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2007年07月31日

『無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法』勝間和代(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法 →bookwebで購入

「勉強の楽しさを思い出させる名著」


 この1年ほど、仕事のノウハウを紹介した書籍、いわゆる「勉強本」を乱読してきた。「ライフハック」というキーワードで何冊か読み、ノウハウを取り入れた。システム手帳の使い方の解説本も読んだ。半年もすると、書棚の一角は「勉強本」に占領された。

 フリーランスで仕事をしていると、現場はいつもひとり。結果が出れば好きなように仕事を進行してよい、ということになりがち。そのかわり、へんな仕事の仕方をすると、あっという間に、仕事の限界量に達してしまう。時間はいつも不足している。
 スキルアップのためには、他者のノウハウから学ぶのがもっとも効率的であるということは、頭ではわかっていたが、実用書というジャンルをどこか軽んじていたと思う。その先入観を変えたのは、年下できわめて仕事が速い人間と話すようになったからである。サクサク仕事ができるのは、仕事に向かう発想が私とはまったく違うからである。30歳前後の彼らは若い。体力に任せて仕事をする、ということもわかってきた。その仕事の方法を安易に真似しても、こっちの体力が続かない。
 人間40歳を超えると、体力が低下する。体力に見合った形に仕事の仕方を変更する必要がある。さて困ったぞ、と思っていたとき、本書と出会ったのです。
 最初の数ページを読み、著者が三児の母であることを知って、すぐに書店のレジに向かいました。

 著者の勝間和代氏は、あとがきでこう書いています。

「私はこれまで、会計士・IT・英語・ファイナンスなどの技能をプロの水準として短期間で習得してきました。その技能を生かして、いまも仕事として、いろいろなこと(大学院博士課程での研究、投資顧問会社の経営、本の執筆、新聞・雑誌への連載、政府の専門委員、ムギ畑の運営、それに三人の娘の子育て)を平行して実現してきています。  よく、周りの人に、「いつ寝ているのですか」と聞かれますが、この本で書いてきたような「勉強のノウハウ」がしっかりしていれば、時間管理で困ることはほとんどありません。新しいことを習得するのに、さほど時間がかからないうえ、そのことをアウトプットすることも速くなるためです」

 三児の母にして、これほど仕事ができるんだ! 私の常識を越えたノウハウがある、ということは一瞬でわかりました。
 書棚に収まっている「勉強本」を見直してみました。著者のほとんどは男性だったのです。彼らのほとんどはひとつの会社に帰属しており、仕事(生活)のマルチ化はしていなかったこともわかりました。

 読了後、簿記とTOEICの勉強をすることを決意。関連書を注文したり資料請求することになります。耳から情報を収集するために、ノイズキャンセリング機能つきのイヤホンを約1万円で購入しました。こんなにやる気満々になったこと、大学卒業以来じゃないかな。
 私も勉強は大好きな人間です。勝間氏のように楽観的に勉強をしてこなかったと思う。
 勉強をすると年収があがる、だから勉強しよう!
 こんなふうにシンプルに考えて、行動するのは、ちょっと恥ずかしいなぁ、と思っていました。でも、それはもったいない。せっかく勉強が好きなのだから。好きなことを仕事にして、お金に変えていくことは楽しい。それに40歳になれば、いろいろなことがおきる。生活も仕事もマルチ化していくのが普通。これからどんどん時間がなくなるのかな、とげんなりしていました。が、どんなに仕事が増えても、楽しく勉強を続けていくための仕組みがある。この本によってやっとわかりました。
 買ってから1週間たちますが、10回以上読み返しています。
 ありがとう! 勝間さん。


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2007年07月30日

『学校は死に場所じゃない』藤井誠二(ブックマン社)

