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2010年05月31日

『生命保険のカラクリ』岩瀬大輔(文芸春秋)

生命保険のカラクリ →bookwebで購入

「自動車と家は買わないが、保障は買いたい、という若者に読んでほしい」

生命保険に加入しているすべての人にとっての必読書である。
 著者は、日本初のインターネット生命保険「ライフネット生命」の副社長。わずか創業2年でぐいぐい業績を伸ばしている。創業した社長の出口氏は、子育で出費が多い若い家族のために、低価格で生命保険サービスを提供したいという思いで創業。出口氏は生命保険業界では伝説の人物だ。生命保険の裏表を熟知している。

私がこの生命保険会社を知ったきっかけは、「はてな」のサイトである。切込隊長として知られる辛口ブロガーが、ライフネット生命の広告に協力していた。その後、切込隊長の創業者に対する高い評価をブログで読み、ますます興味が深まった。

 私はそのとき日本の大手生命保険にすでに加入していた。すぐにライフネット生命に乗り換える気はないが、情報収集のために資料請求をしてみた。簡潔なつくりのパンフレットだった。大手生命保険会社のそれとはまったく違う。紙袋いっぱいに詰め込んだ大手の定款、商品説明の資料と、ライフネットのそれとを比較すると、商品についての考え方が根本的に違うということが分かる。シンプルイズベストである。

 その副社長が書籍を出したというので購入したのが本書である。還暦の社長は、若い副社長をビジネスパートナーにしていた。彼は1976年生まれである。この組み合わせも興味を引かれた。若い人にチャンスを与えよ、と口ではいうが、管理職はすべて高齢者であり、社内人事で固めた会社が普通の日本では異例である。生命保険というきわめて保守的な業界の中で、ベンチャー精神がある会社だと分かる。

 書籍の内容は、これまでの生命保険業界のビジネスモデルがあますことなく丁寧に説明されている。日本と先進国の比較をすることで、日本の消費者が、生命保険の質を吟味することなく買わされていることが分かる。

 生命保険が高度成長期に業績を伸ばした背景。数年前に不払い問題が露呈して、横並びで数十社の社長が横並びで陳謝した理由。リーマンショックで生保マネーがどう動いたのか。分かりやすい。
 本書は、生命保険業界にはいったばかりの人間の視点で書かれている。部外者からみたときの生保マネーの動きは、消費者に不透明であり続けてきた。しかし、インターネットによって、生保サービスを提供する側と、消費者の情報が埋まってきている。これまでの生保は、消費者に適切な情報を提供してこなかったが、これからはそうはいかないだろう。

 ネット生命について妻に説明したところ、実際に営業マンと会って説明をききたい、という反応だった。たしかにそうだ。このあたりのサービスが強化されるならば、時期をみて乗り換えてもいい。そう思わせる説得力がある書籍に仕上がっている。

 自社の宣伝であるだけでなく、生命保険への啓蒙の書ともなっている。宣伝のためにPDFを無料配布した広報戦略も斬新だった。

 家や自動車を購入することに興味をなくした若い世代にとって、生涯で最高金額をつかう商品は生命保険になるはずだ。さまざまな生命保険の商品から、自分のライフスタイルにあった最適の商品を選択する必要がある。選択のベースとなる知識を獲得するために絶好の書籍である。


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2010年05月29日

『葬式は、要らない』島田裕巳(幻冬舎)

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「高額な葬式代を出したくない人のための実用書」

 生命保険に加入した。妻子がいる身としては、当然のこととして受け入れた。生命保険のビジネスモデルとはどういうものなのかと真剣に考え始めたのは加入してからだ。
 保険の営業マンは、僕が40代で加入したことを問題にした。妻が14歳年下なので、僕は統計的に早く死ぬことが明らかであり、そのための備えとしてかくかくしかじかのプランに加入するとよい、と説明する。二言目には、「死んだときのために」である。こんなセールストークがあるのか。なんとクールなビジネスなんだろう。「葬式をあげるときに日本人は平均して300万円かかりますから、そのお金がまかなえるプランにしましょう」といわれた。僕は顔が広いので、まぁ、それくらいかかるかな、と思った。そのときはね。  いま生命保険業界は揺れ動いているので、別の生保への乗り換えを考えている。見積もりだけでも取る。別の営業マンと会ったときも同じような、葬式の価格について説明された。  そのときこう答えた。「九州であげた結婚式でも友人を5人しか呼ばなかった。葬式に来てほしい人は特にいない。家族だけの密葬で十分。葬式代にあてるお金の全額を妻子に残したい。遺書を書いて、葬式をしないでいい、と意思表示したいくらいだ。墓石もいらない。僕の墓標は著作。墓標がもうあるので、墓石は不要。そもそも平均300万円という葬式代は異常に高い」。営業マンは、「日本人の葬式大は世界一高いんです」という。  島田先生に教えを乞うことにした。宗教学を専門にしている島田氏は、オウム真理教擁護の発言をしたとして大学からパージされた人だが、その博覧強記とまじめな文筆活動から、いまや売れっ子作家である。僕は島田氏の著作のなかで、初めて実用書を読んだことになる。
葬儀費用の日本の全国平均は231万円。 (財団法人日本消費者協会が2007年に行った調査データ)。 アメリカでは44万4000円。 イギリスでは12万3000円。 ドイツでは19万8000円。 韓国は37万3000円。 (いずれも1990年代の調査データ。冠婚葬祭業の株式会社サン・ライフの資料から)。

