« 2006年01月 | メイン | 2006年03月 »

2006年02月26日

『寛容について』マイケル・ウォルツァー(みすず書房)

寛容について →bookwebで購入

「寛容の政治的戦略」

寛容の問題は、異なる共同体が出会ったときから発生する原初的な問題だ。それが寛容という概念で捉えられるようになったのは近代以降だろうが、他なる共同体から訪れた「他者」をどのように待遇するかという問題は、古代のギリシア以来、歓待の問題として重要な政治的、社会的な意味をそなえてきた。

アメリカに住むユダヤ人としては、みずからを寛容の主体としてよりも寛容の対象と感じて生きてきたウォルツァーにとっては、寛容は切実な問題だった。ウォルツァーはロールズやハーバーマスのように手続き的に考察するのではなく、まず歴史的な見地から類型的な考察する方法を選んだ。ウォルツァーが提示する寛容の類型は、ペルシアやローマなどの多民族で構成された帝国における寛容、国際的な社会における寛容、多極共存・連合(コンソシエーション)、国民国家、移民社会である。

多民族の帝国としてはぼくたちにはローマ帝国がなじみだろう。ユダヤ人がどのように寛容に処遇されたかは、弾圧されたキリスト教徒との対比でよく知られている。分割して統治せよというのはローマ帝国の巧みな戦略であったが、逆に言えばこのような方法で統治されることは、平和のためにも統治される民族の利益に適うものでもあったのである(p.31)。

国際社会は、国家が自然状態にあることを考えると、異例なまでに寛容が認められた状態であるとウォルツァーは考える。「寛容は主権の本質をなす特徴であり、主権の望ましさの重要な理由でもある」(p.38)のである。ときには南アフリカのアパルトヘイトに対する経済制裁のように、主権を超えた非寛容が発揮される場合もあるが、国家は他の国にたいしてきわめて寛容だということができるだろう。帝国と国際社会では寛容の対象は集団である。

多極共存・連合で考えられているのは、スイスやベルギーのように複数の民族で一つの国家を形成する場合である。スイスのように成功している事例も、ボスニアのように破滅にいたった事例もあるが、複数の民族が協議によって一つの国家を形成する上では、寛容は不可欠な原理となる。この寛容の対象となるのは基本的に集団であるが、個人の権利を擁護するためのシティズンシップが存在することが重要な特徴である。

国民国家で寛容が重要な問題となるのは、マイノリティーに対してである。フランスではイスラム教徒のスカーフ問題で、「寛容の限界」があらわになったが、私的な生活での寛容を認めながら、公的な場でそれをどこまで認めるかは、現代の国家にとってはこれからますます切迫した課題となりつづけるだろう。国民国家においては、寛容の対象となるのは国内のマイナーな集団であるとともに、個々の国民とその権利でもある。

第五の類型は移民社会である。アメリカとカナダ、そしてオーストラリアが念頭におかれている。移民たちはこの社会において独特なエスニック・グループを形成し、そのアイデンティティを維持しつづける。ここでは「寛容は根本的に脱中心化された形態をとり、万人が自分以外の全員を寛容にあつかわなくてはならない」(p.57)のである。アメリカに住むウォルツァーとしては、この移民社会におけるハイフン付きのアイデンティティが気にいっているようである。イタリアン・アメリカンのように。この移民社会では、国民が個々の権利をもつ主体として寛容の対象となるとともに、その二重のアイデンティティにも配慮されるという意味で「最高度の寛容」(p.61)の可能性が生まれる。

この類型はカテゴリー的にはあまり適切な分類が行われているとは思えないが、寛容の内容という点ではウォルツァーが考えていることはよく示されている。本書ではこの着想に基づいて、さまざまな複雑な事例と、実際的な係争点が考察される。フランス国内で行われている陰核除去は、どこまで寛容されるべきか(p.101)、宗教的な記号を公共の教育の場にもちこむことがどこまで許されるべきか。

これらの難問は、たとえばスカーフをアイデンティティの印と考えている女生徒と、集団の圧力のためにかぶりたくないスカーフをかぶらされている女生徒の対比で考えてみると、その難しさがはっきりとしてくる。そしてこれは寛容の問題であると同時に、政治的な支配の戦略的な争いの問題でもある。

