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2013年01月24日

『哲学原論/自然法および国家法の原理』トマス・ホッブズ(柏書房)

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「近代的なものの原典」

 ついに出た。ホッブズの哲学体系三部作の完訳。哲学要綱草稿付き。2012年の読書界の収穫と言えば、本書を挙げなくてはならない。総計1700頁に及ぶ大冊(!)の重みは、優に大辞典に匹敵する。持ち運びには不便このうえなく、本体価格は二万円。誰が買うのか分からないような、開いた口がふさがらないほど反時代的な本を出す出版社の――気が知れない、というか――意気にはほとほと頭が下がる。一冊でホッブズ著作集が揃えられると思えば、じつは決して高くない買い物である。
 訳者は福島の大学教員と高校教員のペア。十七世紀に書かれたラテン語と英語の二通りのテクストを比較対照し訳出するという作業にかけられたであろう労力は、想像を絶する。一部を除きこれまで手の付けられなかった難事が果たされた今、日本のホッブズ研究は新時代を迎えた。同時代人デカルトの影に隠れ傍流に甘んじがちであった近代精神の創設者の一人を、正当に遇することが容易になったのである。

 ホッブズと言えば、『リヴァイアサン』が有名である。なるほど、マイケル・オークショットも絶賛するように(『リヴァイアサン序説』中金聡訳、法政大学出版局)、この代表作はかつて英語で書かれた哲学書の中で最も偉大な傑作の一つであろう。しかし、ホッブズが彼の時代の学術語であったラテン語で書いたライフワークと言えば、『哲学原論』を措いて他にはない。デカルトの主著が、『方法序説』ではなく『省察』であったのと同じく。
 四十歳を過ぎて哲学研究に本格参入した遅咲きのホッブズは、五十二歳の年(1640年)、哲学体系構想を『法の原理』という英語の草稿にまとめたのち(これが本訳書に付されている『自然法および国家法の原理』で、訳文260頁とこれだけで普通は一書の分量)、主著『哲学原論』の執筆に取りかかる。まず第三部の『市民論』を、亡命先のパリで1642年に著す(同じ頃、デカルトは『省察』を出版)。第一部『物体論』は1655年、第二部『人間論』は1958年に出ている。
 その間の1651年、一般向けに書かれた『リヴァイアサン』は、政治哲学を中心とし、かつ宗教論を補強する形になっている。そこに同時代人の関心の所在のみならず、著者の真骨頂が示されているとも言えるが、それもあくまで哲学体系全体の内部に位置づけられるべきものである。そういう意味で、本訳書によってホッブズ哲学の全貌が明らかになったことの意味は大きい。『市民論』の本邦初訳(本田裕志訳、京都大学学術出版会、2008年)に続く快挙である。

 ホッブズとは何者か。『リヴァイアサン』の著者は、自然状態を戦争状態と等置したうえで社会状態への移行による平和と安全の確保を説き、社会契約論の創始者となった。――このような理解は決して間違いではないが、その前に確認しなければならないことがある。ホッブズは、ガリレイ、ケプラー、ハーヴェイ、デカルトらと同じく、十七世紀科学革命に参画した革命家の一人であった。その正統な続行として、伝統的政治哲学を転覆し新しい政治哲学を確立することに意を注いだのである。この事実をはっきり示すのが、『哲学原論』第一巻『物体論』に付された献呈の辞である。
 ホッブズは、まず、幾何学とその論証形式は古代から完璧であったこと、これに対して、古代にも地動説はあったが抑圧されてきたため天文学の真の始まりはコペルニクスを待たねばならなかったこと、また、運動論を中心とする自然哲学はガリレイを以て嚆矢とすること、英国人ハーヴェイの医学上の新発見もこの新しい流れに棹さすものであったこと、さらに、ケプラー、ガッサンディ、メルセンヌにより急速な進歩が見られたこと、を顧みたうえで、この知的躍進の続行として政治哲学を創始したのはこの私だ、と述べる。

 「国家哲学は私自身の『市民論』より以前には遡ることができません。」(10頁)

