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2007年06月30日

『水滸伝』北方謙三(集英社)

水滸伝 →bookwebで購入

「異形のキャラクターが官軍と戦う極上の大衆長編小説」

 3日前に、北方謙三『水滸伝』全19巻を読み終えた。疲れましたよ。かなり。だって読み始めたら止まらないんだもん。19巻も一気読みしたくなるようなクオリティとエンターテインメント性をもった本なんか現代の日本で出版されているわけがない。

 なんて思っていましたが、仕事で小難しい本(ニート関連の社会学の本には希望は書かれていない!)とか、マネジメントに関する本(この類の本って「資本主義を信じろ!そうすれば儲けられる!」という教義が書かれた宗教書みたいで疲れます)ばかり読んでいたため、魔が差したんでしょう。

 ふと気まぐれに北方「水滸伝」の第一巻を集英社文庫で買ってしまった。するりと引きこれまてしまったんですね。

 「水滸伝」は高校時代にはまったことがあって、駒田信二先生の「水滸伝」平凡社版を何度も熟読しました。キャラクターが魅力的なんです。登場人物に、顔に痣やキズのあるユニークフェイス当事者いることもあって私にとっては必須文献のひとつ。

 青面獣「楊志」は、顔の半分に青痣のあるユニークフェイス当事者なんですよ。こういうルックスの武将がヒーローとして描かれている大衆小説は少ない。よって私は読まなければならないのだけれど、大しておもしろくない小説もあるので、小説の選定には慎重になってました。

 第5巻で楊志が、官軍の特殊部隊「青連寺」の手先と激闘のうえに戦死していくシーンでははからずも落涙。完璧に北方謙三の構築する小説世界に絡め取られてしまいました。もし楊志だけが死んでいたらどうということもなかったと思うんですが、この楊志の養子である楊令が、この死闘のなかで顔の半分に熱傷瘢痕が残ってしまうわけですよ。ベタな展開とはわかってはいるものの、スティグマが聖なる者の徴として転化、刻印されていく描写に、さすが北方、古典的な英雄譚の構造がわかっているではないか、と舌なめずり。

 第7巻では、官の刑罰によって鼻をそがれ顔にやけど痕をもった軍師、宣賛が登場。楊志以外にも、異形のキャラクターをもってくるとは、思い切ったことをする、と文庫の小さな紙面に身を乗り出して読み進めることに。

 17巻から19巻までは、死闘に次ぐ死闘。その死闘のなかで、梁山泊の戦士たちの希望として、成長した楊令が登場し、官軍と互角の戦闘を繰り広げていくさま見事。早く次のページをくくらなければという焦りを喚起する北方の筆の冴えに、ひたすらのめり込むだけ。まだ、私も幸福な一読者になることができるのだ、と思えて愉快! 

 面白い小説がない、と倦んでいる人は読むべし。
 


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『マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実 』西岡研介(講談社)

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実 →bookwebで購入

「テロリストとたたかうスキャンダル屋」

 本書は、昨年『週刊現代』で24回にわたって連載された「テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を単行本にまとめたものである。著者の西岡研介氏は、神戸新聞を経て『噂の真相』記者になり、東京地検の女性スキャンダルをスクープして注目された筋金入りの「スキャンダル屋」。ウワシンから『週刊文春』を経て2006年『週刊現代』に移籍してすぐに、JR東日本問題に取り組んだ。

西岡が本書でテロリストと呼んでいるのは、革マル派(正式名称「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」)という思想集団である。西岡は、革マル派が世界最大級の公共交通機関であるJR東日本の、主要な労働組合に浸透し、労組を支配するばかりか、経営権に介入しているという、知る人ぞ知るスキャンダルを暴露した。

 このノンフィクション作品の主人公は、JR東日本労組に君臨し続けてきた革マル派最高幹部、松崎明である。この松崎は組織と人間の弱点を見つけ出し、それをネタに権力をふるうことにかけては天才的な手腕を発揮する。西岡のペンによって、革命家、松崎明が、JR東日本労組を私物化し、その豊富な資金で別荘を購入している事実を登記簿をもとに明らかにしていく描写は圧巻である。

