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2009年11月30日

『定年からの旅行術』加藤仁(講談社)

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「老いた人の旅は、過ぎゆく時間を抱きしめながら」

 先日、会社の仕事で「名古屋モーターショー」に行ってきました。車中泊仕様にカスタマイズした車両を2台展示。1日中、車両の横に立ってお客さんの様子をみていますと、小さなお子さんのいるファミリー層にまじって、60歳前後とおぼしきご夫婦が真剣に車中泊車をみてくれています。
「これいくらかな?」  価格を申し上げると「安いね」とおっしゃいます。  定年退職した人たちのなかで、静かな車中泊ブームが続いている。たしかな手応えを感じたモーターショーでした。

 車中泊は数ある旅のひとつ。旅のカタチは多様化しています。会社が取り扱っている商材は車ですが、私はこれを問題解決型の新しいコンセプトの車にしていきたいと思っています。定年退職した人にとって、自由になった時間で、どんな旅をするのか。しがらみがなくなった人たちの気持ちを知りたい。
 本書「定年からの旅行術」は、コンパクトな新書の形式ですが、情報の密度が濃い。定年をテーマに息長く取材活動を続けるノンフィクション作家、加藤仁さんは、取材メモを引っ張り出して、これまで会ってきた高齢者の旅と、その心象風景を描いてくれました。

 高齢者にとって旅をためらわせる理由は、健康とお金。健康な心身と、余裕のある資金がないと、快適な旅行はできない、と思うのが普通でしょう。
 しかし、加藤さんが取材で出会った人たちに、すべてが完全なコンディションで旅をした人はひとりもいませんでした。
 56歳で愛媛県警を早期退職した和田憲二郎さん(取材当時79歳)は、病身の妻への「女房孝行」のために車中泊の旅をはじめます。退職して3年目には、ワゴン車を購入。キャンピングカーに改造。全国を旅します。自分自身の身体の変調に気づいたとき、「本物のキャンピングカーに乗って旅をしたい」との思いがよぎり、キャンピングカーを購入。さらに夫婦二人旅は続きます。妻は骨粗鬆症で入院。自分も前立腺ガンで入院。もはやこれまでか、と思ったときも、車中泊の旅に出て、元気を回復していきます。
車椅子をキャンピングカーに乗せて旅を続ける夫婦の姿をみた、同じく団塊の世代の旅仲間が励まされていく。旅は、老いと病をふりはらう営みとしてありました。
 激務のなかでワークライフバランスを実践している著名な経営者がいます。彼は、妻が精神病、息子がダウン症。長時間労働をするわけにいかなかった。仕事と家庭の両立をしながら社長に上り詰めました。彼はテレビ番組の取材でこう言っています。。
「仕事はいつかなくなる。なくなったとき、家族と過ごす時間が待っている。それが幸福だ。そのためには自分の健康、時間を大切にする。そういう社員が増えないと会社はよくならない」
 和田さんという人の女房孝行の旅は、まさにこれです。仕事がなくなったとき人は何をするのか。
 家族と旅の時間を過ごす。
 現代は未婚・非婚という「おひとり様」の時代ですから、独り身の旅についてのすてきなエピソードも紹介されています。
 愛媛の片田舎でみかん畑で働く山崎トミコさん(取材当時89歳)。ずっと助産師として働き、気がつくと独身のまま57歳になっていました。友人と初めての海外旅行でハワイに行ったときに旅の楽しさに開眼。60歳から89歳までに、116カ国の世界旅行を達成! トミコさんに世話になった人が、毎日野菜や魚を届けてくれます。食費は肉を買うぐらい。交通事故にあったときに人工骨を埋め込んだ。これが空港のチェックでひっかかるようになってしまい、それがいやで海外旅行をやめたと言います。海外旅行はいけなくなっても、部屋には自分で撮影したたくさんの旅行ビデオテープ。。これを見ながら、「もう、なんの悔いもないのよ」と取材者の加藤さんに語るトミコさん。すてきなおばあちゃんです。
 加藤さんは40名以上の「旅行名人」たちと、30年以上の取材経験から書き起こしています。30年以上の取材の蓄積というのもすごい。「定年」という人生最大の事件の一つを定点観測してきた加藤さんにしかできない仕事でしょう。
 老いてからの旅は、青春の旅とは違います。青春の旅は、時間は無限、健康はずっと続く、というのが前提です。老いてからの旅は、残り少ない時間を惜しんでいるだけにドラマチック。旅を続ける動機もはっきりしているように見えます。
若いときにありがちな自分探しではなく、今、自由に生きていきることをひとつひとつ確かめる、過ぎゆく時間を愛おしく抱きしめている崇高さを感じます。

 私は44歳。いまから20年後に旅をする計画を練っておこうか。倹約して両校資金を貯めておこうか。こう考えたときから旅は始まっています。この本を読むことが旅なのです。


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『転身力』小川仁志(海竜社)

