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2008年01月27日

『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』水野和夫(日本経済新聞出版社)

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか →bookwebで購入

「帝国の奴隷にならないために」

 この10年ほど、美しい外見という付加価値をもとに社会が動くことによって、人々が生きづらくなっている現実を書いてきたものの、正直言って、経済や資本主義についてしっかり勉強をしたことはなかった。付け焼き刃の勉強さえしてこなかった、と思う。いまベストセラーを量産している勝間和代さんの言葉を借りれば、私には「金融リテラシー」がない。「資本主義のリテラシー」を身についていない平均的な日本人だと思う。そこで昨年から経済や会計の本ばかり読むように心がけてきた。

 外見問題という、きわめてニッチなことばかり考えてきた私にとって、経済の知識を得ることは、池泳ぎしか知らなかった少年が、大海に飛び込むような感覚だ。そこで選書の羅針盤として、エコノミスト池田信夫氏のブログのなかから、「今年のベスト10」を参考にさせていただいた。

 私は本書『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』に何が書いてあるのかほとんど知らないまま読み始めた。本書で書かれていることが、経済通の常識なのか、そうでないのか、私には判断することはできない。それでも一国単位の枠を超えたグローバル経済が、企業活動、家計、経済政策に影響を与えていく、大きなうねりを理解することができたと思う。

 著者は、グローバリゼーションで生じている大きな構造変化として、3つの動きを指摘している。

(1)帝国の台頭と国民国家の退場=帝国化
(2)金融経済の実態経済に対する圧倒的な優位性=金融化
(3)均質性の消滅と拡大する格差=二極化

 帝国とは国境を越えて活動する国家群である。アメリカ、中国、ロシア、インドなどが帝国にあたる。この国家群のある地域は、資本主義が歴史上に登場した16世紀頃に世界の覇権を握っていた、まさに「帝国」である。この帝国が21世紀になって世界の資本主義を動かすプレイヤーとして復活したのである。このダイナミックな動きのなかで、一国だけで利益を生み出そうとする国民国家、特に非英語圏は長期的な停滞を余儀なくされる。

 グローバリゼーションのなかでは、「『資本の反革命』によって先進国の賃金が抑制される」。高騰した先進国の賃金体系では、資本主義を維持・発展させることはできない。グローバル経済と結びついた企業や組織、そしてこれらとつながった個人は、成長と高賃金を約束される。それ以外のドメスティックな市場から利益をとろうとする過半数の企業と個人はこのままでは経済的成長はない。

「近代は国民に均質であることを要求したが、グローバル経済の時代には国家単位の均質性は消滅する運命にある」。日本国内でも、トヨタなどのグローバルな経済活動をする企業がある東海地方では全国平均の2倍の成長率が達成される。東京をのぞけば、ほかの地方都市の成長率はゼロ、またはマイナスになる。

 日々の生活と仕事に追われていると、「グローバル経済」という言葉はただの記号になってしまう。歴史と資本の流れを読み解くことで、いまの世界、そして未来の世界を予測することは可能である、と感じた。

 データの引用があって読みにくい面もあるが、年収、貯蓄残高などの分析を読んでいると、これから本格的な格差社会が到来することが容易に理解できる。中流階級の没落、生活保護の急増、という悲惨な事実が盛り込まれている。

 著者は、最後にこう書いている。

「今、もっとも認識しなければならないのは、ドン・キホーテがいった『事実は真実の敵である』ということである。16世紀以来の事実(インフレ〈成長〉がすべての怪我を治す)は、21世紀の真実(デフレの世紀)にとって妨げになるのである。あるいは、格差という事実が蓄積し、公平、平等という理想が埋もれてしまうのである。   (中略)

 当時、巨大な資本主義国オランダに見立てた風車に突進していったドン・キホーテの役割を日本が先陣を切って果たす時が来たのである。20世紀の成功体験を懐かしんでいる余裕などない」


