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2007年06月29日

『訴えられた遊女ネアイラ―古代ギリシャのスキャンダラスな裁判騒動』デブラ・ハメル(草思社)

訴えられた遊女ネアイラ 古代ギリシャのスキャンダラスな裁判騒動 →bookwebで購入

「裁判で読むアテナイの生活」

古代のギリシアは完全な男社会だった。男性は家を支配し、ポリスにおいては政治の世界を独占した。女性が外出したり、戸口から外を覗いたりするのは下品なこととされていた。家の中でパンをやき、衣類を紡ぐ仕事をしたり、女奴隷たちの仕事を監督したりするのが、妻の役割だった。家に客がきても、顔を出すどころか、食事も共にすることがなかった。

だから男たちは祭礼などのまれなチャンスを除くと、外で女性を目にする機会がほとんどなかった。そのためでもないだろうが、町で娼婦をかうのはごく普通のことと思われていた。「売春そのものは完全に合法だった」(p.30)のである。ギリシアの娼婦には(男娼を除くと)三種類あった。

ポルネーというのは街娼で、もっとも安価であり、街路に身を横たえて仕事をした。とくべつなサンダルがあって、そのサンダルで歩くと地面に「いっしょにきて」というギリシア文字が残されるという巧みな仕掛けがあった。ついてきた男と商売をするわけだ(p.22)。もう少しましな娼婦は、アウレトゥリスと呼ばれた。宴会などに呼ばれて笛などを吹き、宴会のあとで、仕事の値段の交渉をするのだ。

もっと高級な娼婦が、ヘタイラと呼ばれた。遊女と訳されることが多い。凄腕のヘタイラは客を自分で選ぶこともできた。アテナイには有名なヘタイラが多かったし、ソクラテスと仲のよいヘタイラもいたことは有名だ。外で女性と食事をともにするという現代の重要な、そしてごくありふれた楽しみは、こうした遊女としか味わうことができなかったのだ。そして遊女たちは、食事のときに楽しく会話ができるように教養を積み、対話の術を磨いたのだ。

この書物は、ヘタイラに近いレベルの遊女であったネアイラをめぐる裁判を分析し、事実を探り、その背景を明かすものである。もっとも裁判の当事者になるのは女性ではなく、この女性を妻として迎えたステパノスという男の苦労の歴史である。この男の苦難をたどりながら、著者は当時のギリシアの社会の状況から、ギリシア人たちの思考方法まで、巧みに描きだすのである。

ネアイラは最初は娼家で育てられ、訓練をうけた。ギリシアの全土に馴染みの客がいたというから、美貌で、会話術も優れていたに違いない。やがて二〇歳台の半ばになると、ネアイラは客に「引かれる」ことになる。娼家の女主人は、まだ高い値段で売れるうちに、投資を回収したかったのだ。

ネアイラはティマノリダスとエウクラテスという二人の男が3000ドラクマで買い取り、共有することになったが、やがて二人は飽きたのか、投資を回収しよう思ったのか、売値をいくらか下回る2000ドラクマ払えば、解放してやると提案した。そのための費用をルネアイラに提供したのがアテナイのプリュニオンという男だった。しかしこの男は扱いがひどく、宴会の席でセックスを強要したりした。ネアイラが酔って宴会の後に輪姦されたこともあった。

たまりかねたネアイラはアテナイから逃げ出してメガラで暮らすうちに、アテナイのステパノスという男と出会い、ステパノスは彼女を妻として迎えることになる。アテナイに戻ったステパノスとネアイラのところに、昔の男のプリュニオンがおしかけてきて、ネアイラは自分の奴隷だと主張する。ステパノスはネアイラが自由な身分の女性だと反論する。こうした最初の裁判が始まり、ネアイラが奴隷かどうかが争われることになる。

戸籍などというもののない当時のギリシアでは、身分の問題は地元の区民の証言によるしかなかった。そこでステパノスは仲裁に応じることになる。この仲裁の結果、ネアイラはステパノスとプリュニオンのもとに「交互に同じ長さのあいだとどまる」ことが決定され、両者はこれに合意したのだった(p.109)。ふたたび二人の男の共有物となったのである。

やがてネアイラはステパノスのもとで暮らせるようになったが、奇妙なことにステパノスがルアイラとメガラから戻るときに、三人の子供を伴っていた。そしてステパノスは息子たちを地元の区に正式な子供として登録していた。これで息子たちはアテナイ市民であることが認められたのである。しかし当時のアテナイでは、ペリクレスの法律以来、両親ともにアテナイの市民でなければ、市民権は認められなかった。ということは、ステパノスが法律を犯したか、子供の母親はネアイラではないかである。地元の住民が異議を唱えなかったことから考えて、子供の母親はアテナイの自由身分の女性だった可能性が高い。

ところが一人娘のパノをめぐって裁判が起こる。ステパノスはパノをプラストルトいうアテナイ人と結婚させていたのだが、何らかの理由でプラストルがパノをほうり出し、持参金3000ドラクマを返却しなかったのである。そこでステパノスはプラストルを訴えるが、プラストルは持参金を払い戻したくなかったのか、逆にパノはアテナイの自由民ではないという訴訟を起こしたのである。さて、今回の裁判はどうなるだろう。

ステパノスはシュコパンテスという告訴人の仕事もしていたらしく、さまざまな裁判を起こし、さまざまな裁判に巻き込まれる。まだまだ裁判はつづくが、残りは本書をお読みいただきたい。著者はアテナイにおける裁判のシステム、法律のシステム、女性の身分のもつ意味、奴隷の身分のもつ意味など、さまざまな歴史的に興味深い事実を、裁判のプロセスを説明しなから説き明かしてゆく。

さらにさまざまな当事者の行動から、事態の真相を見抜こうとする。並の推理小説は顔負けの推理であり、しかも古典学の枠組みを逸脱することはまったくない。パノがアテナイの公職であるバシレウスの妻になって、エレウシスの秘儀を執り行い、後に大騒ぎになるなど、最後まで大波乱が続きハラハラさせられながらもしかもアテナイの生活の諸相がありありと描き出される。。現在に残されているさまざまな裁判の記録の一つずつにも、こうした複雑な背景があったに違いない。すべての裁判に、このような本があったら楽しいのになぁ。

【書誌情報】
■訴えられた遊女ネアイラ 古代ギリシャのスキャンダラスな裁判騒動
■デブラ・ハメル著
■藤川芳朗訳
■草思社
■2006.8
■278p ; 20cm
■ISBN  4794215185
■定価 2000円


