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2009年05月27日

『働くママが日本を救う!』光畑由佳(毎日コミュニケーションズ)

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「子連れ出勤というシンプルな答え」

 なんとなく会社に行きたくないという日がありました。妻はそれを感じ取ってかこう言います。
「私が石松君(息子の仮名)を連れて会社に行こうか?」 「ああ、いいねぇ」  と、そこで会社に妻が子連れで働いているシーンを考えてみた。  勤務時間中に子どもが泣く。おむつを交換する。なんとかなるんじゃないか。  妻は子育てに区切りがついたら働くつもり。そのための準備もしています。浜松市でそういうワークスタイルができる職場を探してみるか。キーボードをたたいて検索しても、出てくる情報は、「取り組みをしています」という公式見解ばかり。当事者の肉声は少なめ。検索では中小企業の取り組みはほとんど出てこない。  困ったな、と検索を続けていると、「モーハウス」という会社のホームページにたどり着きました。授乳服のメーカーです。モーハウスの光畑社長は、社会起業家として注目されている人。以前、この書評空間で紹介した、「社会起業家に学べ!」(今一生)でも紹介されていることは知っていましたが、実際にサイトを見たことはありませんでした。かるーい感じのブログ文体。3児の母。すごいなぁ。一児だけでも大変なのに3児かぁ・・・。同じく3児の母として、いま大活躍の人と言えば勝間和代さん。ボランティア的な組織から会社としての成長を成し遂げたモーハウスと、外資系企業のアナリストから経済評論家に転職した勝間さんを比べてみようか、と思い立って本書を読むことにしました。それから、子どもの貧困問題についての文献を読んでいるうちに、日本社会はもうダメだ、とありきたりな悲観論に傾きつつある自分を奮い立たせておこうとも考えました。

 マクロ的に考えると、日本はもうダメだ、となる。これは海外在住のインテリ日本人に多い傾向です。一生日本に暮らすことを決めている人は、悲観論に浸るのは有害です。

 創業からずっと子連れ出勤で会社を経営してきた光畑さん。育児中だった自分が働きやすいし、他の女性も働きやすいからはじめたワークスタイルが、注目されることが不思議だったといいます。10年ほどで約150人の子連れママを雇用してきた経験からでる言葉は説得力があります。
 育児と仕事の両立をしたい、という女性は多いけれど、育児休暇制度を用意できる会社は大手に限られます。ここまでは既知の事実。たしかに恵まれた会社に勤務している女性は育児休暇をとっています。しかし保育所はいっぱい。待機が社会問題になっています。こればかりは、一流企業に在籍していてもいかんともしがたいところ。こうして仕事と育児の両立は不可能、ということになってしまいます。普通の論者はこれで、出口なし、ということになます。
 光畑さんは、子連れ出勤をしたらいいんじゃないの、と考えて行動していく。そのメリットは大きいと説きます。ハローワークに、子連れ出勤が可能、と登録するだけで、優秀な女性がどんどん面接試験にやってくるのです。こういう効果があるとは!知りませんでした。
 第一次産業(農林業)の現場では、子連れ労働が普通でした。働くことと生活することが一致するライフスタイルが本来の人間の生活。それが、工業化による男性中心の労働スタイル、高度経済成長という効率を追求する生き方がよしとされる風潮のなかで、多くの分断が発生していきました。
 職場と住居を分ける。職場と育児を分ける。男女の性別役割分業をつくる。
 本書を読んでいると、そういう分断された生き方では快適な生活はしにくいよね、と気づきます。効率が悪いし、無理がある。
 育児だけに専念していると、子どものちょっとした個性を身体の異常と錯覚したり、復職できるのだろうかと無用な不安にかられたり。母である前にひとりの人間として女性がストレスにさらされる。父親も育児を母親に任せきりにすると、親という自覚が芽生えにくい。子どものためと称して激務をして、身体をこわしたり、家庭との関係がぎくしゃくする人が多すぎます。
 そうだ! と膝を打ったのは、中小企業のほうが柔軟に子連れ出勤を導入できる、という指摘。中小企業には厳密なルールはありません。社長がOKといえば、たいていのことはできます。大企業であれば、人事部や経理との調整をしなければならず、その社内政治のハードルに、子を持つ母親労働者は気後れして、社内改革よりも、退職して育児に専念という気持ちになりがちでしょう。
 子連れ出勤は、「モーハウスだから」、「光畑社長だから」、できたのでは、という意見には、そんなことなく、その気があればどんな会社でも導入可能、と丁寧に説明しています。
 「子連れ出勤OK !」という第2、第3のモーハウス的な会社は、日本各地に生まれていることでしょう。本書がきっかけに、社員の育児支援は当たり前という経営者が次々と現れると思います。