 帝国の奴隷にならないために是非読んでほしい。

 
 著者の水野和夫氏のインタビューが動画配信されていたのでリンクを張っておく。



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2008年01月26日

『虚妄の成果主義』高橋伸夫(日経BP)

虚妄の成果主義 →bookwebで購入

「成果主義が組織を壊すまえに」

 このコーナーで取り上げた書籍は、格差社会を問題にしたものばかりになった。サブプライム問題による株価の下落、資源争奪戦のなかで発生した原油価格高騰による物価上昇、年金制度の崩壊、そして近い将来確実になった消費税率のアップ。このような急激な経済環境の変化のなか、企業、そしてサラリーマンはどうなるのか。
 成果に応じた賃金制度。成果主義がもてはやされたことがあった。いまも成果主義を信奉している人もいる。  大企業でその成果主義が失敗していたということはそこかしこに聞かれていた。そんななか、城繁幸氏の著作『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』が2004年に出版されてベストセラーになった。  同じ時期に出版されたのが本書『虚妄の成果主義』である。初版は2004年11月。私の手元にあるのは05年2月の12版。08年になった今はもっと版を重ねていると思う。ロングセラーにふさわしい内容の書籍である。

 私はフリーランスで仕事をしてきた。シンプルに成果主義である。しかし、この成果主義を続けていくのはたいへんだ。営業、製造、販売、売り上げ管理、こういった煩雑なことをすべて自分でやらなければならない。だからサラリーマン社会に成果主義が導入されるという風潮になったとき、私はこれをよいことだと思った。
 ギャラは能力に応じて支払われるべきである。
 と、考えていたからである。
 その評価をする経営者とは冷徹でなければならない、とおもっていた。しかし、ライターとして社長のインタビューをしていると、尊敬すべき人が多い。社員の能力の有無に関係なく人柄、働きぶりなどを評価して、社員と楽しそうに働いている。
 これは私の認識が間違っている。何がどう間違っているのだろう。整理ができない。大きな違和感はたしかにある。この違和感に正面から向き合うために本書を選んだ。
 
 著者の高橋伸夫氏は、成果主義のもたらす違和感をあますことなく書き、批判する。講演資料がもとになっているためだろう、読みやすい。

「成果主義を導入、評価が始まってみると、皆一様独特な違和感に襲われるからなのだ。客観的な手続き通りに評価うしてみると一番成果を上げたことになる人間が、実は社内評価のあまり高くない人間だったりするのである。あんなヤツを取り立てるために、成果主義を導入したのかと怒る人も出てくる始末である」

 どういう経営者が成果主義に走るのだろうか。


「経済的苦境に遭遇すると、すぐに『切る論理』に走る」人たちのことである。「彼らは、一時しのぎの、本来してはならない資源の削減や圧縮を繰り返すのだ。その結果、終身コミットメントを壊してしまった後に残る殺伐とした風景のみが広がり、もはや共存共栄は存在しえない」

 会社にはさまざまな人がいる。ときに失敗することもあるだろうし、プロジェクトの足をひっぱるような裏切り行為をする者もいる。しかし、このとき組織のリーダーは何を選択するべきか。いや、組織ではなく、人として何を選択するべきか。

「現在の目先の利益や過去の裏切りの復讐をしてはいけない。これからの将来の協調関係をこそ選択するべきである」

 成果主義とは、目先の利益をとるキリギリス的な生き方のことだ。これはイソップのアリとキリギリスの寓話と同じ構造である。長期的にみれば、アリのほうが生き残る可能性が高い。一人で生きると決めているフリーランスならば、キリギリスでもよいだろうが、組織という有機的な集合体のもつ、重要なミッションの一つは「持続力」である。

