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2010年04月30日

『「私」を生きるための言葉』泉谷閑示(研究社)

「私」を生きるための言葉 →bookwebで購入

「ゼロ人称集団という世間からの解放の書」

 ユニークフェイス当事者と話をしていると避けがたい苦悩として、他者からどう思われているのか、という「とらわれ」がある。気にすることはない、といくら言っても効果はない。その人は、他者からどう思われているのか、という他者の視線に拘束されているからである。その他者とは何か?と問いかけると、「みんな」という。みんなとは誰か?と問うと、親とか、会社の同僚という。その人たちが具体的にどのようなひどい言葉をかけたのか?と問うと、エピソードが出てくる。そのエピソード以外にひどい経験はないのですか?と問うと、あまり覚えていないという。なるほど、その会社に2年間いたとして、差別的な出来事はそれだけ、ということになりますねと言う。相手は落ち込む。もっとあるのだが、言語化ができないのだろう。
 通りすがりの人に、ひどい目で見られるという。具体的にどういう眼なんですか? 石井さんならば分かりますよね。いいえ、わかりません。僕とあなたとは初対面なんですから。男性と女性では立場も違いますから。そうですか? そうですよ。で、何があったんです? (沈黙)。

 他者からの視線が気になるというあなたの気持ちは理解します。共感もできます。では、僕がどのように他者からの視線を気にしなくなったか。お伝えします。ただ、ひとつだけ注意してください。これは僕のノウハウであって、あなたにはできない方法かもしれない。当事者といっても多様ですからね。参考になればいい。そのくらいの気持ちで聞いてください。

 僕はまず周囲からのひどい好奇の視線は必ずやってくる、という前提で、すべての生活を送っています。(絶句)。

 だって、そうでしょう。僕たちはそういう人生を送ってきたではないですか。客観的事実として。

 ひどい視線を浴びせてくる人がいると、なんでそんなふうに感じるのか。この人の知的水準について考える。初対面の人間の外見を見て、見下すという態度を隠せないのはなぜか。こういう風に観察と批評の対象にする。こっちのほうが経験豊富なのですから、動揺してはいけません。それから見ず知らずの人ですから、何を言われても、気にすることはありません。本当に他人なんですから。その人が親友ならば、傷ついてもよいでしょうが。何しろ他人ですからね。その人は、何かを言うと僕たちが傷ついて崩れおちると想像しているわけですから、その期待にこたえる必要はありません。観察するだけでいいんです。

 若いときは、みんなと一緒、という意識も大切かと思っていましたが、そんな必要はないんです。僕が観察するところによると、ほとんどの人は、ばらばらです。見下されることに怯えている弱い人間なんですよ。その弱さは僕たちと同じ。ただ、僕たちは、弱みが顔面に露出しているから、選択的に攻撃されやすい。でもね、ここに(顔面)に攻撃がくる、と分かっているのだから、防御する方法は身につけておくといい。

 ノウハウは教えます。そのノウハウを使う大前提は、他者は他者という意識の変更。その人はあなたの分身でも一部でも身内でもない。完全なる他者。僕は他者の人生も内面も知らない。相手も僕を知らない。知らない者同士が何を言ってもすべては誤解。誤解のなかであなたを解釈する、断定する人のいうことに振り回される必要はないんですよ。

 そんなことできませんよ。

 いえ、できますよ。訓練をすれば。

 僕たちは、異なる顔面をもった外国人だと思えば良いんです。みんなのことを気にすることはありません。顔が違えば、感じることも違いますから。


 こんなことを当事者とよく話す。禅問答のようである。しかし、この問答が必要なのだ。完全なる他者からの視線を、まるで身内からの視線であるかのように錯覚する心情から脱却する。これが苦悩からの解放の第一歩になるのだから。それは「みんなの一員」意識からの解放だ。

 この「みんな」という空気のような概念は、阿部謹也氏が「世間」として詳述してきた。日本には「社会」はなく「世間」がある、と。

 本書もその世間論の流れをくむ。類書と異なるのは著者が精神科医であること。日本語の言葉のなかに、「世間」がふかくジョイントされているため、日本語で自意識を語ろうとすると、世間的な価値に不可避的に巻き込まれていくという構造を明らかにした点にある。

