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2008年08月29日

『暴走する資本主義』ロバート・ライシュ(東洋経済新社)

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「お買い得商品を買うごとに、格差が拡大する超資本主義の時代を理解するために」

 タイトルからイメージする本書の内容は、左翼的な立場からの資本主義批判ではないでしょうか。しかし、そんなステレオタイプでは収まらないスリリングな思想書です。
 資本主義と民主主義のジレンマ、ひいてはパラドックスについて、現代の世界経済の構造を描くことに成功した希有な書籍といえるでしょう。

 著者のロバート・ライシュは、クリントン政権の労働長官をつとめた後、大学教授に転身した人。いま、アメリカ大統領選挙で民主党候補に決定したバラク・オバマ氏の政策アドバイザーを務めています。大統領選挙では、ライシュのアドバイスをうけたオバマ氏が、アメリカにおける民主主義と資本主義の危機、そして再生のシナリオについて政策論争をすることになるでしょう。

 ライシュは、いまの私たちの生きている世界の民主主義が、「超資本主義」によって脅かされているということを詳細に論じていきます。

 超資本主義とは、「資本主義が暴走した状況」のことであり、東西冷戦が終結した後、「政府が開発した科学技術が新製品やサービスによって実用化されたころから」始まりました。 インターネットがその代表格であることは言うまでもありません。世界が情報化されていくなかで企業間の競争は激化。「これらの競争は安定した生産システムに風穴を開け、すべての企業が消費者と投資家を求めて熾烈な競争をする状態」になっていきました。消費者の力は量販店に、投資家の力は年金や投信によってひとつの大きな力を得て、企業群にプレッシャーを与えていきます。

「お買い得商品がないならば、もっと安くて高品質の商品を提供する企業に移っていくぞ」と。

 私たちひとりひとりが、お買い得商品を購入したとき、その商品の後ろには、過酷なコストダウンがあります。

「自動車、冷蔵庫、絵の額縁、そのほかどんな工業製品であろうと、ともかくお買い得品に出合ったら、それはその製品の材料を加工し、組み合わせ、はめ込み、固定した米国人が給与カットを呑んだか、完全に失業したからである場合が多い。超資本主義への道程において、彼らの給料は下がるか、あるいは職自体がなくなっていった」

 グローバル経済ではアメリカが1人勝ち、と思われがちですが、超資本主義のなかでは、資本主義の先進国であるアメリカの国内が、まっさきに労働者の首狩り場になっていったのです。

 著者は、超資本主義のなかでは、企業の不誠実、非情な行動を責めても無意味であると説明します。企業とは、あたえられた市場のルールのなかで、利益を追求していくものであり、誠実でも不誠実でもない。投資家も、高収益を上げる企業に投資をするのであって、悪徳企業という感情的なレッテルによって行動を変えることはない、と言います。私たち消費者もそうです。ある著明なメーカーが偽装請負をしているという報道があっても、家電量販店でお買い得商品があれば購入してしまう。このような消費によって、その企業の労働者の低賃金労働は固定化されるわけですが、この流れにひとりの消費者として抵抗することはきわめて難しいのです。

 しかも、企業は熾烈な競争に打ち勝つために、政治家にロビー活動を展開していきます。こうして市民、国民の権利を行使するための基盤である民主主義が、超資本主義によって侵食されていきます。
 情報化社会になるにつれて、企業も個人もお買い得商品を求めるためにキーボードをたたきます。その結果として、企業で働く労働者の生活は貧困に近づいていく。熾烈な競争をリードする企業経営者は天文学的な報酬を受け取ることになりますが、業績が低迷したら投資家にも消費者にも見捨てられます。

 こうした超資本主義は、アメリカから世界中に伝播していっています。
 世界の超資本主義の潮流のなかに、日本も巻き込まれています。
 本書で記されたことを抜きに経済を語ることはできません。
 傑作です。


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2008年08月28日

『ルポ"正社員"の若者たち』小林美希(岩波書店)

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「若い正社員を使い捨てにする日本企業に未来はあるのか」

「正社員になると生活が安定する」という「常識」があります。
 格差社会の議論が広がるにつれて、その常識が崩れつつある、と言われています。

 しかし、本当はどうなっているのでしょうか?