 人と人がつながるときの持続力の源泉は、未来を構築する力だ。それは経営者のリーダーシップに依存する。

「企業が危機に直面し、組織の内部までもが混乱の極みに達しようとするまさにその時、経営者が毅然として進むべき道を示さなければ、組織は崩壊に至るであろう。そんなときに、激変する外部環境への適応だけを追い求めて右往左往するのは愚の骨頂である。経営者が揺らぐなど愚の骨頂なのだ」
   揺らいでいる経営者、そして崩壊の危機に瀕している組織で働く人は、是非読んでほしい。

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2008年01月16日

『ルポ 最底辺-不安定就労と野宿』生田武志(筑摩書房)

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「当事者ジャーナリズムの成果」

 当事者がジャーナリストになる。私はこれを「当事者ジャーナリスト」、または「当事者ジャーナリズム」と呼ぶ。
 この『ルポ最底辺 不安定就労と野宿』を、その成果の一つとして読んだ。

 著者の生田武志氏は、同志社大学を経て、日本最大の寄せ場釜ヶ崎の日雇い労働者になる。20年間、この土地で働きながら日雇い労働運動・野宿者の支援活動に関わってきた。

 この本で描かれていることはすべて著者の体験と、その体験に根ざした視点で貫かれている。野宿という文字通り、「地を這う視点」で書かれたルポだ。
 
 新書740円。ランチ価格と同じにするのはもったいない。貴重な情報が詰まっている。

 目次を一瞥するだけで、日本の野宿者たちの実態の深刻さに言葉を失う。

 

はじめに
 北海道・九州・東京、その野宿の現場

 北海道 零下10度の野宿
 北九州 家族5人の野宿
 東京 ネットカフェ難民/フリーターが野宿になる時代

 北海道札幌市の1月の気温は「日中でもマイナス1・5度。夜回りしている時間はマイナス4度。そして夜明けにはマイナス10度前後になる」。この環境下で確認された野宿者は約130人。「氷点下20度を下回る日が珍しくない旭川市」では、約20人の野宿者がいる。

 北九州では、「借金で逃げている十代の女の子2人、二十代の息子、父、祖母という家族の野宿」がいる。

 そして、日本最大のフリーターと派遣労働者の使い捨て都市、連日電車飛び込み自殺が発生している絶望都市東京では、貯金を使い果たしてアパートを追い出された人たちが「ネットカフェ難民」になり、5時間の「ナイトパック」1218円で雨露をしのいでいる。このお金もない者は、一杯100円のマグドナルドのコーヒーで、店内で寝て日雇い仕事に「マグドナルド難民」がいる。

 2007年4月の厚生労働省の統計によれば、日本のホームレス数は1万8564人。このホームレス(著者は野宿者とホームレスを分けているので、詳細は本書を読まれたい)が急増する可能性がある。それは、日本国内のフリーター人口が400万人以上いるからである。フリーターの平均年収は200万円に達しない。この人たちの多くが、実家で家族と同居していることでかろうじて生活を維持しているが、親の高齢化による死、家庭不和で家を出る、という事態になったとき、真っ逆さまに貧困生活に落ちていく。そして日本の生活保護制度は、行政の怠慢によって機能していない。いちど貧困におちると、企業も行政も家庭も助けないし、助ける仕組みがない。孤立無援の貧困者に、サラ金などの貧困ビジネスの猛者たちが群がり、すべてを奪い尽くしていく。

 こうした事実を、生田は丁寧な筆致で書いていく。怒っているのだと思う。が、「私は怒っている」という記述はまったくない。このため、読み手に野宿者の現実が迫ってくるのである。

 これから野宿者になっていくことが危惧されるのは、いま不安定就労を余儀なくされている人たち、とりわけ、若者と女性である。これは、いまの日本の企業が、人件費を圧縮するために正社員とし雇用しないと決定し、労働市場から排除された人たちである。

