種に混ぜて、豊かな実りが得られると信じる者もいた」(Ibid)。そして遺体の引き渡しを求められると、市民は「町の危機、荒廃」を意味すると、拒絶したのだった。

一方ではハインリヒ二世の死後、王宮があったパヴィアの市民は、古くからあった王宮を土台にいたるまで破壊した。「今後いかなる王も、ここにそのような建物を建てる気が起こらなくなるように」(p.146)と考えてのことだった。しかし帝国の王宮を破壊したことは厳しくとがめられることになる。「王は死せども、帝国は残る。漕ぎ手を失っても、船が残るのと同じである」(Ibid.)。死ぬのは王の身体だけなのである。

本書を通じて、死に直面したさまざまな人々の姿勢が読みとれる。しかし特に印象的なのは、激しい差別の対象となったユダヤの民の死に様だろうか。キリスト教の信者がユダヤ教に改宗すると、「涜神および異端と同様に取り扱われた。ユダヤ人と肉体関係をもつことからして、キリストの教えに背く行為」(p.247)とみなされるもとにあった。シュヴァーベンでは「火あぶり」の刑が定められていたという。

十字軍もユダヤ人迫害に大きく貢献した。「1096年、エルサレムに向かう途上の略奪兵の大群が、ライン・ドナウ河畔の町々でユダヤ教徒を皆殺しにした」(p.284)。マインツでは「今こそ十字架で流されたキリスト教の血の復讐を行うと宣言した」(p.285)兵士たちが乱入し、司教館に立てこもったユダヤ人たちは、集団自殺をしたのだった。もっとも殺されたのはユダヤ人だけではない。1099年にエルサレムを占領した後には、イスラーム教徒、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒も殺戮されたのだった(Ibid)。

そしてペスト流行の際には、ユダヤ人は「泉に毒をいれたと告発」(p.302)され、バーゼルでは木造の小屋にを監禁し、火を付けられて大量に焼け死にしたのだった。「彼らはたいてい犠牲を自ら受け入れ、そのことによって神の御名を崇めようとした。コンスタンツでは踊ったり、詩篇を歌ったり、また涙にかきくれながら、火刑場に引き立てられていったという」(p.303)。

本書はときにホイジンガの補足のようにみえるところもあり、少し総花的になりすぎているところもあるが、ヨーロッパの中世における死の諸相をたどり直す試みである。なぜか原注が訳されておらず、文献リストで邦訳のあるものの指摘もないのは残念だが、読みながらさまざまな思いに駆られるのはたしかだ。

■中世の死 : 生と死の境界から死後の世界まで
■ノルベルト・オーラー[著]
■一條麻美子訳
■法政大学出版局
■2005.7
■334,42p ; 20cm
■ISBN 4588008218
■定価 4000円


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2007年07月11日

『マイモニデス伝』A.J.ヘッシェル(教文館)

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「アリストテレスと聖書の結婚」

マイモニデスは、ユダヤ思想家として名高いが、これまではぼくの知る限りでは邦訳もなく、どんな思想的な環境で思索を行っていたのか、少しぴんとこなかった。しかしキリスト教の哲学に大きな影響を与えた人物である。

リベラは「ラテン語圏のキリスト教哲学の重要な源泉となった」マイモニデスの影響について、こう語っている。「トマス・アクィナスは神の存在証明の三番目を彼から借り、アルベルトゥス・マグナスはアラブの哲学者に対する批判の一部を、マイスター・エックハルトは「哲学者の自然的理性による解明」という発想を借りた」(アラン・ド・リベラ『中世哲学史』阿部一智・永野潤・永野拓也訳、新評論、二七一ページ)。

このユダヤ人の哲学者であるマイモニデスは、イスラーム世界のうちで改宗を強いられたユダヤ人たちの思想的な支えとして思索を展開していた。当時のアフリカ北部からスペインにかけては、ムワッヒド朝帝国の支配下にあり、「アトラス山脈からエジプト国境に至るムワッヒド朝帝国中の、さらにスペイン国内の、シナゴーグと教会が破壊され」、「ユダヤ教徒は、殉教死することを望まないならば、イスラム教に改宗するか、他国へ移住するしか道はなかった」(p.15)。