 革マル派は、治安問題を取り扱っている公安関係者にとって監視の対象である。しかし、その暴走を止めることができなかったのはなぜか。「公安捜査の神様」といわれた人物、柴田善憲が、革マル派の「ガードマン」に成り下がっていたからである。その柴田は、8年にわたってJR東日本の監査役を務め。その間、警察の首脳部に対して、「JR東日本には治安上の懸念はない」と発言し、JR東日本の構造的な腐敗に手を貸していたのである。

 ミステリー小説を読んでいるかのような気分になる。それほど、本書で展開されている事実はドラマチックである。小説と区別しなければならないのは、JR東日本に浸透した革マル派によって多くの鉄道員たちが屈服、挫折していったという重い現実があることだろう。

 西岡は、連載中にマスコミ関係者からこう批判されたという。
「なぜ今さら、『JR革マル派問題』を取り上げる必要があるのか」
 革マル派がJR東日本に浸透していることは、一部のジャーナリストにとっては公然たる事実だったのだ。JR東日本の職場が、崩壊している実態を被害者たちはマスコミに訴えてきたが、「マスコミは彼らの訴えを無視し続けてきた。つまりは彼らを見殺しにしてきたのだ」と西岡は書く。無視してきた理由は(1)キヨスクで販売を拒否されたらたまらないというおびえ、(1)JR東日本がもつ莫大な広告料ほしさ、(3)松崎やJR東日本労組から訴えられることに対する煩わしさ、そして(4)「革マル派」そのものに対する恐怖、であるという。

 西岡と『週刊現代』はこの連載によって、JR東日本労組とその関係者から訴えられた。その数は49件。まさに「未曾有の言論弾圧」である。

 暗澹とするしかない。しかし、それが現実なのだ。

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2007年06月10日

『この社会の歪みについて』野田正彰(ユビキタスタジオ)

この社会の歪みについて →bookwebで購入

「ニート、フリーターは気付いている。正社員になれば、待っているのは奴隷労働だ」

この本の帯にはそう書かれている。刺激的な本だが、あまり知られていない本だ。出版社のユビキタスタジオがマイナーだからである。

ユビキタスタジオのホームページ
ユビキタスタジオ代表、堀切和雅のインタビュー


 著者は比較文化精神科医学者の野田正彰氏。日本社会を精神医学や比較文化の視点で批判的に分析してきた人だ。
 
 野田正彰も、聞き手の堀切和雄も二人そろって深刻に世の中を憂う。読んでいるうちに暗い気持ちになってくる。日本の将来は真っ暗だ! という気分に導かれるのである。

 野田は、日本社会は江戸時代から超管理社会だった。このため、社会批判をする力を喪失したと見る。「日本の社会では、国家は契約によって成り立っている、ということの意識はほとんどない」「はじめに国家ありき、です。国家があって、生かされている、というふうに思っている」と野田は日本人と国家の関係を分析する。そのため「救いようのない息苦しさ」が発現する、という。

 その分析の是非はともかく、この日本国では、人々に不満があっても、その当事者が、改革の主体になって動くという取り組みはほとんどない、ということには納得する。

 ある政策について不満を表明しても、その解決は官僚、または官僚と友好的な関係をつくっている民間組織が担うことになっており、問題解決は先送りされるだけだ。マスメディアは、日本社会の改革という情報商品は、消費者から関心をもたれないことを知っているので深入りすることはない。

 よくある閉塞感である。

野田と聞き手の堀切はこう語っている。

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--社会批判をしたり、兵士として死ぬことを拒否したら、一族郎党がひどい目に遭う。

「そういう社会を近世以来つくりあげて、管理してきたから、それができるんです。そして、その管理にむしろ加担し、従順になっていく国民が、多数いる、ということですね。

 今でも、過労死をする道を選んでも、デモをしたり、訴える声を挙げる、という道は選ばないでしょう」(73頁)