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2009年05月25日

『子どもの最貧国・日本』山野良一(光文社)

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「子どもの貧困を、しっかりと「発見」するために」

『子どもの貧困』(阿部彩)で、詳細に引用された子どもの貧困についてのデータ、そして論旨があまりにもショッキングだったため、現場のレポートを読もうと思い手に取りました。阿部氏は研究者でしたから、「本当の貧困の現場を知らない」といえなくもありません。神奈川県内の児童相談所に勤務し、アメリカで貧困問題の研究をした山野氏は、現場と理論の両方を熟知した人ということになります。
「現在のわが国の政府は、子どもたちの貧困問題にまったく関心を示さず、その問題自体を放置しているとさえ言えるでしょう。この本でも指摘しているように、それは世界的に見れば例外中の例外なのかもしれません」

 冒頭に出てくる言葉は、日本政府と社会が、子どもの貧困に無関心だったという事実です。阿部氏と同じ見解です。

 日本国内にはきちんとしたデータがほとんどないため、引用されるデータはアメリカ国内のものが多いのですが、その内容は衝撃的。日本国内での、子どもの貧困を類推するには十分なデータです。

 たとえば、アメリカでは児童虐待が貧困家庭で起こりやすいことについてはコンセンサスができています。貧困ライン以下の所得の家庭では、豊かな家庭の子どもに比較すると、児童虐待・ネグレクトなどが約25倍に跳ね上がる、というデータがあります。

 社会的な孤立の度合いも貧困家庭ほど強いことも明らかになっています。貧しい人に対して、もっと早く相談に乗ってくれたらどん底にならなかったのに、と思ってしまいがち。しかし、貧困のなかにある人たちに共通しているのは、相談する人がいない、または相談機関があることを知らない、そんなことを相談してもいいの?という自尊心の低さです。人間関係の貧困。自分が求める情報にアクセスする力が乏しい・・・このようないネットワークの脆弱さ、知的なハンディキャップがある人ほど貧困になりやすい。そして貧困になると、普通の生活に戻ることが困難になっていきます。

 アメリカには、貧困解決のためのNPOなどの社会貢献団体がたくさんあるではないか、と社会起業に興味をもつ人たちは思うのではないでしょうか。
アメリカ人は基本的に子どもが大好き。寄付を尊ぶ文化があり、寄付への税制優遇措置もあります。子どもの貧困解決のための研究の蓄積もあります。政策もあります。
アメリカの民間福祉機関を支えているのは個人からの寄付。その額は年間10兆とも20兆円ともいわれます。巨額です。しかし、子どもの貧困は解決していません。そのアメリカを見た山野氏は「アメリカという社会のあまりにも巨大すぎる貧困や不平等という現実」を指摘しています。

 日本は、最近になってようやく、子どもの貧困問題への関心が芽生えはじめた状態。いろいろな研究者と実践者が問題解決のために動き出しています。アメリカのような「子ども貧困大国」にならないために、本書は必須文献の一つです。


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2009年05月22日

『働き方革命』駒崎弘樹(筑摩書房)