ユダヤ人は表向きは改宗して、家の中でこっそりとユダヤ教の慣例を守ることができたが、「共同体内で祈祷することは死を意味していた」(Ibid.)。そのような状況において、モロッコの共同体では、「ある権威あるラビ」のレスポンサが発表された。それは「ひそかにユダヤ教のすべての義務と律法を厳格かつ誠実に遵守しているとしても」、背教者であり、「涜神の罪を犯している」(p.23)と非難するものだった。この声明に従う限り、ユダヤ人はイスラームの世界では暮らしていけなくなる。これはユダヤ人にイスラーム教への改宗を迫る逆効果を発揮したのだった。

このレスポンサに反論を示したのがマイモニデスの父親であり、これをうけついでマイモニデスはイスラーム世界で暮らしていくユダヤ人たちのために思想的な基盤を提供したのだった。マイモニデスはそのためにアリストテレスの哲学と、当時のさまざまなイスラームの哲学を研究し、「ユダヤ民族の存続そのもの」(p.58)が脅かされている事態に対処するために、タルムードを研究し、混乱に陥っているタルムード解釈を整理して、巨大な律法集を作りあげる。

それが「ミシュネー・トーラー」であり、「この一冊だけで、モーセからタルムードの完結に至るまでのすべての制度、慣習、規則の完全な集大成」となるものを目指したのである(p.113)。この書物はユダヤ人の世界で大きな反響を生み、マイモニデスはユダヤ世界の思想的な権威者となり、「最高裁の裁判所」にも相当する役割を果たすようになる。

マイモニデスは医者としても優れた手腕を発揮し、やがてスルタンの高官に招聘されて、宮廷のお抱え医者として働くようになる。要請されて多数の医学的な文章も発表しているが、そのために費やされた無駄な時間は、彼の研究に大きな障害となったのだった。

このようなイスラーム世界におけるユダヤ人共同体の思想的な指導者となったマイモニデスだが、派閥を形成することを嫌い、孤独な暮らしを好んだ。ただ一人、弟子いりをした人物がいた。この人物は聖書のアレゴリー的な解釈や形而上学的な解釈に熱中し、マイモニデスに学ぶことを願ったのだった。マイモニデスはその熱心さに感銘をうけて、ただ一人の弟子としてこのヨセフ・イブン・アクニンをうけいれ、息子と同じように愛しながら教えた。マイモニデスの哲学的な主著の一つとして残されている『迷えるもののための道案内』はこの弟子のために書かれたものである。

ユダヤ思想においては、レヴィナスが語っているように、師との対面のうちに学ぶ伝統がある。師は弟子の思想的な状況を完全に把握し、そしてその者にとってもっとも必要なことを教え、道を示すのである。この書物もまた弟子一人のために書かれたものではあるが、それは同時に、すべてのユダヤ人の思想的な導きとしても構想されたものだった。

しかしマイモニデスはこの書物が真剣にユダヤの思想を学ぶすべての人にとって、「道案内」となることを同時に目指していた。この書物で目指したのは、「宗教に対する懐疑に光を当てる啓蒙書であること、大衆の悟性から遠ざけられている秘め画された教えの真の意味を究明する」(p.243)ことだった。同時にユダヤの宗教だけでなく、イスラーム哲学を含む哲学と宗教との深い結びつきも明らかにしようとする。これは「聖書とアリストテレスの結婚」(p.249)を目指す書物なのである。

とくに問題になるのは世界創造論だったが、アリストテレスは世界は永遠であり、無から創造されたものではないと主張する。これにたいしてマイモニデスは、アリストテレスの主張はいかなる証拠にも依拠するものではないと反論する。そして「世界は永遠であるという見解から存在者は必然的に神に由来するという命題が結論される」(p.178)と主張するのである。マイモニデスがここで展開した神の存在証明は、アリストテレスの哲学が導入された後のキリスト教の哲学に大きな影響を与えることになる。