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2007年06月26日

『残りの時 パウロ講義』ジョルジョ・アガンベン(岩波書店)

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「メシア思想の解読の試み」

アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』は名著だったが、このタイトルにもなっている「残りのもの」という概念は、旧約聖書でも不思議に思わせる概念であった。神の王国にゆけるのは「イスラエルの残りのもの」というのであるが、それがいったいどんな人々かは、謎のままだからである。

『アウシュヴィッツの残りのもの』ではアガンベンはこの「残りのもの」をアウシュヴィッツの「証人」という意味で使っていたのだった。それは「死者でもなく、生き残った者でもなく、死んでしまった者でもなければ、救いあげられた者でもな、かれらのあいだにあって残っているもの」(同書の二二一ページ)というのだった。

この残りの者の概念をパウロのメシア思想から読みとろうというのが、本書の目指すところだ。そのためにパウロの『ローマの信徒たちへの手紙』の最初の文を細かに分析していくという手段をとる。六日の講義(もちろん七日目は休息日だから)でドゥーロス、クレートス、アポストロス、エウアンゲリオンという基本概念が詳しく考察されるが、それをたんにパウロの政治神学の枠組みにとどめることになく、シュミット、ベンヤミン、アドルノ、アレントなどの現代思想とも結びつけて解釈していく手際はすばらしい。

たとえばベンヤミンのパサージュ論には「アポロの切断」という語がでてくるが、これはアペレスの切断の読み間違いであることを指摘しながら、メシア的な律法をアペレスの切断であると指摘するところは素晴らしい。古代の伝説的な画家のアペレスの切断とは、絵の本物らしさの競争で、アペレスが相手の描いた線の中にもう一本の線を入れることで、「自己の対象そのものはもたずに、律法によって引かれたもろもろの分割を分か」った(p.82)ことである。


アガンベンはパウロが律法を守る者と守らないものの間に、この切断をさしはさむことによって、ユダヤ人と非ユダヤ人という区別が突然にゆらいでしまい、ユダヤ人ならぬユダヤ人と、非ユダヤ人ならぬ非ユダヤ人が登場してくることをまざまざと描き出す。そしてこの区別のうちから「人間とはかぎりなく自己自身に欠けた存在であること」(p.87)という哲学的なテーゼが導かれる。

パウロが明確にした「イエスの時」の難問も、このアペレスの分割の思想で巧みに解明される。ギリシアの思想の伝統を踏まえながら、メシア思想が現代においてもつ意味をときあかす試みは、メシア思想がベンヤミンにおいてもっていた重要性を考えるならば、そしてデリダにおけるメシア思想の復活の意味を考えるならば、どれほど重要であるかは十分に予測できることだろう。

アガンベンは「残りの者」の思想をムルチチュード的な意味で敷衍するところも示唆深い。この概念は「民衆とか民主主義といった観念を、新たな展望にもとに置きなおすことを可能にしてくれる。民衆とは、全体でも部分でもなく、多数派でも少数派でもない。それはむしろ全体としても部分としても自己自身と一致することのけっしてできないもの、あらゆる分割において限りなく残っていて、あるいは抵抗していて、……多数派にも少数派にも還元されたままになっていることのけっしてないものである」(p.94)。アガンベンはこの「残りの者」構造が、「唯一の現実的な政治的主体である」とまで断言するのである。

ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」において、ルターを介してパウロが引用されているという論証は説得力があり、「パウロの〈手紙〉とベンヤミンの〈歴史哲学テーゼ〉という、わたしたちの伝統におけるメシアニズムの二つの最高のテクスト」が、星座的位置関係を形成しているという指摘は、ベンヤミンの思想の宗教的な「根」について、さまざまなことを考えさせる。本書で考察されているパウロの思想と聖書のさまざまな概念について、もっと書きたいことは山ほどあるが、ともかく一読をお勧めする。イエスの時についてこだわり続けている大貫隆と訳者との対談も参考になる。


【書誌情報】
■残りの時 パウロ講義
■ジョルジョ・アガンベン[著]
■上村忠男訳
■岩波書店
■2005.9
■296,12p ; 20cm
■ISBN 4000018175
■定価 2800円


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2007年06月22日

『中世の身体』J.ル=ゴフ(藤原書店)

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「書物としての身体」

本書は、すでに流行のテーマとなった身体の歴史を、古代からルネサンスにいたる中世の時期を中心にまとめたものである。中世の身体は、「調教された身体」としての近代の身体とはことなる意味と象徴をそなえているのである。

ル=ゴフは身体には「ゆるやかな歴史」があることを指摘しながら、身体のさまざまなテーマについて考察する。総花的になっているために、掘り下げは期待できないが、それでも特定の視点に立って、どのような展開が可能かという見通しをつけるには便利だ。

序の「身体史の先駆者たち」では、モースの身体技法から、フーコーの『監獄の誕生』や『自己への配慮』にいたるまでのフランスのさまざまな先駆的な身体論の考察がまとめられている。ぼくたちにはほぼ常識となっている部分も多いが、アナール派にいたるまでの身体史の考察の歴史の簡潔な要約として読める。

第一章の「四旬節と謝肉祭の戦い」では、涙と笑いの考察がとくに興味深い。イエスは三度泣いたとされているが、一度も笑ったことは記録されていない。涙は信仰者にふさわしく、笑うことは異端的な意味をもっていたのである。キリストの涙は「身体の液体の象徴的な表現」であり、「神と人間の間の媒介物」としての身体の意味をあらわにする(p.101)

さらにシリアやエジプトの荒野の教父たちは、涙を「精神生活の中心の一つに据えた」(p.99)。泣くことの勧めは、「古代後期のキリスト教における肉欲の放棄に関わっているのだが、それは何より、涙が禁欲者の支配の対象たるべき身体の液体の体系の中に含まれているからである」(同。ただしピロスカ・ナジの書物『中世における涙の贈物』からの引用である)。

泣くことは身体の液体を排出することであり、「身体がこれを罪深い性的使用に充てることを防ぐ」(同)というわけだ。身体の液体のエコノミーにおいて、涙は重要な役割を果たすことになる。「自らの過ちに涙を長すことができないものは修道士ではない」(p.104)というところまで進むことになる。

