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2012年04月30日

『股間若衆 男の裸は芸術か』木下直之(新潮社)

股間若衆 男の裸は芸術か →bookwebで購入

 こかんわかしゅう。
 まるで男色をテーマにした洒落本のタイトルのよう、と、副題には「男の裸は芸術か」。そう、これは男性裸体表現をめぐるいたって真面目な論考なのだった。

 きっかけは、著者が赤羽駅前で発見した男性裸体彫刻である。その、ふたりの裸の青年の股間は、なんとも不思議な様子をしていた。からだの他の部分、へそや、鼠径部の窪みや、腰まわりの筋肉などは写実的であるのに、その部分だけはあやふやに、ぼんやり、もわわんと膨らんでいるだけ……名づけて「曖昧模っ糊り」、なんと見事なネーミングだろうか。
 かくして著者は「股間若衆」をもとめて旅にでる。駅から駅、街から街、あるいは時をさかのぼり、明治期の美術展覧会場へ。

 明治三十四年の第六回白馬会展で、黒田清輝の描いた裸婦像の下半分に布が巻き付けられたいわゆる「腰巻き事件」は広く知られた話。もちろん、男の裸だって取り締まられた。明治四十一年の第二回文展では、朝倉文夫の男性裸体像《闇》が展示に際して、「股間表現に官憲より修正をもとめられ」、この一件は《彫刻の去勢》と題した風刺画にも描かれた。
 以来、お上のお咎めを受けまいと、彫刻家たちは裸体に薄い布を纏わせたり、厚紙で作った木の葉をその部分に貼り付けたりなど、さまざまな対応策をあみ出すのである。

 巻末の付録、「股間巡礼」と題した股間若衆ガイドには、「曖昧模っ糊り」のほか、「フンドシ」、「腰巻き」、「パンツ」、「謎の物体」(文字通り正体不明の何かが股間にはりついている)等々、対応策のバリエーションが紹介されており、作り手にしてみれば心外だろうけれど、その創意工夫ぶりには感心させられる。

 なかでも、本文でとりあげられている北村西望(長崎の平和祈念像の作者)の「とろける股間」は、股間表現のひとつの到達点ともいえそうだ。妙な抑圧感の漂う「曖昧模っ糊り」にくらべると立派な姿、けれどもけっしてそのものずばりではない、いかにもそれらしい風でいて、やっぱり違う。いったいどうやって造形したのだろうと考えさせられるそのかたちは、一度はかたち通りに作ったものを火であぶって溶かしたよう、まさしく「とろける股間」である。
 そんなこんなであらわれた「曖昧模っ糊り」、それは、

 おそらく、これは長い歳月をかけて、日本の彫刻家が身につけた表現であり、智慧であった。美術品であることは、 実は「錦の御旗」にはならない。……いくら美術品であることを主張したところで、いつ官憲の基準が変わるかわからないからだ。
 いやもっと恐ろしいのは、市民感情というやつである。「美しい」から「いやらしい」へ、いつ振り子が振れるかわからない。……
 美術品は美術館の展示室にあるうちはよいが、いったん屋外に出ると、そうした危険にいつもさらさられる。
 日本の都市に置かれた女性裸体彫刻は、数で男性裸体彫刻を凌駕するが、近年になってその存在を疑問視する声が上がっている。その主要な論拠が「女性蔑視」であれば、ただてさえ肩身が狭い男性裸体彫刻は、この議論からも取り残されてきたことになる。

 股間を「曖昧模っ糊り」させた男の裸の像が駅前に立っているという不思議。その謎を解き明かすため、著者は、股間若衆のいる現場をめぐり、日本近代美術の歴史をひもとくだけでなく、美術以外のジャンルにおける男性裸体表現の世界へと読者を導く。

 *

 たとえば、松本喜三郎による見世物の生人形。
 平成十六年、熊本市現代美術館で開かれた「生人形と松本喜三郎展」で、著者は喜三郎作の《貴族男子像》と対面。それは、北海道開拓使顧問であったアメリカ人ケプロンが、帰国に際して喜三郎に注文したもので、同展で百三十年ぶりに里帰りをしたものである。
 《貴族男子像》は、アメリカのスミソニアン博物館で、タイトルにふさわしく衣冠束帯を身につけて展示されてきたといい、「衣装の下に隠される部分までをこれほどリアルにつくる必要はまったくなかった」。しかし、本物そっくり、〝まるで生きているよう〟なのが生人形であるから、喜三郎はそのすみずみまで念入りに細工を凝らした。
 見世物のための細工である生人形は、性器を見せることを目的にされることもあった。安政三年の浅草奧山で、喜三郎による女性の人形が、その性的表現のために寺社奉行から撤去を命じられたという記録が残っているという。そうしたことがあっても、喜三郎はその部分の細工を曖昧にするということはなかった。