さらにマイモニデスはアリストテレス以来の「能動知性」と「受動知性」の概念対を使いながら、知識人論を展開する。知識人は神的な能動知性からの影響の度合いで主として三つに分類される。第一は賢者であり、これは論理的な能力において、能動知性から大きな影響を受けたが、想像的な能力では影響を受けることがなかった人々である。第二は政治家、詩人、占い師などであり、想像的な能力では影響をうけたが、論理的な能力では影響をうけていない人々である。第三が預言者であり、想像的な能力と論理的な能力の両面で強い影響をうけた人々である(マイモニデス『道案内』英訳版、第二部三七章)。こうした弁証法的な分類方法は、後の西洋にもうけつがれることになる。しかし預言者と能動知性。いかにもアリストテレスとユダヤ思想の「結婚」ではある(笑)。

著者の若書きであり、わずか一ケ月で書かれたというだけあって、書物の構成にかなり無理があり、反復や論旨の混乱があったりするが、これまで遠い人物であったマイモニデスの日常と、その思想的な課題、思考の道筋などが紹介されているのはうれしいことだ。

【書誌情報】
■マイモニデス伝
■A.J.ヘッシェル著
■森泉弘次訳
■教文館
■2006.7
■342,4p ; 20cm
■ISBN 4764266601
■定価  2800円


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2007年07月07日

『古代アンデス--権力の考古学』関雄二(京都大学学術出版会)

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「インカ帝国以前の国家の形成」

先日の日曜日(七月一日)NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」のシリーズで、第一回の「アンデス ミイラと生きる」が放映された。ミイラの包みに顔を描いて、敵の神聖なる墓地を占拠して、支配してしまう戦略がとても興味深かった。

ただこうした死者による陰鬱な攻撃戦略だけではなく、「こうしてパチャクティは、王子トパ・インカとともに、戦って領土を奪うよりも、むしろ飢えのない豊かな暮らしを人々に与えることを基本として、言葉の違う 80の民族を50年で統一したと言われる。この実り豊かな国を築き上げたパチャクティこそ、インカの真の創設者であった」ところにこそ、帝国の土台があったのもたしかである。次の日曜は「マチュピチュ 天空に続く道」が15日には「密林が生んだ二千年の王国」が放映されるらしい。

ところでインカ帝国が成立したのは十五世紀になってからだが、紀元頃にはこの地にすでに国家が成立していた。本書は京都大学出版会が始めた新しいシリーズ「諸文明の起源」の一冊で、アンデス地方における国家の形成のプロセスを、とくに考古学的な見地から考察したものである。サブタイトルにあるように、考古学的な知見に基づいて、現地の社会のリーダーまたは支配階級が、経済、軍事、イデオロギーという三つの「権力資源」(p.25)をどのように駆使していたかを調べながら、それが国家段階にあるのか、前国家段階にあるのかを点検しようとする。

もちろん目新しい方式ではないが、著者は調査の際に、この三つの資源がどのように活用されているかをつねに念頭においておくことで、「今になって、あのデータを集めておけばよかったと後悔」(p.286)することのないようにするというわけである。歴史や考古学の調査では、想像力を働かせることが求められるが、その想像力の働くマトリックスをこの三つの資源で構成しようとするわけだ。

経済の資源としてはさまざまな建造物とそのアクセスの制限や、特定の動物の利用、植物の利用などが各発展段階ごとに点検される。建造物に何人くらいが入れるのか、上部の層にアクセスを認められる人数はどの程度かによって、その社会の階層構成の有無とその分化の程度を推定することができる。祭祀建造物では「基壇上部へ行けば行くほど、アクセスが制限されている」(p.124)ことが多く、「祭祀空間へのコントロールが存在していたことが推測される」のである。

