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2011年05月20日

『大地動乱の時代』石橋克彦(岩波書店)

大地大動乱の時代 →bookwebで購入

「次は、東海と関東の大震災に備えるしかない」

 福島原発の放射能漏れが続いている中、冷静に事態を捉えるために、いま読むに値する一冊である。震災と原発事故が重なると、未曾有の災害になる。地震大国日本で原発は危険である、と警鐘を鳴らし続けてきた地震学者、石橋克彦氏の著作だ。
 ツイッターで名著であると知ってアマゾンで購入の申し込みをしたところ、在庫がなかった。売れている。約3週間またされてやっと手元に届いた。奥付をみて驚いた。1994年の刊行なのである。つまり阪神淡路大震災の前に書かれていた。

 日本の歴史のなかで、大震災の歴史をたどる前半の記述は圧巻である。幕末の動乱期は、関東と東海の地殻が揺れ動く時期にあたっていた。地殻の大動乱の時代。小田原大地震、東海・南海の巨大地震が江戸時代を直撃した。この大地動乱の時代の一区切りとなるのが、大正12年の関東大震災であった。関東大震災では、地震と関連の火災で約14万人が亡くなっている。私はこの14万人という死者数を知らなかった。どこかで読んだのかもしれないが記憶になかった。いま東日本大震災で約3万人弱の死者行方不明者がいる。地震災害という観点でいえば、空前の被害ではない、と言える。自然災害の恐ろしさに、火災被害が加わると10万人を超える死者がでるのだ。付け加えれば、関東大震災のあとに、ニューヨークの株式市場暴落で始まる昭和恐慌が日本経済を直撃している。そして太平洋戦争に突入していく。

 本書では原発と震災の多重災害についての記述はない。しかし、震災だけでどれほど巨大な被害が発生するのかを簡潔に説明している。その事実だけをもっても、非常に怖い書物である。マスメディアを通じて東日本の被災地の生々しい情報をみている私たちは、本書と照らしあわせることで地震学の観点から「正確な知識に基づいた畏れ」を身につけることができるだろう。

 私は名古屋出身の人間であり、中学のときから東海大地震がやってくる、という情報のなかで育ってきた。しかし、その情報によって地震に対して恐怖を感じたことはなかった。東日本大震災の報道を見ても、東海地方は大丈夫だろう、たとえ被害があってもダメージは少ないのではないか、と漠然と思っていた。とんでもないことである。

 東海大震災が来たら、静岡県の海岸線に津波が押し寄せる。国道一号線、東海道新幹線、東名高速道路という日本経済の大動脈が機能停止に陥る。小田原を震源とする小田原大地震が来ても同様の被害が予想される。東京に直下型の大地震が起きたら、首都は機能停止になる。死者は14万人では収まらないのではないか。いま現在、福島原発の放射能汚染が拡大している関東地域が、東海、小田原、関東直下型地震に見舞われたとしたら、逃げ場がない。

 「首都圏の地盤の悪さは、地震活動の激しさと同様に世界有数である」という記述にはぎくりとする。もともと海底だったところに関東平野ができたのは約200万年前。ニューヨークは約5万年前に出来た岩盤の上に立っている都市。比較にならぬほど関東平野は脆弱である。その軟弱な地層は、地震の揺れを拡大する。そして液状化する。江東区、港区、江戸川区などの沿岸地域は地震がきたらひとたまりもない。

 地震大国の日本で生きていくためには、東京一極集中を改めて、地方に分散して住む「分散型国土」をつくることである、と説く。納得である。
 さきの関東大震災から、大地は静かになっていた。しかし、阪神大震災、新潟中越地震など毎年のように大地震が続いている。そして3月11日の超巨大地震が東日本地域と福島原発を襲った。いま大地が日本列島を揺るがす大動乱期のまっただ中。

 21世紀の半ばまでに、関東大震災、東海大震災がやってくると記述されている。これは地震学者のなかでは常識である。間違いなく、第二、第三の震災が来る、と考えるしかない。それが地震学と歴史が教えるところなのである。

 ひとりひとりが、この2つの巨大地震に備えるために、分散して暮らすかどうか。考えて行動するときが来ている。


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2011年05月09日

『勤めないという生き方』森健(メディアファクトリー)

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「「どうしてもしたいこと」と「とりあえず生活を支えること」の間」

 地方都市における町おこしについて調べているうちに本書を知った。私が興味をもったのは、島根県の離島、隠岐島の海士町でベンチャー起業を創業した、(株)巡の環の代表、阿部裕志という人物である。トヨタ自動車という世界一の自動車企業から、人口2400人の離島に転居して、町おこし事業を展開している若者。トヨタのある愛知県で暮らしている私としては気になる存在だった。愛知県はトヨタ、静岡県はスズキ、ヤマハ、ホンダがある。それぞれの都市では、多くの自動車マンが勤勉に働いている。しかし、そこから離脱して新しい人生を送っている人間の記録はあまりない。リーマンショックで景気が減速し、東日本大震災でさらなる打撃を受けている自動車産業。この産業から卒業して新しい人生を歩む人間の記録が読みたかったのである。愛知県でも、自動車に変わる新産業の必要性は理解されているが、まだ表面的である。いまの時代を牽引するだけの新産業が見えないし、それを具現化する人間がまだ見えていないからだ。既存産業の社員たちの不安は高まっている。

 トヨタを辞めて、なぜ海士町なのか。著者のライター森健の質問に対して、阿部は「うまく答えられない」「海士が気に入った、としか言えないです」という。海士には、ソニーから転居した、教育事業を展開している岩本悠という人物がいる。その妻がトヨタの同期で、生き生きと海士で活躍していることをみて、仲間に入れて欲しい、と思ったことも背中を押したようだ。
 要は、感性で動いた、ということだろう。そして、その感性による決断を支える魅力的な環境があった。それが海士町だったのだろう。
 本書では、こういう人生の転機を、起業、独立という形で乗り越えた(あるいは、苦難の中で格闘している)人間が13人紹介されている。

 成功した人間の評伝ではない、と言うところがユニークだ。成功の途上にある人間たちだ。

 また、それぞれの目指す成功の形は違う。共通しているのは、金と安定、では幸福になれない、という確信だ。別の何かをもとめて動いた。

 森健は、13人の取材を終えたあとがきでこう書いている。
 
 

誰にも共通しているのは、「どうしても」がその人の人生において欠かせない要因になっている点だ。その理由はつねにはっきりしているわけでもない。やりたいことが決まっているわけでもない。けれども明日いるべき場所はここではないとわかってしまった。だから動いたのである。決断に所帯のあるなしは関係がなかった。独身で辞めた人もいれば、妻や子をもちながらも辞めた人もいる。

 13人のそれぞれの独立の背景には、20世紀の大量生産・大量消費というビジネスモデルへの違和感があるように思う。批判ではなく、違和感である。その違和感を解消するために動く。そのきっかけとなる人生の転機を13通り、読むことができる。さらりと読める文章だが、再読してその人の人生を追体験したくなる良書である。
 
 著者の森健はここ数年、仕事をテーマに精力的に取材をしている。起業家を、理想の生き方である、と持ち上げることはしない。会社員には会社員の仕事の楽しさと苦しさがある。独立した人間にも同様にある、ということが分かっている書き手だ。

 

仕事とは「どうしてもしたいこと」と「とりあえず生活を支えること」の間のどこかにあるのだ。

 という森健の一文は真実である。

 私たちは、本書に紹介された13人の人生を読みながら、自分だけの「間のどこか」を見つめ直すことになる。


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