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2013年10月31日

『エプロンおじさん 日本初の料理研究家 牧野哲大の味 』高原たま 編著(国書刊行会)

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男性料理研究家のさきがけ、NHK「きょうの料理」には1962年から出演する最古参の先生である牧野哲大さん。学生時代にテレビで牧野氏を知り、その後、氏を訪れては、料理のもてなしを受けつつ、その話に耳をかたむけてきた著者が、幸福な時間の中で得た大切な宝物を差し出すようにして編んだ、とびきりの一冊である。

昭和9年生まれの牧野さんは、母親が大切にしていた『少女の友』のふろくに魅了され、読書やひとり遊びにふける少年期をすごす。戦後『ひまわり』で中原淳一の世界に再会、上京して栄養学校に通いはじめると、あこがれのその人に面会を申し込み、以来、中原家をたびたび訪れるようになる。学校を卒業し栄養士として働きはじめた頃、中原から『ジュニアそれいゆ』の料理ページを任された牧野さん。自らスタイリングを手がけ、栄養士らしくカロリー表もつけた。当初「正当な料理修業をしたわけではない」という引け目があったものの、「自分で作り出すことに意味がある」との中原の言葉に励まされ、「女性の生活を新しく美しくする」という中原淳一の美学のもとで作った料理ページは評判となり、以来、さまざまな女性雑誌に活躍の場を広げた。

そんな彼のたどった道と料理たち。少年時代と修業時代、料理研究家として活躍していた頃、 仕事を整理し、80歳となった今、その時々の味。そのどれもおいしそうなこと。著者の書く料理の紹介文もすばらしく、しみじみと食欲をそそる。また、あこがれのヨーロッパに出かけては各地の味を体験し、そのたびにトランクいっぱいに買い込んできた調理道具や食器たち、そして、三百枚におよぶというトレードマークのエプロンコレクション。

中原淳一描く少女に生き写し、「ガラス細工のようだわ」と牧野さんが一目惚れした奥さま、未左子さんについても忘れてはならない。牧野さんの仕事の手伝い。ふたりのお子さんの子育て。「毎回、出演料より食器の方が高かったんです……」とこぼしながらも、欲しいものを我慢できない牧野さんの散財につきあい、家計をやりくりし、一家の運営をすべて担ってきた。牧野哲大ワールドになくてはならない人である。

料理書の棚の前に立つとき、私はたいてい疲労している。ほんとうは料理する気力もないのだが、そういうとき読みたいのはやっぱり料理の本なのだ。どんなに疲れていても食欲がなくなることはまずなく、しかし、外食するのはうっとおしい。たんにお腹を満たすだけではいけない。それでは余計に疲れてしまう。

これはそんなときに見つけた本だ。32、3ページの見開きにあったのは、「かつを節七変化」。溶き卵とかつを節を中火で炒った「だし卵」、牛乳でかつを節を煮出した「かつをミルク」、スライスした玉ねぎとトマトにかつを節をかけて塩をなじませた「トマかか玉ねぎ」、茶漉しに入れたかつを節に熱湯を注いだだけの「おすまし」……。おかかが大好物の私。そうでなくとも、これをみたら誰だって口中唾液でいっぱいになるだろう。瞬間、疲れが半分は吹き飛んでしまった。

「それにね、わたくしは料理するときには、『つや』を目指して手を動かします。その料理がいちばん美しいときにつやが出る。つやっていうのはつまり、料理に色気を与える、ということなんです。人間だって色気がないと付き合っていてもつまらないでしょう? それはセクシーな色気ということではなくって、神経を払うことによってうまれるうまみのようなもののことよね。一杯のおみそ汁をつくるにも、お豆腐の切り方や、『ここに青物があったらよりおいしく見えそう』という感覚すべてがつやにつながるのよ。そういう風に仕上がったお料理は、消化もいいんです」

おいしそう! それだけではないのだ。献立のアイデア、調理の工夫、味つけのコツ、それ以上のものがここにはあった。料理という実用を超えた実用。食べるために料理する。そのためには身体も心も働かせなくてはならない、五感も総動員しなくては……。私の営みのいちばんさいしょのなくてはならないものをあたえてくれる。 料理本はこうでなくてはいけない。




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2013年10月25日

『 食魔―岡本かの子食文学傑作選』岡本かの子 大久保 喬樹・編(講談社文芸文庫)

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いのちの糧を超えて

菊萵苣と和名はついているが、原名のアンディーヴと呼ぶ方が食通の間には通りがよいようである。その蔬菜が姉娘のお千代の手で水洗いされ笊で水を切って部屋のまん中の台俎板の上に置かれた。
[…]
妹娘のお絹はこどものように、姉のあとについて一々、姉のすることを覗いて来たが、今は台俎板の傍に立って笊の中の蔬菜を見入る。蔬菜は小柄で、ちょうど白菜を中指の丈けあまりに縮めた形である。しかし胴の太り方の可憐で、貴重品の感じのするところは、譬えば蕗の薹といったような、草の芽株に属するたちの品かともおもえる。

