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2014年04月20日

『ハンナ・アーレント』矢野久美子(中央公論新社)

ハンナ・アーレント →紀伊國屋ウェブストアで購入

「20世紀のメインストリートを駈けぬけて」

 自分の所属がこの四月から変わり、仙台に住み始めた。この書評空間も一区切りを迎えるとのこと、その最終回として駆け込みで投稿しようと思い立った。となると、やはりこの一冊。アーレント研究で定評のある著者が、20世紀を代表する女性哲学者の生涯に正面から取り組んでいる。

 昨秋、岩波ホールで封切られたドイツ映画『ハンナ・アーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品)が、筆禍に屈しなかった哲学者の生き方を丹念に描き、地味ながらヒットしたことは記憶に新しい。その最良の解説本がこれ。アーレントの伝記としては、ヤング=ブルーエルの大著(邦訳晶文社)が今なお決定版だが、本書が、日本語で書かれた本格評伝として今後読み継がれていくことは間違いない。生い立ちから丁寧にヒロインの波瀾万丈の一生を描いて、間然するところがない。何より、著者のアーレントへの愛がすみずみにあふれている。それでいて出しゃばったり押しつけたりすることなく、控え目な叙述のうちに主人公の真摯な生き方がおのずと浮かび上がるしくみになっている。出来事と人生を物語るということの意味を省察したアーレントに長年学んできた著者ならではの、再話実践のお手本がここにある。

 アーレントほど出会いに満ちた人物も珍しい。父は早くに亡くしたが、進歩的な母に大事に育てられた一人娘は、父方の祖父を介して、のちにシオニスト指導者として活躍するクルト・ブルーメンフェルトと出会っている。学生時代に再会し感化を受けてユダヤ人問題に開眼させられることになるが、後年、その恩人とアイヒマン裁判レポートをめぐって悲しい訣別をせざるをえなくなることは、映画のなかでも詳しく描かれていた。
 少女ハンナは、故郷ケーニヒスベルクの生んだイマニュエル・カントの哲学書を読みこなし、ギリシア悲劇を原文で耽読するなど、知的に早熟だった。18歳でマールブルク大学に入学、哲学界の隠れた若き王、マルティン・ハイデガーに出会う。これに先立つフッサールとハイデガーとの出会いにひけをとらないほど、現代哲学の趨勢を決定づけた運命的な出会いであった。私などは、「ハイデガーとアーレント」という研究テーマに人生を捧げられたら本望と、心底考えている。映画では、女学生に言い寄った哲学教師の姿が、ややコミカルに回想されていたが、戦後に再会してから本格化する二人の哲学上の対決は、たんなる色恋沙汰を超えて、20世紀精神史の主戦場の相を呈することとなった。
 アーレントはマールブルクで、ハイデガーの同僚の神学者ルドルフ・ブルトマンの演習にも出ている。一緒に出席したハンス・ヨーナスとは生涯の親友となったが、アイヒマン裁判のおり、その固い友情にもヒビが入ったことが、映画でも強調されていた。
 ハイデガーにとってアーレントは『存在と時間』執筆時の霊感の源泉だったようだが、一年半でマールブルクを去ってハイデルベルク大学に移り、ハイデガーの盟友だったカール・ヤスパースのもとで博士論文を書く(その前にはフライブルク大学でフッサールにも学んでいる)。ヤスパースはヤスパースで主著『哲学』の公刊準備中であった。ハイデガーとヤスパースという20世紀ドイツ哲学の両雄から等しく学び、両人とのちのちまで親密な交流をもったというのだから、恐れ入る。なんと贅沢な学びであったことか。

 アーレントの最初の結婚相手ギュンター・シュテルン(のち筆名アンダース)も、ハイデガーに学んだ知の冒険家で、後年、核時代のテクノロジー論を独特に展開したことで知られ、今日評価が高まっている。ベルリン時代の二人は、劇作家ベルトルト・ブレヒトと交流があったし、ナチスの政権掌握後、パリに亡命してからは、ギュンターの母の従弟である批評家ヴァルター・ベンヤミンと親しく交わった。ベンヤミンは、ドイツの支配に屈したフランスから脱出しようとして果たせず、惜しくも自殺した。その直前たまたまアーレントと再会して対話を交わし、遺稿を託している。のちにアーレントは、この「歴史哲学テーゼ」を出版することに尽力することになる。
 パリ亡命時代に知り合った多士済々のなかでも、生涯を通じての最重要人物が、二番目の夫となったハインリヒ・ブリュッヒャーである。第一次世界大戦直後のドイツ革命時に労働者としてスパルタクス団に身を投じた筋金入りの元革命家は、もともとノンポリだったアーレントの政治的思考を鍛える良き対話相手となった。映画でも、ハインリヒとハンナのカップルはじつに仲睦まじく見えたが、本当にそうだったようだ。ハインリヒに表立って捧げられた『全体主義の起源』と『過去と未来の間』をはじめとして、アーレントの作品はどれもブリュッヒャーの支援なしにはありえなかった。哲学仲間である夫が、主たる働き手の妻の思索と著述を後ろから支えるという新しいおしどり夫婦像が、そこには成立していたのである。
 夫婦で命からがら大西洋を渡ってアメリカに行き着き、難民としてニューヨークに住み始めたあとも、アーレントは新しい環境で多くの人びととめぐり合い、友人たちに恵まれた。とりわけ、小説家メアリー・マッカーシーと親交を結んだことは、映画にも描かれていた。才気煥発なアーレントはおのずとニューヨーク在住の亡命知識人の中心と見なされたが、交友が上層知識人サークルに限られていなかったことは、労働する思索者エリック・ホッファーと交流があったことからも知られる。本書では、ホッファーとの交流が印象深く紹介されている。

 以上のほかにも、アーレントは数え切れないほど多くの出会いを経験し、それを思索の糧にしていった。その最たる相手であるハイデガー、ヤスパース、ブリュッヒャー、マッカーシーとの手紙のやりとりは邦訳もされているが、どれも読みごたえのあるものばかりである。たとえば、新刊の『アーレント=ブリュッヒャー往復書簡』(みすず書房)を、ハイデガーが妻エルフリーデに宛てて書いた手紙と比べてみれば、アーレント夫妻のおしどり哲学者ぶりが際立つ。一冊も本を書かなかったブリュッヒャーだが、妻との往復書簡(巻末付録としてバード大学講義テープを起こしたものも載っている)から、その自由な精神の躍動ぶりが窺われる。哲学的問いかけを得意とし現代のソクラテスと評されもする市井哲学者が、悪妻クサンチッペの立場にはまっているところが、何とも面白い。

 アーレントは、卓越した人物との出会いを次々に果たしただけではない。「戦争と革命の世紀」に生を享け、その時代の渦中深く入り込み、戦慄をおぼえつつ未曾有の出来事を凝視し、そのただなかを立ちどまりつつ走りぬけた長距離ランナーであった。ユダヤ人として目覚めさせられた多感な少女時代。ドイツ哲学のエッセンスを一身に浴びた豊饒な学生時代。ナチス台頭により亡命を余儀なくされ、パリへ、そしてニューヨークへ流れ着いた困窮の難民時代。ヨーロッパ的学問移植の坩堝と化す一方、古き良き時代から変質しつつあった共和国の実情を、内側から眺めることのできたアメリカ市民時代。なかでも、絶滅収容所を本質としてもつ全体主義という人類史上空前の怪物の出現に立ち会ったことは、アーレントの思想的課題の中心に据えられることとなった。
 怪物との遭遇は、ふつうの人間的尺度で測れば、悲惨とか非運とか評されるものである。だが、根っからの哲学者にとってそれは、大いなる観物となる。出来事が深刻で悲劇的であればあるほど、それだけ思考は強靭に鍛えられ、知としては悦ばしきものとなる。地獄を見ることが喜びであるのは、必ずしも倒錯ではなく、知への愛が本物であるかどうかの試金石となりうるのだ。20世紀の王道を表裏走りぬけた女傑の生涯は、戦慄から思考が再開されるということを、紛れもなく証言している。

 1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、第二次世界大戦が終結を迎えたとき、アーレントはブリュッヒャーに宛てた手紙で、次のように書いたことが紹介されている。「原子爆弾の爆発このかた、これまでよりいっそう不気味で恐ろしい気がします。なんという危険なおもちゃを、世界を支配する愚者どもが手にしていることか」。
 本書で示唆されているとおり、アーレントは『人間の条件』で、科学研究が政治的行為に劣らぬアクションと化し、自然を相手に博打を打つ大いなる賭に乗り出すという現代世界の根本動向を、冷徹に考察している。不気味さと恐怖を元手として「原子力で哲学する」可能性が、そこに切り拓かれたのである。
 アーレントが20世紀の真っただ中で戦慄をおぼえ思索の事柄に据えた「おもちゃ」は、21世紀のわれわれにもなお脅威の的でありつづけている。われわれを震撼させた3・11の出来事、とりわけ「おもちゃ」の進化形たる核時代の虚無化基地の暴走は、アーレントがおぼえた悪寒に匹敵する不気味さと恐怖を、大地にまき散らしている。日本列島は愚者の楽園だったのか、とため息が出るほどだ。この事態に遭遇したわれわれは、何を始めればよいのか。本書の物語る哲学者の不屈の生き方は、それをわれわれに指し示しているように思われる。