ラクダ科のリャマを利用することが社会にどのような影響をもたらしたか、あるいは社会や気候の変動がそれにどのような影響を与えたか、トウモロコシを醸造してアルコールとして利用し、それを祭祀における特別な飲み物として利用することが、支配者にどのような力を与えたかなどを考えるわけだ。

軍事的な資源としては、兵器などの物質的な遺物だけでなく、絵画に書かれた兵士たちの衣服や軍服なども、その社会の軍事的な発展度を示すことができるし、死者の頭蓋骨の損傷を調べることで、供犠が行われたかどうかを推測することもできる。イデオロギー的な資源としては、建造物に描かれた神話的な物語、土器の絵画などのさまざまな要素から、その社会で特定の王朝や神官階級が成立していたかどうかなどを思い描くことができる。
クントゥル・ワシで大量の副葬品を伴う墓が発掘されており、こうした副葬品も階層の分化を教えてくれるだけでなく、死者に頭蓋変形があることからも、新生児の頃から特別な存在として育てられたこと、「被葬者が後天的にカリスマ性を発揮して、その地位を得たのではないことがわかる」(p.157)のである。

紀元前五〇〇〇年頃から紀元頃までの五〇〇〇年にわたる長いスパンで、気候の変動の影響などもあって、アンデスでは直線的な進歩というよりも、文明が興隆し、やがてそれが衰え、また別の文明がほぼ同じ場所に興隆するという波状の展開が発生していたらしい。著者はそれを「神殿更新」という概念で説明しようとする。これは一つの構造物をそのまま、あるいは部分的に壊した上で、まるで封印するかのように、内部空間を大量の礫と土で一気に埋め、その上に新たな、しかし基本的には同じ構造の建物を据えていた」(p.260)という発見に依拠するものである。

アンデスの固有の条件に依拠したこうした「一定期間ごとの建物の更新」が、「既存の固定観念を揺るがす」(p.284)「アンチテーゼ」となりうるかどうかは不明だが、社会の発展が神殿の形成を促すというよりも、神殿の形成が社会の発展を促すという逆転の発想は興味深いものである。エジプトでもピラミッドの建設をめぐって同様な状況が確認されているのだ。

ただ著者の問題意識とは別として、紀元の頃にアンデスでモチェという国家が成立するにいたった不思議さについても考えるべきなのだろうと思う。北米ではその後も長いあいだ、国家を成立させない工夫がこらされてきたことは、モースの贈与論やクラステルの『国家に抗する社会』などで詳しく考察されていることだからだ。神殿更新は、神殿破壊でもある。前の文明の神殿を敢えて破壊し、そこにみずからの神殿を作り直すという方法が繰り返されたとしたら、それは国家の形成にいたる過程が直線的ではなく、波状的なものだったこと、国家を形成しない方法でもあったのかもしれないからだ。

著者は国家の成立にいたる歴史について三つのパターンを示している。文化生態学的なモデル、ウィットフォーゲルの灌漑モデル、カーネイロの環囲環境理論である(p.7)。第一のモデルは社会の形成から国家の成立を進化主義的に捉える理論であり、第二の理論は国内統合のプロセスのうちに国家が形成されていくと考えるものであり、第三の理論は他の社会との闘争や競合のうちに国家が形成されていくと想定するモデルである。どれも国家の形成を自明の前提として、その成立にいたる経緯を問うものであり、国家を形成しない方法を問うものではない。ぼくとしては別のモデル、国家の形成されないモデルのほうにも、強い関心をひかれる。


【書誌情報】
■古代アンデス--権力の考古学
■関雄二著
■京都大学学術出版会
■2006.1
■315p 図版2p ; 19cm
■シリーズ名  学術選書 ; 6 . 諸文明の起源 ; 12
■ISBN 4876988064
■定価 1800円


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2007年07月03日

『生のものと火を通したもの』クロード・レヴィ=ストロース(みすず書房)

