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2011年01月31日

『新装版 鴨居羊子とその時代 下着を変えた女』武田尚子(平凡社)

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 下着デザイナーであるとともに、下着会社の社長でもあった鴨居羊子は、絵を描き、エッセイを書き、動物を愛し、各国を旅してまわり、フラメンコに熱中し、と、さまざまな顔を持つ女性であった。そんな多面性が魅力であることはたしかだが、マルチな才能を持ち自由に生きた女、という定型にはおさまりきらない奥深さと複雑さが鴨居羊子にはある。
 鴨居が絵やフラメンコにのめり込んでいったのは、アーティストであり経営者でもあるがゆえの、クリエイティビティと現実との葛藤からの逃避であったとは、本書にもあるとおり。そうした鴨居の、一筋縄ではいかない生きかたを、本書はつぶさに示してくれる。なによりもまず、鴨居羊子が下着の世界にもたらした功績がいかなるものであったかが、鮮やかに綴られている。
 鴨居羊子の果たした役割を考えると、新しい時代の女性のためのスタイルを打ち出したシャネルにある意味で匹敵する衣服の革命を担ったとともに、アーティストたちとの交流をベースにアートとモードの融合を図ったスキャパレリとも共通性を見出すことができる。また、コケットリーを多少の皮肉も込めて見せびらかしながら、底に流れる知性や品性を感じさせるという点で、今若い人たちに人気のあるイギリスのデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドにも通じるものがある。

 このように、まえがきで著者は鴨居羊子を三人の女性デザイナーになぞらえてみせた。鴨居羊子をまったく知らなくとも、ファッションに興味のある人であれば、ここから、鴨居がどんな女性だったのかが想像されるだろうし、どれほどの仕事を下着の世界でなしたのかもおわかりいただけるはずだ。

 これを読んだとき、私はぴしゃりと膝を打ちたい気持ちになった。そうそう、鴨居羊子というのはそんな女の人なのだ。本書の旧版がでたのは十四年前のことである。同じ頃、鴨居羊子の著作からその人となりに惹かれ、過去の雑誌記事などを調べていたのだが、そこにあったのは、スキャンダラスなふるまいと派手なファッションの女傑のイメージばかり。女の人が新しいことをしたり、過ぎたふるまいをすると、メディアはそういう書きかたしかしないのだなあ、と違和感を感じたのだが、このまえがきを読み、それが一気に吹き飛んだのを思い出す。

 また、あとがきでは、著者は鴨居羊子が自分の母世代であること、彼女について調べ書くことは「自分を生んだ世代」を知ることでもあったと著者はいう。鴨居羊子は生涯独身を貫き、子どもも持たなかった。けれども、鴨居羊子は、自らの手で何かを作りだし、それを仕事や生きかたにしようとしている女性たちすべての母親のような存在だろう。

 新装版へのあとがきには、著者が毎年取材するパリでの下着の国際展示会で、毎年新しく登場するデザイナーに強烈に「鴨居羊子」を感じ、「ここにも鴨居さんの子供がいる」と思うとある。

 それは、普通ではちよっと思いつかないような大胆な配色であったり、夢いっぱいのプリントであったり、商品タグなど細部にまで込められた愛情であったり、また自由に生きることを肯定する女性たちへのメッセージであったり……(いまだに女性は何かに束縛され、あるいは自らを束縛しながら生きている)。

 それを身につけることによって、身体を解放してくれるもの、というのが鴨居羊子の下着観だったが、鴨居の生きかたそれ自体が、女性にとっては何ものからの解放の一助となりうるだろうと思う。


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2011年01月30日

『私語り樋口一葉』西川祐子(岩波現代文庫)