 このまま事態が推移すれば、住む家を失いつつある者、失った者が、自殺するか、犯罪者となって刑務所という究極の生活保護に頼るしかなくなると思われる。

 この事態を招いた要因の一つは、普通の人たちが、野宿者たちを差別と偏見で見ていたことにある。しかし、これからは普通のフリーター、普通の派遣労働者が野宿者に転落する時代が到来する。差別と偏見がなくなるかもしれないチャンスが来たともいえる。


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2008年01月13日

『戦慄〈上〉〈下〉』コーディ・マクファディン(ヴィレッジブックス)

戦慄 上
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戦慄 下
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「運命と闘う人の顔は異形であっても不思議ではない」

 本書は、顔に大きな目立つキズのあるFBI捜査官,スモーキー・バレットが主人公のサスペンスである。前作『傷跡(〈上〉〈下〉)』の続編。著者のコーディ・マクファディンは前作でデビューしている。新人作家である。

 わたしにとって顔にアザやキズのある人間がと登場する小説を読むのはルーチーンであるべきだと思っている。仕事であるし、何よりも、そのような文芸作品の存在が気になるのだ。が、そんなに楽しい読書体験だとはいえない。悲劇が多いし、リアリティがないばかりからだ。
 顔にアザやキズのある当事者心理を多少なりとも知っている人間なので、リアリティがないとわかると読み進めることが困難になる。

(柳美里のデビュー作『石に泳ぐ魚』では、顔に腫瘍のある当事者がモデルとして描かれていた。これを読んだとき、現実の当事者と合って話をしながらも、描写力、分析力が乏しくて途中で読み進めることがしんどくなったことを思い出す。あれは「裁判資料」でしかなかった)

 おそらく、この作品は映画化されるだろう。映画化が前提で書かれたものかもしれない。登場人物が映像化しやすいように設定されているからだ。漫画的ともいえるだろう。

 主人公のスモーキーは、前作『傷跡』で、猟奇殺人者に自宅を襲われ、スモーキーの左顔面にナイフをつきたられながらレイプされた。そして、スモーキーの目前で、犯人に拘束された夫は、無惨に殺害された。すきをみて拳銃で犯人を射殺しようとした瞬間、犯人は一人娘を抱え寄せた。母スモーキーは娘を射殺。ショックのなか、拳銃の弾丸をすべて犯人に打ち込んで射殺した。ひとり生き残ったスモーキーは、休暇をとった。精神科で治療を受けた。そのさなか、スモーキーの友人をターゲットにした連続殺人事件が発生し、現場復帰をすることになる。これが前作である。

 今回は、一家惨殺事件で生き残った16歳の少女が、スモーキーとの話し合いを要求するシーンから始まる。その少女もスモーキーのように、最愛の人を猟奇殺人によって何もかも奪われていた。心に癒しがたいキズをもっていた。

 著者のコーディの経歴によれば、ドラッグ問題のカウンセリングなどの社会奉仕事業の経験があるという。そのためだろう、苦悩する当事者の心理描写には説得力がある。

 わたしはFBI捜査官がどんなプレッシャーを感じながら働いているか、という知識はない。が、現場で、被害者の遺体を凝視し、証拠固めをし、犯人の行動と心理を追いかけていくうちに「普通の生活」に戻ることができなくなる、というのはわかるような気がする。ストレスと苦悩から、引退する捜査官、はては自分の頭に拳銃をあてて自殺する刑事のエピソードがさりげなく挿入されている。

 スモーキーのキズのある顔をみつめる第3者の冷たくも好奇心にあふれた反応についての描写はうまい。その顔をみても動じない人間は、(病気や運命)と闘ってきた者であるということも頷ける。

 上下巻の読破に費やした時間は4時間だった。その価値があるサスペンスだ。顔に痣のある男が保証する。

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『プライドワーク』今一生(春秋社)