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2013年11月07日

『マルクス 資本論の思考』熊野純彦(せりか書房)

マルクス 資本論の思考 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「時間のエコノミー、時間のテクノロジー」

 今どき七百頁余のマルクス論を書き下ろす。しかもカントやハイデガーの主著の翻訳を完成させる片手間に、である、いや、ひょっとすると『純粋理性批判』や『存在と時間』の訳業のほうが片手間かもしれず、『資本論』解釈こそ本命かもしれない。著者はそんな自分の仕事ぶりを、「おそらくほとんど正気の沙汰ではない」と評している(「あとがき」)。そんな「錯乱」(同上)する哲学者の出現を、われわれは長らく待ち望んできた。
 いよいよ熊野哲学の全貌が姿を現わす。本書を手にとった瞬間、そういう期待というか、畏れが心をよぎった。ヘーゲルにメルロ=ポンティ、レーヴィットにレヴィナス、いや古代から近代、現代までの西洋哲学史の総体をも、ひいては和辻哲郎、埴谷雄高までも、自分の中に深く摂り入れた、オリジナルな思考がここに展開される。――そんな光景がこの国で繰り広げられることを、われわれはどんなに夢見てきたことか。

 だが、その予感はみごとに外れた。本書は著者自身の思索の書ではない。あくまでマルクスの胸を借りて、資本主義という近代システムの内的論理を学びとることが、著者の眼目である。一つには、二十世紀の日本の生んだ稀有のマルクス主義哲学者であった廣松渉の愛弟子として、「今こそマルクスを読み返す」ことにこだわる姿勢が強くうかがえる。著者が大学生だった頃まで――評者の学生時代でもギリギリ――、『資本論』は青年の必読書だったから、マルクスを読んでは仲間と議論にうつつを抜かした青春時代の総決算という意味も籠められているだろう(著者とほぼ同年代の佐藤優にもマルクス本がある)。
 『資本論』全三巻は厖大である。若き日の著者が愛読したという岡崎次郎訳の大月書店国民文庫版で八冊ある。評者のような不勉強者だと、まあマルクスの生前に公刊された第一巻だけでいいかな、ということになるのだが、著者はそんな怠慢を自分に一切許さず、全三巻の内容をきちんと盛り込み、バランス良く解説している。ある時期まで『資本論』研究の牙城であった宇野派経済学畑の議論をはじめとする日本のマルクス研究の蓄積も、ふんだんに活かされている。そうはいっても、独創的思索の書でも精緻な学術研究書でもなく、たかがガイドブックではないか、という気もしてくる。薄っぺらな哲学者早分かりシリーズとは分量も濃度もケタ違いながら、哲学書入門という点では大同小異ではないか、と憎まれ口の一つも叩きたくなる。これだから受験秀才上がりの学者は…。
 著者にとってこの種の印象批評は、しかし痛くも痒くもないだろう。思うに、著者からすれば、本書もまた「修行」なのだ。つまり、自前の哲学を全面的に開陳するためには、いったんは禁欲的にくぐり抜けねばならない幾重もの関門の一つなのである。廣松渉にとっての『存在と意味』に匹敵する、いやそれ以上の到達目標が、著者の眼にはしっかり映じているにちがいない。著者には迷惑かもしれないが、そう言わせてもらう。ここまで酔狂に哲学を勉強して、その他には別にないなんて、まさかそんなことはないよね、と。

 もっと別の何かがあるにちがいないと評者が確信したのは、ほかでもない、本書の「序論」を読んでのことである。「世界のうちで‐他者たちとともに‐存在すること」の総体を解き明かすことが、哲学的思考の営為そのものであり、マルクスを読むこともそれと別物ではない、とまず著者は宣言する。マルクスを徹底して哲学者として遇し、そこに哲学の第一原理を見出そうとする、さりげなくも断固たる決意表明である。では、第一の原理としてそこに見出されるものは何か。何が思考の始まりをなすのか。
 「およそひとが思考するためには、ひとはまず生きていなければならない。であるとすれば、人間が世界のうちで生を紡ぐこと自体が哲学的な思考そのものの第一の前提である」(22頁)。この「生」という原理は、廣松があれほど校訂にこだわった『ドイツ・イデオロギー』からの引用によって傍証される。要するに、「唯物論」と称されてきた発想が、ここに哲学的再検討を受けようとしているのである。生きるとは、息をし、飲み食いし、排泄することであり、食べ物を作り、着物や住まいを作ることである。そのように生産しながら生きてゆくことは、これはこれで、当人の「身体組織」を前提している。「人間存在の身体性こそが、ここで問題のはじまりを告げている」(25頁)。身体として生きるとは、傷つきやすく脆い存在である、ということを意味する。ここから、道具の制作と使用、空間的な限定性、そして時間的な有限性という、三つの制約が帰結してくる。とりわけ時間性は、他の二つにも浸透している重要なファクターである。
 生きるうえで、資源の稀少性という意味にかぎられない、「それ自体として稀少」つまり端的に大切なもの、それは「時間」である。人間にとっては時間そのものが、「人間が世界のうちに存在することそれ自体にかかわる、いわばその生存の枠組みそれ自身」(29頁)をなすからである。これをハイデガーふうに言い直せば、世界内存在という現存在の根本機構こそ時間性だということになる。「存在と時間」というテーマは、じつはマルクスによって先取りされ、はるかに大がかりに展開されようとしていた、と著者は解しているように思われる。マルクスの遺稿『経済学批判要綱』の有名な一節が、ここで引かれる。生産に必要な時間が少なくなればなるほど、他のことにそれだけ時間は振り向けられるがゆえに、個人にとってのみならず、社会全体にとっても、「時間の節約」という規定は本質的意義を有する。「時間のエコノミー、すべての経済はそこへと解消されるのである」――このようにしてマルクスが、「時間の節約=経済」に唯物史観の最終基底を見出したのだとすれば、それは、生、身体、道具、空間、とりわけ時間という基本カテゴリーへとめがけて、唯物論を徹底化するという存在論的底意を秘めていたことになる。
 『資本論』で大規模に行なわれたことも、「時間的」規定への着眼と別物ではなかった。「資本はどのようなかたちで時間のエコノミーを貫徹するのか、時間のエコノミーを固有なしかたで実現することで、資本制は空間をいかに再編成し、世界をいかにつくり変えるにいたるのか」(30頁)――こうしたいわば「時間性(テンポラリテート)の問題系」を解き明かすことに、『資本論』全三巻は捧げられたともいえる。もしそうだとすれば、「時間のエコノミー」を視座にすえるマルクスの経済学批判の試みは、「時間と存在」と表わされるハイデガーの存在論的企てと、まぎれもなく交差することになろう。

 熊野は、講演に由来する「マルクスをどう読むか 時間論としての資本論」(『立命館哲学』第23集、2012年、所収)のなかで、『資本論』を「時間のエコノミー」の観点から読み抜くという着想を、すでに予告していた。ハイデガー読解との連繋を感じさせたその着想をまさに実現したのが、本書なのである。じつを言うと、かつて評者自身、マルクスの「時間のエコノミー」論を、ハイデガーの時間論および技術論と接続させ、ひいては「時間のテクノロジー」という問題群へ翻そうと試みたことがあった(拙論タイトル「技術と生産――ハイデガーからマルクスへ」でウェッブ検索可能)。資本制的生産様式の秘密は、時間の節約を核心とする技術に存する、との見立てがそこにあった。そしてそこに最も重要なテーマとして浮かび上がってきたものこそ、「労働と時間」にほかならない。
 本書の読みどころも、またそこにある――と言ったら、『資本論』第一巻しかろくに読んでいない不勉強ゆえの偏食ということになろうか。抽象的人間労働、価値形態、労働力商品、労働過程、剰余価値、絶対的剰余価値、とりわけ労働日、相対的剰余価値、とりわけ協業、マニュファクチュア、機械と大工業、労賃、そして本源的蓄積。綺羅星のような第一巻の叙述は、おしなべて「労働と時間」という視点から読み解くことができる。本書は、そういう興奮に満ちた読書体験の良き伴侶となってくれるのである。
 もちろん、そればかりではない。「マルクスは〔第二巻の〕循環論にあってこそ、不断の運動としての資本の性格を描きとろうとしている」(319頁)。また、第三巻の地代論とは、「生産一般にとって自然的条件が有する意味をめぐる省察であり、またとりわけ資本制に対して自然条件が課している制約にかんする考察にほかならない」(542頁)。そこで問題となってくるのが、「自然の豊饒さ」である(543頁)。さらに、「時間的な隔たり」を源泉とするのが、資本制の完成形態としての「利子生み資本」である。そこでは、「時間が価値を生み、時間のなかで貨幣が価値を増殖させる」。「時間そのものが価値を生むという神秘が、あたかも神秘ではないかのように神秘化される」(638頁)。オカルト的神秘に満ちた、その信仰=信用の世界は、まさしく恐慌の奈落と隣り合わせなのである。
 汲めども尽きせぬ『資本論』の精髄を我がものとしつつ、今や著者は、トータルな危機に直面している現代世界を根本的に思考し抜く冒険に乗り出そうとしている。われわれはやがて、マルクスから出発する、しかし別の思索の出現に立ち会うこととなろう。