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 明治二十九年の夏、本郷丸山福山町の崖下の家で、病床にある一葉がおもいめぐらすさまざま。樋口家の来歴、いく度も住みかえた家、歌塾・萩の舎での日々、兄と父の死、母と妹との困窮生活、小説の師・半井桃水、龍泉町での商売……。一葉の遺した日記のほか、後世の研究者によって明らかにされた伝記的事実にもとづき、一人称によって書かれた評伝である。これに、ふたつの一葉小論が併録されている。そのうちのひとつ、評伝の創作ノートともいうべき「性別のあるテクスト 一葉と読者」のなかで、著者は一葉の文体についてこう書いた。
 (……)女ことばは曖昧表現の他にさまざまな規制と規範をもっていた。樋口一葉は物言いの女ことば、書きことばの女文の規範をまもりつつ小説を書いた。しかも一葉は(……)自分自身は当時の女の規範をずれたすねものと決めていた。斎藤緑雨や後の和田芳恵は一葉の屈折した表現や韜晦癖にひかれ、規範的な女文の行間を読もうとした。妻、母の資格で語るのではない一葉が自分自身で埋めなければならない空白の意識は、近代文学が追究する自我の中でも、もってもラディカルな性質を帯びることが予想されたからではなかろうか。
 一葉の場合、女ことばで書くとは、自然な、無意識の行為では全くなかった。(……)一葉は意識的な文章を苦労しながら書いた。歌の題詠と規範的文章の書き方を教え、文を書くことによって、それだけで食べてゆかねばならないプロフェッショナルだったからである。

 評伝のなかで、一葉は回想する。小説の師となる半井桃水の家をはじめて訪れた時、「まるで御殿女中のようにしずしずとおでましになって、物を言うにも遊ばせづくし、ほんとに困りました」と言われたのだった。かねての望みであった小説家への道を開いてくれるかも知れない人物との初対面、一葉がどれほど必死であったことか。
 一方で、創作については、女性の書いた女のせりふは乱暴で女らしくないと意見される。女形は現実の女よりいっそう女らしいではないかという桃水のことばは、一葉の心に残った。一葉が、女性を語り手とするのにふさわしい文章、現実の女より女らしい、関礼子が「女装文体」と呼んだ(『姉の力』筑摩書房、93年)書き方を採用したのはそのためである。
 しかし、この評伝での私語り、死の床で喘ぐ一葉の「頭に通り過ぎてゆく言葉の列」には性別がない。ここでの一葉はすでに日記を書くこともままならないのだ。苦しまぎれに帳面に書きつけた一行は、「病人でも夏は暑い」。

 (……)あれは雅文でも新聞体でもない、言文一致体をも越えている。何もかも削ぎとった無愛想な文章。私が一度も書いたこと、読んだことのない文章である。(……)  もう、なよやかな女文字で女言葉を綴ることはないのだ。私はすでにこの世の者ではない。定められた人の道を離れ、天地の法に従う存在には、大丈夫と愚人、男と女のけじめなどありはしない。虚無にあっては君もなし、臣もなし。君という、そもそも偽りなり、臣というもまた偽り、の境地に立つ。身分の上下、男女の左右の別は人の世の定め、生きているうちから人の世を脱してしまったこの私にはすでに何の意味もない。(……)
 文字を覚え、文章を書くことを学んだ私は、文字によって少しずつ時空を越え、身分の差を越え、男女の別を越える術を知った。

 「私が一度も書いたこと、読んだことのない文章」とは、一葉が、職業作家として意識的な文章を書かねばならなかったからこその評であろう。女ことばの規範のなかでこそ書きえた一葉の近代性は、「書くしかた」と書き手自身とのあいだとの間にあるものを読むという近代的な読書を促し、それゆえに一葉の作品はこうまで後世の読み手を惹きつけ、あまたの一葉論を生んだ。従来の、三人称・過去時制という評伝の書きかたではない、一葉自らが語るというこの方法もまた、一葉という作家に対するひとつの「読み」なのだろう。
 本書のオリジナルが出された92年以降、一葉を女性の視点で読むことがさかんに行われるようになったという。文庫版のあとがきにはある。

 なぜ女の視点で読むことがあの時いっせいに始まり、支持されたのだろう。あれは与えられた物語をそのまま読むのではなく、考えながら読むことによって作家とともに読者の数だけの物語を創出する積極的読書に女性も加わった瞬間だったのではないだろうか。それまでは女性の作家はいても批評家は少なかった。批評の読者も少なかった。批評の読書とは、読書の読書をすることである。読書の読書は乱反射をくりかえしながらさらに複雑な物語を生む。