 「挑発的」な自負であることは本人も自覚しての発言だが、私は、ホッブズのこの時代認識と自己了解は、正確無比であったと思う(数学におけるデカルトの業績をわざと抜かしている点を除けば)。「アリストテレスの自然学と形而上学から多くの愚かで誤ったものが利用され」(11頁)てきた学問の伝統が、攻撃の的とされるのも、十七世紀科学革命の精神を体現している。アリストテレスの自然学に代わるものをガリレイが作り出したとすれば、アリストテレスの政治学に代わるものを作り出したのはホッブズだった。
 新しい国家学の成功に続けとばかりに、自然学と人間学も一から基礎づけ直し学問体系全体を刷新せんとする野心が、『哲学原論』には漲っている。「新しさ」を作り出すことへのあくなき意欲――それが「新しい時代・近代(the modern age)」という時代を形づくってきたのだとしたら、紛れもなく、ホッブズはその始祖の一人であった。それゆえ、この始まりの人の主著は、「近代的なものの原典(the elements of modernity)」と言ってよい。

 何事も無から始めることはできないし、当時新しいと思えたことが今日では古びて見えるのは世の習いである。それどころか、ホッブズならではの議論の多くは、むしろ常識的に見えてしまう。推論つまり計算と同一視される理性概念にしろ、徹底した唯名論にしろ、「世界無化」の想定にしろ、分析―総合の還元主義にしろ、形相因と目的因を排除した原因論にしろ、瞬間における運動と解された「努力」から導かれる感覚論にしろ、最大の善を「自己保存」に見出す生命尊重主義にしろ、人間はみずから作ったものしか真に認識できないとする真理観にしろ、みなそうである。つまり、あまり変わり映えしない。
 だが逆に言えば、近代に支配的となった考えの根をさぐるには、まずは創始者ホッブズに差し戻して考えてみるのがよい。本書はそういう系譜学的発見に満ちている。
 『人間論』では、視覚に関する光学的説明がえんえんと続くが、その議論は望遠鏡(と顕微鏡)による造影技術へ最終的に至りつく。ガリレイの望遠鏡による発見と、その衝撃に由来する認識イコール制作の考え方が、ホッブズの思考をどれほど規定していたかが、あらわとなっている。この科学革命の現場を目の当たりにするだけでも、じつに意義深い。『人間論』第一章で、「解体」つまり死と死因について語られているのも、「近代的なものの原典」と呼ぶにふさわしいスタートである。

 本訳書には、1400頁近くに達する本文に、さらに資料類が付されている。わざと重厚長大にしているのではと疑いたくもなるが、たぶんそれは的外れだろう。資料Ⅰは書簡選、Ⅱは『哲学原論』と『法の原理』・『リヴァイアサン』の章立て比較表、Ⅲは略年譜(3頁と、これだけ軽薄短小)。88項目に及ぶ主な用語の訳者注解まで付いている。訳者解説は50頁弱で、通例なら長いのだが本書では短く感じられる。最後に収められた全目次だけで80頁近くある圧倒的ヴォリューム。これはもう、れっきとした現代の奇書である。
 なお、翻訳とくに本邦初訳には不完全さが付きものであり、本書もその例に漏れない。全体として工夫された訳文ながら意味の取りにくい箇所が散見され、また古典語の取り扱いに関しては素人目にも首を傾げたくなる箇所がある。だが、これまで哲学専門研究者になしえなかった偉業を前にして、些細な注文を付けるのはやめよう。私は本書を前にして、存命中にホッブズの主著を日本語で平易に読めるようになった幸運を天に感謝したい。今の時代に生きていてよかったと思えるほどの読書経験は、そう滅多にない。



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2013年01月10日

『学校を災害が襲うとき 教師たちの3・11』田端健人(春秋社)

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「震災をプラスに変える」

 あの日から二年が経とうとしている。今も引きも切らず出されている3・11関連本の中で、本書にめぐり会えた読者は幸せである。ここには、東日本大震災の経験が明らかにし、今後も伝えていくべき何かが、記されている。それは、一言で言えば、人間の強さであり、もっと言えば、学校という場所によってそれが強められるということである。