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「自分に正直に働くための指南書」

 リストカット、援助交際という心にキズをもった若者の現実について取材執筆を続けてきた、今一生(こん・いっしょう)の最新作だ。

 自殺未遂をする若者への取材(を超えて、人生相談にのったり、自殺を止めるために奔走したりしている)にのめり込んでいたときの心境を、今一生はこう書いている。

「自分の財布だけを肥やす金儲けをしているより、切実な声に向き合って心を通い合わせるほうが、僕の命の使い道として正しい気がしたし、たかが自殺未遂を起こした程度でドン引きしてしまう世間に対して沸々とした怒りを感じ続けてきた。

 おまえら、みんな臆病者だ! 人並みの生活ばっかセコセコ追いやがって、隣人の苦しみにはノータッチかよ!」

 そんな思いで意地を張り続け、10年間が矢のように過ぎていった。(中略)

 僕自身は取材と金策に追われ、40代からの人生のビジョンを設計する余裕を失ってしまっていた。
(中略)

 「そうだ、自分のしたいことで周囲を幸せにしながら、飯を食っている人に会おう!」

 こうしてひとりのフリーのライター&編集者が、10年間のトラウマをもった人間との伴走取材に一区切りをつけ、ソーシャルベンチャー(社会起業)というテーマで起業家たちにその人生をインタビューしていく。
 
 私も同席した新宿のイベントで、今は「つきものが落ちたように」自殺未遂の当事者への取材の熱が冷めていったと語っていた。
 
 今は、次に「とりつく」対象として、ソーシャルベンチャーに照準を合わせた。起業家は熱い。自家発電することができる行動力、決断力のある人たちと出会うことで、魂の充電をしていった。

 今が取材した起業家たちは、以下の5団体・個人である。決して数は多くはない。

○16歳で起業し、29歳でグループ企業のCEOになった高卒女性・本部えりか
http://ameblo.jp/blonavi/
○その人に合った仕事を作る授乳服の製造・販売「モーハウス」代表・光畑由佳
http://www.mo-house.net/
○ニート支援のソーシャルベンチャー「コトバノアトリエ」代表・山本繁
http://www.kotolier.org/
○女性起業家を支援・育成する国際組織「WWB/ジャパン」代表・奥谷京子
http://www.p-alt.co.jp/wwb/
○ブログペット、Rabbit Tickerを開発、産総研にスカウトされた凄腕プログラマ・工藤友資

 起業家たちは、大企業に入社して正社員という選択をすれば、安定した収入につながる、自分のやりたいことができる、とは思わなかった人たちだ。それぞれ立派な仕事をしているので、それぞれの事業については、本書を読まれるか、その代表者がつくっているホームページをみることをおすすめする。

 実を言うと、私がもっとも強く力を感じた文章は、今一生のライフヒストリーが書かれた「第一章 もっと魂の込められる生き方を探したい 今一生(42歳 フリーライター)」だったのだ。

 今には、「自分語り」をする傾向が強い。客観的な取材者としての視座を保とうという気がさらさらない。こういう人間が、取材者という立場になると、話を聞くよりも、自分の気持ちを語る方に重心が傾くことになりがちだ。それぞれの起業家の体験を聞き取りながら、今はこういう言葉を差し込まないと気が済まない。

「42歳の僕にも、夢がある。 体力の衰えを考えると、スピードをあげなくちゃ。 君の夢は何?」 (第4章 「『母親はつまらない』っていう偏見を取っ払えるといいな」 杉山貴子さん(27歳 Mo-House スタッフ)

 「自分がたり」の第一章では、大学入学して直後に中退したこと、肉体労働のアルバイト、広告代理店でのコピーライター修行、フリーランスになって無署名記事を書き飛ばしていくうちに、空虚感にさいなまれるようになり、テレクラ依存症になり、サラ金からの借金で首が回らなくなってしまった、という赤裸々体験が展開されていく。

 20代で原稿料で年収600万円をとれるようになっても達成感はなかった。30代の自殺未遂者との取材では、相談に乗っているうちに時間という資源が奪われていく。さすがの今一生も、このままではいかん、と気づく。が、自殺未遂や鬱病の当事者たちへの熱い視線は消えていない。