そのことはアメリカの中絶論争でもはっきりとしてくる。中絶を認めることは、母親に子宮の権利を認めることであり、中絶を禁止することは、母親ではなく社会が女性の子宮を支配する権利があると主張することだからだ(p.105)。寛容の概念のうらがわには政治的な戦略がはりついていることは、同時多発テロ以降のアメリカの政治が顕著に示したことでもあった。

書誌情報
■寛容について
■マイケル・ウォルツァー
■大川正彦訳
■みすず書房
■2003.12
■205,9p ; 20cm
■4-622-07075-8
■2800円


→bookwebで購入

2006年02月17日

『青の歴史』ミシェル・パストゥロー(筑摩書房)

青の歴史 →bookwebで購入

「青だけでなく、西洋における色彩の歴史」

西洋の絵画における青というと、すぐにフェルメールを思い出したりするが、ぼくたちが簡単に考える色一つにも長い歴史があることを教えてくれる興味深い書物だ。西洋の歴史においては長い間、色材の「三原色」が黄色、マゼンタ、シアンであることは知られていなかった。色の位置は構造的に決まっていたのであり、赤、白、黒が基本的な三つの色だった。

赤とは染めた色であり、白とは染めていない清純な色であり、黒とは染めてなくて汚れた色だというのが基本的な考え方だったのだ。デュメジルの西洋社会の三つの原則もこの色の規則で表現できるくらいであり「中世盛期まで、色に基づくすべての社会規範と表象体系の大半がそれを中心して組織されていた」(13)のである。構造主義の理論と同じ形で色の表象体系も決定されていたのは興味深い。

ところでキリスト教においても色は重要な問題だった。イスラーム教との聖画論争をまつまでもなく、色はその象徴的な役割から、さまざまに議論されてきたのだった。キリスト教の世界で特に重要だったのは、色が光であるか、それとも物質であるかということだった。光であれば、それは聖なるものであり「神性の発現」だが、物質であれば「人間が被造物につけくわえた無意味な工夫」(46)だということになる。ステンドグラスから差し込む光は神的な色であるが、物質だとすれば、「覆い、化粧、虚栄であり」(48)、神の家からは追放すべきものとなる。宗教改革が教会にもたらした影響も、この視点からもみることができるだろう。

後に西洋の社会では排除すべき者や有徴の者を指定するためにさまざまな色が使われるが、青色だけはなぜか使われなかった。そのために人々は青を好んで衣服に使ったようだ。そして一三世紀頃に青にとっての革命の時代がくる。著者は色の歴史の書物を頼まれた際に、赤を希望したが、出版社からぜひ青にしてほしいと懇願されたという。西洋では青はそれほど威信の高い色になっていったわけだ。

青は王や貴族が好んで使っただけではない。聖母マリアの絵の傑作の多くが青を使うようになったのだ。こうして「青は聖母の特別な色彩アトリビュート」(56)となった。ただし聖母の色は青だけではない。バロックとともに金と金メッキの聖母が流行し、そして無原罪のお宿りの教義が一八五四年に定められると、純潔を意味する白がマリアの色となる。このように色の歴史の背後には、形而上学と神学の歴史が浮き彫りになっている。

だからこの書物は青だけでなく、さまざまな色の歴史についても考えさせてくれるのだ。フェルメールの青の秘密もちょっぴりとのぞける楽しさがある。映画『真珠の耳飾りの少女』でも染料の混合の難しさが描かれていたが、染料を使うのは特殊な職業だったのだ。たんに色の象徴的な意味だけでなく、皮なめし工と染め物師の川水の利用の争いなど、中世の生活の一部をのぞく楽しみもある。図版も豊富だが、それだけにフランス版のオールカラーがみたくなってしまう。でも、それは別の楽しみということにしておこう。

書誌情報
■青の歴史
■ミシェル・パストゥロー著
■松村恵理,松村剛訳
■筑摩書房
■2005.9
■249p ; 22cm
■4-480-85781-8
■4300円


→bookwebで購入