これにたいして笑うことは、アリストテレスの主張にもかかわらず(笑いは人間に特有のものである)、キリスト教の伝統では一二世紀まで、汚名にまみれてきたのだった。笑いの場所は下腹部にあるとされ、目の涙とは対照的に「劣った」場所から発生するものとされた。「笑いは腹から、つまり身体の悪しき部分から沸いてくる」(p.107)のだ。ある修道院の戒律では、会合の間にひそかに笑うものは「六度の鞭打ち」、高笑いは「断食」で罰せられていた(p.110)のである。

第二章「生と死」では、とくに身体の医学をめぐる記述が冴えている。中世においては「身体そのものは存在しない。身体はつねに魂に貫かれている」(p.171)のであり、魂は救済すべきものである。だから「医学とはまず魂の医学であり、身体を経由するにせよ、そこにとどまることはない」(ibid.)のである。身体が科学的な考察の対象として、魂の配慮から独立するのは、近代にいたってからであり、それまでは医学は神学から独立してはいなかったのである。「魂の医学は、同時に苦しむ身体をも引き受けていた」(p.172)のである。

そして身体は同時に、一つの「書物」のようなものでもあった。医者たちはガレノスの書を参考にしながら、死体を解剖し、そこに理論の正しさの証拠を「読み取る」必要があった。ガレノスの理論の「縛り」の強さのために、ガレノスの理論の間違いの証拠が発見されても、それを正しく解釈することができなかった経緯は有名だが、当時の医学は新しい発見をもまた、「ガレノスの理論」として主張していたことも忘れてはなるまい。医学的な発見は「ガレノスの仮面の下で」(p.168)行われてきたのである。

第三章の「身体の文明化」ではまず、料理の伝統がたどられている。ヨーロッパには二つの食生活のモデルがあった。麦の文明(麦-ワイン-油)と肉の文明である。麦の文明はローマの地中海的な伝統であり、肉の文明はゲルマンの伝統である。これは最初は文明と野蛮の対立として感受された。後にはわずかに変容して、「異教的で民衆的な飲み物であるビールと、もう一方のキリスト教的で貴族的なワインの対立」(p.201)という軸に移行する。どちらにしても腐敗しやすく、除菌されていない水は好まれなかったという。

それでも貴族たちとて、肉を食べなかったわけではないし、森の重要性が中世を通じて高まるのはよく知られていることだ。後には狩猟は貴族が独占するようになる。そして料理は本職の料理人が担当するようになり、家庭の女性は母親から学んだ味を伝えるにすぎない(p.208)。本物の料理とは、料理人が作るものだったであり、「お袋の味」は庶民的な料理、「ほんものでない」料理の代表だったわけだ。

第四章「メタファーとしての身体」では心臓の地位の向上が興味深い。一二世紀にすでに心臓信仰が発生し、聖ベルナールは「イエスの柔らかな心臓」を称える(p.242)。やがて十字架のイエスの傷跡は、最初の右脇腹から、心臓の場所へと移される。一七世紀には、心臓のメタファーが進化して、イエスの聖心崇拝にまで進展する。王の心臓を祭る「心の塚」(p.244)など、まだまだ研究が必要な分野は多い。この章では肝臓、手、目、頭、足など、さまざまな身体の器官のもつメタファーが簡潔ながら一覧されるので、便利だ。

もう少しそれぞれの記述を掘り下げてほしかったとは思うが、それはこの書物の役割ではないということだろう。巻末の中世における身体論の文献リストも役立つ。とくにこの本で感心したのは、写真である。本文の記述に関連した中世の美術の写真が、訳者の一人の池田健二の選択により、それも池田氏がみずから撮影した写真を中心に掲載されている。これまで撮り溜めてきた写真なのだろうが、これは原著にはなく、日本版だけにあるもので、議論が写真によって視覚化されることで、本文の記述が深みをそなえてきた。

【書誌情報】
■中世の身体
■J.ル=ゴフ[著]
■池田健二,菅沼潤訳
■藤原書店
■2006.6
■302p ; 20cm
■ISBN  4894345218
■定価 3200円


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2007年06月19日

『トラウマ・歴史・物語-持ち主なき出来事』キャシー・カルース(みすず書房)

トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事 →bookwebで購入

「トラウマと死の欲動」

心的外傷とも訳されるトラウマという概念は、最初は精神分析の世界で使われていたものだった。フロイトは第一次世界大戦の兵士たちがかかる奇妙な神経症の症状に注目した。この戦争の歴史を変えた初めての近代的な戦争において、死の危機に直面して生き延びた兵士たちが、悪夢の瞬間を際限なく反復し、兵士の任務をはたせなくなっていたのである。

外傷神経症にも似たこのような兵士の神経症は、最初は仮病とみなされて処罰されたが、この疾病の利得よりも害のほうが本人の兵士にとっても大きいことが明らかになってから、これは疾病であることが認識されるようになった。フロイトの精神分析が医学界で正式に注目されるようになったのは、このトラウマの治療に役立ったことが大きく貢献した。第一次大戦後の精神分析の国際大会には、ヨーロッパの数か国の政府の代表がオブザーバーとして参加しているのである。

現在ではトラウマはPTSD(心的外傷後ストレス障害)としてごく普通に語られるようになった。生命の危機に直面した人々は、自分が生き延びていることを喜ぶだけでなく、それをあたかも恨むかのような障害を起こすことがあるのである。本書は、このトラウマの記憶のもつ意味をさまざまな観点から考察しようとするものである。

最初の章ではフロイトの『モーセと一神教』を中心に、トラウマの概念が登場した背景を探ろうとする。フロイトはナチスの迫害から逃れてロンドンに亡命してから、この書物に執筆に熱中した。ウィーンから離れるのが遅すぎたために、娘のアンナはゲシュタポに逮捕されたこともあり、フロイトの五人姉妹のうちの三人はアウシュヴィッツで死亡、一人はゲットーで飢え死にしている。

フロイトにとっては、自分はロンドンに逃れることで「生き延びた」のだが、家族を救うことはできず、そのことに辛い思いをしたのだった。そしてフロイトは『モーセと一神教』の中でユダヤの民の歴史を追跡しながら、生き延びることの意味を問いつづける。そしてユダヤの民を、トラウマに巻き込まれながら歴史を作った民として考察するのである。この書物での「フロイトの洞察の中心は、トラウマ同様、歴史もまた決して一個人のものではありえず、互いのトラウマに巻き込まれるそのかかわりあいそのものが歴史となるということ」(p.35)だったのである。

