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2007年12月14日

『若者を見殺しにする国』赤木智弘(双風舎)

若者を見殺しにする国 →bookwebで購入

「ひとりの書き手の誕生を祝う」


 赤木智弘という若い書き手の単行本デビュー作である。デビュー前からネットで彼の紡ぎ出す言葉を何度か読んできた。podcastingラジオでその肉声も聞いた。彼が初めて商業雑誌『論座』に寄稿した『「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は戦争。』は、論座を購入するタイミングを逸したために図書館でコピーして読んだ。フリーターという貧困層を出自とした、平凡な若者が論客として世に出ていくプロセスをリアルタイムで観察することができた。私は赤木とは面識はないが、すでに知っているかのような親近感を覚えている。インターネットというメディアの特性なのだろう。  単行本では、論座では書ききれなかった、フリーター赤木のどろどろした主観が丁寧に整理されて書かれている。読みはじめて一気に引きこまれた。文章を書くための専門的なトレーニングを受けていない人間が、自己流の独学で349ページというボリュームを書ききった情念は見事だ。華々しいデビューといってよいだろう。  赤木は、ひとりのフリーター当事者として、フリーターという貧困層の現実を、執拗に書き込んでいく。フリーターには金がない。だから結婚できない。新卒採用をする会社の人事担当者によってフリーターから正社員になる道が閉ざされている。絶望的な生活が続く。なぜフリーターはこんな生活を余儀なくされるのか。それを突き詰めて考えていくうちに赤木は30歳を過ぎる。
「仮に、私が普通の生活を送っているとします。サラリーマンになり妻をめとって子どもを養い、毎日のように満員電車にゆられ、都心からはなれたマンションに帰り、家族に軽視されながら、延々と続く日常をただ生かされ続ける。そのような普通の生活をしていたとすれば、私は自身の人生を暴露する必要などありません。  けれども、すでに私は普通の人生を生きることができない。そして、いまの人生を延々と続けていけば、なんの自己実現をもすることもなく、ただ格安の使い捨て労働者として無念のまま死ぬことになる。そうだとすれば、『自分が持っているもの』をなんとかお金に換えて生きていくしかない。そ『自分が持っているもの』が『私自身の人生』と、この本を書く機会に恵まれたというわずかな『運』なのです。  わずかな『運』に私の人生の暴露を添えて、自分の人生を取り戻さなければなりません」

 欠落を埋めるためのジャーナリズム。何者かが奪っていった自己の尊厳を取り戻すための文筆活動。それが赤木のモチベーションの核にある。この核を育てたのはインターネットであり、火をつけたのは新しいタイプのジャーナリストを世に送り出そうと企てていた数人のジャーナリストだった。

 赤木は「東天王ヨブ」というハンドルネームで自分の主観をはき出していた、ネット上ではよくあるタイプの無名の書き手だった。彼は、ひょんなきっかけからジャーナリストの武田徹氏が企画した東京大学先端技術研究センターの「ジャーナリスト養成コース」に通い、「ジャーナリズムとは自分から発露する」という基本を学んだ。

 私は武田徹氏のブログを週に1度は読んでいる。新しい書き手が生まれつつある期待が伝わってきた。友人の粥川準二(ジャーナリスト養成コースで教えていた)が、そのブログで、才能のある若い書き手がいる、と書く。どんな人間なのだろうか。興味がそそられる。赤木という人間への関心が醸成されていった。

 本書で書かれてあることは、私にとっても身近なことだった。

 フリーター31歳。しんどい年齢だよな。20代のうちは自分にも周りにも言い訳ができるが、30歳を過ぎるとたまらんわな。フリーターを長くやっていると、普通の職業人としての常識やスキルを身につけることができなくなる。正社員の指示を待つように、心と体が適応していくのだ。その適応を拒否して、アルバイトから正社員の座を獲得するひとはいないわけではないが、そのようなイレギュラーな飛躍的な成長をするアルバイトは少ない。いたとしても正社員はアルバイトの人間性や生活を顧みることはない。若いフリーターには、将来に対する希望はあるのかもしれないが、30歳を越えた中年フリーターには希望はなくなっていく。貧乏な男に女たちは冷たい。職歴のない人間に会社は門を閉ざす。日本の企業社会はこの点、異常なまでに潔癖である。新卒採用が基本。35歳を過ぎると中途採用もきわめて難しい。中年フリーターが、正社員になる道は、私生活を捨てるような過酷な労働に身を投じるような劣悪な労働環境しかつくれない中小零細企業になってしまうのだ。

 私も大学卒業後、2年ほどフリーターをしていた。その後、フリーライターになったが、まぁ、経済的にはフリーターと変わらない。フリーターとフリーライターの違いは、時間が自由になり、自由に発言する機会が増える、ということだろう。締め切りを守って原稿を書くというストレスを抱え込むにはなるけれど。ネットとブログが全盛の時代になり、自由にものを書いて発表することは偉業でもなんでもなくなった。

 私が31歳のとき、ニューヨークに滞在していた。目的はユニークフェイス問題の取材。名古屋の実家に寄生して原稿を書いたり、肉体労働のバイト生活。英語の勉強をして、少ない貯金をもってニューヨークに行った。その成果を単行本にまとめることができた。出口のないフリーライター生活をしていた私にとって大事件だった。33歳になっていた。単行本1冊で人生が変わったのだ。

 赤木も本書の刊行によって人生が変わる、いや、変わった。これから赤木はフリーター問題のジャーナリストとして独立してばりばり原稿を書いていくことになるのだろうか?赤木は、そんなうぶではない。資本主義社会の構造を、フリーターの立場から分析した赤木からみると、ジャーナリズムもまた安住の地ではないのだ。

「バブル時代まだしも、いまの時代に本を出したって、数百万円儲かることってことはほとんどありません。そして今後、仕事を続けられる保証もないのです」

 デビュー作の「あとがき」とは思えぬ、クールさである。こういうクールな視線を持った書き手だからなのだろうか。メディアの世界で活躍する文筆家、表現者(佐高信、森達也、斎藤貴男ら)が『論座』記事に反応した左翼的な言説を、バッサリ斬って捨てることに躊躇がない。若いのにたいしたものだ。(私だったら、同業者の先輩から嫌われたくないな、と自己規制するところだ)。

 もちろん、違和感はある。文章を書くのと同じくらいの情熱で、就職活動をしていれば、安定した生活を得ることはできるのではないか。いままでは不遇だったとしても、これからは正社員になることは可能だと思う。正社員にならないとしても、30代という気力と体力があるうちに、稼げるスキルと人脈をつくってほしい。フリーター問題で注目されたので、周囲には、ニート、プレカリアート、ワーキングプア、フリーライター、ジャーナリスト、エディターという不安定な労働者階級がわさわさと赤木を取り巻いているはずだ。そういう人たちといくら交流しても経済的な安定は得られない。赤木がブログで指摘しているように、強者と弱者がつながったときに経済的な救済は訪れるのだ。

 金をもった人間とつきあうべし。

 人間関係には細心の注意を払って生活基盤をつくって生き残ってほしい。健闘を祈る。
 


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