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2012年11月30日

『ぼくは猟師になった』千松信也(新潮文庫)

ぼくは猟師になった →bookwebで購入

 狩猟というと「特殊な人がする残酷な趣味」といった偏見を持っている人が多いです。
 また、狩猟をしていると言うと、エコっぽい人たちから「スローライフの究極ですね!」などと羨望の眼差しを向けられることがあります。でも、こういう人たちは僕が我が家で、大型液晶テレビでお笑い番組を見ながら、イノシシ肉をぶち込んだインスタントラーメンをがつがつ頬張っているのを見ると幻滅してしまうようです。

 まえがきにこのようにあったので、本文に入るまえに、都市生活者であるところの私の日常とはだいぶ隔たりのある「狩猟」というものへの構えは吹き飛んでしまった。
 著者は、大学在学中に狩猟免許を取得し、運送会社で働きながら猟師を続ける1974年生まれ。京都在住。
 この情報と、タイトルをはじめとする本ぜんたいの佇まいからして、ここに書かれてある「狩猟」が、「特殊な趣味」でも「究極のエコ」でもないことは想像されるものの、やはりそうかと安心する一方、いきなりこう切り出されては、なんだか出鼻をくじかれた気にもなる。

 身近にいる生きものと触れあって育った子供時代。寮での生活にどっぷりはまっていた学生時代。アルバイトにあけくれ、アジアの国々を放浪し、東ティモールへボランティア要員として渡った休学期間。そして、大学へ戻ってから狩猟免許を取るにいたるまでの経緯。はじめて獲ったシカを寮の仲間と一晩で食べ尽くした大宴会。卒業後にみつけた山と街との境目にある住まい。ワナの準備に毎日の見回り、ワナにかかった獲物との格闘、その解体、その食べかた等々、猟期の日々の具体的なあれこれ。春は山菜を摘み、山の果実で果実酒を漬け、夏にはアユやアナゴやタコなど、水のなかにいる獲物を獲りに皮や海へと出て行くという休猟期。
 この、著者がいかにして猟師になり、どのような生活を送っているかの手記を読み終えてもっとも印象にのこったのは、もったいぶりや衒いのない、なんとも直裁なその語り口である。決して読みやすいわけでも、上手い文章というわけでもないが、著者の生活、生きるしかたがにじみ出ている。

 著者が「猟師である」ということは、「自分で食べる肉は自分で責任を持って調達する」ということ。獲物は、自分や家族、友人たちだけで食べる。売ってお金に換えるということは基本的にはしていない。猟の方法は、ククリワナというワナによる猟と、無双網猟とよばれる網猟である。鉄砲は使わない。ワナ猟ではシカとイノシシ、網猟では宮本さんという師匠をはじめ猟友会の人たちとともにカモを獲る。
 ワナにかかった獲物をしとめるには、鉄パイプで眉間をどつき、ナイフで心臓を突く。獲物はなるべく早く解体しなくてはならないのだが、それはとてつもない大仕事なのだ。以下はイノシシの場合。

 ……まずはイノシシの体に付いた泥をホースで丁寧に洗い流します。泥が付いたまま解体にかかると、肉が汚れてしまいます。
 それがすんだら腹を割き、内蔵を取り出します。その際にあばらから鎖骨の結合部分までの胸骨をナイフでゴリゴリときっちり割っておくと内臓が取り出しやすく、なかの処理もしやすいです。腹を割く際にはナイフの刃を上向きに使い、胃や腸などを傷つけないように注意します。もし胃や腸が破れて内容物が出てしまうと肉に臭みが付いてしまいます。また、尿道にも気をつけなくてはなりません。
 内臓は、腹の内側に張りついているので、その間に手をつっこみベリベリと剥がすようにはずしていきます。その際、胃や肺と口をつなぐ食道や気管は引っぱって抜けなければ適当なところで切ってしまいます。この際に気をつけないといけないのは肝臓に張りついている胆のうを破らないこと。これを破ると、とてつもなく苦い汁、胆汁が出て肉に苦みが付いてしまいます。
 ある程度内臓を取り出せる状態になったところで、一番のポイントである膀胱と肛門の処理にとりかかります。
 まず膀胱の位置を確認し、絶対に破らないようにそっとしておきます。余裕があれば出口をヒモで縛ってもよいです。肛門のまわりに外側からナイフを入れ、円を描くように肉ごと切り取ります。また膀胱とつながっている尿道も周辺の皮、肉とともに切り取ります。これで肛門、尿道、膀胱も含め、内臓すべてが体から切り離されたことになります。肛門は、腹のなかからつながっている腸を引っぱると、うまく切り取れていれば、スポッと抜けます。これであとは内臓を丸ごと体外へ放り出すだけです。

