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2009年08月11日

『顔にあざのある女性たち』西倉実季(生活書院)

顔にあざのある女性たち →bookwebで購入

「ユニークフェイス研究に光を当てた労作」


 本書は、日本というユニークフェイス研究不毛の地に、はじめて登場した日本人研究者による学術書です。  私が1999年からユニークフェイス問題を公に語り初めて10年。ようやく日本の現状を研究者が調査結果を単行本化してくれました。待望されていた書籍です。

 私は1996年から97年にかけて英米カナダで情報を収集し、日本ではこの問題については研究の蓄積がないことに気がついていました。1999年から大学関係者に、ユニークフェイス研究をしてほしい、と機会をみつけて語ってきました。しかし、その反応は鈍いものでした。国内での先行研究がない、ということは、その研究の価値を判断する能力のある日本国内の権威・専門家(大学教授)がいない、ということを意味します。

 少子化による大学冬の時代です。若い研究者たちは就職先がありません。

 大学院卒業生の就職先がないという高学歴ワーキングプア問題については、大学院生にユニークフェイス研究をしないか、と声をかけるうちに気づきました。彼らは、学問・研究を愛していますが、その努力が報われる職場がない。すでに確立された研究分野で職を得ることさえ困難な大学冬の時代のなかで、先行研究がない、指導教官がいないのに、ユニークフェイス問題に人生を賭ける、という若手研究者はほとんどいませんでした。

 現在、ユニークフェイスを研究テーマにしている若手研究者は片手で数えられるまで増えました。10年前にはゼロといっていい状態ですから大きな進歩です。西倉はそのなかの一人でした。 

 西倉の専門は「ライフストーリーの社会学」。詳細な聞き取りによって得られた個人史の語りをもとに、社会との関係を論じていきます。ジャーナリズムの取材とちがうのは、調査対象者と、調査者(西倉)の言葉のすべてを言葉に書き起こし、その言葉と文脈から、両者の感情と論理のヒダまでを徹底的に検討する点です。

 ユニークフェイス問題(顔に疾患や外傷のある人たち facial disfigurement の心理的・社会的な困難)についての研究は英米では約半世紀の蓄積があります。西倉は欧米の研究業績を丁寧に読み解き、その先進性を紹介するだけでなく、その研究の盲点、未開拓な部分にまで言及していきます。たんなる欧米研究賛美でありません、日本の後進性を嘆くばかりのでもない。西倉に先行する日本人による数少ないユニークフェイス研究の業績をひもとき、ユニークフェイスの女性当事者のライフヒストリー研究の必要性を説得力のある論理で書き進めていきます。

「彼らは人目にふれることを避けるためにその存在が認識されにくいうえ、『形成外科医は万能である』、というメディアに流通したイメージが顔の疾患や外傷は治せるという誤解を招いたせいで、彼らの苦しみは不可視化されてきたのである」

 西倉は女性当事者に注目する理由をこう書いています。

「テレビ番組や新聞記事でユニークフェイスの活動が紹介されているのを目にする機会があったが、顔や名前をさらけ出し、自分の経験を語っているのはつねに男性なのである。女性であるということ、それが顔の問題を語ることを困難にさせてしまうのではないだろうか。いまだ語られてこそいないが、女性であるがゆえの特有の経験があるのではないだろうか」

 その語りのなかでも、西倉は「問題経験」に着目。「問題経験」とは、

「日常生活のある事柄をめぐる「何かおかしい、不満、疑問、怒り、憤り、悩み、違和感、苛立ち、疲労感、不調、生きづらさ」を意味する言葉。ユニークフェイス当事者であれば「たまたま顔が人と違うだけで、感じている生きにくさ」。

 ユニークフェイスという問題があり、その解決のために社会活動をする、というような異議申し立て(本書では「クレイム申し立て」と記述)をすることはしないけれども、その問題のなかに生きている女性たちの肉声を「問題経験」として論じていく西倉の筆致はユニークです。直線的な論理になりません。当事者女性の声に伴走しながら曲がりくねっていく。その目指すゴールは、

「顔にあざのある女性たちの個人的な現実を根拠に、これまで不可視化されてきた彼女たちの問題経験を可視化し、それらをできる限り軽減し、社会の現状を問題化していくという政治的実践」。

 平たく言えば、「声なき声」を聞き取り、代弁し、光を当てるという作業です。

 私はユニークフェイス当事者であり、同時にユニークフェイスという社会活動の中心にいるため、「問題経験がある」ということに「慣れ」が出てきています。この「慣れ」は聞き取りでは禁物。取材対象者との適切な距離をとることが出来なくなってしまうからです。当事者ではない研究者の西倉には、この「慣れ」がありません。当事者との対話を重ねられます。

 研究を始めた初期、西倉はユニークフェイス問題を「ジェンダー」と「美醜」というふたつの視点から興味をもち「女性であるがゆえに抱える美醜をめぐる問題経験」の語りを期待します。しかし、インタビューイの女性たちは「普通でない顔ゆえの問題経験」を語る。聞きたいことが聞けないと西倉は困惑。インタビューイから語りたいことを受け止めてくれない研究者と判断され、研究が行き詰まった時もありました。調査の方向付けの変更を余儀なくされます。対話は諸刃の剣。取材を受ける側であるユニークフェイス当事者女性から、調査者である西倉に対して、研究のスタンスを問う批判もでました。西倉の、ユニークフェイス観、美醜観は鋭く問われました。

 ユニークフェイス問題の語りを理解し、記述するということは、多元方程式を解く作業です。

 「美・醜」、「正常・異常」、「健常・障害」、「男性・女性」、「素顔・化粧顔」、「先天異常・後天的な傷害」、「欧米・日本」、「医学モデル・社会モデル」・・・多面的な要素を包括して論じなければならないし、ときに各要素を厳密に分解しないと議論が迷路に入り組んでいきます。私は、学問的な訓練を受けていない人間ですから、実践で得た事実でユニークフェイス問題を語ってきましたが、西倉は学問的な裏付けをとった精緻なロジックで展開しています。

 西倉は、ユニークフェイス問題という多元方程式の「一部」を解くことに成功しました。ユニークフェイス問題のすべてを解明するためには、もっと多くのライフヒストリー研究、もっと多くの研究者の参入、そして共同研究チームが必要でしょう。研究をさらに深めるためには潤沢な研究費が必須です。欧米とアジアの比較文化研究も必要でしょう。ユニークフェイス問題については、日本だけでなくアジア諸国も研究の巨大な空白地帯になっています。将来は日本の研究蓄積がアジア諸国のユニークフェイス当事者に還元されるようになることを期待しています。

 ユニークフェイス研究の成果を、単著という形で、日本で初めて世に問うたのは、「ゆっくりしか進めない」と自称する西倉でした。
 日本の歴史の中で、ユニークフェイス当事者が、自らをユニークフェイスと名付け、初めてカミングアウトして10年。歴史は十分に早く動いています。
 本書をきっかけに、ひとりでも多くの人がユニークフェイス問題に関心を寄せてくれることを願います。


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