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2006年11月13日

『キリスト教の伝統』J.ペリカン(教文館)

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「キリスト教の教理史の定番書」


著者のペリカンは訳者によるとハルナックの孫弟子にあたるらしく、ハルナックの偉大な著作『教理史』について「古くはなったが、いまだに本書を乗り越えた著作はない」と称えている。しかし訳者はみずからの著作が、その課題をなしとげたと自慢してもよいかもしれない。少なくともこの一連の著作が、著者がハルナックに捧げた「この分野の研究者なら誰でもそれと競わねばならない初代教会の教理の歴史の一解釈を提示している」(四七一ページ)のはたしかだろう。


ぼくも以前からこの著作の恩恵をこうむっていたが、邦訳がでてみると、新たにその素晴らしさが実感できる。これまで頭の中でもやもやとしていた霞がはれたような気分である。とくにわかりよく説明されているのが、第四章のアレクサンドリア中心の「ホモウシオス」の教義とニカイア信条、第五章のアンティオキア中心の内在する「神のロゴス」の神学、とカルケドン信条におけるキリスト教の三位一体論の内的な拮抗関係である

カッパドキアの三神父の理論がもう少し詳しく紹介されていたらと思わないでもないが、これらの論争と教義で何が賭けられていたのか、どのような概念を中心に議論が展開されていたのかがはっきりするのは素晴らしい。グノーシスからオリゲネスとクレメンスの理論にいたる展開も示唆的である。


第六章でアウグスティヌスの予定説がもつ重要性と「異端性」が詳しく紹介されているのもうれしいところだ。アウグスティヌスの自由意志の理論が哲学の世界でもった重要性についてはハンナ・アレントも指摘しているが、この自由意志の否定と不可分の関係にある予定説が、一七世紀のジャンセニウスの『アウグスティヌス』にいたっても「問題は解決されていない」(四三六ページ)ことは重要なことだ。


このアウグスティヌスの予定説をめぐっては「恵みの主権とその必要性という教理から、恵みの仲介の教理を手段として、功績と人間の主導性という概念の最導入へと微妙に移行する可能性」と、「予定論への逆行」の可能性が競いあうことになるのだ。そして西方のキリスト教神学は、アウグスティヌスへの「一連の脚注」として書けるという著者の指摘は刺激的である。


ほかにも興味深い記述は多い。ネストリオスの書物を筆者した者は、その手を切断される可能性があったのに、隠れオリゲネス主義で満ちていたデュオニシュオス・ホ・アレオパギテースの書物は、パウロとの伝説のために「使徒に次ぐ権威を主張することができた」(四五七ページ)ことを考えると、偽名と韜晦の力もまんざらではないと思わざるをえない。


それと「カトリック」(普遍)を称する公同教会は、「万人によって信じられてきた事柄を理解するためには、教会がまだ神学の中で教えておらず、信条の中で告白していなかった時でも、地の黙した人々に尋ね、彼らが信じている教理を読み出す必要があった」(四四七ページ)という記述も深い意味をそなえている。テオトコスたるマリア信仰もまた、「地の黙した人々」(silent in the land, p.339)から生まれたものだろう。

全巻の構成を紹介しておこう。
第二巻『東方キリスト教世界の精神』
第三巻『中世神学の成長』
第四巻『教会の教義の改革』
第五巻『キリスト教教理と近代文化』


翻訳は意訳を避けたものだけに少し堅さはあるが、それなりに読みやすく、信頼できる。無事に最後まで刊行されることを祈りたい。

【書誌情報】
■キリスト教の伝統 : 教理発展の歴史. 第1巻
■J.ペリカン著
■鈴木浩訳
■教文館
■2006.7
■506,27p ; 22cm
■公同的伝統の出現 100-600年
■4-7642-7256-3
■6500


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