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 この国に満ちている閉塞感(非常に言語化しにくい、あいまいな空気のようなもの)を把握し、思考するために「使える本」である。

 そうはいっても閉塞感を解決するための具体的な処方箋はほとんど示されない。文化的な交流する時間をとれ、仕事を休め、というくらいだ。聞き手の堀切もそこは不満だった。

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--野田さんのお話をずっと聞いていると、もうこれは治らない、日本の人間は手の施しようがないところまで来た、という感じさえしてしまいます。

「当分変わらないものを、いや、変わるんだ、と言うかどうかは、それは好みの問題です。人々の幸福感が、満足感が30%の社会で、言論だけで、幸福になるプランを出せ、と言っているわけですよ。あなたは」(109頁)


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 野田は精神科医であり、大学教授である。そのため本書で取り上げられる事例の多くが、精神科に来診する患者、精神的に未熟な大学生(学生とは未熟なものだ)に偏っている。日本社会に心を破壊された患者と、母子密着家庭で幼稚に育った大学生を分析して、日本社会全体を語られるのはいかがなものか、という思いはある。

 最後の頁にある次の一文は、若者には是非とも読んで欲しい。

「若い人たちも、身近な人たちとの付き合いの中に喜びを見出さないと、このままで行って中年に達したら、もともと燃えてないから『燃え尽き』という言葉も使えないんだけど、生きている実感の乏しい、感情的に痙攣するだけの人間になってしまう」

 若者は知識人にとって、格好の観察の材料になってしまうのだ。野田は、いまの若者がコミュニケーション不全症候群に陥っていることを「診断」している。若者からみれば、野田の発現は年寄りの愚痴に聞こえるか、だるいから聞く必要はない言葉に過ぎないかもしれないが。
 
 日本社会は病んでいる、その病巣は深く治癒しがたい、という冷徹な現状認識。それはそれで貴重だが、閉塞感を変える力にはならないだろう。

 それでも、この本は好著であると思う。口述筆記であるから厳密な議論になっていないが、なぜ日本人は過労の現場から逃げることなく無抵抗に働き続けているのか? なぜ若者は他者とのコミュニケーションが不得手なのか? という長い間、抱えていた疑問を解消するためのヒントがあるからだ。

<追記>
 若者の精神が脆弱だ、コミュニケーション能力が貧困だ、と若者を分析する姿勢が確かに野田にはある。これは若手の評論家・後藤和智が厳しく批判する「俗流若者論」の典型、といえるだろう。野田の若者批評の姿勢が一貫しているならば、後藤は野田を必ず批判しているはず、と思い検索してみたところ、たしかに野田正彰批判がアップされていた。

http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2005/08/post_02fc.html



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2007年06月01日

『新聞社-破綻したビジネスモデル』河内孝(新潮社)

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●毎日新聞はなぜ破綻していないのか?

新聞を定期購読しなくなって、3年ほどたつ。何度か定期購読をしては辞めた経験がある。

大学卒業後に初めて定期購読した新聞は朝日新聞だった。人権とか環境保護とか、不正に怒っているような論調に好感をもったことと、ジャーナリズムに興味をもっている若い学生のほとんどが「朝日では・・・・と書かれていた。だから・・・」というような会話がなされていたからである。ふむふむ、と内容はよくわからないけれど読んでいた。いまから19年前、昭和天皇が死んだ。天皇崩御を伝える朝日を読んで、定期購読を辞めた。反天皇的な言説をにおわせていた朝日が、昭和天皇が死んだときは、読売新聞との違いがわからないほど、つまらない紙面をつくっていたからだ。上京してから、毎日新聞、読売新聞をそれぞれ3ヶ月定期購読した。メディアの仕事をしている手前、何か一紙とっておく必要があると思ったからである。結局、朝日に落ち着いた。理由をあえてあげれば、他紙よりも、書評欄が充実していること、個人的に朝日新聞記者の取材をよく受けるようになったから。