 本書は、2011年3月11日、大地震と大津波に襲われた宮城県沿岸部の学校に勤務していた教員たちに聞き取り調査したインタビュー記録を、再構成したものである。著者田端は宮城教育大学准教授、学校教育の現場をとくにその哲学的側面に関して専門に研究している気鋭の学究である。普段から学校現場を訪れ、現場研究を行なってきた、そのスペシャリストが、2011年夏以降、津波被害の大きかった学校を回り、10名の教師に被災当時の様子を尋ねた「災害エスノグラフィー」が、本書である。ドキュメンタリーであるとともに、著者一流の哲学的考察を加えており、哲学書の風格すら漂う。
 読者はそこに、マキアヴェリの「運命と力量の抗争」、ボルノウの「子どもを匿い護ること」、フロイトの「喪の作業」、アーレントの「私的領域」、レヴィナスの「眠り」、ハイデガーの「おのずと隠れる自然」、ヴェーユの「根づくこと」といった諸学説が、みごとに血肉化されているのを見出すだろう。
 とはいえ、頭でっかちの理論研究とはわけが違う。学校という場所で、教師と生徒、そして住民は、どのように3・11をくぐり抜け、耐え抜いたか。著者は、その事実的な生の経験に、誠実に寄り添い、平生目立たない実存の真実を、引き出している。地に足のついたそうした目線が、教育というもの、いや生そのものについて、根本から反省を迫ることがあるのだということを、本書から私たちは学ぶことができる。

 2011年3月11日(金)午後2時46分。マグニチュード9.0の巨大地震が三陸沖海底に発生したその時刻、学校は六時間目の授業中だった。地鳴りの轟音。窓ガラスは割れ、建物はミシミシ呻く。「半分パニックみたいな感じ」だった、という教師の証言には、事態の複雑さがよく表われている。「恐怖に泣き叫ぶ子どももいたが、恐怖を抑え、冷静さを保っていた子どもも少なくなかった。教師の声がけで落ち着きを取り戻した子どももいた。そればかりか、泣き叫ぶ子どもも、単に地震や津波が怖くて泣いていただけではない。子どもたちは、自分の母親や家族のことを想い泣いていた」(16頁)。
 大人でも怯えうろたえるしかない大揺れにも、子どもたちは意外にしっかりした反応を示した。「子どもたちのほうが動きは速かったです」(8頁)と語る教師もいる。とはいえ、初期起動ではやはり「教師魂」が物を言う。子どもを誘導して校庭に避難させ点呼をとり、駈けつけた保護者への引き渡しを行なう。危機的状況における「人間の底力と自然の猛威との格闘がはじまった」(18頁)。日頃培われた教師たちの専門的力量は、まずは勝利を収めたが、次いで、津波襲来という大いなる試練を受けることになる。
 乏しい情報をもとに、生徒たちをどこへ避難させるか。遠くの高台へか、校舎最上階へか。地震発生直後の予想を大きく裏切って、迫りくる10数メートルもの巨大津波。この「時間との闘い」では、校長のとっさの判断が数多の生死を決することとなった。
 ある小学校では、いったん校舎三階に全員避難したあと、なかなか津波が来ないので、体育館に移動することにした。その直後、押し寄せる津波で「空が真っ白」になっていることに校長らが気づく。総勢七百人を超す人々が、慌てて体育館から飛び出し、階段を駆け上がって校舎三階へ。一階は津波に呑み込まれ、周りは荒浪に囲まれ孤立無援状態。だがそれも束の間、今度は、学校の周りに流されてきた人たちの救助活動が始まる。そしてその次に来たのは、「ものすごく寒かった」「あの日の夜」。「真っ暗闇で校舎に閉じ込められた人々は、火災と爆発音の恐怖に曝される。辺りは一面火の海だった」(54頁)。流れついた者のうち一名は、その夜亡くなったという。学校が臨終の場となったのだ。

