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2009年04月29日

『罪と罰』本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二(イーストプレス)

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「犯罪被害者遺族を代表することになった一人の父親が10年の戦いを振り返る」


 妻と愛娘との幸福な生活をしていた平凡な夫、父親。本村洋さん。本村氏は、1999年4月、当時18歳の少年によって妻子を惨殺された。ほどなく警察は少年を逮捕。悲しみの中、木村氏は加害者少年には厳罰が下されると思っていた。しかし、少年法の壁が立ちふさがった。非公開が原則の少年審判という名の、被害者を蚊帳の外に排除した「裁判」制度。被害者は実名報道されるが加害者は匿名を保障される。加害者少年は更生を期待され法の保護のもとに置かれるが、被害者の救済制度はまったくない。

 被害者遺族として、本村氏は元少年に対して死刑を求めた。被害者感情として当然の要求だろう。しかし、その本村氏の主張に対して、死刑廃止論者と言われる人たちが反論。ひとりの被害者遺族として当然の気持を語っただけで、政治的な論争に巻き込まれていった。

 数ある殺人事件のなかで、本村氏の「山口県光市母子殺人事件」は、この10年もっとも注目された事件のひとつになった。

 広島地方高等裁判所は、2008年4月22日、被告Fに対して死刑判決を下した。この判決は最高裁判所が高等裁判所に審理を差し戻した上でのものであり、刑は確定した。犯罪者は死をもって、ふたりの生命を奪った罪をあがなうこととなる。

 本書は、この本村氏の戦いを言論界から支えた二人の論客(宮崎哲弥、藤井誠二)の3者による鼎談としてまとめられた。

 藤井誠二の著作をこの書評空間で紹介するのは3度目となる。今回、本村氏の発言に興味をもったのは、私自身が一児の父親になったためである。育児に専念している専業主婦の妻と子供が、何者かにねらわれたとしたら? 息子のおしめを替えているときに、ふと、そうイメージすることがある。そんな馬鹿なことは起きるはずがない、とは思うが、藤井誠二という畏友の著作を読んできた人間としては、殺人事件が一定の確率で必ず発生することは知っている。確信犯的な犯罪嗜好をもった人間にねらわれたら、成人した男性でも逃げることはできない。妻子が殺害されたとき私はどうなるのだろうか? 不安である。愛する家族が殺害される不安。殺害されたことによって自己が変貌する不安。世間の目がかわり、生活がどう変わるのかという不安。家族が殺害されることによって出現する不安には止めどがない。

 本村氏の発言が大きな影響力をもったのは、その普通の人の不安をずばりとついた事件の当事者になってしまったからだろう。

 読んでいて驚いたことがいくつかあった。

 本村氏は、殺人事件が発生してから今に至るまで変わることなく山口県の会社でサラリーマンをしているということ。メディアの取材に応じ続けてきたあの活動はすべて会社の勤務時間外であったのだ。

 自身の発言が社会的な影響力を持ったとき、凶悪犯罪事件の判例を読んでいたということ。犯罪被害者は、トラウマ体験によって、類似の事例の記録を読む気力がわかないと思っていたのだが、本村氏は違った。

 社会学の古典(アダムスミスなど)を読んで、人間と社会の関係について深い洞察をしてきたこと。被害者遺族は、社会的発言によって生じる、世論に立ち向かうために理論武装をしなければならないのだ。なんということだ。喪に服すことができないではないか。

 その上で、遺族としての法廷に出廷しただけでなく、同じような悲惨な体験をした被害者遺族の権利擁護の運動を推進してきた。

 この10年間は、死刑推進論者であるかのように揶揄されることもあった。本村氏はただ犯罪者に命をかけての償いをもとめただけ。日本国憲法下では、そのもっとも苛烈な刑罰が死刑であった。ゆえに本村氏はその執行を求めた。

 そして死刑判決は下った。

 宮崎哲弥は、仏教者と評論家の立場から、死刑廃止論者のいかがわしさを丹念に検証してくれている。

 藤井誠二は、この事件をもっとも早く取材し、もっとも本村氏に信頼されたノンフィクション作家であり、言論面での氏のボディガード役を果たしてきた。

 2人の論客が発する鋭い言葉の束にたいして、本村氏はたんたんと応えている。静かに悲しみながらも、社会をよりよくしたい、という希望のために発言することをやめなかった平凡な父親の姿が見えてくる。



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2009年04月05日

『評論家入門』小谷野敦(平凡社新書)

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「好きなことを書いて稼ぐ、という職業の現実」

 どうしたら自分の書いた原稿を商業出版できるのか? 
 そのために、どうしたら優秀な編集者と会えるのか?  どうしたら文筆だけで食べていけるのか?  どうしたら知識人として生きることができるのか?