 とくに、就職氷河期と言われたときに社会に出た若者たちはどういう会社でどういう働き方を強いられているのか? 

 意外と他人の働く現場のことは知らないのが普通でしょう。自分の会社の給与体系についても知らない社員がいても不思議ではないはず。日本人は、労働時間と給与の関係をおおっぴらに語ること、訊くことにためらいがあります。

 私たちは、「就職氷河期」「ワーキングプア」という言葉を知ってはいますが、その現実をあまりにも知らないということを、本書を読んで気づくことでしょう。

 冒頭に、「就職氷河期」を物語る数字が出てきます。

 「80年代から一定して70%台後半を保っていた大学就職率が、93年度の76・2%という高い数値を最後に加速度的に落ち込んでいった」と、著者の小林美希さんはルポを始めます。

1994年度 70・5% 1995年度 67・1% 1996年度 65・9% 1997年度 66・6% 1998年度 65・6& 1999年度 60・1% 2000年度 55・8% 2001年度 57・3% 2002年度 56・9% 2003年度 55・1% 2004年度 55・8%
 このようなひどい数字を不覚にも私は知りませんでした。大学卒業生の約半数は正規雇用されなくなっていたんですね。この数字にもからくりがあります。正確な正社員雇用の数字を指しているわけではありません。

 この「大学就職率」でいう就職者の定義は「新規の卒業者で給料、賃金、利潤、報酬その他経常的な収入を目的とする仕事に就いた者」。ですから、正社員だけでなく、派遣社員、契約社員も含まれているわけです。

 大学卒業者で、正社員として働ける人は、50%以下ということになります。

 このような狭き門をくぐって念願の正社員になった若者たちは、「3年」を経たずして辞めていきます。中高年からは「若者にはやる気がない」という批判があがっていますが、実際に、この若者が働く労働環境を、正確な事実をもとに検証されることはほとんどありませんでした。

 中高年たちの経験したバブル経済、高度経済成長というよき時代を過ごした人たちからみれば、モノと情報があふれる21世紀の時代に、それなりに名の通った会社に正社員雇用されたのだから、順風満帆に違いない。このような思考停止状態に、冷や水をかける事実を掘り起こしたのが、小林美希さんの仕事です。 

 取材対象者になった若者のプライバシーを保護するために記事では匿名にしてあります。その勤務先の社名も匿名化されていますが、それぞれの業界で働く人であれば、「あの会社のことだろう」と想像がつく表現になっています。また、社名が匿名になっているため、日本の企業の典型的な振る舞いを描いたノンフィクションノベルとしても読むことが可能だと思いました。

 本書を読んで、驚かされるのが、慶応大学というブランド大学を卒業し、著名企業に正社員で就職できたとしても、配属される会社は、サービス残業があたりまえ、満足な社員教育はない、同期入社が次々と退社していくなかでやる気のある社員が孤立していくこと。「24時間闘えますか」という過労促進飲料のコマーシャルのような労働を続けて、燃え尽きる、鬱病になる、という現実です。

 読んでいて、とくに怒りを感じたのが、派遣社員の女性が妊娠すると、派遣契約を打ち切る会社が少なからずある、という現実でした。

 これでは少子化が進むばかり。20代の女性が、安心して働き、妊娠出産できる環境を、多くの会社は提供できないし、提供する気がない。働きながら安心して妊娠出産できる機会をもらえる会社は、特権的な立場にある大企業だけなのか、と考え込んでしまいます。

 著者は、派遣会社に取材を申し込みますが、一部の企業を除いて取材拒否。企業としてのリスクマネジメントとしては正しいのでしょうが、なんともやりきれない気持になってしまいます。

 著者は、労働問題にこだわるジャーナリスト。自分自身がメディア産業のなかで非正規雇用の労働者になったことがあり、そのときの苦渋をきっかけに若者の労働取材をはじめたといいます。

 このようなひどい労働環境が、日本企業のすべてではない、とは思いますが、ひどい労働環境をつくり、放置してきた中高年の責任は重いと思います。
 著者がジャーナリストとして活動している起点は両親の教育にあったようです。

