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2007年12月31日

『高学歴ワーキングプア』水月昭道(光文社新書)

高学歴ワーキングプア →bookwebで購入

「高学歴ワーキングプアはまだ眠っている」

 高学歴ワーキングプアとは、博士などの高学歴をもちながらも、大学職員になれず、フリーターなどの非正規雇用で生活費を稼ぐ者たちのことを指す。貯金はなく、将来の展望も描けないから、結婚もできない。企業がもとめる知的訓練を受けていないので、その知的スキルに応じた職で正規採用される可能性が低い。

 最近、ここ数年、ニート、プレカリアート、ワーキングプアという、労働形態をカタカナで説明することが流行している。ただしい日本語で書けば「貧乏人」であり、「貧困者」である。だが、人はこの「貧」という言葉を嫌悪する。議論がまだろっこしくなる。
 著者は「高学歴の貧乏人」が構造的に生み出されていることを述べている。東大などの一部の特権的な地位にある大学と文部科学省が、少子化時代で大学入学者数が減少する時代を見越して、「大学院重点化」という方針をつくりあげたこと。その方針にしたがって、全国各地に大学院がつくられ、入学しやすくなった大学院で学んだ学生たちが、就職がなくて困っているという現実。。高学歴ワーキングプアの当事者である著者が、同じ境遇にある当事者を取材した、「当事者ジャーナリズム」の成果のひとつである。

 読了して、私が大学院入学をした当時よりも、大学生の進路に関する情報収集能力の劣化を感じた。

 私の出身大学である豊橋技術科学大学は大学院修了が求められるのが前提の大学だった。私は1988年に4年の課程を卒業し、大学院には行かず、「夢」のためにフリーターになった。就職市場は売り手市場だった。母校の求人倍率は4倍。ひとりの学生に4社の求人があるという状況だ。大学院にも誘われた。成績がトップクラスだったから当然である。大学院に行かない決断をした。その理由をいくつか列挙する。

(1)多くの教授が世界水準の研究をしたり目指していた。その知的生活の現場を見て、狂気のような、そして強靭な意志がないとその世界の住人になれない、と分かったこと。

(2)大学院に進む先輩たちに人間的に尊敬できるような人がほとんどいなかったこと。朝9時から夜9時まで研究室にこもって研究する人生は耐えられないし、研究以外に共通の話題が見つけられないのには閉口した。研究者になるためには、「研究村」の住人にならないといけないのだ。

(3)大学院にもブランドがあり、豊橋技術科学大学レベルの大学院を出てもつぶしがきかない。この大学院出身者に求められているスキルは、研究チームの「兵隊」である。ボスになれる可能性は低い。

(4)以上のことは、担当教官と気軽に会話をしていれば、すぐに判明することであり、とりたてて騒ぐようなことではない、と気付いた。

 このような環境をよく理解したうえで、同級生たちは大学院に進んでいった。人生の選択として十分すぎる情報である。たとえその人生に後悔しても、結果は自己責任であると思っていたのだが・・・本書によれば事態はそう単純ではないようだ。

 本書によれば1990年代に進められた「大学院重点化」政策によって、大学院定員が膨張。博士取得者が増えても、それに見合ったポストがない。これまでは、いわゆる地方の3流大学が、このような博士取得者の就職の受け皿になっていたのだろうが、少子化による大学倒産時代が到来し八方ふさがりになっている。

 こうして非常勤講師とコンビニのバイトのかけもちで月収15万円というオーバードクター(余剰博士)ができあがる。
 

「平成18年(2006)年度の博士課程修了者数は15966名。もちろん過去最高だ。その内、「死亡・不詳の者」、1471名(9・2%)、つまり、博士卒の約1割は社会との接点が確認されることなく姿が消えているのだ。
 とくに私の出身である人文・社会科学の分野では、修了者2601人中「死亡・不詳の者」は495名(19%)となっている。ちなみに就職者は897名(35%)。まさに絶望的な数字だ。

 NPO法人ユニークフェイスの代表として、積極的に人文・社会科学分野の研究者と交流してきた。その人たちにオーバードクター問題について話を振ると以下の会話がすぐにできる。

「大学院同窓生のうち何人かは消える」
「どういうこと?」
「突然、研究室にこなくなって行方不明になる。女だったら研究生活をやめて突然結婚するとか。まったく研究と関係のない職に就くとか」
「生きていて、消息が分かっていればいいよね。自殺は?」
「そこまでは分からない。消息が分からない人の中にはいるかもしれないけど」

 私の知っている何人かの研究者は、本書でいう「高学歴ワーキングプア」である。論文を書き、認められれば大学の就職ができるというわずかな希望をもって生きている。このような生き方は、芥川賞を目指す小説家の卵のようだ。報われない可能性が高い。

 運良く大学に職を得ても、若い学生の面倒をみるのに時間を奪われ、学内政治(博士を取得していない人が上司なので、博士取得者は心中穏やかではない)に神経をすり減らしている。精神安定剤を服用している人も知っている。

 著者は、高学歴ワーキングプアにならないためには、大学のポストに就けるという幻想をなくすべきだと主張する。同感だ。

 ある特定の分野の知識を大量に蓄積し有効活用するスキルと、社会をサバイバルするスキルとには常にギャップがある。現状の大学院は、前者も後者も不足している。現状の大学院は、学生から学費を吸い上げ、人間として成長する20代という貴重な時間を浪費させている。いわば研究のモチベーションを収奪するシステムになっているのだ。いま大学に勤務している職員にしても、その大学が少子化で倒産したとき、再就職の可能性ゼロ、起業するガッツゼロという人は人は実に多い。

 こうなったら、高学歴ワーキングプアの当事者の手で新しい大学を創るべきだ、とさえ思えてくる。倒産した大学の建物を活用して、新しい事業を創出することも視野にいれるべきだろう。水月昭道さんにはそんな活動を期待したい。手伝いますよ。


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