 日本に戻ってみるとまるで浦島太郎で、これほどリアルな性器をつくってもらった仲間たちは、もはや故郷のどこにも暮らしてはいなかった。いや、そうした人形が、表立っては語られない社会になっていた。現代美術館の展示室ゆえに、かろうじてその居場所を与えられたのである。赤羽駅前に立ったなら、やっぱり警官が駆けつけてきただろう。

 *

 あるいは、同性愛雑誌における男性裸体表現。
 伊藤文学は、その著書「『薔薇族』編集長のなかで、男の写真は同性愛雑誌の命、「あそこのモッコリをどう見せるかが男の写真では大事なのだ。この時代、男性ヌードを撮り下ろすだけで精一杯だったのも事実である」と、創刊当時の苦労を振り返っているとある。

 著者は、大正期、営業写真家に対して「芸術写真」を目指した写真家たちが、男性のヌードを撮る上での工夫と苦心の跡も取りあげている。「裸になるための理由を女以上に必要とした」男性の裸をモチーフとするには、「写真家は彫刻家以上の難題に立ち向かわねばならな」かった。

 当時の芸術写真家たちは、志を同じくする友が周囲にいたため、モデル探しには困らなかったようだ。しかし、「社会的に、あるいは家庭的にも孤立する男性同性愛者たちに自信を与える」ことを目的にされた『薔薇族』の創刊(昭和四十六年)当時、「脱いでくれるモデルを見つけることも、それを撮る写真家を見つけることも用意ではなかった」。

 ところで、昭和四十年代の『薔薇族』にたいし、昭和二十七年創刊、日本初の同性愛雑誌といわれる会員制の『ADONIS』誌上では、男性裸体彫刻の写真が好まれ、よく登場していたという。

 それは、何よりもまず、日本社会における男性裸体彫刻の存在感が、昭和二十年代と四十年代とでは大きく異なってきたことを示しているだろう。

 男性裸体彫刻が美術館から抜け出したのは戦後になってからのことである。それは、軍服姿の軍人の銅像と入れかわるようにして屋外へと進出していった。
 千鳥ヶ淵に設置された菊地一雄《自由の群像》の写真を紹介して欲しいという、『ADONIS』の投稿欄にある読者の投書を引いたあと、著者はこうつづける。

 (朝倉文夫の)《友》といい《自由の群像》といい、本書で訪ね歩いてきた「股間若衆」たちがこのように眺められていたことをぜひとも知っていただきたい。なるほど「アングル次第で」見方は変わる。……
 こんな話をはじめると底なし沼に脚を踏み入れてしまうようなものだが、生身の「友」、写真の「友」、彫刻の「友」のうち、なぜ彫刻の「友」だけが往来に出ることを許されるのだろうか。とりわけ、写真と彫刻の間にどのような一線が引かれているのだろうか。もちろん、常識的な判断では、写真には生身の「友」が写っており、彫刻には生身の「友」はいない……。しかし、彫刻が金属であるように、写真は紙と薬品の合成物であって、決して「生身」ではない。それが「写真」という言葉の仕掛ける魔術である。
 

 *

「曖昧模っ糊り」という「お告げ」があったとき、著者はすでに底なし沼に片足を突っ込んでしまったのではないだろうか。

 いったいどこから、こんな曖昧模糊とした股間表現が生まれてきたのかを知りたいと思った。そして、その持ち主が一糸まとわずなぜ駅前に立っているのか、通行人の多くはなぜ目を留めようとしないのかについても考えてみたかった。

 私はといえば、屋外にいる彫刻、それらが、行き交う人々の注目をさして集めることもなくそこにある様子を好む。
 バスターミナルの真ん中に彫刻が建っていたりする駅前に降り立つと妙な郷愁をそそられるし、平日の人気のない公園で人物彫刻に出会えばハロー!と挨拶したくなる。
 目的地に向かって急いでいたり、考え事をしながら歩いていたりするときに思わず出会う彫刻は、しかるべき展示空間における〝私〟対〝作品〟という緊張感のなかでは思いもよらぬものを与えてくれるようなのだ。そこで私は彫刻を見てはいない、作品の表現や、設置の由来やその経緯といった諸事情が風雨にさらされ風化してしまった風景にあるものをなんとなく感じているに過ぎない。
 それは、街中に彫刻があるという状況が当たり前のものとなった世の中を生きているからこその感想、これもまた鑑賞のひとつのかたちに過ぎないのかもしれない。