その姿かたちが丹念に描写される書き出しに、うす黄色をした紡錘形の野菜が、ざるにこんもり盛られているさまが目に浮かぶ。「チコリ」という呼び名が今は一般的だが、フランス語では「アンディーヴ(endive)」という。大きなスーパーマーケットでならたいてい置いてあるが、ふだんの食卓に頻繁に乗るものではない。ましてかの子の時代にはいっそう珍しかったはずである。
一九二九年の暮れ、夫の一平、息子の太郎とともにヨーロッパに渡ったかの子は、一九三二年まで各地を周り、おもにパリに滞在した。本場で西洋の料理を体験してきたかの子は、アンディーヴ(チコリ)がどのようなものかはもちろん承知のはず。以下にあるのは、かの子自身の味の記憶だろう。

アンディーヴの截片はお絹の口の中で慎重に噛み砕かれた。青酸い滋味が漿液となり嚥下される刹那に、あなやと心をうつろにするうまさがお絹の胸をときめかした。物憎いことには、あとの口腔に苦い淡い苦味が二日月の影にようにほのかにとどまったことだ。この淡い苦味は、またさっき喰べた昼食の肉の味のしつこい記憶を軽く拭き消して、親しみ返せる想い出にした。アンディーヴの截片はこの効果を起すと共に、それ自身、食べて食べた負担を感じせしめないほど軟く口の中で尽きた。滓というほどのものも残らない。

アンディーヴのサラダは、姉妹にほんのひと口味見されたきり、ごみ箱へ投げ入れられてしまう。それを作った姉妹の料理教師・龜四郎は「刹那に充実し刹那に消える。そこに料理は最高の芸術だといえる性質があるのだ」と講釈してみせるのだが、その居丈高で傲慢な態度ときたら、まるで『美味しんぼ』の海原雄山である。それもそのはず、小説「食魔」の主人公龜四郎は、北大路魯山人がモデルといわれる。
北大路魯山人は若い頃、かの子の夫・一平の父で、書家の岡本可亭の書生として岡本家に身を寄せていた。書家、陶芸家、画家とさまざまな肩書きをもつ魯山人は、なにより料理人、美食家として広く知られている。龜四郎もまた、持ち前の器用さと勘のよさで諸芸に通じている。今はまだ、漢学者の家の娘たちの料理教師として雇われている名もない青年に過ぎないが、料理の世界で身を立てんと、なみなみならぬ野望を抱いている。

これといって学歴も無い素人出の料理教師が、なにかにつけて理屈を捏ね芸術家振りたがるのは片腹痛い。だがこの青年が身も魂も食ものに殉じていることは確だ。若い身空で漬物樽の糠加減を弄っている姿なぞは頼まれてもできる芸ではない。生まれ附き飛び離れた食辛棒なのだろうか、それとも意趣があって懸命にこの本能に縋り通して行こうとしているのか。

京都の由緒ある寺に生まれながら、幼くして父を亡くし、寺を追われてあとは貧しい身の上で学問もない。そんな彼が何とかとりついたのが芸術の世界、しかし、各界の師匠や趣味人たちのあいだで、取り巻きのひとりとして便利に扱われるだけでは飽き足らない。何かしらの分野でひとかどの人物に、人から「先生」と呼ばれるような人間にならねばならない。そのために彼が選んだのが料理と食の世界だった。
自らの才能を強く自負しながら、無学であるというコンプレックスのあまり、これまでの苦労のなかで見聞きしてきた知識の鎧をまとい、去勢の張りどうしで他人を寄せつけない龜四郎のうちには、報われない境遇への呪いと激しい野心が渦巻いている。そんな彼をいっときとりなし、心慰めるのも食なら、奮い立たせるのもまた食である。

ところで、先ほどの龜四郎の振る舞いのモデルとされているのは、パリの名料理店〈ラリュ〉でかの子がみた、この店々のかつての店主エドワール・ニニョン、フランス料理史に名だたる料理人である。随筆「食魔[グウルメ]に贈る」によれば、一度は引退し、甥に店を譲って故郷へ引きこもったニニョンは、戦争で失った息子への思いのあまり、ふたたび包丁を手にしたという。

俺はやっぱり息子に、俺の腕でこしらえた一等料理を食わせたいのだ。死んでいようと、一度は俺の料理の味をほんとうに息子に知らせてやりたいのが俺の願いだ。俺は料理する、料理の力で息子を俺の目の前に呼び返して見せる。

そんななかから、「グルメの七日物語」や「食卓の喜び」といったニニョンのレシピ本は生まれ、それは亡き息子に捧げられた。レシピ考案のために工夫された皿は、たった一口味見されるとごみ箱へ捨てられた。

