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2011年06月30日

『起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと』磯崎哲也(日本実業出版社)

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「気合いのはいった失業者に一番必要な書籍」

 本書を読んで、起業するときに必要な知識・常識がやっと分かった!!
 著者の磯崎哲也氏は、公認会計士であり、日本のベンチャー起業家を財政面で支えてきたプロ。ビジネスやファンナンスを中心とするブログ、有料メルマガ、ツイッターなどでの発言で注目されている人物である。

 このサイトを見ているような人であれば、磯崎さんの名前をどこかで見かけたことがあるはずだ。

 私は、ベンチャーを立ち上げて革新的なサービスをゼロからスタートして軌道にのせる、利益をだして社会貢献するという人を心から尊敬している。しかし、ベンチャー企業の経営者は、個人的な才覚で仕事をなしとげる、職人やフリーランスの人達と比べると、その成功への道のりが複雑すぎて理解することができない面が多々あった。

 どういう風に資金調達をしたのか。いかにして優秀な人材をリクルートしたのか。困難を打破するスキルはどうやって体得できたのか。経営雑誌を読むと、投資は事業計画ではなく人柄で決まる、なんて書いてあったりすると、精神主義ではないか、と眉をひそめてしまう。

 私は会計や経営について実務経験があるわけではないので、経営の真実については分からないままではないか。書籍で学ぶことはできないのだろうか、と嘆息していた。

 本書を読んで、上記の欲求不満の多くが解消された。

 私はこのサイトで取り上げる書籍は、再読の価値ある書籍であることと決めている。初読は、浜松から豊橋に転職・移住すると決めたとき。再読したのは、その豊橋で失業したときである。内容が脳に流れ込んできたのは失業している、今このときである。危機になると脳がよく動くのである。

 失業者があふれている今こそ、多くの人に読んでほしい。とくに、もはや起業しかない、と気合いを入れるしかない中高年の失業者に読んでほしいと思う。

 本書の目的は「起業のイメージをもってもらうこと」。起業のノウハウはその業種によって異なるものの、ベンチャー起業の財務(ファイナンス)には共通点が多い、とその分野の実務家である磯崎は筆を起こしている。

 細かいことは抜きにして、おもしろい書籍に仕上がっている。日本にはイケてる起業家が極めてすくない。そういう起業家が少ないので、出資する投資家も現れなかった、という認識である。アメリカにはベンチャー起業を促す風土がある、ということを言い、嘆くよりも、日本の中で、このサービスで社会を変えてやろうじゃないか、というイケてる人に自分がなれよ、ということである。投資の制度において日本社会が欠落だらけということはない。もっとも足りないのはアニマルスピリットをもった起業家なのだ。
 もちろん起業には向き不向きがあるし、起業したら(経営者になったら)幸福になるか分からない。未来の不確定性についても、個人の幸福の不確実性についても本書はしっかり説明をしている。

 巻末の文章も実践的である。

 「次のステップとしてお願いしたいのは、一緒に起業するいい仲間や専門家に出会い、実際に起業してみることです」

 納得の落としどころです。

 シンプルなんだけど、この一文に説得力があるだけの構成になっている。ファイナンスのルールを縷々述べることで、リスクをコントロールする仕組みが日本社会にはある、ということが学べるからである。

 本書を読んで起業する人が増えて欲しい、と思う。

 私事ですが、この3週間ほど、ハローワークに通って求人票を見ては面接試験を受けてきた。友人知人たちに向かって「なんかいい仕事ない?」と情報発信して、被災者で仕事をしないか? 45歳になったら人がやりたがらない仕事しかないぞ、という助言を受けてきました。ジタバタして得た結論は、自分でリスクを取ってやるしかない、ということ。どんな仕事にも不確実性がある。自己責任でやるしかない? いまさら何を言うのか、と自分自身につっこみをつれてしまうことになりますが・・・。これからばりばり仕事をします。本書の再読によって「失業マインドから卒業」ができました。磯崎さんに感謝であります。


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『手招くフリーク 文化と表現の障害学』倉本智明 編集(生活書院)

手招くフリーク 文化と表現の障害学 →bookwebで購入

「アルビノの「美」は本当に発見できたのか。」

 障害者を巡る言説について障害学の立場からアプローチした論文・批評集である。ここでいう障害学とは、障害者をめぐる社会現象を、障害者という当事者の立場から研究しようという学問的な立場を指す、という程度の意味である。障害学とは、障害者自身が専門家を批判し、健常者中心の社会のありようを批判的に検証することからスタートしている。いわば当事者による学問である。
 この障害学には、障害者と健常者の中間的な存在たるユニークフェイス問題(異形研究)が含まれている。

 「顔にアザのある女性たち」の著者であり、異形問題の研究者である西倉実季は、アルビノの「美」をテーマに撮影を続ける写真家リック・グイドッティが主宰する「ポジティブ・エクスポージャー」の活動について論述している。

