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2013年04月30日

『科学以前の心』中谷宇吉郎(河出文庫)

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 今週、わが家では、起き抜けに「怪奇大作戦」が一話ずつ再生された。そのタイトルを、DVDを借りてきた夫の口から聞いたとき、私は「怪奇」ということばの響きに引きずられて、そんなおどろおどろしげなものをわさわざ朝から? と訝しげにテレビ画面をながめていたのだったが、むろん、円谷プロ制作のテレビドラマのこと、人が一瞬で火だるまになったり、泡と溶けてなくなってしまったりという事件は怪奇にはちがいないが、そのどれもが、私が「怪奇」と聞いてとっさに思い浮かべたお化けや妖怪の仕業でも、超常現象でもなく、犯人が高度な科学技術を駆使しておこしたもので、それを、SRI=科学捜査研究所の所員たちが解決してゆくという筋書きなのである。

 それにしても「怪奇大作戦」とは、内容を考えると、わかったようなわからないような気がしないでもないが、秀逸なタイトルだと思う。作品の出来如何よりもまず、私はそこにつくづく感心してしまった。このドラマは、1960年代末、日曜日の夜に放映されていたという。「怪奇」という触れ込みがその実、それまで怪奇とされてきた不可解な現象を理論づけてくれる科学の力によって巻き起こされる、というこのドラマのツボに、当時テレビの前に集まっていた大人も子どももみな、はまったのだろう。
 電話の増幅器で超音波を熱線に変えて受話器の向こうの相手を焼き殺すとか、超低温で作りだしたスペクトルG線(本来なら、「水爆以上の高温」でなくては作れないのらしい)の光線銃で人を凍らせるといった犯罪は、これって実際、科学的にどうなのでしょうか? とつっこみたい気にもなるが、その真偽はさておき、信頼も疑いも引っくるめて、科学というものへの認識が人々にあってこそ、このドラマは成立しているのだなあ……と、私はちょうどそのとき読んでいた中谷宇吉郎のエッセイ集の表題作を思い出していた。

 暗い玄関をぬけて、座敷へ通ってみると、柱にも天井にも漆が塗ってあり、壁は濃い緑の砂壁になっていることが多い。何となく日光から逃げかくれた部屋という感じである。その座敷の奧に寂然と坐って、北向きの庭の山茶花に弱い冬の陽が音もなく落ちている景色を眺めていると、百万石の城下町の匂が家の中にすっかりしみこんでいるのがよく分かる。そして、先祖代々そういう家に生れ、そういう家で死んだ人たちの子孫で、今もなおその家をついでいるような人が、少なくとも二十年前までの金沢の街には、まだ相当あった。

 旧制四高時代、中谷が下宿していたのは、そんな、大正期の金沢の士族の家だった。そこの主は「七十近いお婆さんと、その娘で四十くらいの未亡人」で、中谷は食事のあと、このふたりとよく雑談をした。その彼女たちの「頭の働き方には、西洋文明の輸入以前の日本人、あるいは長い冬を雪にうもれて暮した昔の北陸の人と言った方がよいのかもしれないが、その考え方が、そっくり残って」いて、それが中谷には「非常に面白かった」。
 たとえば「兎というものは、どんなに丈夫な檻に入れおいても、十五夜の晩には必ず逃げて行ってしまう」からと、兎を飼うことに「頑強に反対」する。十一時から七時までは何時間かを数えるのに、「十一時、十二時、一時……」と数えはじめたのを、訂正してもなかなか納得されず、しまいには「やっぱし学問のある人にあ、かないみしん。うまいことだまかしなさる」と言われてしまう、といった具合である。彼女たちのこのような感性は、非科学的、というよりも、科学以前の考え方なのだと中谷はいう。