 ヘリコプターが上空から大津波警報を怒号したさまは、『地獄の黙示録』のようだったと、ある教頭は回顧する。そういう言い方が大袈裟でないほど、それほどの緊迫感が学校を支配した、あの日。地震発生から程なくして、大粒の雪がはらはら舞い始めた。そして、それがいつの間にか満天の星空に変わった。「三月一一日の星空の美しさは、何人もの教師が語った」(68頁)。大停電がその演出に一役買ったわけだが、それだけではなかったろうと田端は言う。「もう一方では、自然の恐怖と神秘、それに翻弄されつつあらがう人間の苦悩と悲しみによるものでもあったかもしれない」(69頁)。
 苦悩と悲しみは、現代では「ケア」の対象と見られがちである。だが著者は、そういう保護的目線に偏ることに異を唱える。たとえば、「避難所では、高齢者と呼ばれる人々も、単にケアされるだけの存在ではなく、周りの人々のために力を発揮した」(68頁)。弱者のはずのお年寄りの活躍がそこにあった。それと同じことが子どもたちにも言える。
 避難所を回ったある校長は、被災した中学生が、薪わりをし、炊き出しを手伝い、瓦礫を片づける姿に、涙が出たと語る。学校では普段子ども扱いしてきた彼らが、「いざとなると」大人顔負けに人のために尽くすことを、心底確認できたのだと言う。平時には、甘えたり悪さをしたり反社会的な行動に出たりする子どもたちが、非常時には俄然、逞しさを発揮する。彼らの潜在力は、今日の学校教育の在り方そのものに「疑問を投げかけている」(130頁)。それどころか、彼らの溌剌たる姿に、大人たちこそ「救われた」(131頁)という。「大人にはほとんど神秘的」に映ったその明るさと元気は、3・11という非常事態の苦悩と苦しさが、たんにマイナスにとどまるものでなかったことを告げている。

 ある高校教師は興奮気味に、高校生たちが、かつて見たことがないほど、元気で明るく生き生きしていた、と語る。生徒によっては、家を失い、家族を喪い、避難所生活を強いられ「困っていた」はずなのに、かえって強く逞しくなっていた。「逆境のなかでも子どもは成長できる。あるいは、逆境だからこそ出来る成長がある」(144頁)。
 とはいえ、避難生活では、余震への恐怖、睡眠、食欲、排泄のトラブル、プライヴァシーの喪失など、重度のストレスに見舞われる。発見された家族の遺体に面会するときの悲痛たるや、想像を絶するものがある。健気なふるまいの底には、計り知れない哀しみがひそんでいたのであり、その点を軽々しく考えてはならない。だが、ダメージからの回復に関しても、子どもたちは驚くべき強靭さを発揮した。避難所ならではの遊び方を発見、工夫し、笑いとユーモアを絶やさず、上級生は下級生の面倒を進んで引き受けた。死別した母親との約束だからと、不屈の意志で大学進学を諦めなかった高校生もいる。
 災害時の子どものストレス症状としては、それまでできていたことができなくなったり、保護者に甘えたりする「心理的退行現象(幼児返り)」がよく知られている。だが教師たちは、その真逆の可能性があったことを証言している。子どもたちは、むしろ、率先行動(イニシアティヴ)を示したのである。「一層のお姉さんお兄さんになる」という、そうした「限界状況のなかでの子どもの成長」のことを、田端は「実存的先行現象」と名づける(153頁、161頁、193頁)。逆境でこそ逞しさが発揮され、受苦の身にこそ自発性が漲るという、人間の底力は、3・11の苦難においても、輝き現われたのだった。

 「実存的先行現象」の次元を発見したことは、教育哲学への田端の貢献の最たるものであろう。本書は、そのほかにも豊かな発見に満ちている。学校という場が、かけがえのない多くのものを失った子どもたちにとって、「変わらないもの」(167頁)であり続けたこと。学校や学級は、パブリックな場でもプライヴェートな場でもないが、その公私のあいだに立つ「独自の襞をもつ場」(185頁)であること。「住み慣れた「まち」が失われる深刻さ」(204頁)は、子どもたちの自己同一性を危機に陥れかねないこと。いずれも、学校教育を考えるうえでの指針となりうる貴重な寄与であろう。
 「震災をプラスに変える」(189頁)。被災した高校生の強さに打たれた教諭の語ったこの言葉は、本書の思想を集約的に表現している。むろん、積極思考に淫するあまり、暗黒面を糊塗するようなことがあってはならない。「プロローグ」にもあるように、教師によって救えなかった命もあったし、命を落とした教師もいた。適切な避難先が判断できずに生徒も教師も津波に呑まれた学校の悲惨もまた、語り継いでゆかねばならない(池上正樹・加藤順子『あのとき、大川小学校で何が起こったのか』青志社、参照)。だが、そういう「悲痛な事実」の「無念と批判」を知りすぎるほど知ったうえで、著者田端は、「本書が、わずかではあっても言論と思考の幅を広げることを願った」(v-vi頁)。
 言葉への信頼。起こったことを明らかにし、語り伝えていくことの重要性。――大震災は「ロゴスへの愛」を鍛えるチャンスとなったことを、本書は語っている。


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