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2012年05月06日

『ある女流詩人伝』池内紀(青土社)

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 艶笑詩人として知られるドイツの女性詩人の伝記である。
 ユーリエ・シュラーダー。十九世紀末から二十世紀はじめのドイツ、帝政ドイツ時代からナチス政権下までを生きた彼女は、生涯に二千篇もの詩を書いた。発表されたものはそのうちの一割ほど、どれも、地方紙や実用誌、「格言とお話つきカレンダー」といった媒体に掲載された。

 たとえばこれは月刊「食卓とマナー」に発表された「ソース」のなる詩の一節。

 辛いソースがとびちった
 白い胸当てが台なし
 あらあら、ズボンにも
 ほかならぬそこに点々と

 または、「家庭の健康」誌に掲載の「シャボン」。

 わたしの手のなかで
 あなたは泡だつ!
 膝にはさむと、すてき
 やわらかで、なめらか!

 ユーリエは詩を書くとき、「しつけのよい子供のように」、あるいは「きちんとした主婦が粗末な服にも、いつもアイロンをあてていたように」、韻を踏むことを忘れなかった。ドイツ語の伝統的な詩にあるさまざまな約束にはこだわりがなかったものの、彼女には自由詩などという発想は毛頭なかった。彼女の生きたのはおりしも、「ドイツ現代詩の歴史」において「旧来の秩序とともに旧来の詩法が音をたてて崩れていった」時代だった。しかし、「日曜詩人」であるユーリエは、

 素材からも、形式からも、様式からも、いかなる意味の革新を企てたわけではない。ユーリエは、どのような高邁な詩の美学も、どのように大胆な構成の哲学も持たなかった。彼女は若いころナマズひげをはやしていたリルケのように、詩的世界を求めてロシアへ旅立ったりしなかったし、貴族の御曹子ホフマンスタールのように、水都ヴェネツィアで夏を過ごしたこともない。表現主義者やダダイストのように目をそばだてる奇行をしたりもしなかった。生涯を通じて平凡な一人の女の生活だった。詩が好きだという以外は、ごくありふれた娘だったし、ごくありふれた小間使いだった。

 ありふれた女性の詩はしかし、なんとも不思議なおかしみにあふれている。少女の頃からいそいそと書きためた詩を、自ら投稿もしたが、いつしかさまざまな雑誌や新聞に求められるまでになった。それは彼女に詩にある「ひそかに読みとれるウラの意味」のためである。 

 掌に二つの玉葱のせて
 わたしはいま、あなたのことを思っている
 玉葱はどこかしら、あなたと似ている
 これがあなたであればいいのに!

 一枚ずつ、わたしは玉葱の皮をむく
 すると、ホラ、青々として燃えるよう!
 この玉葱はわたしの宝物
 わたし、これを愛せるかしら?

 女学校卒業後、ブレーメンで小間使いとして働いていたユーリエが、住み込み先の領事宅で知り合った作曲家パウル・リンケに送った「玉葱」という詩である。リンケは当時、歌謡曲や流行歌の作り手として知られる人物だった。ふたりがどのような間柄であったのか、想像をかき立てられてしまう内容だが、それはさておき、この詩はリンケを通じてさる新聞に掲載され、検閲局から発禁をくらう。幸い、詩人に対してはお咎めなしとなったが、リンケを通じてその顛末を知った彼女は友人宛の手紙にこう書いた。