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「待望の神話分析の一冊目」

レヴィ=ストロースの『神話論理』の邦訳の刊行がやっと始まったことを祝いたい。原著が一九六四年の刊行であるから実に四〇年後の翻訳出版ということになる。ぼくは半ば諦めて、安価に入手できる英訳本四冊をセットで購入していたが、やはり日本語は読みやすいし、動物の名前など、英語ではかなり面倒だった。最後まで順調に刊行されることを願っている。

レヴィ=ストロースの神話解読の方法の概略は、『構造人類学』などでも示されていたが、ここにやっと本格的な分析が手にできることになった。レヴィ=ストロースは本書ではそれを音楽のコードとの類比で説明している。それぞれの章も「主題と変奏」(これは「ポロロの歌」「ジェの変奏」「行儀作法についてのソナタ」「短い交響曲」「五感のフーガ」「オポッサムのカンタータ」で構成される)、「平均律天文学」(これは「三声のインベンション」「二重逆転のカノン」「トッカータとフーガ」「半音階の曲」で構成される)、「三楽章からなる田舎風の交響曲」(これは「民衆的な主題にもとづくディヴェルティメント」「鳥たちの合唱」「結婚」で構成される)と、まるでCDのリストのようだ。それでいて、きちんと内容とあったタイトルになっているから、レヴィ=ストロースはタイトルをつけながら、実に楽しんだのだろう。

レヴィ=ストロースが神話研究でとくに注意したのは、「ユング主義」にならないようにしたことだった。ユングはさまざまな神話を収集し、分析しなから、人間の集団的な神話的に心理を描き出す象徴を探しもとめようとする。レヴィ=ストロースが試みたのは、「神話の機能に絶対的な意味を与える」ことを避けることだった(p.82)。ユング主義の問題点は、神話のレベルを超越したところで、意味をみつけようとすることだ。それに神話の外に何からの制度を発見しようとする通例の試みも不適切なのだ。

というのも「象徴に固有で不変の意味があるのではない、象徴はコンテクストから独立してあるのではない。象徴の意味は何よりもまず、それが置かれている場によって決まる」(Ibid.)からである。レヴィ=ストロースはまた神話における水の意味を考察しながらも、「わたしは一瞬たりとも水の原型的な象徴の助けをかりなかった」と強調する(p.270)。重要なのは人間の心のうちに集団的に潜む象徴の意味ではなく、「形式的同型性」だからである(p.271)。

レヴィ=ストロースはさまざまな神話の語っている内容や意味ではなく、それぞれの要素がその神話で果たしている役割と機能の共通性を調べようとする。それぞれの神話の語る意味だけを考えると、「神話というものはたんなる寄せ集めにすぎない」ことになる。しかしその構造と機能に注目すると、まったく異なる神話にみえたものが「同じひとつの神話」であり、「そのひとつひとつが、あるひとつのグループの内部でおこなわれた変形の産物」(p.200-201)であることを指摘できるようになるのだ。それぞれの社会の制度や環境や風土におうじて、それにふさわしい変形が行われるのであり、その操作の手つきを指摘すれば、同じ神話に還元することができるのである。

たとえば人間の寿命の短さを示すいくつかの神話がある。これらの神話をその要素の機能から分析していくと、「見かけは非常に異なるが……同じメッセージを伝えており、相互の違いは使っているコードの違いにすぎない」ことがわかる(p.238)。使われているコードは、人間の五感であり、目、耳、舌、皮膚、鼻のそれぞれの機能が可能なかぎりですべて使われている。そのうちでも特権的な地位を与えられているのが舌、味覚のコードであり、「他のコードが味覚のコードのメッセージを翻訳すること」が多い。

この神話で味覚のコードが重視されるのは、人間の寿命の短さの神話は、「火つまり料理の起源の神話」がその入り口の役割をはたしているからである。料理は自然から文化への移行を意味するだけでなく、人間の条件を定義するために最適な営みであり、象徴だからである。

レヴィ=ストロースの探しだそうとしている神話的な思考の基本的に特性は二つある。第一の特性は、神話の統辞法は、自らの規則の範囲内でも完全に自由ではないということである。神話は「地理的および技術的下部構造の制約」(p.346)をうけるからである。形式的には可能なヴァリエーションであっても、その民族の風土や制度、その技術などから、最初から「決定的に排除」されてしまうものがある。