第二章はデュラスとレネの『ヒロシマ私の恋人』を小説と映画の両方から考察し、記憶と想起のテーマを展開する。日本人男性とフランス人女性は、たがいに生き延びた歴史のうちで、トラウマをかかえていたのであり、そのことゆえに、たがいに理解かしあい、愛しあうことができるようになった。しかしこの物語が明らかにしているのは、愛し合うふたりが語りかけているのはたがいにまったく別の人物であり、まったく別の物語を語っているということだった。「呼びかけあうことで互いを理解しようとするうち、その理解に裂け目を作り出すようなそんな関係にあってこそ、二人のトラウマ的歴史は、各々別々の歴史として出現してくる」(p.62)しかないのである。

第三章ではふたたびフロイトの『モーセと一神教』と『快感原則の彼方』に戻りながら、トラウマと生存の問題がとりあげられる。ここで孫のエルンストの「いないないばあ」遊びが取り上げられるが、これは第五章のラカンの考察とうまく符号する。エルンストは母の不在という経験をみずからコントロールすることで、大きな喜びを得てていたのだが、それはみずからの死を先取りするという意味ももったのであり、その反復にはどこか外傷神経症と共通するところがあったのである。

フロイトはここから死の欲動という概念をとりだすが、この概念はトラウマと深く結びついている。この概念を歴史との関係で考察してみれば、著者が語るように、「歴史の暴力性が人間精神に与える破壊的な力が実在すること」と「歴史が、過去の暴力を果てしない反復していくことで形成される」ということだろう。トラウマは目をふさぎたいところへと無意識のうちに連れもどす力があるのであり、自分の一番やりたくないことを反復させる力があるようなのだ。

第四章のド・マンの文章をめぐる考察は、トラウマ論としてはどこか掘り下げが足りないような印象をうける。カントとクライストのテクストをめぐるド・マンのこの文章は、デリダの『パピエ・マシン』を訳したときからずっと気になっている。この文章の分析はぼくの宿題ということにしておきたい。

最後の章のラカン論は、トラウマの倫理的な契機を考察して興味深い。ラカンはフロイトがあげている蝋燭の夢を分析しながら、「トラウマ的出来事は偶発的に起こったように見えるが、実は、それは、意識の中心にある基本的かつ倫理的ジレンマが表出したものである」と考えていることを指摘する。「現実界と倫理的な関係を結ぼうとしてわれわれはめざめ、それは、人間の意識の核心にとって応答不可能な要請として現れるというかたちでしか取り結べない関係であることが明らかになる」(p.151)。フロイトが考えたように、トラウマは「すべての意識と生命の源にある」(Ibid.)ものなのかもしれない。生命は無機物(死)から生まれるのであり、トラウマはこの生の前の死を反復するものかもしれないのだ。

【書誌情報】
■トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事
■キャシー・カルース[著]
■下河辺美知子訳
■みすず書房
■2005.2
■209,8p ; 20cm
■原タイトル: Unclaimed experience.
■ISBN 4622071096
■定価  2800円


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2007年06月15日

『承認の行程』ポール・リクール(法政大学出版局)

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「哲学の舞台裏」

この書物は、承認reconnaissanceという語にこだわりながら、この語とその概念を「哲学素」として構築しようとする試みである。哲学のスタンスとしてまっとうすぎるほどまっとうな試みで参考になるだろう。

ただ読み終えて何となく苦みが残って気になった。リクールのスタンスはまっとうであり、引用する文献も古いものから同時代のものにいたるまで広範であり、九〇歳を超えてもまだまだやれるという「励み」を与えてくるにもかかわらずだ。

われながら不審に気持ちがして考えたみたのだが、その「苦み」はリクールの手つきがあまりにみえてしまうことによるのではないだろうか。リクールが原稿を書きながらつぶやいている声が聞こえるような気がするのだ。たとえばこんなふうに。

              ****

最初はこの言葉がフランス語の歴史の中で登場した経緯と、辞書的な解説から入ろう。そしてヘーゲルの弁証法の構図を借りて(リクールは方法論的にはヘーゲリアンなのだ、ぼくもだけど)、第一部は「わたしが再認する」、第二部は「わたしが他者から再認される」、第三部は「わたしたちがたがいに承認しあう」とすればいいだろう。そしてタイトルはヘーゲルの『精神現象学』の精神の「旅」にならって「行程」と名づけておこう。

第一部のところではまず近代哲学の端緒となったデカルトから始めて、自己による世界の認識と再認という認識論を考察しながら、「真なるものと偽なるものの区別」という意味をとりあげておく。次にカントの「知覚の予料」のところから同一性の認識における図式論の問題点を取り上げておこう。ついでのカントの超越論的な哲学の限界を指摘しながら、フッサール、レヴィナスとつないで、現象学の方法の優位を指摘しておく。フッサールのメロディーと記憶という時間論も、カントとのかかわりでいれておけばふくらみがつくな。

第二部は他者によって自己が再認されるところ。哲学とは少し離れるけど、これはオデュッセウスがイタカの我が家で本人と再認される逸話が抜かせないな。妻ペネロペによるあの劇的な再認!

次はギリシアから近代に飛んで、自己の再認における自己反省性をとりあげよう。それは「わたしはできる」というフッサール的なところから初めよう。この「できる」は弁証法的に構成すると「わたしは言うことができる」「わたしは為すことができる」「わたしは語ることができる、しかも自己に向けて語ることができる」となるだろう。ここでついでに分析哲学の「語ることによって為すこと」という論点を導入しておきたい。

この語る自己から出てくるのは、約束する自己と責任を負う自己、そして記憶する自己だ。もちろん約束と責任のところでニーチェとアレントをだすのを忘れないように。記憶する自己はアウグスティヌスからはじめる。記憶論はもうずいぶん書いたから簡潔に。

第三部は本書の核心だ。まずヘーゲルの主奴論における承認論。これはお約束だ。ただコジェーブがすっかり書いているので、ここはコジェーブに言及しておけばいいだろう。ホッブズの自然状態とヘーゲルがいかに対決しているか、もう少しほりさげたかったな。それよりもイエナ期の「実在哲学」の頃のヘーゲルをテーマに、最近討論の相手になっているホネットの承認論と取り組むことにしよう。

ホネットは愛、法、社会的な尊重という三つのレベルで相互承認について論じている。愛はもちろん家族の圏域だから、ここではアレントの「誕生」の概念の重要性を指摘しておきたい。法のところでは民主主義的な参政権の問題に軽くふれておこう。社会的な尊重のところでは、多文化的な相互承認というグローバリゼーションの時代に重要になったテーマをとりあげおきたい。

