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2014年04月20日

『ハンナ・アーレント』矢野久美子(中央公論新社)

ハンナ・アーレント →紀伊國屋ウェブストアで購入

「20世紀のメインストリートを駈けぬけて」

 自分の所属がこの四月から変わり、仙台に住み始めた。この書評空間も一区切りを迎えるとのこと、その最終回として駆け込みで投稿しようと思い立った。となると、やはりこの一冊。アーレント研究で定評のある著者が、20世紀を代表する女性哲学者の生涯に正面から取り組んでいる。

 昨秋、岩波ホールで封切られたドイツ映画『ハンナ・アーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品)が、筆禍に屈しなかった哲学者の生き方を丹念に描き、地味ながらヒットしたことは記憶に新しい。その最良の解説本がこれ。アーレントの伝記としては、ヤング=ブルーエルの大著(邦訳晶文社)が今なお決定版だが、本書が、日本語で書かれた本格評伝として今後読み継がれていくことは間違いない。生い立ちから丁寧にヒロインの波瀾万丈の一生を描いて、間然するところがない。何より、著者のアーレントへの愛がすみずみにあふれている。それでいて出しゃばったり押しつけたりすることなく、控え目な叙述のうちに主人公の真摯な生き方がおのずと浮かび上がるしくみになっている。出来事と人生を物語るということの意味を省察したアーレントに長年学んできた著者ならではの、再話実践のお手本がここにある。

 アーレントほど出会いに満ちた人物も珍しい。父は早くに亡くしたが、進歩的な母に大事に育てられた一人娘は、父方の祖父を介して、のちにシオニスト指導者として活躍するクルト・ブルーメンフェルトと出会っている。学生時代に再会し感化を受けてユダヤ人問題に開眼させられることになるが、後年、その恩人とアイヒマン裁判レポートをめぐって悲しい訣別をせざるをえなくなることは、映画のなかでも詳しく描かれていた。
 少女ハンナは、故郷ケーニヒスベルクの生んだイマニュエル・カントの哲学書を読みこなし、ギリシア悲劇を原文で耽読するなど、知的に早熟だった。18歳でマールブルク大学に入学、哲学界の隠れた若き王、マルティン・ハイデガーに出会う。これに先立つフッサールとハイデガーとの出会いにひけをとらないほど、現代哲学の趨勢を決定づけた運命的な出会いであった。私などは、「ハイデガーとアーレント」という研究テーマに人生を捧げられたら本望と、心底考えている。映画では、女学生に言い寄った哲学教師の姿が、ややコミカルに回想されていたが、戦後に再会してから本格化する二人の哲学上の対決は、たんなる色恋沙汰を超えて、20世紀精神史の主戦場の相を呈することとなった。
 アーレントはマールブルクで、ハイデガーの同僚の神学者ルドルフ・ブルトマンの演習にも出ている。一緒に出席したハンス・ヨーナスとは生涯の親友となったが、アイヒマン裁判のおり、その固い友情にもヒビが入ったことが、映画でも強調されていた。
 ハイデガーにとってアーレントは『存在と時間』執筆時の霊感の源泉だったようだが、一年半でマールブルクを去ってハイデルベルク大学に移り、ハイデガーの盟友だったカール・ヤスパースのもとで博士論文を書く(その前にはフライブルク大学でフッサールにも学んでいる)。ヤスパースはヤスパースで主著『哲学』の公刊準備中であった。ハイデガーとヤスパースという20世紀ドイツ哲学の両雄から等しく学び、両人とのちのちまで親密な交流をもったというのだから、恐れ入る。なんと贅沢な学びであったことか。

 アーレントの最初の結婚相手ギュンター・シュテルン(のち筆名アンダース)も、ハイデガーに学んだ知の冒険家で、後年、核時代のテクノロジー論を独特に展開したことで知られ、今日評価が高まっている。ベルリン時代の二人は、劇作家ベルトルト・ブレヒトと交流があったし、ナチスの政権掌握後、パリに亡命してからは、ギュンターの母の従弟である批評家ヴァルター・ベンヤミンと親しく交わった。ベンヤミンは、ドイツの支配に屈したフランスから脱出しようとして果たせず、惜しくも自殺した。その直前たまたまアーレントと再会して対話を交わし、遺稿を託している。のちにアーレントは、この「歴史哲学テーゼ」を出版することに尽力することになる。
 パリ亡命時代に知り合った多士済々のなかでも、生涯を通じての最重要人物が、二番目の夫となったハインリヒ・ブリュッヒャーである。第一次世界大戦直後のドイツ革命時に労働者としてスパルタクス団に身を投じた筋金入りの元革命家は、もともとノンポリだったアーレントの政治的思考を鍛える良き対話相手となった。映画でも、ハインリヒとハンナのカップルはじつに仲睦まじく見えたが、本当にそうだったようだ。ハインリヒに表立って捧げられた『全体主義の起源』と『過去と未来の間』をはじめとして、アーレントの作品はどれもブリュッヒャーの支援なしにはありえなかった。哲学仲間である夫が、主たる働き手の妻の思索と著述を後ろから支えるという新しいおしどり夫婦像が、そこには成立していたのである。
 夫婦で命からがら大西洋を渡ってアメリカに行き着き、難民としてニューヨークに住み始めたあとも、アーレントは新しい環境で多くの人びととめぐり合い、友人たちに恵まれた。とりわけ、小説家メアリー・マッカーシーと親交を結んだことは、映画にも描かれていた。才気煥発なアーレントはおのずとニューヨーク在住の亡命知識人の中心と見なされたが、交友が上層知識人サークルに限られていなかったことは、労働する思索者エリック・ホッファーと交流があったことからも知られる。本書では、ホッファーとの交流が印象深く紹介されている。