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「山口県に面白い哲学者がいる!」

 それまでの生き方から、がらりと変身した人に興味があります。
 「人生でひとつだけのことに専心して、そのことによって生活ができ、家庭を養うことができる。それが幸福である」  その価値観が日本の高度成長を支えてきたような気がします。これは職人の価値観であり、人生観でしょう。長い歳月をかけて師匠から教えられる職人の技が尊重される世界では、人生でひとつだけのことに専心する人が高く評価されるのです。その職人の技によって日本は豊かになりました。  しかし、いまはそういう職人の価値観が崩れている時代。一生をかけて体得した技、知恵、価値観が、その人の生活・収入に直結しないことが増えています。情報革命が暗黙知だった仕事を可視化して、交換可能にしていったためです。そしてその交換可能領域は増え続けています。

 そんな時代ですから、すべての職業人は、自分の職業に誇りを持ちにくいですし、自分のポジションはいつか誰かに取って代わられるのではないか、という不安のなかにいるものです。現代人とは多かれ少なかれ、この不安に突き動かされて生きている。

 だから転職=転身することは不可避であり、そのことが人生プランに入っているべき。そういう時代感覚に移行している。いまはその過渡期であると思います。

 専業フリーライターから、会社員との兼業ライターになった私は、ひとつの生き方から転身した人についての書籍を探していました。

 本書「転身力」は、市役所勤務の役人が、哲学者に転身するまでノウハウがつまっています。
 タイトルだけでは「役人から哲学者になった」のか。役人の仕事ってたいして面白くないから、つまらない仕事から面白い仕事に転職しただけではないか、と勘ぐりながらページをめくったですが、この思いこみはきれいに裏切られました。

 小川さんは、京都大学卒業後に入社した伊藤忠商事勤務時代に天安門事件に出会ってしまいます。若かった彼は人生観を揺さぶられ、営利活動よりも社会のために動きたい、と転身を決意。司法の世界で仕事をしようと司法試験に取り組みます。フリーターをしながらの受験生活です。不安定な生活に追い込まれた小川さんは、心身共にぼろぼろになってしまいました。

 人生の再スタートとして選んだ職業は市役所勤務の役人。30歳で名古屋市役所の採用試験を突破、正式採用されます。公的なことを仕事にしたい、という思いで選んだ職業でした。普通ならば、出遅れた社会人として、がむしゃらに働くのでしょう。しかし、小川さんは冷静に役所内でのキャリアアップを計算します。勤続年数で出世が決まる役所では定年までに行けるポストは限られています。エンドレスで仕事をする職業感覚が残っている役所で、小川さんはワークライフバランスを意識。残業なしで生きていこうと決めるのです。ライフワークとして公共哲学を学びたい、という夢もありました。そのために残業をするわけにはいかなかった。安定した職業に就いた彼は結婚し、二児の父になっていました。家庭、仕事、哲学研究という3つの生活のバランスをとりながら、転身のチャンスをうかがいました。哲学で生きていくために、懸賞論文に応募。見事に入賞して、自分の力でキャリアをプロデュース。市役所勤務という社会人経験を最大限前向きにアピールして、山口県の高専で哲学教育の教員としての採用され、「哲学を教えることで生きていく」という夢を果たしたのです。

 小川さん以上に転職歴・転身歴の豊富な人はもっとたくさんいることでしょう。この日本では転職・転身を評価しない風潮がまだ強い。出身大学と初めて入社した会社のブランドで、その人の人生のすべてを決めてしまうような価値観はまだ消えていません。その中で、山口県の地方の高専が、小川さんの実績を評価した。そのことに、私は時代の変化を感じました。地方の経済・文化は一部を除いて疲弊しています。小川さんの書かれているブログ「哲学者の小川さん」を読むと、彼が山口県の文化の活性化のためにさまざまな活動を展開していることが分かります。「公共哲学」の実践をされている。転身経験のある人が、現代のような動きの速い時代に必要とされているのです。

 小川さんは「哲学カフェ」という、見知らぬ人同士が哲学的な思考を楽しむ集まりも主宰されています。私も浜松市で「哲学カフェ」をやろうと準備中。きっかけは小川さんのブログでした。転身組のひとりとして元気をもらいました。


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2009年11月16日

『twitter社会論』津田大介(洋泉社)