 最近ある新聞で、著者のカラー写真入り自著紹介記事を目にした。トレードマークだった長髪をばっさり切って剃り上げた頭部と、おだやかな笑みは、あたかも出家して大願成就したかのようであった。だが、五十代半ばで成仏するにはまだ早い。この間まで同僚だった僧侶の先生のように、生臭坊主然と、八面六臂のエネルギッシュな活躍をこれからも、これまで以上に続けるにちがいない。そうでなければ、これまでの修行期間が宝の持ち腐れというものだ。そう、熊野哲学の全貌が姿を現わすことは、日本の哲学界にとって悦ばしきことなのである。




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2013年02月03日

『哲学の起源』柄谷行人(岩波書店)

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「イソノミアの再発見」

 本書では、ハンナ・アーレントの革命論、なかんずく「イソノミア」論が取りあげられている。アーレントに入れあげてきた私のような者にとって、その哲学者の中心問題に、著名な批評家が注目してくれるのは、喜ばしいことだ。
 売れ筋の本を紹介するのは本欄の趣旨にそわないが、「哲学の起源」というタイトルを掲げて古代哲学史の書き換えを迫る著者の挑発につい乗せられて、やぶへび覚悟で応答するのであれば、それはそれで構わないだろう。古代哲学や政治思想史の専門研究者には慎重居士が多いので、専門分野に殴り込みをされてもはかばかしい反応は期待できない。本書に飛びつくのは、生半可なアーレント読みにふさわしい役回りというものだろう。

 先日行なわれた2013年度センター入試の科目「倫理」に、アーレントの用語法についての出題があった。『人間の条件』がつまみ食い的に引用され、そこで語られている「活動」の具体例として適当な行動を、四つの中から選べというものであった。必死で働くこと(労働)とも、物を作ること(仕事)とも異なる、人々と共に事を為すことを、アーレントは「活動」と呼んで区別した。私自身はこの区分けを重んずる者だが、そういう肯定派はむしろ少数で、「活動」概念の妥当性については、依然として異論が多い。このような係争中のトピックを入試問題として出す出題者の意図が、私には理解できない。
 その入試問題を見たときに感じた違和感と似たものを、つまり、それはないだろうとの思いを、本書を読んで感じた。アーレントによるイソノミアの特徴づけがろくすっぽ理解されないまま、柄谷式のバイアスのかかった「イソノミア」という言葉だけが巷に流布しそうなのは、困ったものだ。だがそれを言うなら、アーレントの立論の重要性を一般に認知させてこなかった研究者の側の怠慢こそ、まずもって責められるべきであろう。
 だとすれば、この絶好の機会に、あらためてこう問うてみよう。アーレントが古代ギリシアから引き出した「イソノミア」とは何であったのか、と。それを踏まえてこそ、柄谷のイソノミア解釈の特異性も浮き彫りとなるにちがいない。

 イソノミアとは、「イソン(等しい)」と「ノモス(習わし・法)」の合成語である。「法的平等」という訳もありうるが、強い意味での「法」の含意は、この語にはない。むしろ、この場合の「ノモス」とは、「ピュシス(自然)」と対比される「人為」という意味に解される。人間は生まれつき、つまり自然的には平等ではない、とする考え方が根底にあり、だからこそ、自然的ばらつきとは別に、あくまで人間間の約束事として、お互い対等な政治的主体と見なし合おう、との取り決めが交わされる。そういう合意のもとに形成された同等の者たちの共同体の形態が、「イソノミア」と呼ばれる。見られるとおり、この発想は、人間はみな平等だとする近代の公理とはおよそ異なっている。
 もとより、人間同士には、容姿、能力、財産など私的境遇の点で、埋めがたい不均等がある。だが、同じ共同体のメンバーとしては、一人一人が同等の資格で参加してよいのであり、そうであってこそ、共同体への各自の帰属意識も強められ、その結果、共同体全体の士気も高まる。一握りのオーナーが専断するよりも、全員が共同参画者として横並びで競い合ったほうが、盛り上がる。なるほど、各人がしのぎを削って自己を主張し合う分、面倒なことが生ずるし、非効率にも見えるが、長い目で見れば一番うまくいく。大小さまざまな団体に関して当てはまる、この組織活性化の秘訣を、国家共同体の構成原理として採用するのが、政治形態としてのイソノミアなのである。
 それゆえ私は、この語を「対等制度」と直訳することにしている。

 柄谷がイソノミアを、「民主政(デーモクラティア)」と対比させ、古代に出現した卓越した政治形態として際立たせているのは、正当だし、本書の価値もそこにある。「民衆」の「支配」という意のいささか刺激の強い言葉と比べて、フェアプレイの競技精神を体現する「対等制度」は、ヘロドトスからプラトンまで麗しい言葉とされた。とはいえ、古代民主政と近代民主主義とを一緒くたにするようなことがあってはならないが。
 柄谷がイソノミアを「無支配」と訳しているのも、理解できる。柄谷の引用する『革命について』の箇所でアーレントも、「無支配(ノー・ルール)」というイソノミアの第一義を強調している。だが、「無支配」という消極的規定だけでは、イソノミアの本義は明らかとならない。では、「支配からの自由」は、積極的には何を意味するのか。
 柄谷はここで、貧富の格差のなさ、つまり経済的平等という論点を持ち出す。古代ギリシアのイオニア植民都市では当初、入植者たちが拘束や特権のない盟約共同体を創設し、「人々は実際に経済的にも平等であった」(25頁)。「イオニアの諸都市がどのようなものであったかを示す史料はほとんどない」(42頁)にもかかわらず、こう大胆に決めつけることの当否は措くとして、少なくとも、イソノミアを経済的平等に帰着させる議論には、賛成しかねる。柄谷は、デモクラシーと区別されるイソノミア概念を発見した唯一の論者が、アーレントだということを認めている(24頁)。にもかかわらず、政治体制を論ずるさいに経済的平等という近代的観念を尺度として持ち込むことにアーレントが異を唱えたことのほうは、いともあっさり無視するのである。
 柄谷は、そもそも、マルクスの唯物史観における「生産様式」への定位に代えて、「交換様式」の違いから社会構成体の歴史を見てとろうとする。そのうえで、自身の「世界共和国」なるキャッチフレーズに見合う、しかも普遍宗教ならざる理想の「交換様式」を求めて、これをイオニアにおける自由と平等の両立の痕跡に見出すのである。
 柄谷の見出した「どこにもない国(ユートピア)」は、いかなる射程を秘めているのか。その実測は他の論者に任せよう。ソクラテス以前の哲学史観の見直しについても措く。私としては、潤色されたイソノミア概念のゆくえがどうも気になる。古代の築かれた対等制度の意味次元を掘り起こそうとするアーレントの試みを、自分に都合よくねじ曲げ、そのおいしいところだけつまみ食いするのを、看過するわけにはいかない。

 古代ギリシアの風景を一新するかに見える本書は、そのじつ、現代人にありがちな偏見に覆われている。政治的平等を「たんに抽象的な平等性」(27頁)と見なし、経済的平等を重んじる発想からしてそうだが、それと並んで目につくのは、「アテネのデモクラシー」を、それが奴隷制に依拠していることを楯にとって断罪したがる、お決まりの論調である。労働や仕事を、市民にふさわしくないと蔑視した、活動本位のポリス的身分秩序が許せないのも、生産性に重きを置く近代人の品質証明であろう。現代の論者から見て、「労働/仕事/活動」というアーレント的三区分は、ナンセンスに映るのがふつうである。
 本書の後半では、アテネ「帝国」が、これまた当世ふうに告発される一方、幾度もソクラテスの名が呼ばれる。ポリスを超える「コスモポリス」の哲学者ソクラテス。その取り柄は、公的なものと私的なものの区別を撤廃しようとした点にあるのだという。公私の別という、近代社会にとっての恰好の標的が、ここでも狙い撃ちされる。その無差別化が進めば進むほど、「政治的なもの」はかき消されてゆく。
 「ソクラテスが目指したのは、統治そのものの廃棄であり、イソノミア(無支配)である」(213頁)。マルクス主義者なら「国家の廃絶」を理想とするのかもしれないが、おのれのポリスを愛した古代の市民哲学者に、その好みを押しつけるわけにはいかない。なるほど、「「ソクラテス以前」というのであれば、ソクラテスその人をそこに含めるのでなければならない」(217頁)とする主張は正しい。しかしだからといって、ソクラテスをポリス嫌いの近代人に含めてよいということにはならない。

