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2008年09月12日

『南方熊楠日記2(1897‐1904)』南方熊楠(八坂書房)

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毎日、とても長い距離を歩いた。お金がなかったせいだ。キュー植物園からアールズ・コートまで、或いはノッチンガムヒルから大英博物館、翌日はバタシーからブルームズベリーへと。ほとんどの場合、深夜遅く、へべれけに酔いながら。わたしも試しに同じルートを歩いてみたことがあるが、相当の距離であって、この健脚ぶりこそが、後年、熊野山中を駆け巡った”てんぎゃん”(彼地の方言で天狗の意)の面目躍如たるところだ。

語学が堪能であったためか、あるいは生来の気質からか、異国の困窮の生活にあっても、愚痴や弱音を吐いたりしなかった。学問をたてるため、必死で酒を飲み、必死で勉強した。東洋人であり、その上、「乞食もあきるるようななりをして」(南方熊楠コレクション〈第4巻〉「動と不動のコスモロジー」収載<履歴書>より)いたので、ロンドンの街角で差別的な扱いを受けることもあったようだ。そんな際には大立ち回りを振るった(「ピカジリーで人を打つ」)。そんな癖が災いして、折角臨時雇いの口を貰っていた大英博物館での職をフイにしてしまう。

一流科学雑誌「ネイチャー」への寄稿が掲載される快挙もあった。当時、欧州では東洋に対する興味はその絶頂にあり、話題が東洋関連となれば五歳にして和漢三才図会を筆写した南方の博識がおおいに発揮された。実際のところ、西洋人による東洋文献の解釈は往々にして誤解誤読を含んでいたので、そうした論文を論駁すべく投稿した。おおいに溜飲がさがったことだろう。数多くの著者へ直接、手紙を書いた。南方によればSからZの欠けた「損じたる字書をもって」(前出同書)「ネイチャー」誌への初稿<東洋の星座>を書いたとあるが、それはこの人物得意の誇張であるとみる。「かれ(南方)の英文著作はきわめて慎重で、隙がなく、文章もまたすこぶる行儀の良いものである」(<南方熊楠の英文著作>「南方熊楠全集第10巻」、岩村忍、平凡社)。内容の正しさと説得力を持っており<ノーツ・アンド・クエリーズ>などの素人投稿雑誌にも精力的に投稿し、内輪で少しは名も知れる存在になってきた。

西洋人の鼻をあかすことを多少とも喜びとしていたように思う。それが証拠に南方のもとに孫文が尋ねてきた際、一生の所期はと問われ、「東洋から西洋人を駆逐すること也」と答えた。さすがの革命家も面色を失くしたという。

(林 茂)

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2008年09月07日

『ヨーロッパの庭園―美の楽園をめぐる旅』岩切 正介(中央公論新社)

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。。。王はよくみて感心し、内心怒った。すべてが王のもつものを越えていた。それは本来、王にこそふさわしいものであった。王は嫉妬で苦しみ、怒りでのどがつまりそうであった。(本書92頁)

太陽王に嫉妬される機会などそうそうあるものではない。しかし、財務卿フケには「真実を隠すというのは欺瞞ではなく、物事をありのままに見せないようにする才量」(ウンベルト・エーコ「前日島」)が欠けていた。本書はイギリスの名園について多くの頁を割いているが、イタリアに始まり、イギリスに終わる庭園の歴史を、主観を排してコンパクトにまとめてあり、そう数多くない庭園史の入門書として信頼できるものだ。日本ではイングリッシュガーデンが人気であって、「イタリアの庭」などと言ってもイメージできるひとはそう多くないかも知れない。しかし、庭園の歴史では、イギリスはむしろ近代の精神にあたる。自然を模倣し対象性や整形を嫌うイギリス人の自然観は、表面的な類似性とは違って、内面的にはそれほど日本人の美意識になじむものではないと、私は思うのだが、もとよりひとの美意識を一般化などできるものではない。しかし、イギリスの庭園は、家族でのピクニックの記憶と合わせて、「ホーム」を感じさせるものであり、美意識を越えた個人的に安らぎの世界である。それが、観光と生活を隔てるものなのだが、今はそこに立ち入らない。むしろ、庭という富める階級に属する所有物が与える差異の感覚を大切にしたいと思う。誰もが得られるものではなかった場所が、寂れ、廃れ、打ち捨てられている。ピクチュアレスクはどうも「やりすぎ」であって、そうした文物へのデリカシーを欠いた表現形態であろう。イタリアにはそのわびさびがあるのである。

岡本太郎が「迷宮の人生」に、こう書いている。

迷路の問題を展開している文献には、さまざまの図版や写真が載っている。私はそれを見ながら、何か納得できない気分になる。それらは、ほとんどが上から見下ろした外観の形で出てくる。つまり図形であり、全体を見わたす視点から描写されているのだ。それらのイメージには欠落がある。そのような計量可能な、作図された視点では、真の迷宮も迷路もとらえることはできない。迷路の本質的条件は、逆に全体を見わたすことができないことにあるのだ。。。。人間にとっての運命とは、まさに前進をもって迷宮の状況の中に存在し、心身が希望と絶望に引き裂かれる。それを運命的現実として感じることが実存なのである。

嬉しいことに、本書が取り上げる大半の庭園には行ったことがある。何れも有名どころであるのに、不思議なことに、多くの歴史的な庭園は観光客の喧騒とは無縁な、ひっそりとした、寂れたゾーンである。ラッチオのランテ荘や、ヴォマルツォの怪物公園、コモ湖岸のカルロッタ荘、ヨークシャーのファウンテンズ・アビー、ヴェローナのジュスティ庭園、ハイデルベルグ城の廃園。どこも、「変な磁界」を帯びたエリアであって、地元の人が憩いに訪れるような、そんな愉悦感からさえも遠く離れ、むしろ過去に属しているような場所。一方にある、ブレナム宮殿や、ハンプトン宮殿のサンクン・ガーデン、ヒーバー城の水迷路や、ロワール巡りバスルート上のヴィランドリーの美園、夏の午後にぴったりのパリのリュクサンブール公園、ヘルシンゲルのクロンボル城、などの、いつ行っても賑やかな場所では味わえない「この感じ」は、きっとむかし、海浜遊園地だった頃の、骨格だけのプールの廃墟、レオポンの彫刻、勝海舟の砲台、廃墟の見張塔、浴場の廃墟、いつの時代のものとも知れぬ石垣、といった場所で遊んでいた幼時を懐かしんでいるだけかも知れない。そうした庭園を訪れた記憶を、いつか、遠い時間が過ぎた後で、家族の誰かが心の奥にある風景として「不思議がって」くれれば、それは私にとってなぜか、とても嬉しいことのように思える。

「まさに迷宮の中で生きない人生は空しい。しかし、人間であるならば、誰もが何らかの形で自らの内に迷宮を作っているはずだ。(前出「迷宮の人生」103頁)

いまのこどもたちは、通りゃんせをうたうのだろうか。

(林 茂)

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