 先に書いた、ユニークフェイス当事者の自意識は、世間的な価値にとらわれているのである。その世間的価値を無自覚に内面化してしまった普通の人たちのことを、著者の泉谷氏は「ゼロ人称」の人と定義する。ゼロ人称の人たちは、「私」という主語を使わず、「私」という立場でモノを言わない。話し言葉に主語を欠落させる。そして欠落しているという意識さえないのだ。ゼロ人称のひとたちの、主語なきコミュニケーションの、本当の主語とは「みんな」であり「世間」なのである。この「ゼロ人称」の人たちにとって、個人主義とは、「世間」の承認を経たものでなければならない。だから、必然的に個人主義は骨抜きになる。個人主義は、「みんな」が許容できるような枠内での「個人もどき」でなければ、ゼロ人称の人たちで構成される世間は維持されないのだ。

 世間的価値を破壊する勢力が出てきても、表だって抵抗はしない。じわりと世間が包囲して、個人を懐柔するのだ。それも無意識に。集団で。

 この世間を構成している人たちは、不安のなかで生きている。ひとりで世間から飛び立とうとはしない。飛び立つと、世間はその人と絶縁することで制裁する。世間以外の「社会」を知らない人たちは、精神の危機に陥って、精神病になっていくのだ。中には自殺する人もいる。

 これまで世間的価値の培養器は、会社と地域共同体だった。

 精神科医、泉谷医師は、この「世間」が破綻していることを日々の臨床から痛感しているという。

「実際に身近にいる人間との間ではコミュニケーションと呼べるようなものが存在せず、有料の精神療法という特別にしつらえた場面で始めてコミュニケーションが行われる。私はそれが自分の職業でありながらも、とても不自然な現象であると感じずにはいられないのです」

 僕は、この世間の破綻を歓迎する者である。なぜならば個人と個人の対話が始まるからである。

 対話とは互いが避けがたく「孤独」を背負った異質な他者同士であることを認識し、目の前にいる他者に向って「知りたい」「理解したい」という人間的関心を向け、先入観なしに「聴く」こと。それを双方が行って、多くの「違う」を発見し合うこと。そしてその先に自ずと「同じ」が発見され、「共感」という「愛」が生ずること」
   泉谷医師の対話には、「孤独な個人」という前提条件がある。

 ユニークフェイス当事者たちは、日本の世間のなかではゼロ人称では生きられない。1人称で生きるにはしんどい。世間が強固に残っている日本では1人称で生きる訓練がしにくいからである。

 いま、「孤独な個人」という属性の人たちが増加している時代である。対話の時代だ。その萌芽はそこかしこにある。萌芽に気づくひとたちは共同体を超えた対話をはじめている。twitterはその萌芽のひとつだろう。

 本書は、孤独な個人として、生きるための良きガイドブックである。

 それぞれの個人が、自分の出自と運命のなかで、対話をして楽しむときがきたのである。

 息苦しい世間の同調圧力のなかで心おれる前に読むべき一冊である。


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2010年04月29日

『排除と差別の社会学』好井裕明・編集(有斐閣)

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「私たちは差別の当事者だが、善意の第三者の演技をしているだけだ。」

 障害学の研究会を、私が生活している浜松(静岡県)で立ち上げようと思っている。
 障害をめぐる現実や言説を、社会学の視点で読み解き、差別や排除をなくすための知恵を学び続けるために、障害学というプラットホームが必要だと考えたからである。

 私の関心があるビジネス領域は、排除と差別とかかわりが深い(という予感がある)。差別についての理解と対話の場をつくり、そこから新しいコトを起こしていきたい。

 とはいったものの、差別や排除について、事実に基づいて語り合うことは容易ではない。

 どの地域、どの時代でも排除と差別はあるのだが、適切な議論が発生し、それが記録されることはきわめて希だ。したがって、同じような排除と差別が再生産されていく。

 ビジネスの現場では、PDCAサイクルをまわして、すこしでも効率的に目的を達成し利益を出す方法論と、心構えがある。定式化されて、情報過多になってうんざりするほどだ。そんな知恵をもっているビジネスマンも、排除と差別の現場に迷い込む(好きでそのような場に立つ人はいない)と、無邪気な子供のような失言をしてしまったりする。差別の現場から逃げてしまう。自分は何の差別感情もない善意の第三者です、とバリアーを張る。被差別の立場にいる人から、批判されると、論理的に答えることができない。それは差別の構造について学ぶ機会がないゆえに生じる悲喜劇である。