ボジティブ・エクスポージャー
http://wiredvision.jp/lite/u/archives/200512/2005122704.html
http://www.wired.com/culture/lifestyle/news/2005/12/69698
http://www.positiveexposure.org/about.html

 約15年にわたってファッション雑誌の最先端で働いてきたリックは、あるときバス停でアルビノの美少女に見せられてしまう。これをきっかけに、アルビノの美をテーマにした写真撮影を始める。

 アルビノとは、先天的にメラニン色素がないという先天性の疾患である。肌が白い、髪の毛のメラニンもないので金髪に見える、眼球のメラニンもないので目が赤く、弱視である、という特徴がある。当事者として、もっとも困難な課題は弱視なのだが、肌が異様に白い、金髪である、という外見上の特徴から、異形として遠ざけられたり、美として賛美されたり、と相反する価値観のなかで生きることを余儀なくされている。ユニークフェイス問題(見た目問題)のなかの、疾患グループの一つである。

 西倉は、リックの写真を見ながら、その美が「白人の美」に偏向していることを指摘している。

 リックのフォトエッセイについて次のようなコメントがあったことを西倉は紹介する。

「プロジェクトの目的は賛同できるのですが、気がかりに思ったのは、ライフ誌に掲載されているコメントが「美の再定義」ということで、「前向きに生きる」、「互いの違いを認め合う」を超えて、アルビノの美化に走っているところです。また、ライフ誌掲載の写真は、白人ばかりで「多様」ではありません」

 たしかにリックの写真は美しい。もともと美しいアルビノ少女を、より美しく撮影している。ファッション雑誌で働いてきた、美の最先端にいるリックとしては、職業的に美をつくりこむことになるのだろうと思う。私もリックの写真を見たとき、広告的であり、白人美の偏向を理解した。しかし、リックが白人であり、ファッション雑誌という白人の富裕層が広告を出し、それを見る読者層も白人(または白人の美にあこがれる読者層)で生きている以上、一つの限界があることは理解できる。
 

 西倉の批判的検証が重要なのは、ユニークフェイス問題のようなデリケートなテーマを、神聖視させない、批判をゆるさない聖域にしない、という姿勢を打ち出しているところにある。

 リックは、アフリカでいまも進行中である、アルビノ当事者に対する虐殺について警鐘を鳴らす啓蒙家でもある。アフリカの一部では、アルビノ当事者の肉体を食べることでエイズが治るなどと信じる人達がおり、
人間狩りが行われている。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2528599/3423929

 リックはアルビノ問題の社会起業家のひとりである。しかし、その行動とは別に、彼の美意識は白人美に偏重しており、そのなかでの「美の再定義」という彼の理念には一定の限界がある、という西倉の指摘は正しい。

 もちろんリックはこの程度の批判は十分に承知しているはずだ。人目をひくために何が必要なのか。一般大衆はどういうものを見たがっているのか。その隠された欲望をしっかり映像化することで、彼は寄付を集め、写真展を開催し、その知名度でアフリカのアルビノ狩りを止める行動を展開していく。

 私は行動するリックを讃える。同時に、第二、第三のリックが登場することを願う。

 真の多様性とは、被写体となった当事者の多様性だけでは実現されない。当事者を記録する記録者・支援する支援者という第三者の多様性によって実現されるからである。

 そう考えると、多様性に遠い現実がある。世界中で多様性が足りないのである。


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2011年06月18日

『仕事がない! 求職中36人の叫び』増田明利(平凡社)

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「失業したときこそ、失業ノンフィクションを読もう!」

 先日、失業した。45歳の中年。妻1人、子ども2人(2歳児とゼロ歳児)。こういうときこそ、失業ノンフィクションを読むときだ。
 本書のタイトルは「仕事がない!」。ストレートである。著者はホームレスや失業問題をテーマにしているルポライター。不動産管理会社に勤務しながら副業としてライターをしている。生活を安定させている書き手である。

 20代、30代、40代、50代の失業者36人の聞き書き。1人あたり4頁で構成されている。文体は事務的である。ストーリーテリングの手法はない。インタビューイは、普通の人々である。高校中退、高卒、短大卒、四年制大学卒。エリートはひとりもいない。会社から見れば、置き換え可能な労働力である。だからリストラにあったり、雇い止めにあう。その人達がそれぞれ体験している現在進行形の失業ノンフィクションである。

