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2006年03月24日

『オランダ・ベルギ-絵画紀行ー昔日の巨匠たち』(フロマンタン)(岩波書店)

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私の友人が異種格闘技ワールドカップを考案した。「哲学者ワールドカップ」ではー彼はフランス人なのでーデカルト、ルソー、サルトル、ディドロの屈強なフォーバックを揃えた彼の母国は世界最強だが、コンビネーションの悪さから失点する悪癖があり準優勝止まりである。「文学者ワールドカップ」は、シェイクスピアという強力ワントップを擁するイギリスはいつも優勝候補で、「画家ワールドカップ」は、レオナルド、ミケランジェロの強力ツートップを擁し、そのうえに世界の画家選手を3/4以上輩出するイタリアの独壇場。

「ベルギーは豪華な美術書のようなものである」(本書14頁より)という言葉が本書の意図するところのフランドル絵画の魅力を能弁に語る。誰もが知るようにルネッサンス期イタリアは西洋美術の極めつけの黄金期であるが、同時代のフランドル画家の作品群も準優勝級の品質と量を誇っている。油彩を発明したとされるファン・エイク兄弟の作品群はその最高峰と言えるだろう。人物描写の素晴らしさもさることながら、ブリュージュのようなハンザ同盟都市においては手織物の商売に役に立つものならば、タペストリー描写の精緻さ艶めかしさに人間技を超えた技巧を示す。ゲントのバーフス教会にある多翼祭壇画「神秘の子羊」や、ルーブルの「ロランの聖母」はそうした最大傑作としてつとに有名であるが、グローニング美術館の「聖母と寄進者ファン・デル・パエル」においては描写は精緻さを極め、絵画で表現可能な臨界点を示すかのような恐るべき仕上がり具合だ。それにもまして、ロンドンに住むものとしては、あの謎めいて素晴らしい「アルノルフィーニ夫妻」を何時でも毎日でも何回でも観ることができる特権と喜びを吹聴しなくてはならない。

フロマンタンの真の興味はあの辟易とされられるルーベンスにあるので、ファン・エイクの弟子のメムリンクやファン・デル・フースを語るときにもいちいちルーベンスを引き合いに出す点ありがたくないのだが、この画家兼作家の手引書は、同分野にいい翻訳書が現行見当たらないこともあって、ブルージュやアムステルダム、アントワープ、ブリュッセル美術紀行概説書として十分に役に立つものだ。こうした分野をカバーする本が、廉価の文庫本で刊行されていること自体を多としたい。

(林 茂)

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2006年03月20日

『Bestiary』Barber, Richard(TRN)(Boydell & Brewer)

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「ベスティアリ」は13世紀に流行した動物譚のひとつ。イギリスで書かれた。著書の目的は自然科学の探求では毛頭ない。創造主が創りあげた自然の姿を通じて、原罪から逃れられない人間という存在を、神の体系内部へ誘うというもの。善性と悪性が極端に矛盾した形で描かれ、説話は全て神の摂理への回帰に終始する。「さまざまな種類の動物を描いているが、それは単に倫理的教訓やキリスト教的教訓を指摘するためだけにすぎない」(中世動物譚、P.A.ロビン)。

その中からー狩を禁止する法律も昨年出来たことだしー狐についてのエントリーをみてみよう。「イギリス人と見れば狐は逃げ出す(奇怪動物百科、ジョン・アシュトン)と言われるくらい、古来よりイギリス人は狐狩りに熱中してきた。他のヨーロッパ諸国では狩猟対象が兎や鴨など食べて美味しい動物であるのに対し、「食べ物は最低だがテーブルマナーは最高」(Watching English, Kate Fox)で食を重んじないイギリスでは食用にはならない狐をもっぱら狩の対象としてきたのは興味深い。「毛皮と人の歴史」(西村三郎)によれば狐狩りはその皮革を主要取引物産とするバイキングから引き継がれたものだというから、その末裔であるノルマン人の「バイユータペストリー」の絵柄と「ベスティアリ」の図柄に共通点があるのもこれまた興味深いところだ。