 評伝には細かな注が付されているため、読者は記述の裏付けとなった資料にあたることができる。この道しるべによって読者は、「与えられた物語をそのまま読む」のではない、批評的な読書に足を踏み入れることができるだろう。


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2011年01月22日

『百日紅』杉浦日向子(ちくま文庫)

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 「本郷もかねやすまでは江戸の内」
 住まいにほど近い本郷三丁目の交差点、その角にある洋品店「かねやす」の店先に掲げてある川柳である。これによれば、現在の私の暮らす地域は、かろうじて江戸の町に含まれていたことになる。上り下りの激しい文京区のなかで、平らな地面のひろがる本郷台地の一角は武家屋敷が立ち並び、それより北側は田圃のひろがる、都市と郊外の境目であったのだ。
 そんなふうに自分の生活圏を眺めはじめたころ、本の山のなかから杉浦日向子のマンガ数冊を引っぱり出し読みふけった。われながら単純な、と可笑しくなるが、私の江戸理解は、この人のマンガにおおくを負っているから、それをもういちど確かめてみたくなったのだ。
 その代表作が、著者二十代の筆であることに今さらながらに仰天する。絵の巧さ、話の面白さ、そして、著者の眼には江戸というものがありありとみえていたのだろうなあ、としか言いようのないあの空気感。杉浦日向子のマンガの画面には、江戸時代のおいしい酸素が充満している。
 『百日紅』は北斎とその娘のお栄、弟子の善次郎(のちの渓斎英泉、著者が彼にどれほど熱烈に恋していたかは、この物語の全編からひしひしと伝わってこよう!)の三人をとりまく物語だが、彼らはたびたび、今のわたしたちの常識では考えられないような目に遭う。
 北斎は、常人にはみえないものがみえていた人なのではないか、と思わせる絵師だけれど、このマンガのなかでも、現代科学の常識では説明のつかない体験――死人ががばりと起き上がって動いたり、物の怪があらわれたり――をたびたびしている。著者はそれを、ついこのあいだ聞いたばかりの友達の噂話みたいに、あるいは実際にその場にいてみてきたかのように描いてみせる。
 東京へやってきて半年。時間がゆっくりと流れている京都にくらべ、街ゆく人たちがいつも忙しそうな東京は、まるで外国の街のような気がしていたが、杉浦日向子のマンガを読んだあとには、ちがった眼であたりをみまわせるようになったと思う。
 どんなに大きな変貌を遂げようと、北斎の生きた時代からつづいているのであろう、ある気配を東京の町に感じるようになったのはそのせいだ。これまで暮らしてきた京都は千年の都であるし、この地で生きてきた人々の営みの積み重なり、都市そのものに染みついた記憶というものはもちろんあるにはちがいない。それよりももっと強いなにものかに、東京は覆われているような気がする。
 それを、霊気、などと言ったらオカルトめくだろうか。けれども、オカルトというのは人知を超えたなにかなのであって、科学というものがひとまず信じられているからこそのもの、近代のものだ。杉浦日向子が描いているのは、江戸はこうだったんだよ、というただそれだけのこと。そこには理屈はないから、すとんと合点がいってしまう、江戸ってそうだったんだなあ、と納得してしまう。
 江戸に関するエッセイをまとめた彼女の本によれば、江戸っ子の生息地域は、「神田川の南、千代田城の東、隅田川の西、江戸湊の北、の東西に細長い一帯の、裏通り」なのだとか。なんとまあ、狭い範囲にたくさんの人がひしめいていたことだろう。そして、密集して暮らす彼らのすぐ隣にはなにやら得体のしれないものたちもうごめいていただろう。私の感じる東京のある気配とは、そうしたもののなごりなのだと思う。その気配を意識しつつ、かつてのお江戸の末端から、千代田城の東あたりをうろつく私なのである。



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