 いくらなんでも高すぎである。この葬儀代を、大家族の親兄弟が共同で出費してきたのだ。しかし、いま日本社会は、超高齢化と、単身世帯が増えたている。高額な葬儀をすることができなくなっている。231万円の葬儀ができないことは、恥ずかしくもなんともないのである。
 
 島田氏はこうした経済的な側面から、従来の葬儀が持続困難になっていることを指摘するだけでなく、葬儀をするという習慣も消えつつあることをさまざまなデータから論述していく。
 日本独特の戒名という制度。高額な戒名への抵抗を示す人が増えている。そもそも戒名という制度にたいした根拠がないことも論証している。 戒名は自由に自分でつけていい、ということまで教えてくれるのである。
 せっかく生命保険に加入して死ぬのだから、そのお金を遺族に残すのが、加入した人間の義務だと僕は思う。保険金が右から左に葬儀業者にいかないようにするために、使える実用書である。


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『事件現場清掃人が行く』高江洲敦(飛鳥新社)

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「孤独死と自殺の現場処理をするという仕事がある。」

 ご縁があって、孤独死現場となった部屋の特殊清掃をすることを生業とする社長と立て続けに出会った。1人は女性。1人は男性の社長である。
 おもしろそうな仕事だと思い、現場を見させていただきたい、と話した。1人は、見せられない、ひとりは是非見て欲しい、と言った。

 まだ僕は現場を見ていない。

 友人のノンフィクション作家が浜松に遊びに来たとき、事件現場清掃人について「週刊プレイボーイ」に連載されている、すごい現場だぞ、と言う。じつは、その業界の知り合いがいる、と話しが弾んだ。

 短期間で3人の人間から、特殊清掃の世界について教えられた。しかし、断片的な情報だけである。

 まとまったノンフィクションを読みたい。そこで「事件現場清掃人が行く」を手に取った。

 孤独死や自殺がニュースになっているが、「特殊清掃」とはその現場を清掃して復元する仕事である。

 現場は汚れている。人間は死ぬと腐敗する。その腐敗臭にひかれて蠅が死体に卵を産む。卵から生まれたウジが、死肉をたべて成長する。そして羽化して蠅となる。部屋中に充満する腐臭。死肉を食らう蠅とウジの饗宴となる。

 現場にいって、窓に黒いカーテンがひかれている、とおもって近づくとすべて蠅だった。そんな目を背けたくなる現場である。

 著者の高江洲はこの業務だけに絞って稼いでいる。

 この仕事を始める契機となったのは自殺者の遺族との出会いだった。自殺した人間の部屋は汚れている。このままでは賃貸物件としては使い物にならない。大家は、遺族の両親を責めるのである。あんたの子供のせいだ。親は謝るしかない。

 特殊清掃をする業者はすくない。安い価格で受ける業者は、質の低い仕事をして、大家を困らせる。大家にも、遺族にも喜ばれる仕事として、高江洲は特殊清掃に賭けることにしたのである。

 超高齢社会。未婚社会。単身者社会。この3つはつながっている。ひとりで孤立して死んでいく「孤独死」のリスクがあるということだ。

 高江洲は1000件をこえる事件現場を清掃してきて、自殺と孤独死が増えていることを身をもって知った。

 現場は凄絶ではあるが、人間が腐乱して死んでいくというのは自然の摂理。人が孤独になるのは、家族や社会からの孤立を選択した結果でもある。高江洲は、孤独死を防止するために声高に、社会が間違っている、とは言わない。現場清掃のプロとして、孤独な死を選択したとしても、その死体と部屋を清掃するというニーズがある、遺族からの心からの感謝の言葉があるから、天職だと思った、と重苦しく語るのだ。

 僕が浜松で出会った社長もおなじことを言っていた。「普通の商売と違う、本当に感謝されるいい仕事なんですよ」。

 ビジネス書としても価値のある一冊だ。孤独死の周囲には、大きなビジネスチャンスがあるのだ。孤独死を防止するための取り組みから、孤独死になってしまったあとのケアまで。死を巡るビジネスについては、成熟した日本の経済のなかで成長分野の一つである。

 死のタブー視は、特殊清掃を日陰のビジネスにおとしめるだけ。それでは、遺族にすべての処理を任せることになり、悲劇の連鎖が止まらない。プロによる、ビジネスによって悲しみが止まるのである。
 