 若い世代のフリーターやニートたちが、自分で稼ぐ力をもてないまま、精神病や自殺未遂に追いこまれていく現状を変えるためには、自分ひとりで当事者たちに伴走するのではなく、ソーシャルベンチャーという社会の仕組みを構築するべきだという結論に至る。

 前作『親より稼ぐネオニート』では、フリーター、ニートたちに「努力をすれば報われる」という自己責任を強く求める姿勢を感じた。ほとんどの人間が打ちのめされているなかで、ひとにぎりの幸運をつかんだ「モデル・マイノリティ」を紹介していると思ったのである。しかし本書では、起業家たちの人生をたどることで、小さな個人事業から出発して、多くのひとを巻き込み、社員を雇用して成長していくという、普通のビジネスが成立していくプロセスが表現されている。

 今も、本書で紹介された起業家たちも、ゼロからビジネスをつくる。ゼロが「1」になる瞬間がある。そのとき周囲は動き出す。顧客が集まってくる。その「1」をつくるのが起業家だ。そのプロセスは洗練されていない。ゼロから1をつくる作業は泥臭いものだ。だから、この本も泥臭い、そして暑苦しい。

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2008年01月03日

『捨てられるホワイトカラー』バーバラ・エーレンライク(東洋経済新報社)

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「ホワイトカラー労働者が使い捨てにされても怒らない構造」

 日本でも格差の拡大が本格的にはじまった。では、海の向こう、世界一の資本主義先進国アメリカではどうなっているのか。
 アメリカで成功したビジネスマンの本を読んでも、努力すれば成功できる、というシンプルな物語が多い。そういう本が売れるのだ。類書もよく売れる。前向きなポジティブシンキングで読者を気持ちよくさせる本ばかりだ。いま流行の勉強本もそのパターンである。読書中気持ちよくても、現実のビジネスで人間的な生活ができるくらいの収入がなければならない。超人的努力をし、聖人のような幸運に恵まれた者が成功するのは分かる。私たちの関心事は、普通の努力をした、普通の人間が、どれくらいの収入を稼ぐことができるか、である。  アメリカほど貧富の格差が大きい先進国はなかったのではないか? 疑問を解消するために、アメリカ本土で活躍するジャーナリストの言説を読むべきだろう。  本書は、アメリカのコラムニストで社会批評家、バーバラ・エーレンライクの最新作。低賃金の単純労働者として実際に働くという体験取材をもとに、アメリカのブルカラーの労働の実態をレポートした前作『ニッケル・アンド・ダイムド』の著者である。ブルーカラーの次のテーマは、ホワイトカラーの労働現場だった。
「2001年の景気後退を機に、高い資格や経験を積んだ人々の失業が増えてきた。私がこのプロジェクトをスタートさせた2003年後半には、失業者はおよそ5・9パーセントだったが、それ以前に景気が冷え込んでいたときと違って、失業者のうちのかなりの数---ほぼ20パーセント、およそ160万人---がホワイトカラーの専門職にあった人たちだった」

 その160万人のホワイトカラー失業者たちが、いかにして失職し、どのように転職しようと、もがいているのかをレポートしている。バーバラ自身がジャーナリストであることを隠し、企業でPRの職を獲得しようと、さまざまな転職ビジネス関係者と出会いながら取材が進められていく。
 コーチングのプロを雇い、履歴書をブラッシュアップするレクチャーを受ける。面接で好感度をもってもらえるための服装のアドバイスをもらう。同じように転職しようとしている人間との「ネットワーキング」の会合に出席する。
 バーバラは、取材目的とはいえ、この取材のなかで本気で就職をしようと思っていた。そしてひとりのホワイトカラーとして会社の内部でしか見聞できないことをレポートしようとしたのだ。前作、『ニッケル・アンド・ダイムド』で、「全国チェーンのレストランでウエイトレスをし、清掃婦になり、ウォルマートの店員として働いた」のと同じように。しかし、ニーヨークタイムズでコラムを執筆するという卓越したスキルのあるバーバラでさえ、企業に潜入することはできなかったのである! (40歳という年齢の壁もあったのかもしれないが・・・・ジャーナリストという職業って何なんだ、と考え込んでしまった)