 「水に大空が映っているように、わたしの詩にはどの一行にもエスプリがまじっていて、それが頑迷な人々に誤解を招くのですって」

 なんともエロティックで、キュート、律儀だがケロリとしたおかしみのあるユーリエの詩。自らの詩にあるものに、彼女自身、どれだけ意識的でいたのかどうか。

 ユーリエ・シュラーダーのエロティックな詩は、単純な女の単純な作法がもたらした偶然だけではなかったと思われる。彼女自身、自作の持つ奇妙な二重性に気づかなかったわけでもないだろう。図式的にいえば、ユーリエのなかの市民性が、たえず「検閲」をして、そのあらわれを見張っていたのに対して、彼女のなかの詩人性が検閲をかいくぐり、それとなく人差し指で示すようにして「証拠」をのこしておいた、といったふうにも考えられる。
 ユーリエ・シュラーダーのひたむきな抒情詩が、なぜ笑いを誘うのか。説明するのは案外とむずかしい。強いて分析すると、こうだろうか。
 つまり彼女は、もっとも楽々と詩句をつづけられるはずのところで、そのため読者がもっとも予期しないところで、みごとなしくじりをする。おそらくそれを「しくじり」というのはまちがいだろう。そのしくじりは、いわば天空から見舞うていの天衣無縫のものであって、むしろ突発的な跳躍というべきかもしれない。変哲のない数行ののち、やにわにユーリエは跳ぶのである。そして一つのシーンに、あるいは一つの転換にすっぽりと落ちこむ。読者がまるで予期しない跳躍と墜落。

 ユーリエの死後、その遺稿は、甥で文芸批評家のベルント・ヴェスリングによって編まれ、詩集、書簡集として刊行された。本書には、筆まめであった彼女の手紙もいくつか紹介されている。

 「ある予感がするの。きっと何かが起こるのだわ。でも、それが何なのか誰も知らない。いったい何をすればいいのか、それとも何もしなくてもいいのか見当がつかない。未来は新しいノートのように白い紙のままなのに、おしゃべりばかりがにぎやかだ。私たちはこの世の彼岸につつまれて生きている。目に見えない境界に囲まれて、真空に吸い上げられて――」
 「……でも、そうじゃないかしら。私たちは平衡を保持しようとして生きているのだわ。自分が不安でたまらないから。本当の秩序というものが私たちにはない。ね、そうでしょう? 私たちは大きな変動の前にいる。あるいは、すでにその中にいるのかしら」

 ユーリエが「一世一代のベルリン旅行」のさい、従兄に宛てて書いた手紙の一部である。1911年の初夏のことだった。三年後には第一次大戦が待ち受けている、彼女の〝予感〟は、そんな時代の動向を察知してのことだろうか。

 名の知れた哲学者の省察ではなく、世に聞こえた歴史家の予言でもない。しがない家政婦の言葉であり、ここに述べられた予感が理智の所業ではなく肉体の予感であることはあきらかだ。ユーリエ・シュラーダーは身内にもちあがってくるものを正確に見ていた。

 「単純な詩の作者が、単純な世界観の持ち主とは限らない」と著者はいう。彼女の詩は、形式においてはあまりにも平凡、そして拙いものである。

 にもかかわらずユーリエ・シュラーダーの詩は新しい。それというのも、とりたてて彼女が新しいものをうたわなかったからである。(……)これみよがしに新奇さを競った詩が、時代が変わったとたんに急速に古びていったのに対して、ユーリエの詩は今なお洗い立てのハンカチのように新しい。

 ユーリエの書いたたくさんの詩のうち、本書に紹介されているのはほんの一握りだろう。私はここではじめて知ることになった詩人の、古びることのないその詩に救われた。とくにこころに残ったものを、ここに紹介するのはこらえることにして、ぜひ本書を手にとっていただければと思う。

 「この哀れなわたしが、哀れなわたしよりももっと哀れなわたしの詩によって、人を助けることができるなら! 胸にはっきりと思っているのに、言葉が足りないばかりに自分では言えないことがある。それを、その人に代わって言ってあげることができたなら! わたしは人を助けたい。泣くとき、また笑うとき、ほんの少し手助けしたい」

 ある日の日記にこう書いたユーリエは知るよしもなかったろう、私の感想を彼女に届けたいと思う。ユーリエに感謝を。そして、詩人の生涯をこうして、その持ち味にぴたりと寄りそうすばらしい文章で示してくれた著者にも。


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