 イソノミアとは「無支配」、つまり支配することにも支配されることにも重きを置かない政治体制である。とりわけ、支配することを好まない点に特徴がある。誰かに支配されることは願い下げだ、と思う人は多い。支配されるのは隷属すること、すなわち自由の否定だからである。これに対して、その逆の、誰かを支配することのほうは、悪い気はしないというか、望ましいと思う人もいる。しかしながら、支配するとは、対等な関係で張り合う可能性を奪われることでもあり、それを面白くないと感ずるタイプの人間もいる。イソノミアとは、そのように、支配されることと同じく、支配することもよしとしない、自由を愛する者たちが共同で築く、対等な遊動空間のことなのである。
 イソノミアをイソノミアたらしめるのは、公共の事柄に同等に参加し合う自由であり、それを通じておのれの存在を現わし合うことの喜びである。この場合の「自由」とは、貧富の格差の解消でも拘束からの解放でもなく、人々と共に事を為し「新しく始めること」においてはじめて明け開かれる「透き間」のことを意味する。
 複数性において輝き現われる自由の経験。そうした経験地平が古代に発見されたことを、イソノミアという古語は伝えている。この公的自由は、ユートピアなどではなく、近代において革命精神が地上に姿を現わすたびに、そのつど再発見されてきた。その語り部たろうとしたのがアーレントであった。イソノミアの光芒に、われわれは幾度も思いを馳せる必要がある。その追想の機会にふたたび恵まれたことを、あらためて喜ばしく思う。


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2013年01月24日

『哲学原論/自然法および国家法の原理』トマス・ホッブズ(柏書房)

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「近代的なものの原典」

 ついに出た。ホッブズの哲学体系三部作の完訳。哲学要綱草稿付き。2012年の読書界の収穫と言えば、本書を挙げなくてはならない。総計1700頁に及ぶ大冊(!)の重みは、優に大辞典に匹敵する。持ち運びには不便このうえなく、本体価格は二万円。誰が買うのか分からないような、開いた口がふさがらないほど反時代的な本を出す出版社の――気が知れない、というか――意気にはほとほと頭が下がる。一冊でホッブズ著作集が揃えられると思えば、じつは決して高くない買い物である。
 訳者は福島の大学教員と高校教員のペア。十七世紀に書かれたラテン語と英語の二通りのテクストを比較対照し訳出するという作業にかけられたであろう労力は、想像を絶する。一部を除きこれまで手の付けられなかった難事が果たされた今、日本のホッブズ研究は新時代を迎えた。同時代人デカルトの影に隠れ傍流に甘んじがちであった近代精神の創設者の一人を、正当に遇することが容易になったのである。

 ホッブズと言えば、『リヴァイアサン』が有名である。なるほど、マイケル・オークショットも絶賛するように(『リヴァイアサン序説』中金聡訳、法政大学出版局)、この代表作はかつて英語で書かれた哲学書の中で最も偉大な傑作の一つであろう。しかし、ホッブズが彼の時代の学術語であったラテン語で書いたライフワークと言えば、『哲学原論』を措いて他にはない。デカルトの主著が、『方法序説』ではなく『省察』であったのと同じく。
 四十歳を過ぎて哲学研究に本格参入した遅咲きのホッブズは、五十二歳の年(1640年)、哲学体系構想を『法の原理』という英語の草稿にまとめたのち(これが本訳書に付されている『自然法および国家法の原理』で、訳文260頁とこれだけで普通は一書の分量)、主著『哲学原論』の執筆に取りかかる。まず第三部の『市民論』を、亡命先のパリで1642年に著す(同じ頃、デカルトは『省察』を出版)。第一部『物体論』は1655年、第二部『人間論』は1958年に出ている。
 その間の1651年、一般向けに書かれた『リヴァイアサン』は、政治哲学を中心とし、かつ宗教論を補強する形になっている。そこに同時代人の関心の所在のみならず、著者の真骨頂が示されているとも言えるが、それもあくまで哲学体系全体の内部に位置づけられるべきものである。そういう意味で、本訳書によってホッブズ哲学の全貌が明らかになったことの意味は大きい。『市民論』の本邦初訳(本田裕志訳、京都大学学術出版会、2008年)に続く快挙である。

 ホッブズとは何者か。『リヴァイアサン』の著者は、自然状態を戦争状態と等置したうえで社会状態への移行による平和と安全の確保を説き、社会契約論の創始者となった。――このような理解は決して間違いではないが、その前に確認しなければならないことがある。ホッブズは、ガリレイ、ケプラー、ハーヴェイ、デカルトらと同じく、十七世紀科学革命に参画した革命家の一人であった。その正統な続行として、伝統的政治哲学を転覆し新しい政治哲学を確立することに意を注いだのである。この事実をはっきり示すのが、『哲学原論』第一巻『物体論』に付された献呈の辞である。
 ホッブズは、まず、幾何学とその論証形式は古代から完璧であったこと、これに対して、古代にも地動説はあったが抑圧されてきたため天文学の真の始まりはコペルニクスを待たねばならなかったこと、また、運動論を中心とする自然哲学はガリレイを以て嚆矢とすること、英国人ハーヴェイの医学上の新発見もこの新しい流れに棹さすものであったこと、さらに、ケプラー、ガッサンディ、メルセンヌにより急速な進歩が見られたこと、を顧みたうえで、この知的躍進の続行として政治哲学を創始したのはこの私だ、と述べる。

 「国家哲学は私自身の『市民論』より以前には遡ることができません。」(10頁)

 「挑発的」な自負であることは本人も自覚しての発言だが、私は、ホッブズのこの時代認識と自己了解は、正確無比であったと思う(数学におけるデカルトの業績をわざと抜かしている点を除けば)。「アリストテレスの自然学と形而上学から多くの愚かで誤ったものが利用され」(11頁)てきた学問の伝統が、攻撃の的とされるのも、十七世紀科学革命の精神を体現している。アリストテレスの自然学に代わるものをガリレイが作り出したとすれば、アリストテレスの政治学に代わるものを作り出したのはホッブズだった。
 新しい国家学の成功に続けとばかりに、自然学と人間学も一から基礎づけ直し学問体系全体を刷新せんとする野心が、『哲学原論』には漲っている。「新しさ」を作り出すことへのあくなき意欲――それが「新しい時代・近代(the modern age)」という時代を形づくってきたのだとしたら、紛れもなく、ホッブズはその始祖の一人であった。それゆえ、この始まりの人の主著は、「近代的なものの原典(the elements of modernity)」と言ってよい。

 何事も無から始めることはできないし、当時新しいと思えたことが今日では古びて見えるのは世の習いである。それどころか、ホッブズならではの議論の多くは、むしろ常識的に見えてしまう。推論つまり計算と同一視される理性概念にしろ、徹底した唯名論にしろ、「世界無化」の想定にしろ、分析―総合の還元主義にしろ、形相因と目的因を排除した原因論にしろ、瞬間における運動と解された「努力」から導かれる感覚論にしろ、最大の善を「自己保存」に見出す生命尊重主義にしろ、人間はみずから作ったものしか真に認識できないとする真理観にしろ、みなそうである。つまり、あまり変わり映えしない。
 だが逆に言えば、近代に支配的となった考えの根をさぐるには、まずは創始者ホッブズに差し戻して考えてみるのがよい。本書はそういう系譜学的発見に満ちている。
 『人間論』では、視覚に関する光学的説明がえんえんと続くが、その議論は望遠鏡(と顕微鏡)による造影技術へ最終的に至りつく。ガリレイの望遠鏡による発見と、その衝撃に由来する認識イコール制作の考え方が、ホッブズの思考をどれほど規定していたかが、あらわとなっている。この科学革命の現場を目の当たりにするだけでも、じつに意義深い。『人間論』第一章で、「解体」つまり死と死因について語られているのも、「近代的なものの原典」と呼ぶにふさわしいスタートである。

