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2006年11月16日

『〈テロル〉との戦争 : 9.11以後の世界』西谷修(以文社)

〈テロル〉との戦争 : 9.11以後の世界 →bookwebで購入

「九・一一以後の世界を考えるための手がかり」


西谷修の『「テロとの戦争」とは何か』は、九・一一テロの後の世界の動きを追跡しながら分析する好著だったが、その後のイラク戦争の経緯を踏まえた増補版『〈テロル〉との戦争』が刊行された。

イラクではスンニ派とシーア派が居住地区を分ける川越しに砲弾を打ち込む悲惨な事態になっているという。かつては共存できた同じイスラーム教の二つの宗派が仇敵のように殺しあうようになった現状は、かつてのユーゴスラビアを思い出させる。それにつけてもブッシュのイラク戦争のもたらした惨禍を痛感せずにはおられない。その意味でも九・一一からの分析に、イラク戦争開始後の新しい分析を追加した本書は、さまざまな事件を想起し、位置づけるのに役立つ。

本書に集められた西谷の分析のように、ブレずに事態を追跡する文章は、定点観測のような役割を果たしてくれて、ありがたい。というのも、日本の論調が最近は急に強い潮に流されるように、みえないところからブレているような気がするからだ。

この状況を西谷は、新幹線が終着駅に到着すると、進行方向に椅子の向きを変える場面に譬えている。進行方向に後ろ向きに座るのは昔の東海道線などではごく普通のことだったが、新幹線で後ろ向きに座ることを考えると、なぜか身体的に嫌な感じがする。速さと顔の向きに何が関係があるのだろうか。

それはともかく西谷は現在の論調のうちに、バタンバタンと椅子の向きを変えるような印象を抱いているのであり、ぼくも同感である。メディアの風潮のうちで、誰もが同じ方向を向いていないと、不安になるかのように、一斉に同じ方向に顔を向け、進行方向と逆を向いている人は、急に自分がすべてのひとの視線を集めていることに気付く。たんに椅子の向きという物理的な理由からなのだが、やがてその人も、もじもじとして座席の向きを変えるに違いない。

「バタンと座席がひっくり返る。それは誰かの命令で行われるのではない。いつの間にかみんながいっせいに向きを変えるのだ」(二一九ページ)。西谷は、とくに拉致問題におけるこの座席の向きの転換にとくに注目する。メディアにおいていつか日本が「一方的な被害者」ということになって、だれもが「ならず者」を糾弾するのが当然だという雰囲気になり、逆に「危機だけを増幅する」(同)結果になっているからだ。

韓国において、交通事故を起こしたアメリカ兵が罪を問われなかったために巻き起こった反米集会を取り上げ、同じような事件が沖縄で起きていることを指摘しながら、「ところが韓国は、言ってみれば国全体がオキナワなのだ」(一九七ページ)と指摘するなど、西谷の分析は相変わらず鋭い。急に自分が進行方向とは逆の椅子に座っているような気がするのは嫌なものだろうが、今後もじっくりと見極めた現状分析を読みたいと思う。

【書誌情報】
■〈テロル〉との戦争 : 9.11以後の世界
■西谷修著
■以文社
■2006.10
■264p ; 20cm
■「「テロとの戦争」とは何か」の増補新版
■4-7531-0249-1
■定価  2400円


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