 ところで、「股間若衆」に目を留めようとしない通行人は、はたして無関心からそうしているのかどうか。
 それまではOKだったことがNGになり、反対に、かつては問題にされていなかったことが取り沙汰されるようになるというのはよくあること。ひょんなことで、世人の思惑はひっくりかえる。もしかすると、著者がそれを「股間若衆」と名づけたことがきっかけで「疑問視」されないともかぎらない。
 女性裸体彫刻が「女性蔑視」のかどで疑問視されているのにたいし、では男性裸体彫刻は何を論拠に疑問視されるのだろう。そこには、性の非対称性について云々するだけではカバーしきれない何かがひそんでいる気がする。


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2012年04月06日

『痕跡本のすすめ』古沢和宏(太田出版)

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 古書店の店先に、買い取られてきたばかりらしい、整理もされてないまま紐で括られた、「古本」という商品になる以前の物体が無造作に置かれてあるのをみると、虫食いの葉っぱがそのままだったり、まだ泥がついたままだったりする採れたての野菜を思い出し、喉の奥がむうー、と鳴ってしまう。そう、この本は、ちょっとくらい汚れてたって平気平気、食べても死にやしないよ、という方になら楽しめそうな一冊といえよう。
 当たり前のことのようですが、全ての古本には、前の持ち主が存在します。
 本が古本屋さんに並ぶ前、その本は必ず、誰かの本棚ににあったものです。そして、様々な理由で持ち主の手を離れ、古本屋へ流れ着くことになりました。
 それはたとえば、傷やよごれのない、一見新品にしか見えないような古本でも同じことで、そこには前の持ち主がそれを買った理由があり、そして手放した経緯が存在する……。
 そう、すべての古本には、前の持ち主がその本と過ごした時間という「物語」が刻まれているのです。
 それが目に見える形で残されているもの、それが痕跡本。
 そこには、本の内容だけじゃない、前の持ち主と本を巡る、世界でたったひとつだけの物語が刻まれています。

 本来なら「難あり」としてその商品価値を下げてしまうはずの古本の線引き、書き込み、挟み込み、傷、シミ、破れ。それらに価値を見いださんと、古書店店主である著者が〝痕跡本〟を紹介、そこに刻まれている物語を読み解いてゆく。

 前の持ち主のした線引きが、はじめは煩わしかったのにしだいにおもしろくなってきて、いつのまにか本来の読み方からはずれてしまういうような経験は私にもある。が、〝痕跡本〟においては、はじめから本そのものではなく、かつての持ち主への読みが優先される。

 たとえば冒頭に登場するのは、日野日出志のホラーマンガ。無数の針穴が、カバーの上からぶすりぶすりと本文用紙にまで達しているというとてもこわい一冊。経年のヤケやシミによってその猟奇性はいよいよつのり、著者曰くそれは「言葉では表現しきれない心の衝動を行動で示した、いわば、生傷の読書感想文」。

 あるいは、世界中の著名人によるラブレターのアンソロジー。奥付の前の白紙のページに「ひなまつりの日に 56 3/3」の但し書きとともに書き込まれているのは、「うれしいひなまつり」の歌詞。「この人にとって、ひなまつりとは、この本がもたらした余韻と相乗効果があるような、そんな特別な日だったのではないか、なんて思うのです。」

 あるいは、全体が枯葉色に変色し、手に取れば本をくるむパラフィンがほろほろと崩れ落ちそうに痛んだ岩波文庫、エンゲルス『空想から科学へ』。本文は線引きと書き込みの嵐で、その「気になったポイントにはがんがん攻め込むアグレッシヴな知識欲」、「がむしゃらな勉強ぶり、読書ぶり」に、もはや本そのものの内容に関係なく、手に取ると高揚感がもたらされるという一冊。なぜならそれは、「前の持ち主の読書の興奮が消えることなくこの本に宿」り、「存在そのものが読書の記憶の痕跡」なのだ。

 記しをつける、メモをとる、切り抜きをはさむといった行為が、コンピュータや携帯電話によってなされることが増えたいまだからこその、〝痕跡本〟という括りなのだろうと思う。ただ読むだけでない、さまざまな使い方とつきあい方は、本が本というかたちだからこそできること。ああ、本ってつくづく実用品。それでわかった。他のものはがまんしても、私が本を買うことにはためらいがない訳が。
 また、ページを折ったり、書き込みや線引きをしたりすることにもあまり抵抗のない私は、ますます本を実用していこう!という気持ちを新たにした。だけど、自分の痕跡が人様の目に触れることについては想像したくない。


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