 本訳書には、1400頁近くに達する本文に、さらに資料類が付されている。わざと重厚長大にしているのではと疑いたくもなるが、たぶんそれは的外れだろう。資料Ⅰは書簡選、Ⅱは『哲学原論』と『法の原理』・『リヴァイアサン』の章立て比較表、Ⅲは略年譜(3頁と、これだけ軽薄短小)。88項目に及ぶ主な用語の訳者注解まで付いている。訳者解説は50頁弱で、通例なら長いのだが本書では短く感じられる。最後に収められた全目次だけで80頁近くある圧倒的ヴォリューム。これはもう、れっきとした現代の奇書である。
 なお、翻訳とくに本邦初訳には不完全さが付きものであり、本書もその例に漏れない。全体として工夫された訳文ながら意味の取りにくい箇所が散見され、また古典語の取り扱いに関しては素人目にも首を傾げたくなる箇所がある。だが、これまで哲学専門研究者になしえなかった偉業を前にして、些細な注文を付けるのはやめよう。私は本書を前にして、存命中にホッブズの主著を日本語で平易に読めるようになった幸運を天に感謝したい。今の時代に生きていてよかったと思えるほどの読書経験は、そう滅多にない。



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2011年04月25日

『椅子と日本人のからだ』矢田部英正(筑摩書房)

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「物作りの哲学者」

 素朴な疑問を抱き、素直に驚き、率直な問いを立てる。常識や先入見を鵜呑みにせず、自分で考え、調べ、読み、また考える。そういう単純な営みが、哲学である。
 本書にはその営みが生きている。のみならず本書では、物を考えることが物を作ることと一体になっている。本書は、物作りの思索家による哲学書である。

 物作りとは、道具を作ることである。道具とは、それを有している者が一定の用途のために使う物である。そのような道具の極致、つまり、使われるがそれ自体は作られることなくもっぱら作ることに与る原初的道具、それが身体である。
 ギリシア語で「オルガノン(organon)」とは、「道具」を意味するとともに、「器官・身体」を意味する。身体という道具を具えておのずと動くもののことを、「有機体(organism)」と言う。それは古来、「生物」の定義そのものであった。道具と身体とのそうした一体的連関が、本書では、椅子という身近な道具に即して解明される。それはすでに、道具の存在論にして身体の現象学の試みだと言ってよい。
 世には小難しい存在論や身体論の本はいっぱいあるが、それが哲学書と呼べるかは定かでない。冒頭で挙げた「単純」なことができていないようでは、そう呼べるはずもない。本書は椅子という物に即して、考えるという営みを伸びやかに繰り広げている。「事柄そのものへ!」という格率そのものに、物への問いにこだわっている。
 物作りの国の生んだ非凡な哲学書が、美しい装丁で文庫化されたことを喜びたい。

 物作りに黙々と携わる職人は、彼らに固有なこだわりの美意識たる職人気質を具えてはいても、ふつう学究肌ではない。著者の矢田部英正は学生時代、体操競技の選手であり、大学院でスポーツ科学を修めた。身体を酷使して関節障害に悩まされた経験から、姿勢というものについて考えるようになり、西洋科学に限界を感じ、日本古来の「身体技法」の次元を発見するに至った。服飾から茶道、建築まで研究範囲を広げ、自分で納得のいく姿勢補助具としての椅子をみずから作ることに乗り出すようになったのだという。
 物にこだわる職人気質は、既成の理論を疑う批判精神と相俟って、求道的なまでの真理への意志に高められている。本書では真っ先に、「人間工学と整形医学に基づくと謳われた椅子に坐って、椎間板ヘルニアになってしまう」という、笑うに笑えない事例が取り上げられる。「科学的に正しい」とされる姿勢理論や、それに基づく工法基準が、かえって腰痛を助長させてきたのである。日本人の一割が腰痛の自覚症状を訴える今日、これまで喧伝されてきた近代的理論では太刀打ちできないことは、もはや明らかである。そこで著者が関心を寄せたのが、近代科学技術以前の「禅の坐法」であった。

 「結跏趺坐(けっかふざ)」と言えば、悟りを開くために行なわれてきた仏教の修行法であり、仏像にも多く見られる。私たち現代人はこれを、膝や足首に尋常ならざる負荷のかかる「苦行」と見なしている。ところが、インドのヨーガから発祥したこの坐法は、病気の治療効果の高いポーズとして古代から重んじられ、密教や禅宗の世界では、身心の健康状態を高める「養生法」として重視されてきたのだ。
 ただ坐ることなら誰でもできる。だが、美しく坐るには、姿勢の質的な洗練を促す技術体系を体得しなければならない。単純化して言うと、上半身のリラックス状態と、下半身の充実感を基本とする姿勢――「上虚下実」――が、禅の坐法なのである。
 その場合、坐る人は、安楽さを万人に提供すべく開発された商品を享受する消費者ではない。自然な骨格に適う形で坐り方が完成へと向かう技能の習熟過程にある修養者なのである。禅の坐法では、脚の下全体に座蒲団を敷かず、太ももの半分から後ろの尻の下に「座蒲」と呼ばれる分厚いクッションを入れる。それによって骨盤を立たせ、自然な背骨の形態を作り出すのである。そういう坐り方を痛い、苦しいと感ずるのは、そういう姿勢に身体が慣れていないからにすぎない。ひとたびそれが身につく――「形を錬る」――や、その自然型によってむしろ身体は活性化され、力が漲るようになる。

 同じことは、和装における帯の着付けについても言える。帯とは、たんに衣服を密閉するための縛りではなく、骨盤を引き締め、腹部を保護し、無理なく背筋を伸ばすための、姿勢補助具であった。現代人はキモノを、自由に身動きのとれない窮屈な服と信じ込んでいるが、じつは帯には、型にしたがった立居振舞いさえ身につければ、様々な生理的効用を生む自在の働きが潜んでいたのである。
 逆に、ユーザーにいかなる努力も要求しない「人にやさしい」というスローガンは、耳触りこそ心地よいものの、それに甘んじていると、人間をどんどん虚弱にし、ことによると、道具に依存しなければ自力で立つことすらできなくさせてしまう。
 人間を自立へと導く姿勢補助具の研究は、著者をして、おのずから、自分の理想とする坐のイメージを実現する椅子の制作へと進ませた。その結果、腰痛の原因となる筋肉を動かす位置に来るように背もたれが設定され、それに毎日腰掛けるだけで患部が和らぎ、自然と姿勢の良くなるような、独特の椅子が考案されるに至ったのである。
 著者によれば、人間に自立を促すような道具をあみ出すことこそ、日本古来の物作りの思想であった。人間を道具漬けにし、機械に頼らなくては生きていけない退化した動物種を生み出す人間工学とは異なる、道具と身体との「有機的」連関が、そこには先取りされている。その豊かな可能性を理論研究のみならず制作実践でも切り拓いている「物作りの哲学者」の今後の活動に、目が離せない。

 物作りにこだわることは、書き手にとっては、本作りにこだわることでもある。著者には、博士論文を彫琢した『たたずまいの美学』(中公叢書)や、『美しい日本の身体』(ちくま新書)等のほかに、『日本人の坐り方』(集英社新書)という近著もあり、評判となっている。椅子作家や身体技法研究家としてのみならず、入念に仕上げられたこだわりの本を世に送り出す作家、エッセイストとして、著者の活躍にはめざましいものがある。何より文章が美しい。
 ギリシア語で「ポイエーテース(poiētēs)」とは、「作り手」を意味するとともに、「詩人」を意味する。プラトンからニーチェまで、哲学者は一流の作者、詩人でもあった。
 造形作家でもある矢田部が、すぐれた詩人でもあることは、たとえば、運慶作の円成寺大日如来坐像との出会いを綴った文章に、よく現われている。大日如来の「背中の表情」に心奪われた著者は、帰宅後さっそく大日如来の姿勢を真似したという。すると、「次第に外界の空気をとらえる自分の皮膚感覚や内臓感覚にも変化が生じ」――

「目を開けると、自分をとりまく外側の世界が、今まで見たこともないような光彩を放っている。静かな夜の空気に月が射し、畳の匂いや土壁の湿度が肌に心地よく、月に照らし出された庭の草木は、この世のものとも思えないほど光り輝いていた。夜空の闇までもが紺碧に輝いて見えた。いつも暮らしている生活空間は、もはや日常のものではなくなっていた」(138頁)。

 夜空の闇に紺碧の輝きを観照する境地は、身体技法と不可分のものであった。作ることと歌うことが、考えることと観ることと一体となった思索詩人の登場を、喜ばしく思う。



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2010年10月11日

『道徳哲学序説』ハチスン(京都大学学術出版会)

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「〈リベラリズム〉の教科書」

 原著 A Short Introduction to Moral Philosophy は1747年刊。一年前に出た翻訳だが、画期的な本邦初訳だし、古典はいつまでも古びないのだから、まだ湯気が立っていると言ってもよかろう。私としては、前々から取り上げたいと思っていたので、一年がかりでやっと課題を果たせてヨカッタと、胸をなでおろしている。
 本書は、「近代社会思想コレクション」叢書の一つである。第一巻のホッブズ『市民論』といい、本書といい、立派な訳業だなあと感服させられる。こういう価値ある出版企画が存続するかぎり、翻訳大国日本の将来は明るい。プーヘンドルフやシャフツベリーの著作も、ぜひ日本語で読みたいものだ。ついでにホッブズ『物体論』と『人間論』も――、と欲は深くなるばかりである。

