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2006年04月29日

『Possibilité d’une Ile -Prix Interallié 2005- 』 Michel Houellebecq (Editions Fayard):English translation 『The Possibility of an Island』 (Translated by Gavin Bowd)

The Possibility of an Island →bookwebで購入(英訳版)

Michel Houellebecq is a provocative and direct author. Possibility of an Island is his latest novel for which he has won the 2005 “Prix Interallie” which rewards novels written by journalists.
After reading French critics, I decided to read the book to see what all the fuss was about, and I came to the conclusion that Houellebecq is definitely hated by many Parisian “intellos”. Nearly all the French critics are negative, but then again, how could the book win a literary price?

Possibility of an Island could almost be classed as a philosophical prose; the author addresses his usual big issues such as search for love, eternal life, mankind’s stupidity and sexual freedom. Also the main story line illustrates the philosopher Arthur Schopenhauer’s image of the replacement of human life by an automated species as he quoted “human existence resembles a theatre performance which, begun by living actors, is ended by automatons dressed in the same costumes”.

The form of the novel can be a bit complicated at first. Indeed, we follow the life of Daniel through the narration of his two clones named Daniel 24 and Daniel 25 who live several thousand years into the future of the hero.

Daniel is a forty something stand up comic who makes his public laugh with provocations against the Islamic world and generally criticising the worst that mankind can bring to our modern society, and makes a fortune which astonishes him. He is in the quest for love and thinks he reaches it by meeting and marrying Isabelle, a very successful magazine editor, but unfortunately this love dies when Isabelle becomes old, ugly and fat and when Daniel realises that his wife does not love sex. Later in his life, he meets Esther who is half his age and is totally incapable of loving him but loves sex. This is when he becomes interested in the Elohimite sect, which claims eternal life, not by some sort of belief but primarily to a revolutionary technique of human cloning. At that point of the book, Houellebecq tends to drag on a bit but later, the events he relates illustrates perfectly the hypocrisy of any kind of sect.
The epilogue of the book is the narration of the quest of Daniel 25 to find other neo-humans and to settle down and live his eternal life in the perfect place. The narration of his trip around a destroyed Spain is a demonstration of all the disgust Houellebecq feels towards the lowest form of mankind.

I very much enjoyed reading Possibility of an Island as I agree with Houellebecq’s ideas and conception of life. I couldn’t help but feeling sorry for Daniel in search of eternal life and fearing what we all fear, getting old and never finding true love. However, if you are not familiar with the author’s work, you may find it difficult to appreciate his latest novel, which I consider very good, but he has yet to write his masterpiece.

(Mathilde Cortot)

→bookwebで購入(英訳版)


2006年04月07日

『Strange Histories』Darren Oldridge(Routledge)

Strange Histories →bookwebで購入

グロテスクな表紙だが内容は理性的な一冊である。魔女狩りは現代の目から見れば狂信が生んだおぞましい現象に思えるが、当時の人々にとってみれば至極まともな考えに基づいている。中世の人が現代人の行動を見たとしたら、我々の日常は彼らには狂信と映るだろう。それどころか当時の書物の多くは正統の神学者によって大真面目な意図で記述されたものであり、決してカルトが大多数を占めるものではない。魔女狩りのテクストとして有名な「魔女の鉄槌」(Malleus Maleficarum)(1486年)も決してカルトの著作物ではない。今日では俗信として扱われる<天使>や<悪魔>などの考えは聖書やダニエル書にその典拠を持つ。天使についての記述は旧約聖書のソドムとゴモラ、悪魔については新約聖書マタイ伝の荒野の試練がもっとも有名な典拠だろう。天使信仰に至っては十七世紀においてプロテスタントとカソリックの両方に受け入れられているのだ。フランス・プロテスタントの開祖ジャン・カルバンはその著書に「天使は神の怒りの大臣だ」と記した。考えてみれば聖書に書かれていることをプロテスタントが受け入れるのは当然である気もするのだが、逆にこれは天使崇拝が俗信ではなかったことの証しである。