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「twitterのつぶやきで世界は変わる」

 twitterにはまるとは思っていなかった。僕がtwitterのアカウントを取得ししたのは1年以上前。アメリカで流行しているというネット情報を知ったときだった。日本人のユーザーが少ないということもあり、英文を書き、海外の人と単文のやりとりをしてみるか、というノリだった。
 それがどうだろう。今年になってから、twitterの爆発的な流行が始まった。その中心人物が、本書を書いた津田大介だ。ITジャーナリストとして活躍する彼のブログ「音楽通信メモ」をときたま見ていた僕は、ある時から、彼がエントリーを書き込むステージが、twitterに変化したことに気がついた。「津田大介」で検索すると、twitterでのつぶやきがヒットする。140字以内という文字数設定があるため、一瞬でその書き込みの要旨を理解できる。どこで誰と会った、いま眠い、腹減った、原稿の督促がtwitterを通じてきたから焦っている、というような、些細なことがつぶやかれている。長文を書くならばブログのほうがいい。津田はジャーナリストなのだから、長文を書くスキルはある。それなのに、断片的なメモのような言葉をtwitterに書き込んでいる。  ある時から津田は、自分が取材をする現場にノートパソコンを持ち込んで、オンライン状態でその現場の生中継をtwitterで始めた。twitterはメールと違って、そのリアルタイム性が特徴。現場で会議をしている人たちの肉声を、津田はtwitterで外部世界に中継していく。これが大好評となり、twitterで取材の中継をする行為が「tsudaる」と呼ばれるようになった。  ぽくはこの書評をオンライン状態のノートパソコンで書いている。twitterにつなぎっぱなし。いままさに気になるシンポジウムが東京で開催されており、その会議を「tsudaる」人をフォローしている。シンポジウムの息づかいを画面で確認しながら、エディタで入力しています。  twitterのタイムラインからざわめきがわかる。世界は動いていると感じ取れる。僕もがんばろう!という元気が出てくる。  そんなことを書くと、twitterって専門家のコミュニケーションツールなの? 難しそう!と思ってしまうかも。違うんだ。

 twitterって聞いたことがあるけれども、どういうものかを知らない。少し使ったけれども、なにがおもしろいのかさっぱりわからない。本書はそんなtwitter初心者のためのよき入門書になっています。

 僕もtwitterのおもしろさがわからずやめようかな、と思ったときがありました。100人くらいフォローをして、その100人のつぶやきを読んで、なんだ時間の無駄だな、と思いました。書き込みの大半が日常的なこと。ブログのようにまとまった文字量で表現できる主張や解説になっていないのですから。
 しかし「tsudaる」技術をもった、さまざまな人たちが、それぞれのこだわり、仕事、趣味の事柄についてのつぶやきを選択的に、読むことができるフリーソフト(たとえば、TweetDeck)を導入して、twitterの見方ががらりと変わりました。
 ある特定の分野を得意とする集団の雑談に参加している感覚になったのです。
 政治家が自分の現場で感じた不条理をつぶやく。主婦が子育てのなやみをつぶやく。社会起業家がアジ演説をする。それぞれ深みのある事柄なのですが、なにしろ1エントリーあたり140字ですから気軽に読める。気軽に感想を書き込める。しかも、そのつぶやき群は、ブログのコメント欄のように固定されることなく、瞬時に流れていく。映画のテロップのようなスピードで動いていく。言葉が通り過ぎていくスピードが、雑談を聞くスピードと同じように感じられてストレスフリー。不作法なつぶやきをする人についてはその言葉を読めないようにブロックすればいい。誹謗中傷が起きにくい適度な距離をもてる。
 このtwitterをオバマ大統領のような世界を動かす権力者も活用している。大統領のつぶやき読みたい!という人たちが全世界からフォローしています。

 twitter社は10億人のユーザー獲得を目指しているらしい。実現したらそのつぶやき群によって世界を変える可能性もあります。(デマが瞬時に拡大する危険性もあるので、その使い方には注意が必要になっています)

 津田が巻末に書いた言葉がいい。この言葉を書いた津田を賞賛するつぶやきがtwitterであふれたけれど、改めて引用しよう。

「社会なんてなかなか変わるものじゃない。変えるには、個人個人がリスクとコストを取って実際の社会で何かしら動く必要があるからだ。変わらないことに絶望してあきらめてしまった人もたくさんいるだろう。それでも、人々が動くための一歩目を踏み出すツールとして、ツイッターは間違いなく優秀だ。何かをあきらめてしまった人が、ツイッターを使うことで「再起動」できれば、少しずつ世の中は良い方向に動いていく。そんな希望を持ちたくなる、得体の知れない力をツイッターは持っている」

 僕のツイッターとのつきあい方を紹介しましょう。起床すると生後8ヶ月の息子の面倒をみます。テレビはつけない。朝っぱらから猟奇殺人事件や覚醒剤使用の報道をしている。そんな映像を子供に見せたくない。息子の成長をtwitterでつぶやく。ブログで書くような主張はない。今日はよく泣くなあ。それだけのことが、twitterにふさわしい。静かな日常をつぶやきながら、希望をもって生きているということをでゆるく伝えるメディア。twitterで僕が書く言葉は軽い。その軽い言葉が、いまその瞬間を共有する友人とつながっていく。
 twitterがすべてだとは思っていない。朝のテレビニュースにかわる有意義な時間を僕はtwitterに振り向けた。まえは文庫の読書だったけれど、息子の成長を伝えたいという親ばか意識をすくいあげるメディアとしてtwitterは使えた。
 こういう使い方が世界を変えるって? ええ、変えると思います。
 twitterをするとき、人は詩人になるから。そうなるような仕様になっているから。140字という字数に思いを込めると詩になってしまう。できが悪い詩でも、単文で詩は詩ですよ。事務連絡のつぶやきは読まなきゃいい。

 10億人の詩人が登場すれば、世界はいまよりもよくなっていくでしょう。そう思いませんか?

 この続きはツイッターで!(と津田も書いていたっけ)。


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