 フランシス・ハチスンは、十八世紀前半にスコットランドで活躍した啓蒙哲学者である。1983年に『美と徳の観念の起原』の翻訳が玉川大学出版部から出たが、道徳哲学上の基本著作が邦訳されたことの意義は大きい。もっとも、ハチスン自身は、大学の指定教科書だったラテン語版が広く読まれることを期待していた。古典愛好精神(ヒューマニズム)に満ちた哲学者かつ教育者は、しぶしぶ認めた英語版が出る前年に世を去った。日本語で読めるようになってヨカッタなどと呟いたら、怠慢を咎められそうだ。
 「哲学の教科書」を自称する本は、現代でも各種流布しているが、この「道徳哲学の教科書」は筋金入りである。「モラル・フィロソフィーのテキスト」はかくあるべし、というお手本みたいなもの。古典的素養に裏打ちされた、「人間的なもの」に関する哲学的考察が、平易でありながら最高水準で展開されている。どんな時代にも通用する、人文学(ヒューマニティーズ)を学ぶ人のための絶好の入門書たりえている、と実感。
 そればかりではない。ハチスンを起点として、ヒュームやスミスといったスコットランド学派の哲学が現われた。ヒュームの次にカントが来るという流れは、ひとまず措くとしても、ハチスンの後継者スミスは、近代経済学の出発点に位置すると同時に、社会科学なるものの確立者の一人である。『道徳感情論』から『国富論』への動きの手前に『道徳哲学序説』があったことを、ソーシャル・サイエンスを学ぶ人は誰しも銘記しておかねばならない。それこそ、経済学や社会学の学生の必読書に指定してもよいほどなのである。

 かたや、プラトン、アリストテレス、クセノフォン、なかんずくキケロと聖書。かたや、グロティウス、プーヘンドルフ、ハリントン、もちろんホッブズにロック。本書が背景としているモラル・フィロソフィーの絢爛たる系譜は、奥が深い。それらを踏まえ、自然法と市民法の綱要を述べている第二部、第三部は、その射程の広大さゆえに、今回立ち入ることができない。一言だけ言っておけば、伝統的には家政術と見なされてきた「オイコノミケー」を公共経済へと、つまり私的なものから公的なものへと、転換、拡大したのが、ハチスンその人であった。スミス以降に「エコノミックス」が全面的に展開していくための地平を拓いた、その意義たるや、推して知るべしであろう。
 本書全般の読み方については他日を期すこととし、今回は、倫理学を扱った第一部に見られる「所有」の意義づけに一瞥を与えるのみとしたい。

 人間の本性をどう見るか。ホッブズは、万人は万人にとって狼とし、「自然状態イコール戦争状態」論を説いた。自己保存欲求を中心に据えるこの率直な人間観は、幾多の優れた論者から猛烈な反発を買った点一つとっても、功績大であった。ハチスンも、ロックやシャフツベリーに倣い、ホッブズ流の利己主義的人間観の克服をめざす。
 「人間には、ある無私の善良性があって、自分自身の利益を顧みることなく、最愛の人物の利益を究極的に求める」(28頁)。この「無私の感情」は、「共感あるいは同胞感情」(32頁)とも呼ばれ、スミスの道徳感情論やルソーの自然善性論をはじめとする共生の論理の支柱となっていく。「われわれは自分自身の利害を考慮に入れることなく、他の人々が快活でいるのを目にすれば歓喜し、涙を流していればその人々とともに泣くという性向をもっている」(33頁)。利他主義道徳のこうした基礎にひそむものに注目してみよう。
 「たとえ自分だけの使用や快楽のために必要ないっさいのものを完全に備えていたとしても、それで自分が充分に幸福であると考えられる人はほとんどいない。そういう人はさらに、自分にとって最愛の者のために、ほどほどの蓄えをもつにちがいない。というのも、最愛の人が不幸であったり、苦しんでいたりすると、その人自身の幸福は必ずかき乱されるからである」(33頁)。この記述はさらに、「われわれのあらゆる喜びが、たとえもっとも低級な快楽でさえ、他の人々と共有されることによって不思議なほど増大する」(33頁)と、補強される。「他の人々が繁栄していれば、それを喜ぶし、悲惨であれば、その人々とともに悲しむ」(32-33頁)という、共喜と共苦の両面が、「共感sympathy」を構成する。

 「共苦Mitleid」としての「同情」の美徳に、ニーチェが深い懐疑を突きつけたことは有名である。同情することは、同情される側を見下すことに他ならず、助けることは、助けられる側を従属の地位に貶め、その尊厳を奪うことに等しい。そういう同情道徳の陥穽から脱却する方途と見なされたのが、「共喜Mitfreude」であった(『愉しい学問』338番)。ニーチェによれば、喜びを――羨望・嫉妬するのではなく――共に分かち合う「交歓」こそ、対等な自由人同士の関係にふさわしい。だが、同情道徳の系譜のど真ん中に位置するはずのハチスンに、その道徳を批判したニーチェが希求した「共喜」のモラルが見出されるとすれば、その道徳の系譜に関するニーチェ的評価は修正を迫られることになろう。
 ハチスンにおいて、「共有」が「所有」の意味基底とされている点に注意すべきである。たとえ自分一人の所有が十全であっても、おのれの愛する人々が欠乏していたら、幸福とは言えない。それゆえその人は、おのれ自身の幸福実現のために、自分の所有物を喜んで投ずることであろう。これは「気前よさ、親切心、善意」(73頁)と呼ばれる。これを逆に言うと、他者に贈り与えることができるためには、「ほどほどの蓄え」をもたなければならない。「親切の機会」(74頁)の確保のためにも、財産の所有は是認される。さもなければ、われわれは親切を施しえず、「共喜交歓」を実現することができないからである。
 「人生を完全に幸福とするためには、この世の中で、ほどほどの繁栄に恵まれていなければならない」(83頁)。こうハチスンが述べているのも、同じ思想にもとづく。「ほどほど」の財産は、共有とその喜びを可能にする、不可欠条件なのである。念のため言っておけば、共有が重んじられるからといって、はじめから一切が共有されていること――私有制の否定――が最善の状態とはかぎらない。その場合には、「気前よさ」も、「最高段階の気前よさ」としての「大度」(125頁)も、発揮される余地がなくなってしまうからである。

 「気前よさliberality」は、古代以来、自由人の徳として重視されてきた。アリストテレスは、私有財産制を否定したプラトンに反論するさいの論拠として、気前よさの封殺の弊害を挙げている。その系譜を継いだ一人がキケロであった。ハチスンは、そのキケロの『義務について』を最良の手本とした道徳哲学の教科書のなかで、この伝統に棹差して、財産をもつことは、豊かな共生のためにも必要だ、と言っているのである。
 「気前よさの手段としての財産」肯定論は、『道徳哲学序説』第二部の「所有権」論にも見られる。各人が「気前よさや友情のために利用しうるものを獲得」(188頁)し、「自らの消費をこえる部分は彼にとってもっとも愛しい人々への譲渡が完全かつ自由に行なえる」(189頁)ことが、所有権を保証することの重要な意義に数えられているからである。
 損得ずくの契約による自由の譲渡から国家権力の成立を説明したホッブズや、労働生産物の等価交換という交渉関係を富の増大の基本に据えたスミスと比べると、ハチスンが所有論で顕揚した「自由人の徳」は、いささか古風に見える。だが、近代のそうした古層にこそ、もう一つの「公共経済」の可能性がひそんでいたのかもしれないのである。
 そんな想像を逞しくさせてくれる「〈リベラリズム〉の教科書」が、日本語読者に共有されてヨカッタと、ともに喜びたいと思う。たぶん原著者の本意にも反しないだろう。


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2009年12月29日

『アウシュヴィッツ以後の神』H.ヨーナス(法政大学出版局)

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「いま、神はどこに」

 2009年の収穫といえる哲学書の翻訳を、一つ紹介しておこう。「神」について語ることは、現代いかにして可能か。二十世紀を生き抜いた哲学者ハンス・ヨーナス(1903-1993)は、本書に収められた晩年のエッセイ三篇のなかで、この問いに真摯に取り組んでいる。コンパクトでありながら、ずっしり重い一冊。

