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2009年10月31日

『論語』孔子著 金谷治 訳注(岩波書店)

論語 →bookwebで購入

「孔子もつぶやいていた。」

 twitterが流行しています。このミニブログのシステムは、気軽にできるブログのようなもの、と思っていたのですが、実際に使ってみると、ブログとはまったくの別物。mixiよりも適度な距離感があって、ストレスがない。タイムラインで流れるコメントは140字以内のために、読みやすい。情報量が多すぎだなと感じるときは読む必要さえない。日常の些末なことから、天下国家を論じる国会議員のつぶやきまでが、タイムラインとして流れていく。いわば、言葉の束がせせらぎとなって眼前を流れていくという有様。その言葉の流れを、パソコンでも、iphoneでも読むことができますし、リアルタイムでコメントを書き込むこともできる。
 いま生後8ヶ月の息子の世話で忙しくなっています。片手でできることを探していました。携帯電話からブログ更新をする要領でtwitter。他に片手でできることは文庫や新書による読書です。しかし片手に息子がいますと、長文を読むことができません。そこで選んだのが『論語』でした。  論語は、孔子の言行録を弟子たちがまとめ、磨き上げてきた思想書です。孔子は2000年以上前の中国の思想家。生前、理想的な国家を夢見ながら果たせず、浪人として過ごして亡くなりました。いわば放浪の知識人です。  その言葉は、すべて断片的。注釈がないと理解できない言葉ばかり。数行の漢語の原文。読み下し文。さらに現代日本語による解説文。この3点セットでようやく、孔子のつぶやきの背景が分かってくる。この理解のプロセスが、twitterで流れるタイムラインを理解するときときわめて似ていると感じています。

 ある社会起業家がtwitterでつぶやく。その言葉の意味を理解するために、その社会起業家のブログを読む。まだ分からないならば、ブログの過去ログを読む。それでひとつの理解が得られた。もっと知りたいときは、その起業家のtwitterに反応している別の書き手のつぶやきをたどっていく。
 こうして網目状になったウエブ状のつぶやきをたどっていくことで、いまの日本のなかで、どんな人間がどんな思想をもっていかなる行動しているのかをうかがい知ることができる。
 現実はきわめて流動的であり、多面的である。これをtwitterのタイムラインはその変化をまるごと見せてくれます。
 孔子は、弟子に天下国家を論じる前に、よき人であれ、という道徳を説きました。それは2000年以上前の戦乱の中国大陸では希有なことであったと想像します。教育制度というものがなかった時代に孔子は、よき人であれと説いた。負け戦の連続。分裂した中国大陸での思想家という立場はいかにもはかない。
孔子の時代において時間とは悠久の中にあったはず。現代では流転に次ぐ流転のなかにあり、twitterでのつぶやきが神経症的なほどに、マシンガンのように書き連ねている様子をみてしまうと、もうすこしゆっくり時間をかけて思考し、つぶやいて欲しいものだ、と感じてしまいます。
 twitterと論語の構造は似ているかもしれないが、その背景にある時間のスピードは異相であります。
 孔子がひとこと語る。それを弟子が聴く。いちど聴いても理解できないこともあったはず。こうして言葉を記録しようという意欲が出てくる。時代を超えて、つぶやきが残され、繋がれていく。その連鎖の結果として、私たちは書物として読める。
 同じ片手で読めるつぶやきでも、孔子のそれとtwitterのそれとでは違うのだけれど、twitterのなかに、現状の社会体制を変えるために、行動のひとつの現れとしてのつぶやきがある。それが、とても刺激的。だから私は片手に赤子、片手に論語。ときに論語の代わりにtwitterをしているのです。
 どちらも、絶望の時代にふさわしい言葉群ではないか、と思います。
 twitterにはまっている人は、是非、論語を読んで欲しい。twitterと向き合う態度が変わっていくと思いますよ。
 そして、このような孔子のつぶやきが東アジアの思想の原点となっている。そのことに感銘を受けます。断片的な言葉は、流動的な現実を描く上での必然ではないか。


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