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2008年03月21日

『異教的ルネサンス』アビ・ヴァールブルク(ちくま学芸文庫)

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だれしも、自らの旅を楽しく思い出す。アルバムを眺めたり、パソコンで写真を見たり。切符や入場券のスクラップ帳をつくるアナクロなひと(私だ)もいる。

はじめてローマに行ったとき、蜂の噴水やトリトーネのあるバルベリーニ広場近くのホテルに泊まり、となりの美術館(国立絵画館)で、ラファエルロのこの肖像画を見た。個人的好みとしては、いま日本に来ているティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に匹敵する美人画であり、この傑作が巡る物語を、本書をふくむ数冊の読書の旅(“The Families Who Made Rome”, “Giordano Bruno and the Hermetic Tradition”, 「シエナ-夢見るゴシック都市」、パノフスキー他「土星とメランコリー」など)によって再構成してみたいと思う。

物語は、トスカーナ中部の町、シエナにはじまる。ここは中世の香りが未だ強く残るところで、イタリアの都市には別段めずらしくないが、しかし聖母信仰の篤さにおいては際立っていた。一方でこの町は、中世以前からの異教的伝統も持ち続けていて、その優美極まりないドゥオモの床面モザイクに、ヘルメス・トリスメヂストスや異教の神々が描かれている奇異は、Francis Yates著Giordano Bruno and the Hermetic Traditionタイトル頁の口絵にも示されるとおりだ。中世末期から盛期ルネサンスへの変化のなかにあるシモ-ネ・マルティーニの受胎告知画(ウフィッイ美術館蔵)の美しさを思い浮かべれば、まさにこの町シエナの独占とするところを知るだろう。

1465年、ラファエルロのパトロン、アゴスティーノ・キージはこの町シエナに生まれる。銀行業で財をなし、教皇庁ローマに進出し、やがてかれは、占星術美術最大のパトロンになるだろう。繁栄のはてに、健康と長寿を祈るアゴスティーノ・‘マグニフィコ’・キージは、自らの誕生日ホロスコープ寓意画を画家に注文しようと考える。ミケランジェロは本命だが、教皇の独占物には手が出せないし、そもそもこの超人指向の天才が占星術絵画を描くことに同意するとは思えない。ラファエルロに白羽の矢が立つ。画家は海豚に牽かれた一輪車で凱旋するガラテアのフレスコは描くことになるだろう。しかし天真爛漫なこの画家をローマのはずれトラステベレのキージ館につなぎとめる苦労は並大抵ではない。ヴァザーリによると、「彼の館の第一開廊を装飾させたとき、ラファエルロはいっこうに仕事に打ち込むことができなかった。それは彼が女の一人に夢中になっていたからである。それでアゴスティーノは絶望したのであるが、どうにかこうにか皆で手立てを講じ、やっとのことで、その女が、ラファエルロが仕事をしているその仕事場へずっと彼と同棲しにくるように取りはからった。仕事が完成したのはそのおかげである」(ルネサンス画人伝 p.199)。肖像画ラ・フォルナリーナは、こうして描かれた。

物語はまだ続く。天井画には、結局ペルッツィが指名された。十二宮占星術により、木星と水星の導く健康と明るさが求められ、土星とメランコリーは、その美点にもかかわらず、ここでは忌諱されることになる。しかし、数年経たぬ間に、この誕生日ホロスコープの願いも虚しく、アゴスティーノはこの世を去る。キージ家にはフラビオI世という教養ある跡取りがいたが、こうした人物に商才を求めようもなく、間もなく没落の坂を転がりはじめる。競争は激しいのだ。キージ荘はファルネーゼ家に、肖像画を含む他のコレクションは、ベルリーニのパトロンであるバルベリーニ家に売却される。サン・ピエトロやポーポロ広場における、キージ家とバルベリーニ家との縁を考えれば自然ななりゆきというものだろう。

こうして、この絵は、このミツバチの館で、さほど多くない観光客を迎えるマドンナとなった。本書第二章「ルター時代の言葉と図像に見る異教的=古代的予言」が触れている、アグスティーノ・キージの誕生日ホロスコープ周辺の顛末は以上のようなものだ。