 「神について語ること(テオロギア・神学)」なしに哲学がありうるかは、定かでない。ひょっとすると、神学の可能性と哲学のそれとは一蓮托生かもしれない。少なくとも形而上学の歴史は、神という主題と命運をともにしてきた。だとすれば本書は、現代における哲学の可能性に取り組んでいるともいえるのである。
 著者は、ハイデガーの数多い弟子の一人である。ややマイナーな話題ながら、2009年9月、「いま、神はどこに」を統一テーマに、ハイデガー・フォーラム第四回大会が開かれた。発表者の一人、大貫隆は、グノーシス研究史上のヨーナスの草分け業績に検討を加えた。ちょうど同じ頃出た本訳書は、そのヨーナスが後年、全体主義の時代経験から形而上学的思考をどのように再試行したかを伝えている。「ハイデガー以後」のユダヤ人哲学者による「神学」としては、レヴィナスやデリダの仕事が注目されてきたが、ヨーナスから発せられた「ユダヤの声」にも耳を傾ける価値があると痛感させられた。
 ユダヤ人の神学論考と聞くと、怯む人がいるかもしれない。しかし、二十世紀の科学的達成と哲学的混迷と政治的破局の洗礼を受けたヨーナスは、特定の教理に縛られずに、自前の「仮説」を大胆に語る。優に「異端」と呼ばれるに値する、知的冒険の書である。

 第一章「アウシュヴィッツ以後の神概念――ユダヤの声」は、タイトルの示すとおり、ナチスによるユダヤ人大量殺戮という戦慄すべき光景を目にした者が、いかなる神について語りうるかを正面から論じている。アウシュヴィッツが猛威をふるった数年間、「救いの奇跡」はついに起こらなかった。神が「沈黙」したのはなぜか。「神はそれを欲したからではなく、そうできなかったから、介入しなかったのだ」(25頁)。著者はそう言い放つ。
 神が善であり、かつ不可解ではないとしたうえで、現代世界に噴出した根本悪を直視するとき、「神は全能ではない」とのテーゼが導き出される。これをモティーフに創作された「神話(ミュートス)」では、神はおのれの力を断念することでこの世界を作った、と物語られる。自己の全能性と引き換えに世界を創造し、かつ被造物に自由な活動の余地をゆるした神は、「危機にさらされている神、その身にリスクを抱えた神」(19頁)である。いまや神は、世界との関わりにおいて「苦しみ」、「生成し」、「気づかう」存在なのである。
 「神の世界内存在」(10頁)――この不思議な言い回しは、最初にミュートスが語られた論文「不死性と現代の実存」(邦訳『生命の哲学』所収)にすでに見られる。救済の場を、キリスト教のようにあの世にではなく、この世に見出すユダヤ教徒にとって、神とは「歴史を支配する者」だった。その歴史においてアウシュヴィッツが起こったということは、神はおのれの支配を断念して、歴史のただ中での「無力」(25頁)をあえて引き受けたということを意味する。だが、「神が力を断念したのは、ひとえに人間の自由をゆるすため」(26頁)であった。だとすれば、人間の側の「気づかい」――世界の存続に対する責任の引き受け――は、神のかの気づかいへの応答であり、その成就なのである。
 神と人間の「世界内共同存在」の倫理。新たな哲学的課題がここに示されている。

 第二章「過去と真理――いわゆる神の証明にたいする遅ればせの補遺――」は、神の存在証明は理論的には不可能であると認めつつ、形而上学の歴史におけるこの「死屍累々たる古戦場」からなお再論に値するものを救い出そうとする試みである。
 過去はもはや存在しない。存在しないものに関して真偽を論ずることに意味はあるのか。この問いは、歴史科学――生物進化論や宇宙進化論も含む――の存亡に係わる問題である。「カエサルはルビコン川を渡った」という言明は、本当に真なのか。もし伝承されてきた史料がすべて改竄されていたらどうか。歴史を組織的に書き換える全体主義のことを思えば、この疑念は杞憂とはいえない。結局、人類の「思い出」に頼ることはできない相談なのである。過去についての言明の真理性が保証されるためには、それに対応する過去の全事実が、どこかに現に存在していると考えなくてはならない。この「過ぎ去ったことの永遠の現前」の場所こそ、神ではなかろうか。――そうヨーナスは推測を進める。
 「過ぎ去ったことの真偽を区別する可能性の制約は、絶対的な精神のうちにある」(54頁)。この思弁的テーゼの当否はさておき、歴史を有意義に語る「超越論的条件」として「あらゆる出来事がおのずと書き込まれるような永遠の記憶」を要請する本章の議論は、神概念と真理概念の交差する地点に照明を当てるものとなっている。

 第三章「物質、精神、創造――宇宙論的所見と宇宙生成論的推測――」では、自然哲学的思考が壮大に展開される。唯物論が絶対的優勢を誇る現代に、主観性という原理を持ち出して目的論を復活させようとするドンキホーテ的気概は、爽快ですらある。
 他に還元不可能な固有の質をもつ主観性が、進化の過程で生命体のうちに出現したという事実を、たんなる中立的偶然によって説明するのは、異常に困難である。むしろ、主観的生を生み出した物質そのものが、主観性と疎遠ではなく、そのような発展への「あこがれ」(71、73、85頁)を秘めた「当初から潜伏期にある主観性」(72頁)であったと考えるほうが、辻褄が合う。「ビックバンのなかで形成された物質にすでに、主観性に通じる可能性が居合わせていた」(85頁)。物質の因果性のうちに、精神の出現という「目的因」を数え入れようとする、自然主義と目的論のヨーナス的結合は、大胆このうえない。
 かくて、第一章でも語られた「自己の力を放棄して世界を創造する神」のミュートスが、宇宙論的-宇宙生成論的に語り直される。その結論はこうである。「神的な冒険の運命は私たちの移り気な手のうちに…ゆだねられており、それに応える責任が私たちの肩にかかっている」(105頁)。神との世界内共同存在の倫理は、「宇宙規模でなされた実験」への「宇宙的義務」(106頁)だとされるのである。

 「証明できないことに手を染めることはできない」と信じ「形而上学を禁じるドグマ」(109頁)の支配のもとで、現代哲学はすっかりおじけづいている。しかしながら、「全体について熟考するのが哲学の仕事である」(110頁)。「恥をさらす結果に終わるほかない」としても、「一度は深い水のなかにあえて飛び込」(111頁)むべし、とヨーナスはわれわれを「究極の問い」へといざなう。思考には勇気が要る。安全第一ではダメなのである。
 アウシュヴィッツ以後、神学はいかにして可能か。「アウシュヴィッツは私にとって神学的なできごとでもあった」(102頁)と語る哲学者にとって、その問いは愚問だったろう。


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2009年10月11日

『技術への問い』M.ハイデッガー(平凡社)

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「テクノロジーの本質を問う」

この書評欄で取り上げるのは専門分野にあまり近くない書籍のほうがよさそうだと思っていたが、さっそく第二回から、自分の仕事に直近の新刊を紹介することになった。これはもう声を大にして言い立てるしかない、イチ押しの本が現われた。傑出したテクスト「技術への問い」の新訳を収めたハイデガー技術論精選集である。

「ハイデッガーが『というのは、問うことは思索の敬虔さなのだから』という、いまや有名になった文章でこの講演を締めくくったとき、満場の人びとから嵐のような歓呼の声が上った」(244頁)。1953年の講演「技術への問い」が聴衆にいかに熱狂的に支持されたかを、訳者後記はこう印象深く伝えている。ハイデガーというと、山小屋で思索に耽る哲人というイメージを抱く人もいるだろうが、それはほんの一面にすぎない。というよりそのイメージ自体、付加価値然と市場で流通してきたというのが実態である。ハイデガーほど公的注目を集めることに――人騒がせなほど――秀でていた講壇哲学者も珍しい。

第一次世界大戦後に「実存」、つまり人の生き死にを哲学的テーマに据えたことが、『存在と時間』の成功の一因であった。その目利きのよさは、第二次世界大戦後にも遺憾なく発揮された。二発の原子爆弾の炸裂が、終わりでなく始まりを劃することになった時代に、「技術」を哲学の中心問題を立てたことは、この哲学者が自分の属する時代とともに考えるスタイルを貫いたことを物語る。それでいて半世紀以上経ってもなお、その思索は少しも古びていない。「技術への問い」は、どんな新刊書よりも新鮮である。

アクチュアルなトピックに飛びつく凡百の論者とちがうハイデガーのすごさは、現代の問題を哲学の原初へと結びつけて掘り下げる手腕のたしかさにある。「技術への問い」は、ギリシア語の「テクネー」へと遡り、テクニックの語源であるこの語が、生産のための手段知ではなく、学知(エピステーメー)その他と並んで真相をあばくはたらき(アレーテウエイン)の一種を意味していたことに、思い至らせる。存在者を現出させる制作(ポイエーシス)を導くテクネーは、「真理が生起する領域」で本質を発揮するものだった。

では、現代技術はどのような「真相をあばくはたらき」なのか。これが問題である。ハイデガーは、「挑発」という言葉を使って、テクノロジーの本質を射当てようとする。現代技術は、自然を「挑発」して、そのエネルギーを引き渡すよう、しつこく迫る。たとえば、農業はいまや、かつてのように大地での作物の成長を見守ることではなく、土壌をけしかけ、そそのかし、煽り立てて吐き出させ、まんまとむしりとる、機械化された食品工業である。この場合、人間は、地上の主人であるどころか、人的資源として現代技術に使い回される要員にすぎない。人間もまた「挑発」されるのである。

