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2013年11月25日

『宮沢賢治の菜食思想』鶴田静(晶文社)

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「ベジタリアン」=「野菜を食べる人」と思われがちだが、ベジタブルからベジタリアンという言葉が生まれたのではなく、両者は「……に生命を与える、活気づける」という意味のラテン語を語源にもつ言葉同士なのだという。日本語では「菜食主義者」。ある思想を伴っているというニュアンスがそこに含まれるにしても、「生命を与える」という意味合いまではカバーされていない。書名には「菜食」とあるが(1999年刊行のオリジナルのタイトルは『ベジタリアン宮沢賢治』、本書はその改稿増補版)、自身もベジタリアンである著者が本のなかで、「菜食主義者」ではなく、「生命を直接破壊することで得る食物をとらない者」=「ベジタリアン」という言葉を採用するのはそのためである。

宮沢賢治が、ベジタリアンという言葉の「語源を知っていたようには思われない」と前おきながら、『春と修羅』のなかの「おれはひとりの修羅なのだ」という一節に著者は注目している。賢治愛読の『漢和対照妙法蓮華経』によれば、「修羅(阿修羅)」とは「非天・悪神」で、賢治も修羅をそのように解釈しているという。しかし、阿修羅には「生命(asu)を与える(ra)者」が転じて「非(a)天(sura)」となったという説もあるそうだ。なんと示唆に富んだ符合だろうか。

宮沢賢治の生き方と思想を、ベジタリアニズムの観点から論じる本書。
「蜘蛛となめくじと狸」「注文の多い料理店」「氷河鼠の毛皮」「なめこと山の熊」「よだかの星」といった作品たち。そこにえがかれた、生きるために他の命を食べる人のかなしさ、その対象となる動物や植物や自然への愛おしみ、さらには両者にたいする哀れみを、「死や食物連鎖の因果」としてひとつところへ落とし込まない。それが「自己ばかりでなく、他者を視野に入れた」賢治のベジタリアニズムからくるとする。

農学校生時代、解剖される動物の悲鳴を聞き、あるいは、屠畜場を見学した経験からくる、生き物へのあわれみ。それが、賢治が「生物のからだを食うのをやめた」動機であり、「本や思考の結果もたらされたものではな」い「本能的なもの」だという。そして、賢治のなかにあった仏教的な死生観や、西洋におけるベジタリアンの父ピタゴラスの思想、賢治の時代、徳冨蘆花や武者小路実篤らを刺激したトルストイ主義、賢治の入信していた国柱会の田中智学による日蓮宗の教えなどによる、賢治の菜食思想への影響が紹介される。

また、イーハトーブの構想や羅須地人協会での活動、農民に尽くし、自らも農業に身を投じた賢治の暮らしぶり。
興味深かったのは、「男子厨房に入らずと育てられたお坊ちゃん」賢治の、独り身の食生活。「三日分位のご飯を一度に炊き、残りを笊に入れて井戸の中に入れて冷やしておく。食事の度にそれを引き上げてそのまま食べた。おかずは、豆腐、納豆、油揚げのどれかを一品のみ。丸ごとのタクワンやトマト、塩を振っただけの餅」「リンゴはそのままか、皮を剥くときはナイフで斜めにむいた。ストーブを焚く季節には、ストーブで焼いて食べた」。

この賢治の日々の食べものは、「菜食は〝幼児返り〟?」という見出しのなかで紹介されている。「幼児返り」というのは、「幼児期には肉を渇望しない、ということを仮に〝幼児性[イノセント]〟」と仮定して、大人が菜食を選ぶことを、幼児性の現れととらえる、ということである。
その理屈はともかくとして、料理ができない幼児(もしくは、賢治のように育てられた独身の男性)、あるいは料理に手間暇をとられたくない者が食べられるものといえば、「調理するというプロセスなしに、生で、その形状のそのままで食べられるもの」や、「作られてからある期間保存できる加工品」、つまり野菜や果物、パンや菓子、味噌や漬物などで、賢治が食べていたものもそうだった。あるときなどは、岩手の名産品である南部煎餅を朝食としたという。それが賢治の筆にかかると、「イーハトーブ県のこの白く素朴なパンケーキ」となってしまうのだが。