 バーバラは、会社に潜入することはできなかったが、「ある意味で私は成功したと言える」と書く。

 

「たとえドアの内側には入れてもらえなかったとしても、ホワイトカラー生活の、最も惨めで最も不安定な世界を垣間見ることができたのだ」

 アメリカの失業(そして失業予備軍)ホワイトカラーを餌食にする失業不安をネタにした転職ビジネスが紹介されている。

 「失業者や失業の不安を抱く者たちが、人の手助けと連帯を求めて手を差し出せば、それに応えて差し出された手にがっちりと掴まれ、そのままなかなか放してもらえないということがおうおうにして起こる。いつまでも念入りな履歴書のアップグレードに励み、心理学風の助言を繰り返して1時間200ドルを要求するコーチがいる。オフィスを提供してちびちび一回に1つずつコネを紹介する、エグゼクティブをターゲットにした会社がある。そして、アメリカじゅうの教会に、具体的な支援を宣伝しながら、せいぜい特定の宗派による癒ししか提供できないグループがある」

 こうした転職ビジネス(アメリカでは教会も含まれる)の網のなかに落ちると、失業したのは、転職できないのは、すべて自己責任だ、と吹き込まれるのである。失業者を生み出す社会構造があり、政治の失敗であるという言説はいっさい語られない。


「そのどの場でも、経済について、また経済が企業のありようを左右することについて、いささかでも危険なにおいのする会話は聞かれないのだ。
 この沈黙が、意図的に抑圧された結果だというつもりはない。失業ホワイトカラー労働者の危険分子に、自分たちがどんな状況に置かれているかを自由に話させたら、革命などと言い出す輩がいるかもしれないなどと警告を発している人間は、一人もいない。だが、コーチやネットワーキングの主催者の動機がどこにあるにしても、彼らの努力は、むずかしい問題や、それらの問題から生まれるかもしれないさまざまな異議や主張から、人々の気を逸らす、という「成果」を生んでいるのである」

 ホワイトカラー労働者は、ブルーカラーを見下す。その代償として、経営者のような考え方を心の中に深くすり込んでしまった。失業してもその経営者的な発想は抜けない。むしろその発想にすがろうとする。失業中のありあまる時間のなかで、モチベーションを維持しようと無益な努力をしたり、会社に勤めているかのように、規則正しい生活をして転職活動にいそしむのである。失業中でも「勝者のように振る舞うべき」とまで思いこむのだ。このような「努力」は報われない。なぜならば、転職において、自己の努力が通用するチャンスは気まぐれだからである。
 転職市場において、あなたと同じような能力をもったプロは無数にいる。そのなかから、チャンスをつかむのは、「性格と外見がよい人」なのだ。あいまいな基準をクリアするために、失業者はコストを支払うことを余儀なくされる。時間とお金が、転職ビジネスに捧げられる。
 こうして、ホワイトカラー労働者たちは、生きるために笑みを絶やさず、勝者のように振る舞い、社員をリストラする自社を批判する精神を放棄する。勤務中も、失業中も。
 自分の境遇を会社や社会のせいにするのは弱さであり、愚痴だ。負け組の遠吠えなのだ。

生きるためには「性格と外見のよい人」になるしかないのだろう。

精神も、外見も、肉体も、自分の時間も、すべてを、お客様のために、会社のために自主的に捧げる人生を送ろう。そうすればきっと「性格も外見もよい人」になれる。


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