学校は死に場所じゃない →bookwebで購入

「戦うことを教えられない者達はサディストの餌食になる」

 この本は、ベストセラーマンガ『ライフ』(講談社・すえのぶけいこ著)に併走して書かれた。著者はノンフィクションライターの藤井誠二。前著『殺される側の論理』(講談社)に続いて、「いじめられた側の抵抗の論理」をマンガを使って構築しようとする試みである。
『学校は死に場所じゃない』を読み終えた後、すぐに『ライフ』(現時点では15巻まで発行)を取り寄せ読みおえた。

 『ライフ』は、いじめに立ち向かう歩が主人公。愛海というサディストの同級生とその追随者との戦いがヴィヴィッドに描かれている。そのストーリー分析から藤井は現代社会のいじめを読み解こうとしている。

 日本のいじめとはどういうものだろうか。

 日本では個人プレイは許されない。独立した個人がひとりの人間を攻撃するようないじめはきわめて少ない。

 多発するのは、集団による個人への集中的な攻撃である。そのとき集団内のメンバーにいる限り、責任は免責される。

 目立ってはいけない。目立ったらいじめられる。いじめる者も目立ってはならない。あとで教師に責任を追及されるからだ。教師もまたいじめをなくすための努力を熱心にやってはいけない。問題が顕在化すると、責任を問われる教師が出てしまうからだ。親(とくに母親)はいじめをなくすために動くことはまずない。加害者を特定するとその親との関係が悪くなる。そうなれば母親のネットワークから総掛かりでいじめられる可能性がある。もし、いじめ自殺があったら、マスコミが取材にやってきて地域と学校が、社会的制裁のターゲットになってしまう。校長の責任になる。なんとしても、いじめ問題が起きないようにしてほしい。これは学校関係者すべての総意である。

 このようないじめからから眼をそらす多重構造を見抜いた、一部のサディスティックな性癖をもった子ども(『ライフ』では、安西愛海)は、親と教師の監視をかいくぐっていじめを実行する。

 生かさず、殺さず、いじめ抜く。自分は手を汚さず、女の子のもつ集団心理を巧みに利用して、集団で個を破壊するために企画を立案し、実行していく。愛海のような少女は、どの学校にもひとりくらいいるものだ。学校も社会の縮図である。

 いじめと判断できないくらい優しく心をなぶる。これが、退屈きわまりない学校生活のなかの快感として体験されたとき、いじめの習慣化がはじまる。

 『ライフ』を読むと、愛海は直感的に、コミュニケーションスキルのない同級生を支配するか、いじめることで、つまらない日常をやり過ごそうとしていることがわかる。

 愛海は平凡な女の子の心理をよく知っている。

 自分のために戦わない。いじめられている子をかばうために戦わない。

 もし不用意に、いじめをなくすために戦うと危険なのだ。他の生徒から「いい子ぶるんじゃない」と総攻撃を受けて、自殺に追い込まれたという現実の生徒がいたことを、藤井は述べている。

 教室内言説のネットイナゴ化が常態化しているようなのだ。

 生徒のなかから、戦う、という発想が根こそぎ去勢されている。親も学校も、仲良くしなさい、というばかりで、危険な同級生とどう戦うかを教えない。いじめによる快感を知ったサディストにとって、教室はエンターテインメントの空間になるのにはこのような背景があるためだろう。無防備の子どものなかで王様になることは、楽しかろう。

 歩は果敢にいじめと戦う。戦うほうは必死である。

『ライフ』を読んで、歩に同情して涙を流しても、カタルシスを感じても、現実のいじめはなくならないだろう。なくすための仕組みを大人がつくらないといじめは蔓延していく。

 いじめをなくそうと、ヤンキー先生とか夜回り先生とか、エキセントリックな人たちが現れてはいるが、いじめの現場である校舎の中にまで入ってこない。

 『ライフ』の中で歩は成長している。フィクションのなか、ではあるが。

 いじめの現場にいる中高生は成長しているのだろうか。

 学校で行きづらさを感じている生徒がいる。教室内に助けは来ない。マンガ『ライフ』という妄想をきっかけに、戦いを現実化できる、と信じることだ。希望はないが、無理矢理希望を作り上げることだ。


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