 著者が書いているように、本書には「笑える話、元気になる話はひとつとしてない」。まるでハローワークの窓口で、失業者が苦悶の表情で語っているかのような語りである。

 私は45歳なので、40代と50代の失業者の体験を熟読した。

 まずは40代の人から。

 石浜さん(仮名)。妻と二男。44歳。高校卒業後、化学薬品メーカー20年間→食品雑貨スーパー4年6ヶ月。失職の原因は閉店にともなう整理解雇。現在の収入、アルバイトをかけもちして月収15万円。就職活動状況、正社員での採用は絶望的。
 中年フリーターとしてかつかつの生活している。「自分でも日に日に意欲が失われていくのがわかる。お先真っ暗だ」。と、悲観的な文章でまとめられている。
 こんなにまじめに勤務した人が絶望的状況にあるのだ。言葉がでてこない。

 次は、50代の人。

 坂井さん(仮名)。51歳。妻、一男一女。前職は中堅ゼネコン管理職。四年制大学卒業。大学卒業後建設会社に入社し28年勤続。早期退職制度に応募して依願退職。再就職の見込みなし。失業期間は2年を超えた。「まさかこんなことになるなんて思っていなかった」と、やはり絶望的な筆致でまとめられている。ひとつの会社をまっとうした真面目なサラリーマンの末路がこれである。なんということだ。

 求人情報誌を見ると、正社員の募集はほとんどない。あるのは短期のアルバイト、それも肉体労働系である。または、高いノルマを課せられる営業職。ハローワークも同様である。いい仕事があったとしても35歳までという年齢制限や、有資格者に限るものとなる。

 日本人自身が、中高年を労働市場から構造的に排除している。これは統計データですでに既知の事柄である。この労働市場のいびつさが、ひとりひとりの多様な失業と絶望をうみだしている。本書を読むと、日本では自殺者数が減ることは当面ないだろう、と思わざるを得ない。

 本書は2011年2月に刊行されている。したがって、東日本大震災と福島原発の影響については言及されていない。それでも十分に絶望的だ。

 311後はもっと「仕事がない!」人が増える。今夏から年末にかけて、よりいっそう失業者の状況は悪化していく。

 他人事ではない。



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『3.11 絆のメッセージ』被災地復興支援プロジェクト(東京書籍)

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「被災地から遠い「私」と「あなた」が、被災地とつながるために」

 東日本大震災から3ヶ月。震災と原発の書籍が書店の店頭に並んでいる。震災と原発というテーマは、311前には「売れない」とされて、出版店数が少なかった。天災は忘れた頃にやってくる。忘却しないように、という思いで書籍は編まれていく。
   本書は6月1日に刊行されている。震災直後から取材に入った複数のフリーランスジャーナリストたちが被災地で見たこと、被災者にインタビューした当事者の肉声を、コンパクトにまとめている。見開きでひとつのエピソードが読めるように編集されている。

 震災直後からインターネットで大量の情報に接してきた人間として読むと、この書籍で言及されていることはすべて「既知の事実」であるかのように思ってしまう。ツイッターでのつぶやきあり、海外からのエールあり、芸能人からのメッセージもある。既視感がある。

 雑誌のようなつくりになっている書籍である。東日本大震災について多くの雑誌が特集を組んでいるが、さらりと読めるような記事はない。本書も同じである。見開きの2頁の読みやすいつくりになっているが、その内容はずしりと重い。内容を咀嚼するには時間がかかる。気力がいる。

 第三者の意見よりも、当事者・被災者の意見が重要だ。

 第一章の「被災地からの手紙」は震災後2ヶ月後に行った、被災者へのインタビューで構成されている。

 南三陸町で被災した63歳の男性は「私たちは海と付き合い、その恵みで生活してきたのです。迷信めいた言い方かもしれないですが、もしかしたら私たちは気づかないところで海を酷使しすぎたのかもしれません」と、海を恨む気持ちはない、と言う。

 石巻市で被災した32歳の男性は、奇跡的に4人家族全員が助かった。母親が保育園に迎えにきた子どもたちは母親もろともほとんど亡くなってしまった、という。保育園に残った子どもたちは避難ができて助かっていた。明暗は、小さな判断とタイミングの違いで別れている。

 同じような体験はネットを通じて大量に読んでいた。既知の事実であったはずなのに、紙に印刷されたプロのライターがまとめた当事者の言葉は、静かに心に響く。荒れ狂う津波を映像というメディアで見てしまった、被災地から遠い土地に生きる人間の私は、311から3ヶ月経って、すでに悲惨な事実を忘れようとしていた。読んでいて気づいた。

 一通り読み終えたとき、被災という事実を概観できたと思った。

 被災地から遠い人間として、被災地に何も出来ない自責の念がある。ただ悲惨な事実を列挙したメディアを見てしまうと、自責の念がわき出てきて消耗してしまう。本書にはそれがない。それはバランスの良さ、編集の妙味があるからだと思う。

 東日本大震災と福島原発事故は、取材している人間も、その記事を読む人間も立ちすくむ。その立ちすくみを解消するのは、こういう書籍なのだと思う。



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