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2010年05月22日

『働かざるもの、飢えるべからず』小飼弾(サンガ)

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「ベーシックインカムという、貧困をなくす処方箋についての優れた入門書」

 小飼弾さんは天才か?愚者か? 本書を読みながら、僕は首をかしげていた。どちらにしても小飼氏への賞賛になるわけだが。
 本書はベーシックインカムについてのまじめな辻説法である。ベーシックインカムのアイデアそのものについてはあまりにも空想的すぎるから実現不可能、と思っていた。本書を読んで、可能かもしれない、考える価値がある、という方向に気持ちがゆれた。

ブロガーとしての弾さんの文章には中毒性がある。大量に読んで、大量に書く。最近は、twitterでひんぱんにつぶやく。条件反射でキーボードを叩いているのだろうが、気になる言葉を言葉をダンダン書いていく人だ。本書は半年前に読んでいた。書評するために再読してみた。小飼節に引っかかる。いんちきくさいのである。そこでデータを見直してみた。


原資:現在80兆円、2020年には109兆円。
日本で年間110万人が亡くなっています。その人たちは約80兆円を使い切ることなく死んで、ほとんどが遺族に相続されます。高齢化のためこの額は年々増える傾向にあり、2020年には109兆円になると見込まれています。

この相続人を国民全員とした場合、年間1人64万円。月々約5万円となります。少ない金額に思えますが、4人家族であれば合計256万円。これは2008年の世帯年収の中間値である443万円の半分を超えています。OECDが使っている相対的貧困の定義は年収がその国の中間値の半分を下回ることとなっているので2009年現在、15.7%ある貧困率は事実上ゼロになります。
ところで、世帯年収は年々下がっています。不況のせいではありません。世帯数が増えているからです、その結果世帯は少なくなり2008年には2.63人/世帯となっています。貧困がきびしくなった背景には、家計をシェアする人数が減っていることも大きいのです。

実績:年間1.5兆円
現時点において相続税は税収のわずか1.8%。約1.5兆円を占めるにすぎません。実際に相続税を支払わなければならないのは、全相続の5%にすぎません。基礎控除が5千万円もあるうえ、法定相続人1人につき1千万円も控除されるので、配偶者1名、子どもが4名であれば、1億円以下の遺産は税率ゼロです。

これでは貧困が相続されるのも無理ありません。

(同書80ページから)

 現状の相続税制度を維持すると、貧富の差がしっかりと継承されてしまって、社会の活力は生まれにくいのは確かだ。

 諸説はあるが、日本の急激な人口減少スピードと高齢化によって、年金制度は遠からず(2020年から30年の間か)すぎには破綻するという予測が出ている。給付の年齢を延長するか(たとえば給付開始年齢を80歳にするとか)、給付額を少なくすれば(たとえば毎月5万円にする)、表面上は年金制度は続くだろうが、それでは事実上の破綻である。

人口が減少すれば、経済が失速する。労働環境がいまと変わらないのであれば、いまよりも多くの人が失業する。精神病や自殺も増えるだろう。

働きたくても働けない人が増え、飢える人が出てくる。

小飼さんは「働かざるもの、飢えるべからず」という刺激的なタイトルで、「働かざるもの、食うべからず」という資本主義の常識をひっくりかえす。

相続税を100%にして、そのお金をベーシックインカムとして無職の人間に配ればよい。飢え死にをしない程度のお金ではあるが、これを受け取れることがセーフティネットになる。飢え死にしない、という安心感から「好きなことを一心不乱に取り組む」というライフスタイルが実現できる。そうなれば、努力しても金銭的に報われなくても、働き続けることができる、と説くのである。

論理的には可能だろう。常識的に考えたら無理だろう不可能だから机上の空論なのか。空論として退けることが出来ない説得力が本書にはある。

なにしろ、安くて高性能のモノがあふれているのである。たとえばiPhone。この小さな端末に備わった機能を、毎月6000円程度の常時接続のコストで手にはいるのだ。とんでもない高付加価値で安価なサービスだ。
人生のなかでもっとも大きな買い物である家の価値も下落した。持ち家へのあこがれのない人が増えた。人口減少と少子化によって、日本中に空き物件があふれているからだ。そういう時代に家を新築する理由を見つける人は少数になっていく。

すべては、日本中に安くて良いモノがあふれてしまったからである。これ以上、安くて良いものを日本国内で作ることは不可能。中途半端な製造業は国内から消える運命にある。

成熟した社会になると、全国民を食わせていく産業をつくることは不可能である、という理解を迫ってくる。経済成長の限界のなかで、社会が持続するための処方箋がベーシックインカムなのだ。

もちろん胡散臭い。本書を熟読しても、胡散臭さは消えない。しかし魅力がある、理解する価値あるひとつの処方箋である。


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