最後に私に固有な論点として、アガペーを論じる。相互承認という問題が全体性への包合というヘーゲル主義的な「罠」を隠しもっていることを指摘したのはユダヤ思想のレヴィナスだった。レヴィナスはこれに対抗するために「他者」の概念を提示したのだった。しかしキリスト教の思想にはこの「罠」を逃れるための重要な契機がある。神を通じた相互的な愛であるアガペーだ。この超越的なものを介在させることで、他者を「わたしたち」の全体性にとりこまずに、承認することができる。うん、これで一丁あがり。
             ****

と、リクールが呟いていたばずもないのだが、なぜこれが苦く感じられるかというと、これはぼくがこれまで哲学の概念を考察しながらやってきた方法でもあり、これからも使うだろう方法だからだ。何もこんなに楽屋裏をさらけださなくても(笑)。


【書誌情報】
■承認の行程
■ポール・リクール[著]
■川崎惣一訳
■法政大学出版局
■2006.11
■387,10p ; 20cm
■原タイトル: Parcours de la reconnaissance.
■ISBN  4588008544
■定価 4300円



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2007年06月12日

『もうひとつの中世のために--西洋における時間、労働、そして文化』ジャック・ル・ゴフ(白水社)

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「労働の時間」

本書は中世学の泰斗であるジャック・ル・ゴフの論文集である。といっても五〇〇ページ近い大冊で、次の四部で構成される。第一部「時間と労働」、第二部「労働と価値体系」、第三部「知識人文化と民衆文化」、第四部「歴史人類学の構築に向けて」。

合計一八章で構成されるそれぞれの部分は、いずれも興味深い議論が展開される。もはや権威者となったル・ゴフであるが、方法論的にも内容的にも次々と新しい提案を示し、権威によりかかることがないのは、さすがである。

ル・ゴフがとくに有名になったきっかけである労働論と時間論は、本書の中心を占めるものだろう。この二つの議論は、とくに利息の問題をめぐって結びついてくるのである。フランシスコ会のある博士は、商人が掛け売りした場合には、現金払いのときよりも高い料金を要求できるかどうかという問いをたてる。そしてそれを否定する。その論拠は、その場合には商人は時間を売っていることになり、自分のものでない時間を売ることは「高利貸し」となるからである(p.50)。

商人は空間的な差異による価格の違いで設けるか、販売と支払いの時期の時間的な差異による利息でもうけるのが常だった。豊作のときに備蓄しておけば、飢饉になってから高い価格で売ることができる。貨幣価値の高いときに購入し、低いときに売却すれば差益をえることができる。そのためには「情報と通信のネットワーク」が必要になる。

この商人の時間に対立するのが「教会の時間」であり、「神にのみ属し、利益の対象とならない時間」(p.51)である。これは大学における教員の報酬という意外な問題につながる。大学で教員が自分の知識を「切り売り」することには強い批判があった。商人が自分のものでない時間を売ることは高利貸しとみなされたが、大学で神のものである学問を教えて収入をえることは、高利貸しと同じ意味をもったからである。

この難問を解決するために導入されたのが「労働」という概念だった。商人は、共同体のために必要な資材を調達し、飢饉のときには必要な食料を提供する。商人は神の時間を奪って自分のものとしているのではなく、共同体の必要性のために「労働」しているのである。「労苦は単に職業の行使だけでなく、それがもたらす果実を正当なものとする」(p.110)のである。さらに商人は仕入れたものが売却できないというリスクを負っている。「偶然に由来する危険」の概念によって、「高利貸しは広く認容されるようになる」(p.112)。

同じく大学の教師たちの報酬は、「彼が学生のために行う労働によって正当化されるようになる。大学人の報酬は彼の知の価額ではなく、労働にたいする賃金なのである」(p.110)。同じプロセスを経て、それまで禁じられていたさまざまな職業の正当化が行われる。娼婦は「香水をつけ、偽りの魅力で惹きつけるために飾り立て」る場合には、客に虚偽のものを販売しているのであり、そこから得た利益を保持することはできない。しかし「肉体を貸し、労働を提供する」者としては、「その労働の対価を受け取るとき、彼女の行動は悪くない」のであり、その利益を保持することができるのである(p.114)。なんともはや(笑)。

第一部は労働と時間というこのテーマをさまざまに展開するが、少し対象が異なるのが第七章の農民論である。著者は古代のラテン文学では農民が重要な人物だったのに、中世に入ると農民の姿が文学から消滅していくことに注目する。その背景にあるのはキリスト教の普及とともに農民の概念に大きな歪みが生じたことにあるとみられる。

まずキリスト教の世界では、労働を蔑視する三つの重要な遺産をうけついでいた。一つは奴隷労働によって生活し、無為(otium)を誇りとする階層によって形成されていたギリシア・ローマの遺産である。第二は軍事的な生活を優先し、必要なものは略奪によってえようとするフランク・ゲルマン的な伝統である。第三は観想的な生を最高の生とみなすユダヤ・キリスト教の遺産(これはもちろんギリシアの遺産でもある)(pp.151-152)。こうして農民は社会的な意義のないものとみなされるようになるのである。

農民はこの時代には何よりも、パガヌスという「異教徒」として登場する。「中世初期の農民、それはほとんど人とは思えない怪物の再来である。農民は「罪人であり、生まれながらにして悪徳を本性とする人間」である。「淫乱で酒びたり」であり、「性病が罪のしるし」であるような人間なのである(pp.155-156)。そして都市では貧民であり、危険な階層であり、偽の預言者、「民衆の宗教的な指導者とその徒党」(p.159)を輩出する階層である。農民はやがて経済の再生とともに文学にふたたび登場するが、そのときでも「ヴィラン」であり、「軽蔑される存在であり、淫らで、危険で、識字能力をもたない」存在であり、「人よりも獣に近い姿を保持している」(p.160)のである。中世のキリスト教の教会の想像力においては、民衆は異教に近く、野蛮で、危険な存在であり続けた。

この大衆の問題は、キリスト教の根本的な変容と大きなかかわりをもつものだった。第三部の第一二章では、キリスト教が社会に根付くにあたって引き受けざるをえなかった「犠牲」について考察される。四世紀の初頭、ローマ帝国にキリスト教が広まった当初は、それを担っていたのは「都市の中・下層の階級」だった。農民大衆と貴族はほとんどその影響を受けていなかった」(p.255)のである。