ところで、幼児が食べられるものとして、著者は、現代のインスタント食品やファストフードを括弧付きで挙げている。粗食を通した賢治は、今日の加工食品の大氾濫をどう思うだろうか……というのはどうやら、ベジタリアンでない私のような人間だからもらす感想らしい。
著者はあくまでもベジタリアンとして、「多くの人々がベジタリアニズムを理解し、できることなら実践して「世界全体の幸福」を追求し、実現することが望ましいことではないでしょうか」と、ベジタリアン宮沢賢治が「果たした理想、果たせなかった理想を、二十一世紀にいる私たちが未来へと引き継いでゆく」ことを掲げているのだから。菜食を実践する者にとって、何が原料とされているのかわかったものではない加工食品などはもってのほか。避けるべき加工食品について論じるより、ベジタリアニズムの思想を語るほうが有意義なはずである。

そうした著者の行き方には違和感を感じる。ベジタリアニズムを手がかりに賢治の生き方を追いながら、著者自身からの肉食の害と菜食の勧めがときおり述べられているのを読むと、ベジタリアンでない私は、透明な壁に突き当たってしまう。私は菜食を否定しようとも、肉食を擁護しようとも思わないが、そういう態度をこそ拒まれていると恐れ入り、相容れないものを感じる。なにより、ベジタリアンである賢治ならではの作品「ビヂテリアン大祭」をとりあげている章での著者の解釈と、私がこの作品から感じたものはまったく食い違っている。

「ニュウファンドランド島の小さな村ヒルテイ」に、さまざまな国からベジタリアンが集まったこの祭のメインとなるのは、肉食をよしとする「異教徒」たちとベジタリアンとの「論難反駁」である。「植物性と動物性食品の栄養価や食味の比較に始まって、動物機械説、食糧の経済性、解剖学の見地、宗教観など、現代でも論議されているベジタリアニズムの内容と、まったく同じような論点がここに網羅されている」。それは、ベジタリアニズムの素人である私にもわかる。そして、あらゆる側面からの意見とそれに対する論駁のすえに、「異教徒」たちはことごとくベジタリアンに改宗してしまう。それを、「めでたしめでたし、と大祭は終わった」とまとめ、この作品のなりたちや、参考とされたであろう文献について紹介したあと、こう述べている。

賢治の、そして今から未来に続く〝新しい〟ベジタリアニズムの思想とは、肉食の不利または菜食の利点を、一個の人間の内側に留めておくものではない。この地球に存在するすべての生き物と自然、全世界の平安と幸福に機能させることなのだ。飽食と飢餓に二分された世界、病んだ環境におかれている地球、戦争と殺し合いによって愛する人を失っている人類、肉食と虐待によって生命と種を奪われている動物……この崩壊しつつある世界を再生する一つの手段とすることなのだ。菜食にある様々な要素を社会的な観点から考え、それに適用する〝他者的な〟菜食。これこそが、賢治がこの作品を書いた動機であり目的であるのだ。

「ビヂテリアン大祭」という作品にえがかれているのは、自らの信ずるものを、他のなにかを拠り所として正当化することの不毛や、そういうことをくりかえさずにはいられない人間の滑稽さではないのか。これは、菜食主義を題材としてはいるけれども、本質的なテーマは菜食主義そのものではないと私は考える。大変おおまかに言ってしまえば、この物語は、人がよりよく生きるということの困難や、よりよく生きようとするときに避けることのできない葛藤の一部始終なのだと思う。さらに言うなら、祭のなかでさんざん繰り広げられれてきたベジタリアン対異教徒の問答が、じつは祭祀次長によって仕組まれた芝居だったことが判明して、語り手の「私」が鼻白む、というオチには一種のニヒリズムさえ感じる。

それで思い出すのは、冒頭で取り上げられていた「春と修羅」の一節だ。著者によれば、賢治のいう修羅は「非神・悪神」の意であった。宮沢賢治が書いたもののなかでも、この詩集はとりわけむずかしい。けれど、著者が指摘した阿修羅ということばのなりたちを知り、「おれはひとりの修羅なのだ」という叫びに私が感じた絶望感に光が差し込み、この詩にすこし近づけたような気がしたのだ。
賢治はほんとうに、「ベジタリアン」や「阿修羅」という言葉の、もとの意味をしらなかったのだろうか。「春と修羅」について詳しく触れられてはいないが、著者はこの一節をどう読んだのだろう。ともかくも、宮沢賢治という人はあつかいがむずかしい。本書からそのことをつくづく感じた。けれどもそこに、宮沢賢治を読むということの希望があるのだと信じたい。









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2013年11月14日

『今を生きるための現代詩』渡邊十絲子(講談社現代新書)

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小遣いをためて買った『谷川俊太郎詩集』、七百ページにもおよぶその本をはじめてひらいたとき、13歳だった著者がもっとも衝撃を受けたのは、そこに収められた詩篇「六十二のソネット」の〝目次〟の部分だった。