本書は以下の言葉でしめくくられている。

ヴァールブルク文庫が願うのは、以下のことである。つまりキュジコス-アレクサンドリア-オクセネ-バグダード-トレド-ローマ-フェッラーラ-パドヴァ-アウクスブルグ-エアフルト-ヴィッテンベルグ-ゴスラル-リュ-ネブルグ-ハンブルグ、というただ差し当たり杭を打ったに過ぎない遍歴路においてさらに数多くの里程標識が掘り起こされ、そうしてヨーロッパ文化が対決の所産としてさらにいっそう異論の余地なき姿を現すこと、そしてこうした対決の過程においてわれわれは、占星術的な方向付けの試みが問題になる限りにおいて、味方もまた敵も求めてはならず、むしろ互いに遠くはなれ、緊張を孕んだ両極の間で揺れ動くが、しかしそれ自体では統一的な魂の振動、すなわち祭祀的な実践から観照へ、そしてまたその逆へ行きつ戻りつつする魂の振動の徴候を求めるべきということなのである。

(林 茂)

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2008年03月04日

『Architecture : A Very Short Introduction (Very Short Introductions Series) 』Ballantyne, Andrew(Oxford Univ Press)

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「建築学超入門」

ゴダールの映画「軽蔑」の後半シークエンス全面に使用されている非常にインパクトのある建物が、カプリ島のマラパルテ荘である。イタリアの有名建築雑誌「Domus」の過去50年間イタリア建築ベスト選でも第一位に選ばれている(Wave 9号 特集「ノヴェチェント」1986年)。そのような傑作であるが、残念なことに非公開であって、建築家リベラの遺志もあって、現在は中国政府の所有になっているらしい(リベラはマオイズムに傾倒していた)。マリーナ・グランデで船をおりたあと、青の洞窟に行くながれからは離れて、ケーブルカーでカプリの町に登り、そこから絶景のファラリオーネをとおり、島の南西方向をまわるハイキングコースの途中で、木々のあいだからこの垂涎の建築を遠望できただけでも幸せとしなければならない。

我々の日常は―特に都市部に生活するものにとって―建築物と無縁でいることはできない。

建物の意味はそれら自身のみにあるのではない。例えば、農家がそこに働く農民のためだけにある場合は、誰もそれを美術的表現だとは思わないだろうが、ロマン派の詩人はこうした簡素なコテージを地主制時代の美徳と見た。これが意味するのは、建物をジェスチャーとしてみる態度であり、18世紀末になり、田園に別荘を持つことがファッションとなると、必然、美的価値が認識されるようになり、デザインとして形式化していく。古代より、農業を美徳あるロマンティックなものとして長い伝統があって、ヴァージルがエクログスを書いた1世紀にはすでにその伝統は確立されていた。のちに農業が人々の日常生活から乖離する時代になると、農業をセンチメンタルに解釈する人々があらわれ、そうしたクラスの人々にとって、遠くかた眺める農村風景は無垢でうらやむような対象と考えられるようになる。この感傷性の最も極端な例が、ヴェルサイユにあるマリー・アントワネットのラモーである。
(本書 P.25 to 27)

この観光名所には、フランスの友人を伴って、三年ほどまえに行ったことがある。オーストリア出身の王妃は自らの心象風景を満足させるために、農家や農民を生きたジオラマとして、風景として配置していた。友人が「世界史上のもっともイカレタ狂気の見本」と唾棄するように言ったことを思い出す。

外国で暮らしはじめたころ、建物の外側から受ける印象と、その内部の構造や内装が、これほど違うことにおどろかされたものだ。イギリスのNational Trustは多くの歴史的建造物を保存・公開しているが、それらを訪れるときいつも、内部の暗さや迷路のような構造に、子どものようにわくわくさせられた。谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃」には

西洋人は(中略)絶えず明るさを求めて行き、僅かな蔭をも払い除けようと苦心する

という文章がある。平成のいまでは、事情は逆転してしまっている。ヨーロッパでは室内灯として蛍光灯をあまり使わないから、むしろ我々の感覚からはかなり暗い明度の中で暮らしている。アメリカ化した日本の生活がそれだけ変化したということだろう。なぜかJonathan Swiftから古い廃屋を買う夢をよく見るのだが、昔は関西に古い西洋建築が沢山あって、こういう本をぺらぺらめくっていても楽しいものだ。イギリスにはこうした趣味を満足させるジョンソーン博物館という特異な場所がある。日本にも日本民家園という、地味でさほど人気もないけれどすばらしい場所があって、谷崎言うところの「翳」を味わうことができるのでお勧めだ。

当シリーズは学生用にコンパクトで廉価の良書であり、お勧めする。

(林 茂)

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