澁澤龍彦は自著「悪魔の中世」を本邦におけるこの分野の初出であると自ら告白している(後年の文庫版あとがき)。桐生操の「黒魔術白魔術」は魔女狩りの残酷刑の数々を列挙している。「魔女」=「オカルト」という図式はこれら累々たる書物が作り出したものだ。ついては1602年にドイツの「黒い森」で行われた魔女裁判についての好例が本書にある。

魔女と目された女性が裁判にかけられる。人智を超えた判決が下される。もし裁判所内の三つのポイントを、熱く燃えた鋼鉄を素手で握りながら無事通過し、その手の炎症が程なく癒えるのであれば、彼女は魔女ではないであろうと。果たして、三つどころか六つのポイントを通過し、さらにもっと運ぶこともできるとも宣言し、遂には無罪となった。しかし後にドミニコ派修道士シュプレンゲルは前述の「悪魔の鉄槌」でこの裁判の例に触れ「彼女の手は悪魔によって保護されたのだ」と記した。

これら全ては大真面目な神学によるものであり狂った裁判ではない。本書はフランスで首吊り刑にされた豚や、空飛ぶ魔女(ブリューゲルにお馴染の題材だ)、狼男などの典拠とその受容の記録を中世から近世欧州の社会史に照らした力作。オカルトの不気味さを求める向きには物足りないかもしれないが。

(林 茂)

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2006年04月03日

『菊の花道』Yampo(書肆侃侃房)

菊の花道 →bookwebで購入

ローリングストーンズのデッカ時代の全作品が1980年代はじめに再発されたとき、まだ高校生だった僕はお小遣いをはたいて「ギミー・シェルター」を買った。その後も、友達と分担して幾つか買い集めていった。多分全盤に詩人の宮原安春による対訳歌詞がついていた。いま、実際その頃買ったアナログ盤の「アフターマス」を聞きながら翻訳と英語歌詞を対照してみても、その翻訳の素晴らしさは際立っていると思う。例えば最近再評価が著しいルースターズの大江慎也(Words for a Book)などもそうだが、一部の日本のロックミュージシャンにも影響を与えている(”Virus Security”の解説を参照)。

爆裂都市」は家庭教師のアルバイトをしているときに教え子に見るように薦めたら、次の日、「先生、バーストシティー観たよ」とか言って買ったばかりの安全靴を机の下から出してきた。次に行ったらギターを親に買ってもらったようで、家庭教師の後に一時間ギターを教えることになった。多分、ボウイーの「オンリー・ユー」とかそういう曲を弾かせたと思う。その内にその子は大阪の結構ガラの悪いエリアに行くようになって、「先生、ボコボコにやられました」と不良にやられた痣を見せてくれた。この子のお父さんは少々血の気の多い人で、その夜、「おいセイセー、おれの子をよくこんなにしてくれたな」と凄まれてしまった。何とかかんとか言い訳をしていたら、お父さんはどうも酒が結構入っていたらしく、何の拍子か「いやーセンセーはええ男や。その調子でやってくれ」とか言われて、殴られずに助かって結構ほっとした。

バンドの再結成などいまどき珍しくもないが、ルースターズは僕にとって特別なカリスマを感じさせる存在なのだ。

九州のバンド「サンハウス」は兄貴分にあたるバンドである。そして本書の柴山俊之はそのシンガーだった人。本書にあるように種々悶着あった結果、上京せずに出身地の博多に留まった。ルーツを忘れると何かが失われることをこの人は知っていたのだろう。日本のイギー・ポップみたいな人だと思ってきたが、どうやら若い頃は中州でチンピラをやっていたらしい。誰しも影響を受けた人の真似をするのは仕方がないことで、何かのついでで行きたくもないスナックに連れて行かれたとき、柴山俊之のカヴァーの真似をして、二葉あきこの「夜のプラットホーム」をやけくそで歌ったりしたものだ。ルースターズとの創作面での関わりは名曲「風の中に消えた」からだが、他には結構有名な歌謡曲歌手の作詞も沢山やっている。花田裕行がこの人に憧れて弱々しかった声で歌い始めたことを知っているものにとって、本書最後の方にある「花田のように歌えたらなぁ」という独白には泣けた。

(補足)TITLE誌5月号「ロックで旅するイギリス」は今住んでいるリッチモンドの町のことなんかも出てきて良い出来でした。

(林 茂)

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