 「あとは丸ごと体外へ放り出すだけです」と、まるで屈託なさげに記されているようだけれど、読んでいると、ああ、きっとここは、まさに「放り出す」のだろうなあ、と妙に納得できてしまうのだった。余計な修飾がなく、要点のみをおさえた表現はむしろ、解体の現場が彷彿とされる。
 その後、心臓とレバー以外は山に埋め(こうすると、タヌキなどが掘り返して食べてくれるので、山のものは山へ、無駄にすることなく返すことができるという)、体のなかの血を洗い、氷をつめて冷やせば、ひとまずの処理はおわる。著者はこれを朝、出勤まえの三十分たらずのあいだにやってのけているのだから恐れ入る。私など、この部分を読みながらあれこれ想像し、考えをめぐらせてうんうんと唸っているだけで三十分経ってしまっています。

 肉を食するために、多くのひとはスーパーマーケットや精肉店で売られている肉を買う。その、肉が商品になるまでのテマとヒマに金を支払うところを、著者は自らでまかなう。そしてそれは著者にとって、「生活の一部のごく自然な営み」であるという。
 「生活の自然な営み」などと、私もふだん何気なくいったり書いたりしているが、読後あらためて、著者がさらりといってみせたこのことばを思いかえすと、考えこまざるをえない。私の「生活の営み」や、私が「自然に」していたり「自然だ」と感じていることと、著者のそれとの隔たりは大きい。「生活の営み」とはつまるところ、テマとヒマの連続である。そのテマとヒマをどう捉え、扱うかによってひとの生きかたは大きくかわる。
 「肉を食べる」ことにおいて、著者の選んだテマとヒマは、単なる「労力と時間」の枠を超えて、たとえば自然への対しかたやひととのつながり、それからもっとちいさな、暮らしのなかでの些細な事柄にまで影響をおよぼして、このひとの生活を形作っているのだろう。多くのひとが踏むことなくすごしてします手間暇が生み出す、著者の生活の息づかい、緩急の波のようなものから、その淡々とした語り口は生まれているのだと思う。


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2012年11月10日

『私の献立日記』沢村貞子(中公文庫)

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 今夜の献立をどうするか。
 ご飯のしたく=料理をすること、と、人のつくったものを食べるだけの人は考えるようだが、献立の決定と材料の調達からそれははじまっていて、しかも、連綿とつづく日常生活のなかで、栄養が偏らないよう、飽きがこないよう、工夫もこらさねばならず、家事というもののたいていがそうなのであるが、ここまでやればおわり、という仕事ではないので、ときには手を抜きたくなるのが人情というものだ。
 前々稿でとりあげたのは、もはや献立という概念すら崩れかかっているいまどきの家族の食卓の現実であり、それとは対照的に前稿では、「今夜のおかず」とは距離のあるきらびやかなメニューの並びにうっとりとさせられた。
 食に関する本を手に取りたくなるのはたいてい、毎日の食事づくに倦んだときである。三冊目にしてようやく、そこから脱することができそうだ。

 沢村貞子が、二十六年にわたって献立を記録し続けたのは、女優としての多忙な日々のなか、食べることを夫との暮らしの第一とした、生活者としての必要からである。はじまりは昭和四十一年、献立のことで慌てることのないように、というのがその動機であった。その都度、一から考えるのではなかなか決められないが、前日食べたものがなにか、あるいは、前の年の同じ日になにを食べていたかを知ると、不思議と献立がスムーズに浮かんでくるのだった。
 ノートは通算三十六冊におよんだ。本書のオリジナルが出された昭和六十三年当時には、三十冊目のノートが半分ほど埋まっていた。ここではその三十冊目と、一冊目の献立日記が紹介されている。くわえて、台所まわりにかんするエッセイに、「献立ひとくちメモ」なるコラムからなる。やはり目を惹かれるのは、ノートをほぼそのまま活字化した献立のならびである。
 一冊目、昭和四十一年の献立日記より。