ところが経済が収縮し、官僚制が発達すると、この層が上昇し、これがキリスト教の「突破」(p.256)をもらたす。しかしキリスト教の勝利が確実になる頃には、この階層はすっかり衰退していた。「貴族、続いて農民大衆という中継者を得て、キリスト教は社会に根付く」。しかしそのときに「数多くの変形」をこうむるという犠牲を払うことになる。「主に農民からなる俗人たちは公認の異教の後退に伴って再生しつつあった原初的な文化の波にさらされることになった」(ibid.)のである。

ミトラなどの異教をキリスト教は退けることができたしても、ゲルマンやフランク族の土着の文化からの影響は退けることができず、これを受け入れ、修正する形でしか、普及することができなかったのである。そしてときには「遮蔽」するためのエネルギーが投じられ、それがキリスト教にさまざまな歪みをもたらすことになった。

この民衆文化とキリスト教の拮抗関係が第三部の主要なテーマとなるのである。とくにマルセルと竜の逸話や、羽衣伝説とも似たメリュジーヌの物語における土俗的な想像力についての考察は興味深い。『黄金伝説』などの聖者伝も、こうした土俗的な想像力の上にしか成立しなかったのである。

第四部では一八章「家臣制の象徴儀礼」が方法論的にも興味深い。著者は文化人類学的な考察をかりながら、封建的に主従関係が成立するときに行われる儀礼について考察し、これが契約関係ではなく、養子取りのような家族的な関係に依拠したものであり、これを考察するには、ローマ法よりもフランク・ゲルマン系の法律を参照する必要があることを強調する。

また叙任権闘争のために、封建制の主従関係が「政治的な参照枠」に基づいているようにみえるが、これは「西洋中世の家臣制のシステムにはまったく無縁であるか、せいぜい副次的な意義しか」もたないという指摘も重要だろう。中世人すらときにこの政治的な枠組み、宗教的に枠組み、家族的な枠組みを混同していたのだった。

この書物はたんに中世のさまざまな問題点についてぼくたちの蒙を開いてくれるというだけでなく、中世の研究、歴史的な研究に精神分析、文化人類学、宗教学などのさまざまな学問手法を導入する手続きについても考えさせてくれるという意味でも、貴重なものだろう。

【書誌情報】
■もうひとつの中世のために : 西洋における時間、労働、そして文化
■ジャック・ル・ゴフ[著]
■加納修訳
■白水社
■2006.12
■503,10p ; 22cm
■内容細目
第一部
□時間と労働 ミシュレの中世たち
□中世における教会の時間と商人の時間
□一四世紀の「危機」における労働の時間
□九~一二世紀キリスト教世界における三身分社会、王権イデオロギーならびに経済の再生についての覚え書き
□中世西洋における合法的な職業と非合法の職業
□中世初期の価値体系における労働、技術、職人(五~十世紀)
□中世初期文学における農民と農村世界(五~六世紀)

第二部
□労働と価値体系 一五世紀パドヴァにおける大学の諸費用
□中世の聴罪司祭手引書から見た職業
□中世の大学人は己をどのように理解していたか
□中世とルネサンス期における大学と公権力

第三部
□知識人文化と民衆文化 メロヴィング文明における聖職者の文化とフォークロアの伝統
□中世の教会文化と民俗文化-パリの聖マルセルと龍
□中世西洋とインド洋-夢の地平
□中世西洋の文化と集合心理における夢
□母と開拓者としてのメリュジーヌ

第四部
□歴史人類学の構築に向けて 歴史家と日常的人間
□家臣制の象徴儀礼
■ISBN 456002622X
■定価 7800円


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2007年06月08日

『旅するニーチェ -- リゾートの哲学』岡村民夫(白水社)

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「リゾートの旅人」

これはいかにもあって不思議でなかったし、なかったのが不思議なような本だ。ニーチェの著作にはさまざまな滞在地とさまざまな旅が記載されている。ニーチェの思想はヨーロッパのリゾート地を歩くことで「熟れた」のであり、その風土学的な背景は当然ながら考察されるべきだった。永遠回帰の思想が訪れたシルス・マリアの地がどのような環境にあり、どのような場所なのか、それはニーチェ研究にとっては重要な問題だろう。

それなのにぼくの知る限り、ニーチェの滞在地を実際に足で歩いて、ニーチェの思想的な「熟れ」を追跡するという本はなかったように思う。この本は、ヨーロッパにおけるリゾート地の誕生とニーチェの思想的な関係を考察しながら、実際に足で歩いて書かれた書物として貴重である。

著者はまずニーチェがリゾート地を放浪したきっかけとして、ドイツからの離脱という側面があったことを指摘する。国家主義的な教育が盛んな地で、国民国家として誕生しつつあった当時のドイツの「ドイツ臭さ」を全身に浴びて生まれ、育ったニーチェにとっては、そこから離脱することが重要な課題となったのだった。「西洋近代という大きな病ゆえに、私はここまで深く〈ドイツ〉という小さな病に冒されてしまった--これが彼の根本的な自己省察である」(p.26)というのはたしかだろう。

それに時代的な背景もあった。ドイツでは1835年に初の鉄道が開通している。ニーチェは「鉄道の子供」(p.40)であった。それまでのヨーロッパの文人は馬車で旅行していたのだが、鉄道は時間を短縮するだけでなく、風景をパノラマ化してしまう。そして「鉄道の辺境への発展を追うかのように、ニーチェの旅は企てられている」(p.42)。「ニーチェの旅行時代は、アルプスから地中海にかけての地域のリゾート開発・観光開発の一大発展期のなかにすっぽりと収まる。大半の著書の故郷はリゾートなのだ」(p.45)。

しかし数年つとめた大学教授の年金は、給与の2/3の額だったというが、年金でリゾート地をめぐっていたニーチェが少しうらやましくもある。スイスやイタリアの高地やフランスのビーチを歩き回って思索をつづけるというのは、なんともぜいたくではないか。観光地として登場したばかり土地だけに、食事も安く、おいしかったという。いまのニースやトリノの感覚とは違うだろうし。

本書の中心となるのは、ニーチェが長期にわたって滞在したリゾートを実際に歩きまわってニーチェの思想的な発見を追跡する第四章だろう。この章では五つのリゾート地が選ばれている。まずニーチェはジェノヴァに八回、そのうちの二回は半年近く滞在している。『ツァラトゥストラ』はここで「基本構想が結晶」した(p.132)。ヴェネツィアには五回、ほぼ毎回、二~三ケ月の滞在だ。ここでは『曙光』をガストに口述筆記してもらっている(p.137)。