「ベスティアリ」に曰く、

狐は非常な速足あり常に蛇行し直行することなし。これ狡知狡猾な生き物なり。これ空腹で獲物を見出しえぬとき、赤土に転がり、まるで血まみれの様子を装い、横臥して息を殺し、あたかも死んだふりをす。鳥これを見て、これ息をせず、流血し舌を突き出しておるゆえ、死んでいるものとみる。鳥、狐の上に飛び降りたつに、狐、鳥を捕らえて食す。狐は悪魔の象徴なり。首を捕らえられ、処せられるまで全ての生きとし生けるものの前に死として立ち現れるものなり。しかし聖なる人にとりては、これ信仰によって無となし、真に死んだるものなり。狐の行為を為せるものは死ぬる定めなり。十二使徒に言うごとく、肉体の前に生きるものは死ぬ定めなり。しかし、肉の行為を治め、精神に生きるものは、これ生きるものなり。ダビデに曰く、汝大地の低きところに行くもの、汝剣に倒れるもの、汝これ狐の化身なり。

言うまでもなく、狐が人を騙す噺は本邦にも数多い。白川静の「字統」によれば、「日本霊異記」にある狐に化した女が男を騙す話が初出の由。英語にはfoxy ladyという言葉があって、これ極めてセクシーな女という意味だが、本邦の稲荷神社にお狐様がかくも祀られている様を見たなら、イギリスの狐は腰を抜かすことだろう。

(林 茂)

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2006年03月05日

『Italy and Its Invaders』Arnaldi, Girolamo /translated by Shugaar, Antony (Harvard University Press)

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ルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」は、ガリバルディ上陸時期の元スペイン国王派シチリア貴族の斜陽を描いている。バート・ランカスター演じる男爵と、成り上がり者の娘を演じるクラウディア・カルディナーレが踊るダンスのシークエンスは、映画史における最も美しいダンスシーンのひとつだ。誰もが知るように、イタリアの町は歴史上多くの国・民族に征服されてきた。シチリアをその極端な例としてあげることは全く妥当であろう。半島のつま先に蹴飛ばされた位置する地中海貿易の拠点であり、その地勢的な魅力のために、古来、多くの民族にとって誘惑の対象であり続けた。ギリシャ、カルタゴ、アラブ、ノルマン、アラゴンに次々と占領されたこの島は、今ではいわば近代国家統一イタリアの占領を受けているような格好であろう。今では観光資源の宝庫であって、アグリジェントの神殿やシラクーザの劇場などのギリシャ遺跡、ピアッツア・アルメリーナのローマ人のモザイク、モンレアーレのノルマン・モザイクや柱廊など、地中海文化の遺跡や見所がとりわけ多く、その素晴らしい魚介料理の魅力もあって、現代ツーリズムの侵略を受けている最中だ。

八世紀のブレッシア司教アントニウスは「我々はイタリアに確かに住んでいるーしかしむしろテナントであると言ったほうがいい」とソロモン二世への手紙に書いている(本書より抜粋)。イタリア半島はもちろん確かに全体に実にイタリアらしい何かを共有している。しかし、町々の個性には、何世紀にもわたってこの半島を占領してきたドイツ・フランス・スペイン・ギリシャなどの外国の要素がそれぞれ混じりこんでいる。侵略の歴史がこの元来魅力的な地域を、更に魅力的にしたといってもいいだろう。その意味で征服者たちの歴史を知ることは無価値ではない。フレデリック二世、シャルルマーニュ、シャルル八世、ロジェール二世、それぞれに個性的な人物が個性的にイタリアの地域や町をその手中に収め、色々な決まりや特権階級や、税金の制度や土地制度を押し付ける。ピストイアの町に極端な例が見られるように、イタリア人特有の競争意識や裏切りや暗殺の心理はこうした外来君主との主従関係抜きでは正確に理解できないところであり、そこに外来勢力を一括して悪と決め付けるナショナリスト、マキャベリの思想の限界がある。

本書は2002年刊行のイタリア語原著「L’Italia e i suoi invasori」の翻訳版で、意外と横断的には語られることの少ないイタリアへの侵略者とその影響を美しい英語翻訳の文体で描写している。個人的に長い間待ち望んでいたイタリア史の一冊である。

(林 茂)

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