 こういう質問を受けることがあります。メディアの中心都市東京から離れて浜松に移住しても、です。いや、むしろ地方のほうが、この手の質問を受けているような気がします。東海地方には力のある出版ビジネスがありません。地方にいると東京のメディア産業の実態について分からないため、本を出せば生活できる、文化人になれる、という幻想が育ってしまうのでしょう。だから、地方から上京する若者が後を絶たないわけですが。
 つい最近、絶版になってしまった拙著『文筆生活の現場』(中公新書ラクレ)で、ノンフィクションライターたちの生活の現実をつづっています。この『文筆生活の現場』では、私を含む執筆者全員が、(多少の表現は異なれど)「生活の安定を求めるならば文筆業はやめておけ」ということを書いています。
理由はかんたん。書籍の印税だけで食べていけない、ということは出版業界の常識だからです。
 印税は10%という商慣習がありますから、1000円の書籍を1冊売ったとしても、著者にはいる金額は100円。100万円の収入を得ようとするならば、1万部の著作を出す必要があります。年収500万円の生活をしたいのならば、年間5万部以上の売り上げがたつ著作を出せばよろしい。きわめて簡単なビジネスモデルです。しかし、そんな書き手は少ないのです。書籍の多くは(90%以上でしょうか)初版だけで絶版となります。無名の新人の書き手に初版1万部を発行しようという英断をするような編集者はまずいません(もちろんどんな世界にも例外はありますが、例外を一般化するのは危険です)。本を出したらベストセラーになる、と妄想するのは勝手ですが、それは、ろくに練習もしないで、野球中継を見ているだけの若者が、メジャーリーグで大活躍できる、と確信することと同じです。野球ではそんな妄想をもつ人はいないでしょう。スポーツのビジネスモデルが見えているからです。しかし文筆業で生きていこうという人のなかには、書けばヒットして食っていける、という幻想をもっている人はまだいます。それは出版業界のなかでのリアルなお金の動きが外からわかりにくいからです。

 こういうことを電話でいくらはなしてもなかなかわかってもらえません。出版業界の現実を、小田光雄さんの大人気連載「出版状況クロニクル」のデータをつかって説明しても「石井さんの発想はネガティブすぎる。だからあなたの本は売れない」と言われたりします。まぁ、たしかに私の発想はネガティブかもしれません、本も売れていません、が、現実は現実,事実は事実。ネガとかポジとか、そういう問題ではありません。

 また前置きが長くなってしまいました。
 そういうわけで、出版業界のリアルな現実を知るために『評論家入門』をオススメします。タイトルは評論家入門ですが、中身は評論家というジャンルに限定されていません。文筆だけで1人で生きていこうという人への処世術を緻密に記述されています。著者の小谷野敦さんは、評論家として多数の著作をもつ大ベテラン。

 

私の場合、とりあえず注目される本が出せたのは、最初の本を出してから7年後のことだった。それでようやく気づいたのだが、本というのは売れず、話題にならないのが、普通なのである。

 

一般の人は、売れている本を見ているから、そこを勘違いする。もちろん、雑誌に論文か評論を一本出しても、何も起こらない。

 こういうことを文筆業にあこがれている人は知らない。本当に何も起きません。何かが起きることはあるでしょう。腕利き編集者が会いに来る、とか。それはそれで僥倖ではあるが、その編集者はいつも人と会っている。100人の有望な書き手候補のうちモノになるのは1人いればいい、という感覚で仕事をしている。だからそんな幸運な出会いがあっても舞い上がってはいけない。

 小谷野氏の『もてない男』は10万部売れた大ヒットである。印税は約700万円。当時の小谷野氏は36歳。

「エリートサラリーマンならこの倍以上の年収がある。しかも、これが毎年続くわけではない。どのみちこれではマンションも買えない」

 同感です。誰もがうらやむ社会的な成功した証としての報酬はいくらぐらいが妥当なのか。人それぞれ答えは違うでしょうが、私は「新築で家が買える」くらいの報酬、としたい。そう考えると、新書10万部のヒットで700万円。小さい成功なのです。土建業の親方ならば、1週間で動かす現金であり、月収だったりします。顧客が10万人もいて、実入りはたった700万円ですか? というものの見方もあります。
 そのようなビジネスモデルのなかで、成功する(家を買える。結婚して家族を養える。老後のための貯金ができる。親戚の冠婚葬祭にきっちりでる。親兄弟からの借金の申し込みに対応する。子供は全員大学に行かせる)ことができる文筆業者はきわめて少数である。
 そんな出版業界の常識を知った上で、文筆業という不安定ではありますが、愉しい仕事をしたい、という人に『評論家入門』を読んで欲しい。
 小谷野氏は、売れる文書を書け、と励まします。しかし、売れるとはどういうことなのか。ひとりひとりの書き手が考えるべきでしょう。

 

そしてこの「売れる」というのは、「儲かる」ということではない。

 含蓄があります。文筆業を目指す人は、「売れる」文章を書くこと。「儲かる」ならば、文筆の神に祝福された、ということです。
 


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