自然と人間の一切を挑発する現代技術の本質を、ハイデガーは「集-立(ゲ-シュテル)」と呼ぶ。それは、物的、人的な資源をかり立て、かき集め、ひっきりなしに回転させては、自己増殖を遂げる「巨大-収奪機構」――故渡邊二郎の苦心の訳語――である。ヒトとモノを総動員する総力戦の時代をくぐり抜けてきた哲学者なりの「全体主義の時代経験」がベースになっていると見られるので、私は以前べつなテクスト(『ブレーメン講演とフライブルク講演』)の翻訳で、「総かり立て体制」という訳語を、あえて用いてみた。「ゲシュテルング」と言えば、「徴兵に応じること・応召」である。読者は、「集-立」の語にそういった物々しい含意がひそんでいることを念頭に置くとよいだろう。

20世紀に恐るべき躍進を遂げたテクノロジーの本質を問うて、ハイデガーはその「挑発」の一大システムを、「集-立」と命名した。言葉遣いは奇異だが、言っていることはよく分かる。早くもフランシス・ベーコンは、技術をひっさげて自然に介入・干渉してその秘密をあばき出す作為的攻略法に、近代知の動向を見定めた(村田純一の近著『技術の哲学』岩波書店、を参照)。自然を苦しめ悩ますこのおせっかいは、「拷問」に比されてもいた。あるいは、ハイデガーの言う「集-立」を、マルクスのかの「資本」になぞらえてもよかろう。グローバルに膨張し続ける「巨大-収奪機構」のもとで、いつしか人類は、地球という資源をごっそりむしりとるべく雇われた「派遣労働者」と化しているのである。

現代を見舞うこの「命運」に、ではわれわれは、どう対処すればよいのか。そこからの脱却はいかにして可能か。ハイデガーの思索は、残念ながら応用倫理でも臨床哲学でもないから、この種の問いに答えてはくれない。テクノロジーの本質を問うことは、その深みをチラッと覗き込んでは戦慄に襲われて鳥肌が立つことくらいしか効能がない。とはいえ、べつの小講演でハイデガーが引用している荘子の「無用の木」にあるように(153頁)、「役に立たないからといって、なんの悩むことがありましょうか」。「その木のまわりを気ままに廻ってみたり、木蔭でゆっくり居眠りできる」だけで、十分ではないか。いやひょっとすると、そういうしぶとい呑気さこそ、「集-立」への抵抗拠点ではあるまいか。

清新な翻訳の登場により、テクノロジー論の古典が現代日本の一般読者に提供されるようになったのは、じつに喜ばしい。「技術への問い」のほかに、これまで翻訳では近づきがたかった重要論文二篇と、本邦初訳の二つの小品を加えた、充実の一冊。「集-立」を形象化したかのような装幀もみごとである。


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2009年09月15日

『マルクス・アウレリウス『自省録』――精神の城塞』荻野弘之(岩波書店)

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「書物の運命」

毎週日曜、某新聞の書評欄を眺めては、いつも思う。なぜ新刊本ばかり取り上げるのか。もっとよい本ならいくらでもあるのに――。
 活字離れとか学術出版の危機とかよく言われるが、じつは今の世の中、新刊本が洪水のようにあふれている(専門研究書にしたって垂れ流し状態に近い)。賭けてもいいが、そのうち99.9パーセントは、百年後、誰にも見向きもされなくなっている。手当たり次第読み漁っても、よほどクジ運がよくないかぎり、売り出されるやたちまち賞味期限の切れる消費対象にしか行き当たらない。その空しさといったら。
 自分で対象を選んで書評を書くのなら、せめて、この空しさを増幅させないようにしたいものだと思う。そのためには、古典的作品か、さもなければ古典へのいざないの書を取り上げるのがよさそうだ。そこで本ブログ開設に当たり、マルクス・アウレリウス『自省録』の道案内役をしっかり果たしている古典入門を、最初に取り上げることにした。

「一冊の書物が伝承されて今日に伝わるというのは、ある意味で奇跡的なことである」(73頁)。
 近ごろ実感するのだが、古典とは、空気みたいに当たり前の存在に見えて、じつはこの世の奇跡なのである。これが聖書とかプラトン著作集とか論語とかなら、話は別かもしれない。開祖の御説相伝は、自己保存本能に駆られた教団の組織ぐるみの事業だからである。これに対し、著者の没後、思想的後継者もないまま、一冊だけ作品が残り、それが百年千年にわたって読み継がれるというのは、まずありえないことなのだ。
 『自省録』はその典型である。ローマ五賢帝時代の最後を飾る超有名人が著者なので、多少割り引いて考えなければならないが、古代の哲人皇帝が書き遺した内省の書を、現代のわれわれが読めるというのは、なかなかどうして、とてもありそうにないことである。そういう読書経験の奇跡性を、迂闊なわれわれにこの入門書は思い起こさせてくれる。

「書物誕生」というシリーズの一冊だけあって、本書は、『自省録』という書物がいかなる背景をもち、どのようにして成立し、どんなふうに伝承されてきたかを、詳しく紹介している。奴隷あがりのストア哲学者エピクテトスの語録が、ローマ皇帝にとって思索の指針となったという逆説。若き頃より哲学を志しながら多忙な政治的生を送らざるをえなかった主人公の栄えある生涯。公務に追われ戦場に赴いては、世の空しさを見つめる内省の襞をひそかに書き記した彫心鏤骨の文章。謎に包まれた写本時代をくぐり抜け、時代ごとに一流の愛読者を獲得し、連綿と読み継がれてきた息の長い歴史――。
 名ガイドの学殖あふれる紹介によって、書物というものの運命性が、まざまざと思い知らされる。欧米で活況を呈している古代後期哲学研究の新しい成果を踏まえているのも、第一線で活躍する著者ならではの頼もしい点である。

第Ⅰ部で、精神科医・作家の神谷美恵子による名訳誕生秘話から、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』でのマルクス帝出演まで、読書を豊かにする予備知識をふんだんに与えられた読者は、第Ⅱ部で、いよいよ『自省録』のテクスト読解のレッスンを受ける。
 第一巻は飛ばして第二巻から読め、との助言はありがたい。「精神の城塞」というキーワードを取り出し、ストア哲学の核心思想を取り出す手腕はあざやかである。繰り返しや途切れも珍しくない雑多な断章のなかに、緊密な構造規則が埋め込まれているという指摘は、発見にとむ。あらためて第一巻の謎にいどみ、有徳の先人の顕彰という文学的伝統と倫理的規範の観照という哲学的方法とがそこに結合していることを見届ける終章は、古典読解に領域横断的な冒険精神がほとばしりうることを感得させる。

瞑想録・自省録というジャンルに古来つきものなのが、「死」というテーマである。ストアの賢者にとって、死の運命を恐れ、嘆き悲しむことは、愚かさのきわみであった。とりわけ、戦乱と疫病の時代にあって切迫する死を凝視しつづけたローマ皇帝の遺稿には、「死に対する言及が異常に多い」(170頁)。宇宙を総覧する高処から見下ろせば、死すべき人間の所業など取るに足らぬ。ヘラクレイトスばりの永遠回帰思想は、人の死後その人の営為が記憶され、不滅の名声を勝ちとるといった意義づけの仕方を、あっさり粉砕してしまう。
 「永遠の記憶などということは、いったいなにか。まったく空しいことだ」(『自省録』4-33,神谷美恵子訳)。
 しかし、そう言い切ったマルクス自身の作品が、死後しぶとく受け継がれ、いつまでも読み継がれている。永遠かは知らないが、人類の共同記憶に保たれている。これは矛盾ではない。古典とは奇跡であり、永遠回帰の通則のまれな逸脱例なのだから。

今の日本には、『自省録』の翻訳が、三種類出回っている。神谷美恵子訳(岩波文庫1956年、改版2007年)。鈴木照雄訳(中央公論社世界の名著版1968年、講談社学術文庫版2006年)。水地宗明訳(京都大学学術出版会1998年)。
 こういう古典の洪水なら、大歓迎である。まだ読んだことのない人も、前に読んだことのある人も、優れた攻略本を与えられた今、新刊書の氾濫の空しさをしずめる一服の清涼剤として、一緒に古典を手にとることをお勧めしたい。秋の夜長、至福の読書の時をもてること、まちがいなしである。
 さらに欲を言うなら――非ストア的だろうか――、『自省録』に鼓舞された現代人が、「最期の時」を想う想像力の訓練と、「書く」という精神的訓育を励行するようになれば、この世の空しさも一寸はやわらぐというものだ。


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