 話は、中谷がこのエッセイを書いた当時、友人から聞いたあるエピソードへとつづく。昭和十六年という時局柄、配給制となった石炭の割り当てが、大家族の家も、一人住まいの家も、区別なく一定であることに疑問を持ったその友人は、配給係に意見したのだが、「時局の認識に目覚めよ」の一言で済まされてしまったという。もはや絶えたと思われていた「科学以前」の考え方が、こんなところに生きていたと中谷は思う。戦時下という非常時にまかりとおってしまう「科学以前」の考え方は、「非科学的よりももっと厄介」であり、「それをいかに処理すべきかという問題は、もっと攻究されてよいことであろう」と中谷は書いた。

 非科学的というのは、論理がまちがっているか、知識が足りないことに起因する場合が多い。どんなに間違っていても、とにかく論理のある場合には、その是正は可能であり、知識は零から出発しても、いつかは一定の量に達せしめることができる。しかし科学以前の考え方は全く質の異なったものである。それは抜くべからざる因習に根ざしているか、それ自身には罪はないがしかし泥のような質の無智か、または自分にも意識していない一種の瞋恚に似た感情が、その裏付けをしている場合が多い。

 なるほど、あるある、非常時でなくとも、いまなおそんな「科学以前」な考え方はいくらでもころがっているし、自分自身がそのような考えに縛られていると気づくこともある。それにしても、「それをいかに処理すべきかという問題は、もっと攻究されてよい」とは、ものはいいようというか、理系男子の非情緒的ななぐさめのように心に沁みる。しかし私が感心したのはさらにその先である。

 そういうものの考え方も、平時にあっては、複雑な社会生活における一種の陰翳のような役割をつとめているものとして見逃しておく方が賢明なのであろう。事象の進行の速度がちょうど自然の要求するところと合っている場合には、あらゆる夾雑物がうまくねれて、却って、一種の潤滑剤のような役目をすることもあり得るからである。しかし戦時になると、すべての事象についてその進展の速度が著しく高められるのであって、ある場合にはかなり無理な高速度で連続運転がなされなければならない。そういう場合には、ごく小さい問題についての科学以前の考え方すらも、高速運転の発動機に対する塵埃のようなことになるのではないかと思う。

 たとえばかつて、金沢の街で出会った「科学以前」の考え方は、北陸の田舎に生まれ育った中谷にとっては「百万石の旧い城下町の上に静かによどんでいる空気を感ずる」「懐かしい思い出の種」である。兎は十五夜には必ず逃げると言われようが、十一時から七時は九時間だろうとと言われようが、それくらいのことは「どう処理すべきか」「攻究」するほどのことではないのだ。たとえそれが、「抜くべからざる因習」や「泥のような質の無智」や「自分にも意識していない一種の瞋恚に似た感情」からくるものと分かっていたとしても。
 なるほどそう言われると、こちらまで救われる思いがする。この先もし「科学的以前」な考えや言葉や仕打ちにであっても、それは捨て置いておけばよいのだと、そう中谷が耳打ちしてくれているようで、私は心を強くした。しかし一方で、私たちは、彼の時代には想像できなかったような、「自然の要求するところ」に見合わない速度を手に入れてしまっているから、「科学以前」にも、見逃してよいものとそうでないものがあるのことを忘れてはいけないとも思う。

 すべての事柄について、好悪とか打算とか意見とかいうことを離れて、とにかく事柄の実相をまず見て、その間に理窟が通っているかどうかを考えて見るのが、広い意味での科学的な考え方なのである。
 科学以前の考え方を整理するというのは、それを撲滅するという意味ではない。旧い伝統をもち、かなりの広い範囲にわたるある種の階級の人たちの頭の奧に浸み込んでいる考え方を急に撲滅するなどということは、必ず無理を伴う。科学は無理を嫌うものである。

 科学的であるとは、すべてに対して平等であることをいう。科学以前の考えに対してもそうであらねばならないのである。なんとも、あたりまえ過ぎてたいへんにむずかしいことだが、平等であれといわれるよりは、科学的であれと言われた方が、すんなりと受けいれられるのはどうしてなのか。そんな、科学以後の私たちの心のからくりを、中谷にもっと説明してほしいと思う。




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