本書は、短編の名作「鮨」や、駒形どぜうがモデルとされているというどじょう屋が舞台の「家霊」など、食を題材とした小説に、食にまつわる随筆を集めた一冊である。かの子のヨーロッパ滞在中に着想されたという小説「食魔」。パリのレストランで観察した客や料理人たちの執念に触発され、龜四郎は恐ろしくも痛ましい食魔に仕立てあげられた。
全ての生きものにとって、食への欲求はいのちを繋いでゆくために欠くべからざるもの。しかし、かの子の描く龜四郎やニニョンの孤独を読むと、それがいのちの糧であることを超えた、ヒトがヒトとして生きていく上で逃れることのできないひとつの業であることを知る。


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2013年10月22日

『水の旅 日本再発見』富山和子(中公文庫)

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先人の暮らしと水とのかかわり合いの跡を各地に訪ねたルポルタージュ。皇居のお堀の水はどこからやってくるのか。伊勢神宮の式年遷宮と森林伐採の関係、ことに興味深いのは、日本列島の山々を覆う森林が、祖先たちによっていかに築きあげられたものであるかを伝えるエピソードである。

たとえば「阿蘇の水を作る話」。江戸時代、阿蘇の外輪山吉無田官山から有明海へ注ぐ緑川の支流御船川流域では、水の乏しい土地に入植するさい、半世紀にわたって水源の山に木を植えつづけ、川の水量を増やし、水路を引いた。

私たちは自然というものは、人間が手を触れぬものほどよい、と考えがちである。だが日本列島の自然は山も川も、先祖たちが手をかけて、後世に送ったものである。土のかけらや水の一滴に至るまで、人間の労働の産物である。

「手つかずの自然」という言葉を耳にすることがある。人の手のおよんでいない、ありのままの自然を尊ぶ感性も、ひろくいき渡っている。たとえば、森林伐採が河川の氾濫を呼ぶ、とはおなじみの言説だが、そうというだけでは、森林ははじめからそこにあったもの、人知を介さない天賦のものであるが如くとらえられてしまうこともあるだろう。しかし、著者によれば、日本の山々にはもれなく人の手が入っているという。日本に文化は「水の文化」、さらにいえば「木を植える文化」だった。日本の森林面積は、古代よりも現代のほうが多いのだそうだ。

縄文時代、木の実を食する縄文人たちが、クリやクルミの林を造っていたことが、当時の森林相の調査から知れるというし、大地にまいたヒゲは杉に、胸毛はヒノキになったという素戔嗚尊は植林の神であり、彼が退治した八岐大蛇は斐伊川の洪水をあらわすという。

人々は太古の昔から、「木を植える」ということを知り、またそれをしていた。農耕がはじめられてからはなおのことである。草原だった山に、長い歳月をかけて森をつくり、水を増やし、農地をひろげる。水害を防ぎ、水資源を確保し、農地を守る。そうしたことが、日本列島の各地で行われてきたのだという。

堰を積み、トンネルをうがち橋をかけての大土工事であれば、後世に残り目にも見え、人々もその業績を忘れない。だが大もとの水源となると、山奥へ足を運ぶ機会も少なく、まして森林のばあいには、木を植えても育ってしまうのでわからない。

森となってしまえば、木そのものは自然物であるから、それが人の手によるものだということは見えにくい。ましてや山にも、農業にも関わることのない都会の人間は、山の森ははじめからそこにあったもののようにとらえられてしまう。

ここに、「土の教育運動」で知られる大西伍一による「日本老農伝」を手にした時の著者の感動が記されている。800ページにもおよぶこの大著には、各地で治水や新田開発などに尽力した1000人あまりの農業指導者たちの業績が記録されているという。植林にたずさわった人ももちろんそこにはふくまれる。

それにしてもこのように、何もないところに森林を作り水を作り川を作る。それを行ったのは、農民たちであった。何のためかといえば、水田のため、米のために、である。 私はこれまで一滴の水も人間の労働の産物だと書いてきたが、見かたを変えればそれは米の産物であった。日本の山も川も、米が作ってきたのである。 いま、米を外国から輸入しようという議論が盛んである。けれども日本人にとって、米とは単なるエサではなくて、文化の土台、国土の土台であった。そうした観点からもう一度、「米を作る」ということの意味を、考えてみる必要がないだろうか。

本書のオリジナルが刊行されたのは1987年。四半世紀を経て、TTP問題に直面する今日、本書が文庫化されたのにも頷けるというものである。

先日、住んでいるマンションで、給水システムの不具合から断水となった。ほんの数時間のことだったが、家中のどの蛇口をひねっても水が出てこないという事態に、人はこうも不安な気持ちになるものかと驚く。水なしではほんとうに何もできない、だけど、無洗米とミネラルウォーターがあるから、ご飯だけはとりあえず食べられるな、などとのんきに考えてしまう、そういう生活を、あたりまえに生きて疑わないわが身を省みる。本書を読んでいる最中のことゆえ、なおのこと、この蛇口から出てくる水がどこからきたのか、大地に沁み入り、大気に漂い、たえずめぐっている水を思った。


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