父には『人を学歴で判断するな。職業に貴賎はない。大事なのは社会人になってから何をするかだ』と教えられ、母からは『機会が不平等な社会を許してはいけない。時代を見る目を誤るな』と言われて育った。だからこそ、個人の努力では立ち向かいきれないような構造的な問題があることを指摘し、政治家、行政機関、経営者などがそうした現場の問題を知りながらも放置しているようであれば、それを厳しく追及しなければならないと思い続けている。

 日本の会社は、後継者たる若者を使い捨てにすることでグローバル経済を生き残ろうとしていますが、それは短期的にうまくいっても長期的には破綻するシナリオであることは明らかです。生き残るためには選択の余地がない、という経営者の本音はよく分かりますが、捨てられた若者たちの本音は社会から無視されたまま。ため込まれた怒りはぐつぐつと沸騰しています。


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2008年08月27日

『「格差突破力」をつける方法』中山治(洋泉社)

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「日本の格差はさらに拡大するだろうが、私と家族だけは生き残るぞ!」

 拡大する一方の格差社会を論じる本はあっても、その格差社会の中で、したたかに生き残るための実践的な教えを説く本はほとんどありません。
 以前、昨年、東京に住んでいたとき、「中流起業家」という企画を出版社に提案したことがあります。好きなことで起業し、中小企業のボスとして手取り年収1000万円以上を稼ぎ、週休2日で、家庭と仕事の両立ができている起業家を紹介する、というシンプルな企画でした。この提案を聞いてくれた出版社勤務の編集者は、「読者は大成功した人のノウハウを知りたがっている。パンチが足りない」という反応。企画は没となりました。企画を一緒につくったフリーランスの編集者と、また企画を練り直しましょう、と約束して別れました。が、私は静岡県浜松市に転居。編集者からは、企画を断念したという連絡を受けました。

 堅実に働いて年収1000万円を確保する生き方はすばらしいし、マネがしやすいと私は思うのですが、世間はそうではないらしい。上流と下流に二極化する超資本主義の時代では、中流的な収入を常時キープできることは、目立たないがひとつの勝ち組の生き方ではないか、という思いがずっとありました。

 平凡だが、生活が安定しており、家族と仕事のバランスがとれていること。

 そのような生き方を求めている人に本書『「格差突破力」をつける方法」をオススメします。

 著者の中山治氏は、日本経済を論じる大前提として「巨額の財政赤字と少子高齢化に悩む日本は再び氷河期を迎える可能性が高い」という考えです。楽観的な経済予測はしていません。また、日本政府の本質的な行動原理は「アメリカの属国」という立場をとっています。したがって、日本はもっと規制緩和をして、アメリカによって都合のよい政治体制になり、アメリカ企業ごのみの経済政策を遂行していくと中山氏は予測しています。将来の日本は、現状よりもさらに格差が拡大していくのでしょうね。

 そのようなむき出しの資本主義の中で、中流的な生き方を維持していくために必要な知恵が求められています。しかし、書店にあふれる人生の指南書の多くは、非凡な人によって書かれた、非凡な生き方を説くモノばかり。これでは、平凡な能力をもつ普通の人にはマネはできません。普通の人にとって、人生は博打ではないし、寝食を忘れるような一生熱中することなどありません。仮に非凡な人のマネをしたとしても、早晩、その成功のメッキははがれていきます。自分で考えた地に足のついた人生戦略ではないからです。

 
では、どうしたら普通の人が中流生活でいられるのでしょうか。

「どの分野であっても、食えるスキルを磨くには知力が欠かせません。格差社会の『格差』とは、つきるところ『情報格差』ということだからです」

 (1)脳のなかに「良質の情報」を流通させる
 (2)それをもとに自分の頭で考える。

 「良質の情報」を得るには

(1)優れた書物
(2)優れた人物
(3)優れた芸術


との接触が必要であると説きます。

 こうしてまとめてみると、きわめて凡庸な知恵であるように思われることでしょう。しかしそうではありません。中山氏はこのシンプルな原理原則をもとに、現実局面でいかにして自分の生活を守るか、という知恵を訥々と説いていきます。