たとえば天の川は暗い天空の中の星の集まりとみることも、無数の星から蛇が食べてしまったところが残っているのだと考えることもできる。蛇に食べられたところは最初から不可能であったところであり、そこに何があったかは、別の民族の神話と比較しなければ、読み取ることはできないのである。レヴィ=ストロースは完全な絵と、「打ち抜き機」で穴をあけた絵の比喩でこれを説明する。

第二の特性は、外部からのこうした干渉や毀損にもかかわらず、神話の意味するものの体系は、もとの意味を保持しようと抵抗するということである(Ibid.)。「それらの意味するものは不在の項が占めていた場を描きつづける」のである。この二つの特性は補完しあうと同時に対立しあう。この力関係から、元の絵を再構成できるのである。

レヴィ=ストロースは最初に基準となるボロロの神話(M1)を語るが、その神話のうちで何の意味もないと思われていた要素が、遠く離れた場所で暮らす民の神話で解読できるようになることも多いのである。この書物ではM187までの神話が考察されるが、突飛な想像力の働きのように思えた物語が、精密なコードで、自然と文化の対立、「生のものと火を通したもの」の対立の物語を描いていることがときあかされる。良質の推理小説を読むかのような驚きと発見を味わうことができるのだ。

最後の章では、世界各地でみられる新年の爆竹やクラクションでの「騒ぎ」の起源を、シャリヴァリと、日食や月食のときの民衆の大騒ぎを例にしなから、これらの騒音は非難すべき結合が起こり、体系に欠如が発生したときに、それを指摘し、埋め合わせようとする営みであることが明らかにされる。こうした儀礼は「横取りするもの(天体を食う怪物、不当な求婚者)を追い払うためではなく、横取りによって生じた空隙を象徴的に埋めるもの」(p.412)なのであるというレヴィ=ストロースの解読は、実に説得力がある。一九世紀頃にはフランス各地で、妹に先に嫁がれた未婚の姉が、サラダを食べさせられたり、「パン焼きがまの上」に乗せられたりした理由も理解できるようになる。五〇〇ページをこえる大冊だが、次々と新しい発見が楽しめるために、まったく飽きることがない。第二冊目『蜜から灰へ』を読むのがいまから楽しみだ。版元によると各巻の構成は次のとおりになっている。

■生のものと火を通したもの
神話論理 I
序曲/第一部 主題と変奏/第二部 I 行儀作法についてのソナタ II 短い交響曲/第三部 I 五感のフーガ II オポッサムのカンタータ/第四部 平均律天文学/第五部 三楽章からなる田舎風の交響曲
早水洋太郎訳 8400円

■蜜から灰へ
神話論理 II
序/音合わせのために/第一部 乾いたものと湿ったもの/第二部 カエルの祝宴/第三部 八月は四旬節/第四部 暗闇の楽器
早水洋太郎訳 8820円

■食卓作法の起源
神話論理 III
序/第一部 バラバラにされた女の謎/第二部 神話から小説へ/第三部 カヌーに乗った月と太陽の旅/第四部 お手本のような少女たち/第五部 オオカミのようにがつがつと/第六部 均衡/第七部 生きる知恵の規則
渡辺公三他訳 [未刊]

■裸の人 1・2
神話論理 IV(全2冊)
序/第一部 家族の秘密/第二部 こだまのゲーム/第三部 私生活情景/第四部 田舎暮らしの情景/第五部 苦い知/第六部 源流に遡って/第七部 神話の黎明/終曲
吉田禎吾・木村秀雄他訳 [未刊]


【書誌情報】
■生のものと火を通したもの
■クロード・レヴィ=ストロース[著]
■早水洋太郎訳
■みすず書房
■2006.4
■504,34p ; 22cm
■シリーズ名  神話論理 ; 1
■ISBN  4622081512
■定価 8000円


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