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「失われた世代が、働き方革命を起こす!」

  日本人はワーカホリック(仕事中毒)である、と海外から言われ、日本人自身も自虐的に語り続けて幾星霜。
 「過労死」という、不条理な死が批判されても、過労死はなくなりません。1年の自殺者数が3万人を超える異常事態が続いていますが、沈静化の兆しは見えません。  マスコミが、このままではいけない!と訴えても、そう語るマスメディア自身が長時間労働の勤務体制。うつ病がたいへん多い業種になりました。  日本では、女性も男性並みに働かないと評価されません。だから第1子を産んだ女性の約7割が退職するしかなくなってしまう。残業をすると、育児ができない。育児のために定時退社すると、「だから女は使えない」と嫌みを言われる。母になった女性は会社に居場所がなくなります。やむなく退社。男たちは、妻子を食わせるために、さらなる長時間労働に追い立てられていく。かくて会社は、長くハードに働いた者だけが評価される、というヘンな組織になっていきます。過労で倒れるまで働くことを誰も止めない、止められない。過労がゴールの不条理なトライアスロンレースのような労働しか選択肢がないのだろうか。自分で自分の首を絞めるような労働環境です。

 著者の駒崎弘樹さんは、ITベンチャー経営者から転身し、病児保育サービスNPO法人フローレンスを立ち上げた社会起業家。起業家とは、ワーカホリックな人種である、そうでなければならない、と思いこんでいましたが、本書は、その思いこみをサクサクと否定してくれました。働き方の仕組みを設計していれば、無駄な長時間労働を避けることができるし、家族との時間も確保できる、地域とのつきあいも普通にできる。それを実体験をもとに語ってくれているのです。
 駒崎氏は、ITベンチャー経営者のときに身につけた、馬車馬のような働き方を疑うことなく、NPO法人フローレンスの立ち上げに奔走。しかし、組織が大きくなるに従って、心身ともに余裕のない自分に気がつきます。常時メールをチェックしないと落ち着かないメール中毒、おだやかな表情をつくれない無表情・不機嫌顔、ロジカルシンキングだけでコミュニケーションをし、話の結論を最短時間で確認しようとするクールな話法依存。このままでは、経営者としても生活者としても、破綻することを察知した彼は、自分自身の働き方を変える「働き方革命」にチャレンジします。
 自己啓発とか、ポジティブシンキングに対して、気持ち悪い、と感じる、普通の感性の青年が、人間らしい働き方を習得するために、さまざまなプロに教えを請う姿が、軽妙なタッチで表現されています。しかし、その軽妙さの裏には、血を吐くような、自己改革のための痛みがある。
 この「書評空間」で、駒崎氏の著作を紹介するのはこれで2冊目となりますが、この人には文才があります。語るべき経験を、一般の人にわかるシンプルにして楽しい表現に落とし込む能力がある。
 この力のある言葉に引き寄せられて、駒崎氏のもとに若く優秀な女性、学生、専門家たちが集結していく。納得。言葉はもっとも効率のよい働き方の成果なのですから。
 政府の審議会で、日本人の異常な働き方はすでに議論されており、改革のための方策もつくられようとしているようです。しかし、その審議をまとめる霞ヶ関の中央官僚たちは、日本で最高水準のワーカホリック集団であり、なおかつ社会問題解決の先送りをする仕組みで身動きがとれない組織です。この審議会のスローな展開を知った、駒崎氏は、本書の最後に(霞ヶ関に向かって)こう言いはなっています。

 「僕たち失われた世代が、働き方革命を起こし、我が国を変えるでしょう」
 

 仕事から離れたら何の取り柄もない。知り合いもいない。心から語り合える友人もいない。家に帰宅すると「他人」となった女性(男性)と幼児がいる。職場の同僚が次々とうつ病になる。出産・育児を理由にした退社が連続する。そんな社会が普通であるはずがありません。

 本書を読んで「働き方革命」に参加しましょう!