 中山氏は3人の子どもの父であり、その子らは就職氷河期世代。その子どもたちとの対話と、自分自身の人生経験を融合させてつくった知恵には力強い説得力があります。加えて、妻が交通事故常習者によって被害を受け身体障害者になってしまい、その介護に当たられています。行間から立ち上る怒りは、人生の不条理を知っている長老のものです。日本経済が崩壊しても、自分の家族の経済と人生が破綻しないように知恵を絞っている。その気迫に頭が下がります。

 格差社会に不安を持つ人ならば、こういう本を探していた! という納得が得られることでしょう。
 


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2008年08月25日

『凡人として生きるということ』押井守(幻冬舎)

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「人生とは他者を選択し受け入れること。そこに自由がある。」

 私事で恐縮ですが、今年6月に結婚し、同時に小さな会社に正社員として就職しました。執筆活動は収入面でいえば副業です(しかし、いまの会社で担当している業務は広報とか企画なので、社内でずっとキーボードを叩いている生活ではありますが)。そんなわけで「平凡」や「普通」という言葉が気になっています。なにしろ夫初心者であり、会社員ビギナーですから。
平凡とはもっとも遠い場所に立って仕事をしているように見える、映画監督、押井守さんが上梓されたのが本書「凡人として生きるということ」。

この本、独身時代に読んでも書かれている内容が腑に落ちなかったと思います。

独身時代は、結婚すると自由なことができなくなる、と硬く信じていましたが、結婚してみると、「結婚=不自由」という図式は間違っていた、と気づきました。生活実感というあいまいな感じとして、理解できたわけですが、論理的に納得できてはいません(結婚生活を論理的に理解するというのは不可能らしい、というくらいの認識はありますが)そこに押井監督が、「凡人であることの自由さ」を表現してくれていました。
まさに、新婚ホヤホヤ、正社員になったばっかりの、「凡人初心者」である、私のための書籍でした。そして、結婚、そして組織人になることを躊躇っているすべての人(とくに、何かこだわりを持って生きている、オタク的感性を持った男性)にとって、人生の指南書となっていると思います。

 「すり寄る子犬を抱きかかえよ」という節がすばらしい。
 家路を急ぐあなたの足下に、かわいい子犬がすり寄ってくる。この犬を抱きかかえると、飼いたくなるかもしれない。となると、自分の生活が変化し、自由な時間がなくなっく。そう考えて、子犬という「他者」を自分の生活圏に入れない。これが合理的な考えではあります。しかし、子犬を抱きかかえて帰宅して、犬との生活を始めたら、楽しい散歩ライフが待っているかもしれない。
 この「子犬」は、あなたの人生を変える可能性を秘めた、「他者」であり、「出来事」のメタファーなのです。
 押井監督はこう述べます。

「子犬は単なるたとえ話であって、これは人生のあらゆる局面に言える真実だ。もっといい女の子が現れるかもしれないと、いつまでも彼女を作らないようでは、いつまでも彼女は作れないし、いつまでも結婚できない。いつまでも結婚しなければ、いつまでも子供が生まれない。
 もっといい家が見つかるかもしれないと、いつまでも家を買わなければ、いつまでも家を買えない」

 「つまり人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ」

 私の場合、「子犬」ではなく、リアルにいい女が人生に現れました。「これが最後にして最良の出会いだぞ」という第六感に素直に従いました。その結果として、東京脱出、結婚、会社に就職、と数年前には考えていなかった状況を選択することに。そして、いまの私はたしかに独身時代よりも豊かになっている。

 俺の生き方は間違っていなかったのだ、ということを教えてくれた好著です。

 押井監督は、よりよい人生を夢見ながら、行動することができないでいる人を勇気づけてくれます。自分の撮りたい映画だけを撮っていればいい、という青年期の独善的な態度による挫折経験。映画という他者との共同作業なしでは完成しない表現活動を積み重ねていったプロセスでできた生きるスタイル。
 押井監督は本当にかっこいいオヤジです。 最新作「スカイ・クロラ」のキャンペーンもしっかり組み込まれています。前作「イノセンス」は劇場で3回観て、解説本をすべて買って読みました。「スカイ・クロラ」も何度も観ることになりそうです。




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