 5/10(火)
 まぐろのお刺身
 そら豆塩ゆで
 鶏もつしょうが煮つけ
 豆腐の味噌汁

 5/11(水)
 牛肉バタ焼き
 ふき、はす、こんにゃく煮つけ
 そら豆の白ソースあえ
 油揚げ、ねぎの味噌汁

 5/12(木)
 天ぷら
 麩の味噌汁

 5/13(金)
 かつお土佐づくり
 ほうれん草のおひたし
 大根の味噌汁

 5/14(土)
 豚肉のひとくちカツ
 グリーンピースご飯
 きんぴらごぼう
 わかめの味噌汁

 5/15(日)
 かにの玉子巻揚げ
 新じゃがのベーコン煮
 しじみの味噌汁

 

 肉か魚の主菜と、副菜がいくつか、お味噌汁はかならず。私にいわせれば、まぐろのお刺身、牛肉バタやき、天ぷら、というのはかなりのごちそうつづきだが、それでも、ぜいたくと呼ぶようなものでもない。ここには、震災と戦乱をくぐり抜けてきた明治生まれの人が紡ぎ出す、戦後昭和の豊かさがあふれている。
 主菜よりも気になるのはつけあわせのお総菜のほうか。おひたしや煮つけやあえものなど、ひとり黙々とつくっているとつい、決まりきったものになってしまうが、こうして人のつくるものを知ると、たいへん参考になる。
 「グリーンピースご飯」が5月中8回も登場するのは季節柄か。そら豆もそう。「5/11(水)」の「そら豆白ソースあえ」というのは、「献立メモ」で作り方が紹介されている。気に入りのひと品だったのだろうか。ゆでたそら豆をホワイトソースであえた、なんてことのない料理だが、私はそら豆は焼くか、塩ゆででしか食べたことがない。来年の春にはきっとつくってみようと思った。

 「料理用虎の巻」であった沢村の献立日記。必要のためだったとはいえ、二十六年間、毎日つくり、書きとめてゆくのは並大抵のことではなかったろう。この日記をはじめたとき、沢村五十八歳、夫の大橋恭彦はその二歳下である。沢村は、父親ゆずりのくいしんぼうだという。着ることも住むことにはおおくを望まないが、食べることは大切にしたい。老夫婦ふたりが食べるのは、朝と夜の二回だけである。

 従って、私たちの今後の食事の回数は、残りの年月に2をかけただけである。そう思うと、いい加減なことはしたくない。うっかり、つまらないものを食べたら最後……年寄は、口なおしが利かないことだし……。
 さて、そうなると、一体、なにをどう食べたらいいのだろうか? あれこれ悩んだあげくの果てに――こう考えた。
 (いま、食べたいと思うものを、自分に丁度いいだけ――つまり、寒いときは温かいもの、暑いときは冷たいものを、気どらず、構えず、ゆっくり、楽しみながら食べること)
 なんとも、月並みだけれど――どうやら、それが私たち昔人間にとって、最高のぜいたく――そう思っている。

 冒頭、序文代わりともいえる一文に沢村はそう記したが、これは、きわめて私的な記録を人様の目の前に差し出すにあたっての口上のようなものだろう。三十六冊のノート(本の出された時点では三十冊)には、より深く、強いものが込められているように思う。
 一冊書き終えると、ノートは芹沢銈介の民芸カレンダーでくるまれ、日付が記され、本棚の隅に積み重ねられた(その実物の写真は、とんぼの本『沢村貞子の献立日記』(新潮社)でみることができる)。ノートを最後まで使い切ってから装幀するところが、明治生まれの人のゆかしさだろう。この「せめてものお洒落ごころ」は、ノートへ込めた彼女の思いのあらわれでもある。
 上に書かれたことは嘘ではなかろうし、はじまりは、必要に迫られた上での思いつきだったかもしれない。それでも、本書ではことさらに語られることのない彼女の気骨は、献立の記録の集積ににじみでている。老いじたく、というのはこの人にはどうも似合わない。それまでの歳月、無我夢中に生きてきたであろう人が、六十という年齢を目前に、夫婦ふたりの残りの日々を視野に入れたときにつけた、けじめといったいいか。シフトダウンではなくてシフトチェンジ。表面的な生活はあいかわらずでも、この記録をはじめたことで、彼女のなかでなにかが変わった/変わっていったのかもしれない。それをおくびにもださず、こうと決めたことを彼女は全うした。
 私はこの先何度、ご飯のしたくに倦むんではこの本を開き、ちゃんとつくって、食べよう、と気持ちを新たにするだろうか。


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