25 世界の中で私が身動きする=230
26 ひとが私に向かって歩いてくる=232
27 地球は火の子供で身重だ=234
28 眠ろうとすると=236
29 私は思い出をひき写している=238

この、番号がふられたことばの羅列との出会いによって、少女は現代詩というものを理解する。小学生のときから詩が好きだったというのに、国語の教科書に載っていた、同じく谷川俊太郎の別の詩にまったく心を動かされず、そのために深く混乱していた矢先のことだった。

著者は詩人。はじめて出会う人にそう名乗ると、文芸雑誌編集者からさえ「詩はよくわからない」と言われることがあるのだそうだ。おおくの人びとにとって、現代詩は難解でとっつきにくいものとみなされている。それは、「よいもの」「美しいもの」「読みとくべきもの」として、国語の教科書の中で詩と出会う、その出会いかたがいけないのだと著者はいう。

本書は、現代詩の詩人がその解釈をうながすために書いた手引きではなく、「むしろ、わからなかったこと、読みとれなかったこと、読みまちがえたことを書きおとさないように、自分の人生おりおりに詩とどうかかわってきたか」が書かれたものだ。

そこでもちだされたのが先のエピソード。「たんなるこどもの勘違い」だが、後年「それなりに意味があった」と著者が書くのは、こんにちの、現代詩というものと人びととの隔たりをまえにして、詩の読み方に〝正解〟などないという、その手本を示したいという思いからである。

谷川俊太郎にはじまり、黒田喜夫、入沢康夫、安東次男、川田綺音、井坂洋子と、著者にとって忘れられない詩のいくつかがとりあげられる。かつて自分がなぜその詩に動かされたのか、それをことばにできるのは、著者が成長して詩人となった今だからこそできることだが、中学生と詩人のあいだに、詩を読むことにおける優劣はない。

ある詩を何年経っても読みあきないというのは、番地をさがしつづけていることでもあるし、謎をときつづけているということでもある。短絡的に答えが出てしまうのは「謎」ではなく、謎というのは角度や深さをかえながらさまざまなアプローチをつづけていくことによってしか接近できない。この「接近しようとするこころみの途上」にあるとき、人はじつにいろいろなことを知り、感じ、考える。

本の冒頭、13歳で谷川俊太郎を読んでいた著者は、終盤では大学を卒業し、書くことを目指しながら、とりあえずは事務職について働きはじめている。
ここにまた、興味深いエピソードがあった。1964年生まれの著者の「優秀な女ともだち」たちは、機会均等法の風に乗って出世コースへと漕ぎ出していったが、学生のときは活動的で頼もしかった彼女たちは、「けなげで献身的で、男の言うことをけっして否定しない女」という擬態を一様に身につけていったという。そのことを、はじめは苦々しい思いで眺めていた著者だったが、しだいに「一生かけて変転していく彼女らの姿の、ひとつの段階」ととらえるようになった。それは、「ほんとうの自分」や「不変の自分」などというものの価値を疑いはじめたためだが、その著者の変化に寄り添うようにしてあったのが井坂洋子の詩だった。「あのころのわたしたちを包囲していた『不変の自分、揺るぎない自分』というフィクションを、井坂洋子の詩はいつもかるがるとくつがえしていった」。

いま人間にできることは、謙虚になるきっかけとしての詩に接することだ。
理解しようとしてどうしても理解しきれない余白、説明しようとしてどうしても説明しきれない余白の存在を認めること。
そのとき、自分の思いえがく「自分像」は、かぎりなく白紙に近づく。閉ざされていた自分がひらかれる。いまの自分がまだ気づくことのできない美しい法則が、世界のどこかにかくされてあることを意識するようになる。

たしかに、読むべきもの、読まなくてはならないものがいつも目の前に山と積まれている私にとって、そのような経験をもたらしてくれるのは、詩しかないという気がする。著者は「謙虚になるきっかけ」と書いているが、私のばあいは冒険をするきっかけというところか。通り慣れた道とはべつの、思いもよらないところへ自分を放りだしたい、だされたい。そのために詩を欲する。

できたら、もうすこし日常のなかに詩と接するきっかけがあればよいのだが。著者が詩を書きはじめた80年代には、新聞や雑誌、企業の社内報やPR誌が詩を載せることがふつうだったが、いまではそういうことも減ってしまったという。そういえば、文芸誌でなくとも、昔の雑誌にはたいてい詩のページというものがあった。詩集や詩の雑誌はいまももちろんあるし、詩が読みたければそれを手にすればよいのだけれど、さあ、私はこれから詩をよみますよ、という構えではないのに、思いがけず詩に出会ってしまうというシチュエーションを、いつもどこかで期待してしまう私なのである。


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