アルプス高地のオーバー・エンガディンは「文字どおり高山と湖のみの地帯」(p.151)であり、ニーチェはここに八回、毎回数か月滞在している。ニーチェがすっかり気にいったシルス・マリアは七回も訪れている。サン・モリッツでは『人間的な、あまりに人間的な』IIの第二部の草稿が書かれている。有名な霊感が宿った湖の写真などをみていると、つい思いにふけったりしてしまう。

ニースには五回、多くは半年以上の滞在だ。筆者はニーチェがインスピレーションをえる場所の地形的な特徴の共通性を指摘していて興味深い。一)湖であれ海であれ、豊かな水の広がりを焦点としていること、二)山中を曲折し上下する野趣に富んだ道であること、三)その結果、歩みにしたがっパースペクティヴが次々と変化し、途上は全景がわからない--ときおり水面が垣間見られる--が、到達点からは、振り返る形で歩いてきた行程の全体が見渡せること(p.167)。

最後に歩かれているのはトリノで、ニーチェはここがすっかり気にいって、ニースからひっ越してきた。二回目は一八八八年九月から一八八九年一月九日まで。ここでニーチェは狂気に陥ったのだった。本書の最後の章では、ニーチェの「病気」論が考察されるが、何よりも楽しめたのは、ニーチェとともに旅をする四章だった。ここを書き込むと、もっとニーチェ論としては突っ込んだものとなったのではないかと思う。それは別として、写真も豊富で、楽しみながら読めるニーチェ論としてお勧めだ。

【書誌情報】
■旅するニーチェ リゾートの哲学
■岡村民夫著
■白水社
■2004.8
■231p ; 20cm
■ISBN 4560024448
■定価 2400円


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2007年06月05日

『父フロイトとその時代』マルティン・フロイト(白水社)

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「フロイトのウィーン」

フロイトには三人の息子と三人の娘がいた。息子たちはマルティン、オリヴァー、エルンストであり、娘たちはマティルデ、ゾフィー、アンナである。息子たちは精神分析からは遠い世界で育ったが、末娘のアンナだけは父親から精神的にも身体的にも離れようとせず、精神分析の世界で活躍することになる。

この書物は長男のマルティンがフロイトの生誕百年が祝われた年に書き始められた記録であり、フロイトが生きていた時代と世界がありありと描きだされる。新しいフロイトの伝記で、これからも標準的な伝記として参照されるはずのピーター・ゲイ『フロイト』にもこの書物からの引用がたんさんあり、馴染みの逸話も多い。しかしもとはこの書物が参照されていたのだ。

ごく身近な目からみたフロイトが描かれているだけに、フロイトがどのような人物であったかを、フロイトの書物とは別の形で思い浮かべることができる。同時に、フロイトが生きたウィーンが当時、どのような雰囲気だったも感じとることができるという意味で貴重な作品である。ついでにウィトゲンシュタインのウィーンを感じとることもできるだろう(フロイトの生年は一八五六年、ウィトゲンシュタインの生年は一八八九年だ)。

まだナチスの脅威のなかった頃のウィーンで、フロイト一家はまさにブルジョア的な生活を送っていた。それは毎年の夏に一月以上をかけて、さまざまな避暑地で休暇を過ごしていることにも象徴されるだろう。マルティンの記憶は、避暑地における休暇の記憶でつづられているといってもいいくらいだ。

そしてフロイトは避暑地を探すことに、情熱を傾けていたのである。「家族が夏休みを過ごす場所を選ぶのは、いつも父の役目だった。父はそれをとても真剣に受け止めていた。実際、これは後年、父が家族の気に入るだろうと思われる場所を探して山々を歩き回り、一種の開拓者の役割を果たすようになると、芸術の域に達した」(p.68)ほどである。

当時はまだ帝国だったオーストリアのすべての人々がこうした休暇を楽しんでいたわけではなかった。マルティンが砲兵隊に入隊したころ、歩兵の部隊では「一九一四年になってまだ、羊毛の靴下を支給されていなかった。渡されたのはフランネルの四角い生地で、それで足を丁寧にくるみ、長靴に押し込むのだった」(p.169)という状態だったのである。

そしてやがてナチスの足音が聞こえてくるようになると、オーストリアではユダヤ人差別の嵐がふきすさぶようになる。ドイツと比較しても、オーストリアの一般の人々の迫害は厳しいものだったという。「特に奇妙に思われたのは、住人がユダヤ人を見たことが滅多にない、あるいは一度もない、オーストリアのアルプスの小都市や小村で、反ユダヤ主義が際立っていることだ」(p.256)。アルプスの町々にユダヤ人を迫害せよというナチスの命令が届くと、「命令に従うこと不可能。ユダヤ人を送られたし」という電報を送ったのだという(これがブラック・ユーモアでないかどうかは不明だが)。

フロイトが生涯の最後において必死に取り組んだ書物は『人間モーセと一神教』であり、この書物の裏のテーマは西洋の文明における反ユダヤ主義の謎を解くことだった。ユダヤ人差別に苦しんだマルティンもまた「伝説やメルヒェンで何世紀にもわたって育まれてきた憎悪が、いつか消滅する時がくるかどうか」を疑問に感じているのである(Ibid.)。父親の悩みと苦しみは、同時に息子の悩みと苦しみでもあった。

マルティンは精神分析の世界には入らなかったが、父親から「分析」をうけたことが一度だけあった。精神分析は、患者に語らせることによって治癒をめざすのだが、息子も同じ手当てをうけたことがあったのである。この書物でいちばん印象のふかいところなので、引用しておこう。

マルティンは幼いころ、スケート場で罪もないのに平手打ちされるという屈辱を味わったことがあった。反撃しようとしても、皆に押さえられて、激しい怒りと屈辱感を経験したのである。帰宅して家族にその話をすると、父親は息子を自室に呼んだ。息子は自分の名誉が傷つけられたこと、そしてそのことを深刻に思っていることを詳しく語ったのだった。

「僕は細部にわたるまでよく覚えていたのだが、父が何を言ったのかということだけは、ほとんど思い出せない。覚えているのはただ、魂を破滅させるほどの悲劇に思えていたことが、ほんの数分後には普通のバランスを取り戻していたことだけである」(p.58)。マルティンは父が催眠療法を用いたのか、精神分析をしたのかと自問しながら、アルプスの猟場の番人の譬えで説明する。