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2009年05月19日

『子どもの貧困』阿部彩(岩波書店)

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「子どもの貧困問題は、まだ市民権を得ていなかった」

格差社会についての文献を読み継いできましたが、子どもの経済格差については知りませんでした。そのような情報が少なかったからです。いえ、そんなことはないでしょう。情報があったとしても、それを深く考えてこなかった。子どもの問題は、語られつくしている「はず」なのだから、情報も専門家も多くいて、それなりに問題解決のために前進しているのだろう、となんとなく思っていたからです。
 本書は、その思いこみを打ち砕きました。読了して、子どものいるすべての人に読んで欲しいと心から思いました。

 人間として「許すべきではない生活水準=貧困状態」で生活する子どもたち、は語られてこなかった。


 著者の阿部彩氏は、2008年5月に『週刊東洋経済』が「子ども格差」と題する特集を組んだことに触れて、「とうとう「子ども」と「格差」が同じ土俵でマスメディアにて語られることになったのである。このことは、われわれ、長く貧困研究に従事している研究者のなかでも、ひとつのエポックと受け止められた」と書いています。長くマスメディアが注目してなかった、つまりは一般の人が関心を寄せなかったこと、それが「子どもの貧困」ということなります。

 このことにまず驚きました。

 次に国内に子どもの貧困を示すデータが少ない、または存在しないことにも驚きました。

「実際に、子どもの健康と子どもの属する家庭・経済状態の関連を示すデータはあるのだろうか。残念ながら、筆者の知る限り、日本ではそのようなデータは存在しない。しかし諸外国においては、いくつもの研究が「子どもの健康格差」を実証している」


 このような国内研究データの不在は、私がライフワークとしているユニークフェイス問題では常に直面する壁です。しかし、ユニークフェイス問題はスーパーマイナーなテーマですから、データがないことに、いまさら驚きません。

 日本の「普通の子ども」という人間集団についての客観的なデータがない? 

 これでは、まともな子ども政策が立案できるとは思えない。


 格差論争がマスコミを賑わしてきましたが、その対象となっているのは「大人」であり、それは「自己責任か否か」、という前提で論議がなされているのが一般的です。

 現実には、日本が経済成長をしていた時から、男性よりも女性が、二親世帯よりも片親世帯(とくに母子家庭)が、正社員よりも非正規社員が、貧困に陥りやすかった。生活保護について世相を騒がせる事件が起きても、その事件の当事者は成人男性であることが多かった。そのことに私たちは慣れてしまった。

 貧困状態にある子どもたちは一般からは見えない存在になっています。

 貧困のなかにある子どもに「自己責任」ということはできません。自己責任ではないからです。

 貧困状態にある子どもを救済するための社会制度を利用しようにも、予算不足、政策不在のなかで不十分な対応しかできない現実があります。その予算と政策の不在は、国民が子どもたちの貧困に興味を持っていない、という価値観に支えられています。

 著者は客観的データをもとに、日本国民は、他国と比較して、「教育の平等」や「機会の平等」を支持していない、ということをも明らかにしています。この記述にも驚きました。日本人は、平等というイメージを愛しているだけで、平等を求める努力を放棄しているのではないか、と。

「自らが属する社会の「最低限の生活」を低くしか設定せず、向上させようと意識しないことは、次から次へと連鎖する「下方に向けてのスパイラル」を促し、後々には、社会全体の生活レベルを下げることとなる。私たちは、まず、この貧相な貧困観を改善させることからはじめなければならない」


 日本の子どもたちの貧困を放置したまま、少子化対策をしたところで、貧困な状態にある子どもたちが増えるだけになってしまいます。


「子どもの数を増やすだけでなく、幸せな子どもの数を増やすことを目標とする政策」が必要であり、「少子化対策大臣」ではなく「子ども大臣」が必要なのである(阿部彩)


 子育ては、自己責任ではなく、政治的な課題になっています。私のように、子どもの貧困を知らなかった人にとくに読んで欲しいです。



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