 排除と差別をできるだけ少なくして、自分も他者も生きやすくする工夫はできる。差別を少なくするための改善はできる。

 差別をなくすためには、差別する気持ちのない清らかな心にしなければならない、と思いこむ必要はないし、そのようにしていると自分の心を偽る必要はない。差別とは、自分の心がけで消えるようなものではないからだ。

 本書は、排除と差別の構造を知るためのよきテキストである。編者は好井裕明氏。差別について多数の著作を発表されている。

 取り上げられている排除と差別の事例は、ジェンダー、男性同性愛、女性同性愛、障害者問題、ハンセン病問題、ユニークフェイス、社会的引きこもり、フリーター差別、外国人問題、被差部落問題。ひとつひとつは複雑で固有の問題だが、共通しているのは、真正面から語るための言葉が不足していること。

 好井氏は「『差別をしてはいけません』を確認するだけの教育や研修は、いまの世の中では、ほとんど実効性を失いつつある」という問題意識に立っている。同感だ。

 ひとりの人間の内面にある、他者を比較・差別してしまう心情と、社会の構造を知ることから、排除と差別のない社会の模索が始まる。そういう立場から編集されている。

 私は、ユニークフェイス問題について講演する機会がある。そのなかで、いつも歯がゆい思いをするのは、聴衆のなかから、「外見による差別をしたことがある」という経験を誰1人語らない、ということだ。

 ブス、ブサイクと友人をけなした記憶のない人はいないのではないか。その小さな体験が差別といえるのか。言われた側は差別されたと認識するのか。

 外見差別をしたことがない人間はいない。みなひとりひとり差別の当事者である。これは普遍的な事実だと私は考えている。しかし、容認したくない人もいる。

 なぜ日本女性は美容整形とメイクとダイエットに走るのか。それは美を求める行為であるだけでなく、差別されることから自分のアイデンティティを守るための手段になってはいないか。だとしたら、差別する「犯人」はどこにいるのか。

 このような議論をしたいのだがが、実現したことはない。一部の論客をのぞいて。

 多くの人は差別に無縁の善意の第三者という演技をする。この演技力はまことにすばらしい。どこで練習したのですか?と聞きたくなるほどに。
 私自身は、誰かを差別することがある。差別されることもある。善意の第三者になれることもある。ある人が破滅することを知りながら、傍観者に徹することもある。人間は、当事者と、傍観者の複合体である。

 その複合体としての自分を知るためには、排除と差別という鏡はたいへん便利な道具である。

 その鏡は、いつもひび割れており、鏡に映る自画像はつねに歪んでいるのだ。だから、差別の実像はいつも断片的にしか把握できないのだが。

それでも私は、差別の断片を拾い集めては、ジグソーパズルをつくる。破片で手を切ることもあるのだが、本書があれば安全である。
差別から身を守るための知恵がここにある。



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2010年04月06日

『書いて稼ぐ技術』永江朗(平凡社)

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「出版不況のなかで読むライター指南本の読後感はほろ苦いに決まっているだろう!」

 出版物の生産地としての東京はいま揺れている。twitterだ、ブログだ、キンドルだ、iPadだあー、出版構造の大転換がきているぞー。だけどどーしよーもねー。光文社は倒産の危機だー。リストラなう、というブログをみていると、ぎゃはは、と苦笑するしかないという惨状。
 そんな出版不況のなかで、健筆をふるい続けているベテランライター永江朗さんの新刊。『書いて稼ぐ技術』。雑誌休刊が続き、専業ライターが次々と廃業、転業に見舞われる中、挑戦的なタイトルです。twitter検索で、「ライター」で検索すると、食えない、もうダメだ、あの編プロは経営危機だ、というつぶやきが、どーんとタイムライン表示されることでしょう。

 ライターはいい仕事だよ、文章を書くことで稼げますよ。永江さんはその脱力的な語り口でこんこんと説いていきます。
 

こんな時代だからフリーライターに、と私が考えるのは相対的に出版産業が不況に強いから、ということもありますし、それよりなにより、「いざとなったら会社より個人」と思うからです。会社はつぶれるけど、個人は死ぬまでつぶれません