そのうち、ブロードバンド回線を利用するようになって新聞を辞めた。定期購読を辞めることを決めた直接のきっかけは、2004年のイラク人質事件報道だった。朝日新聞の記事は、明らかに外務省筋のリーク情報をもとに、人質にされた若者3人の批判を展開していた。たしかにこの3人のセキュリティ意識は低かったろう。しかし、それを大新聞が批判してしまっていいものか。ネットで人格攻撃も含めて徹底批判されているのだから新聞が便乗しなくてもいいと思った。その後、反戦活動家とフリーランスジャーナリストの男性2名が人質になって解放されたときは、この2名への新聞からの批判はほとんどなかったことにも納得できなかった。

私の周りでも、新聞は読まれていない。「・・・新聞ではこう書かれていたよね」という会話はなくなった。もし、そういう会話になったときは「新聞とっていない。それどういうニュース?」と聞けばよい。新聞記事を読むよりも、その人の語りのほうがおもしろいことが多い。人に語りたくなるニュースには力がある。それは当たってみる価値がありそうだ。

長い導入になってしまった。新聞はわざわざ定期購読するような価値ある商品とはいえない、ということだ。情報の質と価格が見合っていない。

     *

この新書『新聞社』の副題は「破綻したビジネスモデル」。新聞経営のビジネスモデルが既に破綻していることが詳細に述べられている。書き手は元毎日新聞の常務取締役。毎日新聞の経営改革を試みたが、社内で大きな反発を受けて、退社してこの本を書いたという。この本に書かれているようなことは、
フリーランスジャーナリストの黒薮哲哉氏、そして
MyNewsJapanマスコミえっ?まだ新聞、定価で読んでるんですか?
が息長く報道しているので、内容的に新しい情報はとくにないけれど、毎日新聞の内情を知った当事者が、新書という普及しやすい形で発表したことに大きな意義があると思う。

気になったことは、毎日新聞で働いている普通の記者たちが、いまの新聞経営の破綻をどのように考えているのか、という情報が盛り込まれていない点だ。この点で、この本には当事者が書いたメリットを最大限生かそうという貪欲さが欠けている。

著者は、この本の中で、中日新聞、産経新聞、毎日新聞の3社が業務提携をして、読売、朝日につぐ第3極をつくる、という改革構想を提言している。3社を足すと1000万部の勢力になるという。これは、巨額の不良債権によって経営が行き詰まった銀行が、吸収合併と人員整理によって生き延びていった方法と同じ。経営破綻はしたけれど市場から退場する気はないし、シェアも失いたくない、という往生際の悪さが出ている。

東海地方で絶大な力をもつ中日新聞が、赤字媒体を吸収してもよい、と納得できる土産があるのか、という疑問もある。1000万部あれば、広告収入が大いに見込めるという目算もあるのだろうが、紙の新聞を毎日読むという習慣そのものがなくなりつつあるので現実味を感じない。

     *

私なら、新聞改革のためにこう考える。

官公庁発表記事だけを載せる「日官紙」(日刊紙ではない)を創刊する(大企業の発表モノを載せる媒体としては、日経があるので新創刊は不要だろう)。記者クラブがその記事執筆を全面的に引き受ける。プレスリリースのリライトは大学生のバイト(インターン)にやってもらう。夜討ち朝駆けは原則としてやらない。「ひと」欄には、天下りした官僚が楽しいセカンドライフを送っていることを紹介する。有能な記者の養成をする教育コストは不要と割り切る。発表モノの商品化に特化して、コストのかかる調査報道は一切しない。
他紙はこの「日官紙」と誌面で競争する。今の新聞は中途半端に「日官紙」になっているから、購読意欲がわかないのだと思う。

それにしても毎日新聞の経営危機は深刻である。なぜ破綻していないのか? その自己分析も書いて欲しかった。

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