「あるときバイエルンのアルプスで、猟場番人が密猟者の網にかかった小さな動物を逃がすところを見た。とても慎重に、一つずつ、小動物を捕らえている網の糸をはずしにかかる。決して急がず、動物が暴れても忍耐強くそっと押さえている。やがて食い込んでいた糸が残らずはずされた。自由になった動物は好きなところへ行き、すべてを忘れることができた」(Ibid.)。これはトラウマの処置のために、まことにわかりやすい譬えだと思う。

【書誌情報】
■父フロイトとその時代
■マルティン・フロイト 著
■藤川芳朗 訳
■白水社 2007.4
■314p 20cm 2800円
■ISBN  9784560024508



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2007年06月01日

『ブランショ政治論集:1958-1993』モーリス・ブランショ(月曜社)

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「異議申し立ての権利」

これはもちろんブランショの戦前の政治論集ではなく、戦後の政治的な論文を集めた書物である。大きくわけて三つのテーマの文書が集められている。アルジェリア独立戦争をめぐる文章、一九六八年五月「革命」をめぐる文章、そしてハイデガー問題をめぐる文章である。どれも短い文章ながら、ブランショの独特なスタンスをはっきりと示している。

アルジェリア問題に関する文章群で特徴的なのは、ブランショが一人の知識人として、異議申し立てを行う「権利」を明確に意識し、主張していることである。アルジェリア問題についての有名な「一二一人宣言」は、当時の代表的な知識人であるサルトルを巻き込む形で、それまで政治的な発言とは無縁に思われていた知識人たちが異議申し立てを行ったことで注目を集めた宣言だった。

この宣言では最初、「不服従の義務」という言葉が書かれていた。これをブランショの提唱によって「不服従の権利」という表現に変えたのだった。それについてブランショは次のように語っている。

「義務があるとすれば、あとはもう、わき目も振らず、盲目的にその義務を遂行するだけです。そうなればすべては単純です。これとは反対に、権利は、権利そのものにしか送り返されませんし、その表現である自由の行使にしか送り返されません。権利とは、各人が自分のために自分に対して責任をもち、完全かつ自由に自己を拘束する自由な力なのです。これ以上強いものも、これ以上重大なものもありません」(p.51)。

フーコーはかつてパレーシアという概念で、異議申し立てを行う権利を考察したことがあった。これはもともと古代ギリシアのポリス、とくにアテナイで、その市民だけに認められた権利だった。自分の言いたいことを、自分の責任において、あえて語りだす権利である。ブランショがここで主張しているのも、現代の社会の中で、知識人として発言することを「義務」とみなすのではなく、最高度の自由を確保する「権利」とみなすということだった。サルトル宛ての書簡でも語られているように、知識人はこの権利を行使することで、「自分が体現している新たな権力を意識」(p.58)するようになったのである。ここれは「権力なき権力」(Ibid.)であり、サルトル的な知識人の特権とは異質なものだったのである。

一九六八年五月をめぐる文章においては、エクリチュールにたいするぶランショのこだわりが興味深い。ブランショはこれらの政治的な文章を書物として刊行することはなかったが、それはこれらの文章には書物にそぐわない性質があると考えていたからのようである。これらの文章は、有名になったいくかの壁の落書きのように、書物としてではなく、落書きとして、パンフレットとして、スローガンとして書かれ、読まれるるべきものであり、その時代の空間の中で散乱し、消滅してしまうべきものだったのである。

日本でも一九六八年五月にはこうした文章が大学をおおっていたのだった。タテカンをチェックし、ビラをもらい、集会に顔をだすのがぼくたちの日課だった。後にこうした文章は書物化されたこともあったが、それはもはや記念物にすぎなかった。ブランショはこうした文章が書物といかに異質なものであるかについて、こう語っている。

「街路の慌ただしさを反映するビラ、読まれることを必要とせずむしろあらゆる法に対する挑戦であるかのようにそこにあるステッカー、無秩序への指令、言説というものの埒外で歩調を刻むような言葉、叫ばれるスローガン、そしてこのパンフのように一〇頁ばかりのパンフレット、それらはみな攪乱し、叫びかけ、脅威を与え、そして最後に問いを発するが、答えは期待せず、確かさの上に安住しようとはしない。私たちはそうしたものを決して書物のうちには閉じ込めまい。開かれているときでも閉じることへと向けられている、抑圧の洗練された形態に他ならない書物の中に」(p.177)。

『書物空間』と『来るべき書物』の著者であるブランショはまた、書物というもののもつ「罠」の所在にもひときわ敏感だったのである。散逸するにまかされるべき文章が書物に、まとめられるときに、どのような変質をこうむるかについて、鋭い洞察をもっていたのだった。そのブランショの文章が、このように「美しい書物」としてまとめられたのは、ブランショの死後のこととは言え、皮肉なことではある。「この先なおも数多の書物が、始末の悪いことには、美しい書物が現れることだろう」(Ibid.)というブランショの「遺言」に従って、ブランショの政治的な文章は散乱するままに任せておくべきではなかったと一瞬だけ、思わないでもない。

もちろんそう思ったのは、一瞬だけである。というのは三部構成のこれらの文章は、三名の訳者による詳細な解題と訳注とともに、それまで知られていなかったブランショの顔を知らせてくれるものであり、ブランショの文学的な文章を読むためにも、大きな示唆を与えてくれるものだからである。何とも皮肉なことに。


【書誌情報】
■ブランショ政治論集 : 1958-1993
■モーリス・ブランショ著
■安原伸一朗,西山雄二,郷原佳以 訳
■月曜社
■2005.6
■382p ; 19cm
■内容細目
●第1部(1958年-1962年) 『七月一四日』誌および『ルヴュ・アンテルナシオナル』誌の計画
□訳者解題 文学の力 / 安原伸一朗著
●第2部(1968年) 学生-作家行動委員会そして『コミテ』誌
□訳者解説 「六八年五月」概要 / 西山雄二著
□訳者解題 明日、五月があった、破壊と構築のための無限の力が / 西山雄二著
●第3部(1981年-1993年) ハイデガー、レヴィナス、ユダヤ教、アンテルム
□訳者解題 証言-記憶しえないものを忘れないこと / 郷原佳以著
■ISBN  490147717X
■定価  3200円



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