 そう、永江さんは、会社が当てにならない時代であることは百も承知。たくさんの雑誌が休刊になり、編集部が解散していくのを見届けてきました。編集者やライターという職業に過剰な思い入れをもっていないのでしょう。いろんな仕事のひとつ、という割り切りがありますね。
 永江さん自身、会社員経験があり、副業としてライターをしているうちに、なし崩し的に専業になったタイプ。会社員と自由業の両方を知っている。こういう複眼思考は実に大切。フリーターからライターになったような(僕もそのひとり)タイプは、コンテンツでメシが食えること自体に興奮して、自分の仕事を俯瞰して見ることを避けていると思う。
 永江さんはライターの原稿料と印税収入で家まで建ててます。ライター専業で家を建てるのは反則だろう、と嫉妬してしまう同業者は多いでしょう(僕もそのひとり)が、本書を読むと、永江さんの金銭感覚と、仕事への取り組みを知れば、なるほど家が建つわけだ、と納得することでしょう。

 他の産業と比較すれば、出版社のビジネスモデルは脆弱。原稿料について確認なしで仕事が進むという、どんぶり勘定、義理人情に基づいた商習慣など、欠点についてはいくらでも上げることができます。しかし、副業としてみると、たいへん楽しい仕事です。
 僕は専業ライターとしては挫折組なのですが、この不況で専業を諦めるノンフィクションライターが増えてなんとなく楽しい(失礼!)。専業を辞めたとしても、人生が終わるわけではありません。会社に就職しても出来ることは多いことは意外と知られていないんじゃないかな。
 
 本書のなかで、僕の会社員としての仕事ぶりが紹介されています。リスク管理術(不動産術 194ページ)という章の一節です。
 

ライターの石井政之さんはワンボックスカーを改造した移動式書斎、キャンピングカーならぬスタディカーを販売しています。正確に言うと、石井さんが販売しているわけではなく、販売している会社に石井さんが所属しています。実際に見せてもらいましたが、ベンチとテーブルがあって、パソコンの電源も取れるようになっています。これなら景色のいいところに駐めて原稿を書けそうです。資料もたくさん運べますし、寝泊まりだって可能です。

 永江さんには、昨年夏の高遠ブックフェスティバルでお会いしました。勤務先のカスタムカーを移動書斎に仕上げて、浜松市から4時間かけて(若い社員に運転してもらって)長野県高遠入り。そこで、高遠ブックフェスの主宰者のひとりで、ライターの北尾トロさんに挨拶。広場で自動車を展示していると、ノンフィクション作家の早坂隆さん、ライターのナンダロウアヤシゲさん、河出書房新社の編集者らが歩いているので、あらー久しぶり!、と旧交をあたためて歓談(というほど、僕は人付き合いがまめではないのですが)。ワンボックスカーの中に書斎をつくって販売しようと思うんだけど、どーでしょうか、というネタで、あーでもないこーでもない、と意見をいただく。そんなやりとりを会社のブログにアップしたり、その様子を出版業界紙「新文化」の編集長に取材してもらったり。
 来週は、福祉車両のお客様訪問取材のために大阪南部まで出張の予定。シルバー業界紙にレポートを寄稿するチャンスもいただきました。 

 ライター専業やめても、なんとかなります。ライターというスキルと、市場が求めるものの結節点を見つけることは可能です。

 永江さんは、ライターを「好奇心代行業」と定義しています。いい表現です。「代行」だからビジネスになる。


 「出版業界の将来について私は楽観的に考えています。というのも、人は『知りたい』動物だからです。『知りたい』に応える仕事は常にあります」

 僕はこの一文を読んでぱーんと膝をたたきましたよ! リーマンショックから、全世界的に変化の時代になりました。人々は、自分がどういう時代に生きているのか、どうしたら幸福に暮らせるのかを「知りたい」と渇望しています。いまほどコンテンツが求められているときはありません。ネットやtwitterで情報を貪欲に収集できるようになりました。知りたいという欲望、コンテンツへの需要は高まっています。

 ライターってほんとうにいい仕事ですよ。



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2010年04月01日

『ぼくが葬儀屋さんになった理由』冨安徳久(講談社)