 以上のほかにも、アーレントは数え切れないほど多くの出会いを経験し、それを思索の糧にしていった。その最たる相手であるハイデガー、ヤスパース、ブリュッヒャー、マッカーシーとの手紙のやりとりは邦訳もされているが、どれも読みごたえのあるものばかりである。たとえば、新刊の『アーレント=ブリュッヒャー往復書簡』(みすず書房)を、ハイデガーが妻エルフリーデに宛てて書いた手紙と比べてみれば、アーレント夫妻のおしどり哲学者ぶりが際立つ。一冊も本を書かなかったブリュッヒャーだが、妻との往復書簡(巻末付録としてバード大学講義テープを起こしたものも載っている)から、その自由な精神の躍動ぶりが窺われる。哲学的問いかけを得意とし現代のソクラテスと評されもする市井哲学者が、悪妻クサンチッペの立場にはまっているところが、何とも面白い。

 アーレントは、卓越した人物との出会いを次々に果たしただけではない。「戦争と革命の世紀」に生を享け、その時代の渦中深く入り込み、戦慄をおぼえつつ未曾有の出来事を凝視し、そのただなかを立ちどまりつつ走りぬけた長距離ランナーであった。ユダヤ人として目覚めさせられた多感な少女時代。ドイツ哲学のエッセンスを一身に浴びた豊饒な学生時代。ナチス台頭により亡命を余儀なくされ、パリへ、そしてニューヨークへ流れ着いた困窮の難民時代。ヨーロッパ的学問移植の坩堝と化す一方、古き良き時代から変質しつつあった共和国の実情を、内側から眺めることのできたアメリカ市民時代。なかでも、絶滅収容所を本質としてもつ全体主義という人類史上空前の怪物の出現に立ち会ったことは、アーレントの思想的課題の中心に据えられることとなった。
 怪物との遭遇は、ふつうの人間的尺度で測れば、悲惨とか非運とか評されるものである。だが、根っからの哲学者にとってそれは、大いなる観物となる。出来事が深刻で悲劇的であればあるほど、それだけ思考は強靭に鍛えられ、知としては悦ばしきものとなる。地獄を見ることが喜びであるのは、必ずしも倒錯ではなく、知への愛が本物であるかどうかの試金石となりうるのだ。20世紀の王道を表裏走りぬけた女傑の生涯は、戦慄から思考が再開されるということを、紛れもなく証言している。

 1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、第二次世界大戦が終結を迎えたとき、アーレントはブリュッヒャーに宛てた手紙で、次のように書いたことが紹介されている。「原子爆弾の爆発このかた、これまでよりいっそう不気味で恐ろしい気がします。なんという危険なおもちゃを、世界を支配する愚者どもが手にしていることか」。
 本書で示唆されているとおり、アーレントは『人間の条件』で、科学研究が政治的行為に劣らぬアクションと化し、自然を相手に博打を打つ大いなる賭に乗り出すという現代世界の根本動向を、冷徹に考察している。不気味さと恐怖を元手として「原子力で哲学する」可能性が、そこに切り拓かれたのである。
 アーレントが20世紀の真っただ中で戦慄をおぼえ思索の事柄に据えた「おもちゃ」は、21世紀のわれわれにもなお脅威の的でありつづけている。われわれを震撼させた3・11の出来事、とりわけ「おもちゃ」の進化形たる核時代の虚無化基地の暴走は、アーレントがおぼえた悪寒に匹敵する不気味さと恐怖を、大地にまき散らしている。日本列島は愚者の楽園だったのか、とため息が出るほどだ。この事態に遭遇したわれわれは、何を始めればよいのか。本書の物語る哲学者の不屈の生き方は、それをわれわれに指し示しているように思われる。



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