ぼくが葬儀屋さんになった理由 →bookwebで購入

「暴走族だった青年を店長にする葬儀屋さんの心意気」

 東京よりも地方が面白い。しかし活字になる書籍の多くは、本社が東京のものが多い。本が好きな人から見れば、地方には面白い会社が少ない、となりかねないのではないか。そんなことはないのですが。このサイトでは地方で元気な会社についても紹介していきたいと思っています。
 先日、浜松市の隣町である愛知県豊橋市に打ち合わせに行ったときのこと。見知らぬ、しかし立派な葬儀会社がありました。「ティアという葬儀会社はすごく伸びている」と教えられました。

 豊橋市で大学を過ごし25年の月日が流れて、ずいぶんさびれた豊橋市のなかで、ティアの存在感は、たちどまるだけの力がありました。

 以前、東京にいたとき、葬儀の価格の不透明さを改善して、消費者にとって適正な価格を公開しているという葬祭コーディネーターの活動をゴーストライターとして書籍にまとめたことがあります。そのときと今では、葬儀がどれくらい変わったのか。気になって調べてみました。根本的には変わっていませんが、改革の波が押し寄せていました。

 さきのティアは、葬儀の不透明な商慣行を価格破壊によって変えている会社だったのです。名古屋本社というのもいい。コストパフォーマンスにうるさい名古屋人が葬儀価格に目覚めたのか、とうれしくなります。本書は、そのティアの創業者、冨安徳久社長の起業物語です。

 映画「おくりびと」によって、ご遺体を扱う葬儀の仕事にあこがれる人が増えていますが、その実態はまだ旧態依然としています。

 日本人の大半は病院で死を迎えます。病院から仕事をもらうために葬儀業者たちは病院の管理職に、現金を渡す、という悪習がある。そんな舞台裏が率直に語られます。葬儀会社の出す見積もりは丼勘定。何度も使いまわしている同じ設備に100万円の価格がついてる。不透明な価格設定。このような現実を明らかにした葬儀の内幕本はたくさん出ていますし、ネットでも情報はあふれています。ひどい業者に引っかかる人は減っただろう、と思うのですが、死をめぐるサービスには、タブー意識と遺族感情がからみあって、一筋縄ではいきません。愛する家族が死んで、ショックを受けている。そのときに、葬儀業者がやってきて、数時間程度の打ち合わせで、通夜から葬儀、火葬、納骨までの一連の動きを決めないといけない。そう思ってしまう。ゆっくり考える時間も余裕もない。業者のいうがままに価格が決まってしまう。東海地方の葬儀のお金は平均すると約300万円。葬儀がすべて終わってから、こんなはずではなかった、というクレームになってしまうことが多いといいます。しかし、葬儀は一生にそう何度もあるわけではありませんから、ご遺族は怒りのやり場がない。葬儀サービスの供給者と、消費者が、あゆみよって話す場もない。なにしろ、死の商売ですから。

 冨安社長は、同じ業界の欠点を冷静に語り、謙虚に反省する人です。それでも、このようなひどい葬儀のあり方が放置されてきたのは、ふつうの人たちが死をタブーにしすぎているから、と分析。その言葉に嘘がないのは、誇りを持って携わってきた葬儀の仕事を、結婚申し込み相手の両親に説明したところ結婚は破談。結婚の条件として仕事を変えることを要求されたのです。仕事にやりがいを感じていた冨安社長は納得できなかった。

 日本のような超高齢化社会では死をめぐるビジネスは成長産業。将来の安定のためにも、葬儀という仕事に誇りを持つ青年との結婚は円満に進むと思えるのですが、人は合理的な生き物ではない。死を商売にするなんて、死で儲けるなんて、という嫌悪感がまだ根深いことを知りました。
 冨安社長の移住のルートも気になりました。愛知県豊川市出身、山口大学に合格したのにバイトではいった葬儀業が面白くて入学辞退、そのまま正社員に。この決断の早さは見事。親の病気で帰郷。静岡県浜松の大手葬儀会社に就職。その会社が生活保護者の葬儀を切り捨てる姿勢に反発して独立。ティアを起業。暴走族だった青年を入社させて店長に抜擢するというマネジメント姿勢をみると、社会起業スピリッツがある人です。



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